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その手は、その瞳は、やがてその意味を知るでしょう あきらめないで すべてを そして、貴方自身を― ガサリ。 緑の木立の中で。 淡い木漏れ日を、その白い肌に受けながら眠る少女。 その、静かな風景に。 柄にもなく、泣きそうになった。 ―泣いてはダメだと。 男は涙を見せてはダメだと。 まだ、身の丈が今よりずっと小さくて、何もかもが大きく見えていた頃、すぐにべそをかく俺に何度も言い聞かせられた言葉。 女の子とお年寄りには優しく。 これは、それから暫くして、身の丈が随分高くなって剣を操るようになってから言い聞かせられた言葉だった。 優しくある前に、強くあれ、と。 数ある孫のうちでも一番俺を可愛がってくれた彼女がそう言いたかったのかは、もう知る術もないけれど。 強く。 強く、と。 そしてそれは、何時の間にか俺に、伝説の剣の使い手としての称号とともに与えられることになった。 ザザッ! 森の中の道無き道を突っ切り、蔦の茂った藪の中に身を潜ませる。 まだ日中だというのに、鬱蒼と緑に囲まれたこの森の奥にはロクに太陽の光も入らず。 地面はじめじめと、空気中の湿気を思いきり吸い込んだ様に滑っていた。 「はあ…はあ…」 これだけ走ったのは久しぶりだった。四方に気を張り巡らせ、息を潜ませながら走り続けて既に3時間。 正確な時間は分かりづらいが、森に入る手前の村で昼食をとってからそれくらい経っているような気がする。 「はあ…」 無意識の内に腰に帯びた剣にそっと手を当てる。 そこから、彼女の温もりを感じ取るかのように。 久しぶりに一人だった。 ここから少し離れた大きな街で、共に旅を続けていた小さな相棒は、立ち寄った魔道士協会からの要請を受け、しばらくその街に留まることになった。 元より魔道のことなど全然分からない自分ができることがあるはずも無く。 いつものように、リナが用件を片付けるまで適当に待っているつもりでいた。 …昨晩。ヤツが現れるまでは。 朝から晩までをほとんど魔道士協会の地下図書館で資料収集にあたっているリナは、昼食と夕食には一旦宿に戻ってくるが、それ以外は夜遅くまで図書館に詰めていた。 俺はリナが帰ってくるのを、宿の食堂兼酒場で待つのが常となっていた。 昨晩も、いつものようにカウンターに腰掛けて、いつ帰るとも知れないリナの帰りを待っていた。 そしてヤツが現れた。 ヤツはいきなり殺気を俺にぶつけると、問答無用で剣を突きつけてきた。 騒然とする酒場。 俺は傍らにあった剣を手にすると、繰り出される剣を受け流しながら、勢いよく表へ飛び出した。 ヤツは、その下卑た笑みを浮かべながら、言った。 『あの時の礼をさせてもらう』 俺よりも大きな男。腕回りから腰回りから、全てがとにかくでかかった。 そんなヤツの腕から繰り出される剣は、当然の如く受け止めた時に自分の腕にかかる負荷が大きい。 絶えず匂う血の生臭さ。 ヤツの後ろに見える荒廃した風景に、俺はかつて自分の身を置いていた場所を思い浮かべた。 久々の人間相手の敵だった。 敵かどうかは、はっきりとしたところは分からなかったのだが。 『あの時』が何時のことを指すのか、いや、この男自体何時会ったことがあったのかすら、思い出すことが出来なかった。 しかし、ヤツは俺に剣を振るう。 …それだけで立派な理由じゃないか?「敵」であるための…。 夜の街は、未だ人で溢れていた。 こんな街中で戦うこと自体、久しぶりだった。 『兄ぃは死んだ』 不意に接近し、鍔迫り合いとなった時に、ヤツがぼそりとそう呟いた。 『もう何年も苦しんで死んだ。傷口から徐々に腐っていった』 ヤツの目には俺は映っていなかった。だが淡々とした口調でも、その競った剣に込められた力は衰えることはなかった。 『覚えてないのか?ガウリイ=ガブリエフ。あの時、お前が右腕を肩から切り落した男のことを』 カンッ!! 乾いた音が響く。 悲鳴が背後から聞こえたが、それにかまっている暇は無かった。 ジャリ… ヤツは一旦正眼に構えると、ゆっくりと剣を振りかぶった。 『殺るなら、一突きにすればいいものを。利き腕を切り落されるくらいなら…』 殺気が一気に高まる。 俺は剣先をゆっくりとヤツの右目に定めた。 『−何をしている!!』 ピピーッ!! けたたましい笛の音が響き、それとともに多くの警備官が走り寄ってくるのが見えた。 『ちっ!』 ヤツは舌打ちをすると、剣を下ろし、擦れ違いざま俺に呟いた。 たった一言。 『明日、外れの森で』、と。 