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あれからどのくらい、経ってしまったのかしら? この私に『悲しみ』という感情を植え付けて、あの人に新しい夢を抱かせて。 貴方は、いつになったら戻ってくるの? 「ねぇジャスミン、……今日、ダニエルが6歳の誕生日を迎えたわ」 世間では『空飛ぶ王宮』との綽名もある、巨大宇宙船《クーア・キングダム》の最深部。総帥一家の居住空間の片隅にある、小さな小さな部屋の中で。 金髪碧眼の絶世の美女が、静かな微笑みを浮かべて話していた。 「クーア財閥次期総帥の誕生日とあって、お祝いに来たお客様の数も凄かったわ。 あのケリーが、あまりの忙しさに目を回していたくらいよ」 語る彼女のその姿は、空中に浮かぶモニター画面の中にあった。 黒いカクテルドレスをまとって、両手にはいっぱいの赤い薔薇を抱えて。彼女が語り笑うその仕草に合わせて、上品に結い上げた金の髪がきらきらと煌く。 その様は、ごくごく自然なものであり。真相を知らぬ人間は無論のこと、彼女をよく知る者たちでさえ、時に真実を忘れて見惚けてしまう。 そのくらいに彼女は美しく、魅力的な女性だった。 彼女の名は、ダイアナ・イレヴンス。 宇宙船《パラス・アテナ》に搭載された、あの不可思議な感応頭脳である。 「公式なパーティーが終わった後で、身内だけのお誕生日会もしたのよ。 小さなダニエルには、そっちの方が嬉しかったみたいね」 彼女の目の前にあるのは、一機の冷凍睡眠装置。 その中には、燃えるような赤い髪をした長身の女性が横たわっていた。 質素な白いドレスに身を包み、両手をそっと胸の上で組んで。かすかに聞こえる機械音を子守唄に、御伽噺に出てくる眠り姫よろしく、静かに眠り続けている。 かつての姿からは想像もつかぬ、儚げな美しささえその身にたたえて。 彼女の名は、ジャスミン・クーア。 誰からも恐れられ愛された、あの偉大な「女王陛下」である。v 「直接は来なかったけど、ケリーの『お友達』も皆、お祝いのメッセージを贈ってきてくれたのよ。 中には青田買いを狙う人も居て、後でケリーに怒られてたけど」 くすくすと思い出し笑いまで浮かべながら、ダイアナは楽しげに喋り続ける。 が、しかし。どれだけ話し続けても、当然ながら返される言葉はなく。 彼女の話し声だけが、何もないこの空間に虚しく響くのみである。 「ねぇ、ジャスミン……貴方は、あの子に何も贈らないつもりなの? 貴方とケリーとの間に生まれた、たった一つの宝物なのに?」 その現実に、ついに耐え切れなくなったのか。微笑むダイアナの表情が、奇妙な形に歪み始める。 合成画像であるはずの瞳に、深い悲しみの色をにじませて。機械処理で作られたはずの声を、弱々しげに震わせて。 持っていた赤い薔薇を青く染め替えて、自身の存在する空間の中にぱっと投げ出すと。彼女は両手で顔を覆い、嗚咽の声さえ漏らし始めた。 機械とは到底思えぬ、まさに人間の『悲しみ』そのものの姿を具現して。 「ケリーもダニエルも、……私も、貴方が目覚めるのを待っているのよ。 なのに……貴方は、いつまで眠っているつもりなの……?」 が、しかし。そんなダイアナの嗚咽さえ、眠れる女王には届かない。 返されるのはただ、機械がかすかに立てる稼動音だけで。透明なケースの向こう側には、僅かな変化さえ起こらない。 もっとも。外界からの刺激を完全に遮断して、中の人間の眠りを護り切ることこそが、この機械に与えられた唯一にして絶対の使命なのだけど。そうでなくてはならないのだと、ダイアナ自身も分かってはいるけれど。 それでも。恨めしく思えるのは、何故だろう? 豪快ではあっても粗暴ではなく、傍若無人だけど憎めない。そんな素敵に非常識な『女王様』は、いつでも精一杯に生きていた。 華やかに、快活に、時には銃剣の如き鋭さをたたえて、いつでも輝き続けていた。 だからこそ、ダイアナは彼女が大好きだった。 「クーア財閥所有の護衛船」という、窮屈なだけの名目を与えられても。「自由に飛びたい」というささやかな願いさえ、そう簡単には叶えられなくなってしまっても。 それでも、ダイアナは彼女が大好きだった。ずっと一緒に居たいと思っていた。 彼女と、彼女の夫でもある自分の相棒と、三人で宇宙を飛び回ろうと。密かに夢見たことさえあった。 だから。ダイアナは時折こうしてここを訪れて、眠る彼女に語りかけるのだ。 