「くっそ…。いっそのこと、切っちまおうかな…」 藪に引っかかる己の髪を乱暴に引寄せながら、愚痴が口をついて出る。 3時間。 ヤツは執拗に俺に仕掛けてきた。 森に向う途中の村で昼食を取って、その後森に入ってからずっと。 「…はあ…」 げんなりと溜息をつく。 さっさとケリをつけて、リナが魔道士協会から夕食のために宿に戻ってくる前に、自分も戻らなければならない。 彼女には何も告げなかった。 理路整然と説明が出来るほど自分に語彙力があるわけでもなく。 そしてまた。これは俺の傭兵時代の名残でもあったからだ。 思いの外ヤツは剣の腕が立った。 そしてヤツ自身、俺をあっさりと殺すつもりは無いらしい。 殺気全開で挑んでくる人間ならば戦いやすいものを。 「…ちっ…」 森に入って何度目かの舌打ちをする。 『兄ぃは死んだ』 …知るか。当時、何人斬ったと思ってるんだ。 前に立ちはだかる敵を、とりあえず自分の邪魔にならないように排除すればよかっただけのことで。 斬った相手が本当に死んだのかどうかなんて、気にしている暇なんてものは無かった。 流れの傭兵なんてそんなものだ。 この戦いが何が原因で始まって、この戦いに何の意味があるのかなんて、知る必要も無かった。 自分を排除しようとするのものは「敵」で。 「敵」さえ認識していれば、誰が味方かなんて関係無かった。 そんなもんだ。 お前の兄キだって、同じような世界に居たんだろう? そして、お前自身も、よく分かっているハズだ。 『兄ぃは死んだ』 過去が再燃して、今ごろになって自分に振りかかるとは思ってもみなかった。 リナと旅をしてきて、人間よりも遥かに強い魔族なんてものを相手にしていたから。 簡単なハズなんだ。 一太刀浴びせれば、人間の身体なんてすぐに壊れてしまう。 『兄ぃは死んだ』 自分自身に面と向って殺気を投げかけられたのは、数年振りだった。 ヒトの。 尋常ではない憎しみ。 同じ作りをした、限り在る命の、同じ人間である、というだけで。 何故にこんなに俺は躊躇う? 何故? 何故だ? 3時間。 かつての自分じゃ考えられないタイムラグ。 必死になって、髪を乱しながら、息を乱しながら、みっともなく森を駆けずり回る。 あの頃の俺は、どうしてた? こういう時、どうしてたんだ? 「俺は…」 自分がどういう人間かだなんて、とっくに分かりきっていたはずなんだ。 でも、あいつの…リナの傍にいるようになって。 保護者だなんて気取ってみたりして。 記憶力が無いだの、くらげだの、リナの周りの人間は俺をそう認識していて。 だから、俺も。 なってみたかったんだ。 そんな風に、笑っていられる世界の人間に。 …この手が。過去に何をしてきたかを、知っているクセに。 ガサリ。 「…いい加減、決着をつけよう」 何時の間に近づいていたのか、ヤツが下卑た笑みを浮かべて立っていた。 俺は最初から、こいつのこの笑みが気に食わなかった。 この世界にいる者特有の表情。 死、なんて簡単なもので。 自分か、他人かしか区別が無い、そんな世界の人間。 「兄ぃは、死んだ」 「お前が殺した」 ガサリ。ガサリ。 この剣は。 リナと出会って、彼女が俺に与えてくれたものだった。 彼女を守るために。 それだけのために、振るい続けていく剣。 ガサリ。ガサリ。 「気にいらねぇ」 「正義ぶりやがって。あの、リナ=インバースの相棒だかなんだか知らねぇが」 「兄ぃは、死んだ。お前の剣を食らって」 「腐って…腐って死んでいった」 ガサリ。ガサ… 「―殺したのは、お前だ」 どうしてその腕があるんだい? 剣を抜く。 刀身が僅かに震えた。 「うおおおおおお!!!」 どうして自分がここに在るのか。 どうやって生きていくのかをね。 …だから、強くお成り。 ガキィィ……ン…… カタカタカタカタ… 互いの剣が触れ合う。 間近に見える、何かに餓えた目。 憎しみだけがそこにあって、だからこそ余計に、ヤツが魔族ではなく人間であることを俺に知らしめた。 「…くっ…!!」 力任せに抑えこんでくる剣を、手首を右に軽く曲げて流す。 ちゅいん…っ… 鈍く火の粉が上がった。 ヤツの体勢が左に傾いたその瞬間、俺はヤツの右喉へ向けて剣先を定める。 その薄皮一枚を破れば。 赤い…真っ赤な血が滴り落ちるのだろう。 一突きすれば。 目の前の男は、ただの物体となって、地を這うのだろう。 ―一瞬の隙だった。 その躊躇いが、俺にとって殺気となって降り注いだ。 カア…ン… 「ぐ…っ……」 呆気なく剣先を外される。 その拍子に今度は自分が体勢を崩しそうになり、慌てて構え直す。 「−今更逃げる気じゃないよなぁ?」 口に笑みは浮かんでいても、その目は笑っていなかった。 「傭兵は傭兵だ。…アンタも、俺達と同じ…そうだろう…?」 相手の刀身が高く空をつくのを、どこか冷静に俺は見上げていた。 銀に鈍く光ったその刃先に、どれほどの血が染み込んでいるのだろう、と。 そして目の前の男に、過去に生きた自分の影をイヤというほど見せつけられるのを感じた。 …ケッキョク ハ 殺スコトシカ デキナインダロウ? 『強く在れ』 遠い昔、ばあちゃんが教えてくれたその言葉は。 もう、届かない場所へ行ってしまった。 その強さに、幼心に憧れていたのに。 真の意味を。 あの頃なら、ちゃんと理解していたのに。 それを得るには、余りにも血を流し過ぎた− (俺は…) 何故か手にした剣が、とてつもなく重く感じて。 俺はただ、自分に迫り来る目の前の男を、ぼんやりと眺めていた。 それは酷くゆっくりと映った。 俺はそのまま目を瞑ろうとして− 「ファイアー・ボール!!」 突如、高い声が響いた。 そして次の瞬間には、目の前でオレンジ色の光が地面に落ちてきた。 瞬間、俺ははっとして剣を構えなおした。 けれど、何が起こったのか分からなくなって、俺はその場から動くことが出来なかった。 「−ガウリイ!!」 リナ… 言葉が声になって出たかは、分からない。 けれど一瞬、空中に浮かんだ彼女が安堵した様に微笑んだ。 「−邪魔をするな!!リナ=インバース!!!」 オレンジ色の光の向こうに、殺気をそのままリナ自身にぶつけて叫ぶヤツがいた。 俺に向けられていた憎悪が、彼女自身に向けられる。 けれど、リナは、それを物ともせずに鼻で笑った。 「−このあたしに喧嘩を売ったこと、後悔するわよ?」 ゆるゆるとリナが地上に降りてきた。 そして俺の横に並ぶ。 「何やってんの。折角人が早くご飯食べようと思って宿に戻ってきたのに、あんたがいないんだもの」 優しいあたしは、迎えに来てやったのよ…とリナはにやりと俺を見上げた。 そして、ぽんと軽く俺の左腕を叩いた。 「さっさと終わらせて、ご飯にしましょ」 躊躇いもなく、向けられる笑顔。 触れてくる小さな手。 …ああ、そうか。 解ってくれる存在が、きっと見つかる。 …そうだったんだな。 ガチャ 俺は再び剣を構えなおした。 もう刀身が震えることは無い。 「女の助けが無いと、ロクに戦うことすらできんのか」 バカにした様にヤツが笑った。 「なに…」 その言葉に、リナが声を荒くして前に歩み出ようとするのを、俺はやんわりと抑えた。 そして、見上げてくる赤い瞳にゆっくりと頷いてみせる。 さっさと終わらせよう。 そして飯を食うんだ。いつもみたいに。 リナと。 二人で。 ずっと― ヤツは、呆気なく地面に平伏した。 今度はちゃんと、確かめた。相手の息があるのかを。 その俺の傍らで、リナがそっと癒しの光をヤツに注いだ。 復活を唱えられない彼女は、既に凝固を始めた胸の血傷をほんの僅かだが塞いだ。 骸となった男に暫し目を瞑ると、再びその赤い瞳で俺の方を見上げ、静かに頷いた。 ヒトであるがこそ、その重みを理解できる。 幾多の困難を切り抜けた彼女だからこそ、静かに受け止めて傍に居てくれる。 ただ護るだけじゃなく。 ただ護られるだけじゃなく。 共に立ち向かって、肩を並べて進むことができる関係。 だからこそ。 俺はここに…彼女の隣に在ることができる。 リナであるからこそ、できるんだ― ふわり… 風が吹いた。 緑と黄緑と黄色の光が、ゆらゆらと揺れる。 目の前であどけなく眠る彼女の前に、そっと膝をつく。 柔らかな草の芽が、服越しに伝わってきた。 優しい情景。 何でもない、日常の一コマ。 その傍にこんなにも穏やかな気持ちで寄り添うことができる。 こんな時。 何よりも自分が優しくなれる気がする。 ふっ… 思いのままに、そっと彼女の細い肩に額を寄せる。 穏やかな寝息で、夢の世界にいる彼女に、少しだけ寄りかかる。 きっと、このために。 俺はここに在るんだろう。 意味を知るよりも先に、見つけてしまった。 出会ってしまった。 お互いの強さと優しさで 支えて、支えられて それが俺にとってどれだけ大切なことなのか。 「…お前さんは、知らないんだろうな…リナ?」 微かに身じろぐ小さな身体。 視界に映る栗色の髪が、少し、滲んだ― 見つけ出したら、しっかりと抱き締めるのですよ。 貴方の強さと 貴方の優しさで。 ね、ガウリイ―
Fin.
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