勝手に夢を無期延期にされた恨みを、密かに言葉の内に込めて。 ……だけど。その度に現実を思い知らされて、悲しみはさらに深くなり。こうして泣き出してしまったことも、今までにも何度もあった。 機械のくせに何をバカなことを、と。自分自身でも思いながら。 と、その時、 「――おいおい、何らしくないこと言ってるんだ、ダイアン?」 ふと、静かな空間に声が響いた。 はっと我に返ったダイアナが、慌ててそちらに視線を向けると。苦笑いした一人の男が、酒瓶を片手に立っていた。 「そういう後ろ向きな泣きごとは、うちの女王は心底嫌いなんだ。 目覚めた時にいきなりぶっ飛ばされても、俺は知らないぜ?」 泣き崩れたダイアナとは逆に、男は不敵な笑みさえ浮かべて立っている。 そして。締めていたネクタイを無造作に緩めると、冷凍睡眠装置の傍へと歩み寄って、 「よぉ、女王。今日のお勤めも、無事に果たしたぜ。俺の『総帥代理』役も、少しはサマになってきただろ?」 語りかけるその言葉も、どこまでも明るく飄々としていて。眠る彼女に向ける笑顔にも、悲壮感めいたものは微塵もない。 そう。彼女と共に生きて駆け抜けたあの頃と、全く変わりのない笑顔で。 彼の名は、ケリー・クーア。 眠る彼女の夫であり、かつては「海賊たちの王」とまで呼ばれた船乗りであり。 今は愛息ダニエルの後見人として、「クーア財閥総帥代理」の任を務めている男である。 彼は暫し、妻の寝顔を無言で見つめると。 改めてダイアナに向き直り、心底呆れた、とでも言いたげにため息をついて、 「――あのなぁ、ダイアン。この俺が、いつまでもこのままでいると思うか? この女には、でっかい『借り』が残ってるんだ。そのうち無理矢理にでも叩き起こして、きっちりお返ししてやるさ」 言いながら彼は、にやり、と不敵な笑みを浮かべて。 きっぱりと、こう言い切った。 「やられたらやり返す。……でないと、気が済まないだろ?」 その物言いは乱暴で、無茶苦茶ではあったけれど。 言葉の内側にある感情に、それを誤魔化そうとする彼のその様に、ダイアナは思わず苦笑する。 あまりに無情な現実に、つい失念していたけれど。 彼と彼女の間には、何よりも強い信頼があった。誰よりも深い愛情があった。 彼らの起こす行動は、いつでも無茶と非常識に満ちていて、はた迷惑ではあったけれど。手段を選ばなぬそのやり口に、及ぼす被害も桁外れだったけれど。 互いを心から信じているからこそ、どんな無茶なことでも出来た。如何に困難な状況においても、決して諦めずに強くいられた。 そうしていつでも最後には、必ず『奇蹟』を起こしていた。 二人がめぐり逢ったことですら、既に大きな『非常識』だったのだから。もう一つここで『奇蹟』が起こったところで、何の不思議もない筈だ。 ――現に彼は、今でも諦めてはいないのだから。 「……ごめんなさい、ケリー。私が悪かったわ。 そうね、まだ何も終わった訳じゃないんだし。他の人ならいざ知らず、貴方とジャスミンのことですもの。常識だけで考えちゃいけないわね」 「ああ、そういうことだ」 眠れる女王の傍らで、彼女と彼が微笑み合う。 いつか訪れる筈の奇蹟を、ずっと信じ続けていようと。一度は諦めかけた夢を、いつかは必ず叶えようと。 微笑む眼差しの奥底で、改めて二人は誓い合う。 「――――ダイアン」 「はいはい、分かってるわ。 夫婦水入らずの語らいを邪魔する程、私は野暮な女じゃないもの」 如何にも意味ありげに酒瓶を掲げた彼に、小さく肩をすくめつつ。ダイアナは再び苦笑いを浮かべると、モニター画面から姿を消した。 回線を切る直前に、ふと彼らに視線を向けると。眠る彼女の傍らにグラスを置き、赤い酒を注ぐ彼の切なげな表情が見えたけれど。 ダイアナは敢えて気付かぬふりをして、そのまま視界をオフにする。彼には聞こえぬ小さな声で、「ごゆっくり」などと囁きながら。 貴方が再び目を覚ます日を、楽しみに待っているわ。 でも、出来るだけ早く帰ってきてね。でないとケリーが待ち切れなくなって、また無茶をするかも知れないから。 一旦本気で怒ったら、もう私ではどうしようもないから。 他の誰でもない貴方でないと、あの人の『女房』なんて務まらないから。 いつか彼女と彼と三人で、この広い宇宙を翔ぶ日を夢に見て。 ダイアナは一人、自分の船へと意識を戻すと。いつでもちゃんと飛び立てるようにと、念入りに船体を磨き始めた。
Fin. |