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まとわりつくタバコの白い煙、安っぽい酒、塗りたくられた白粉とどぎつい香水の香り。男たちの怒鳴り声、下卑た猫なで声、それに答える娼婦兼ウェイトレスの女達の嬌声。 それらが全て交わった酒場の喧騒は、かつては非常になじんだもののはずなのに、今、はっきりとした違和感をもって彼のもとへ押し寄せてきていた。 「・・・・久しぶり」 足音もたてず彼に近づいてきた男が断りもせずに彼の向かいの席に座り、持参のグラスにテーブルに置きっぱなしで一向に減る気配のない酒をなみなみと注ぐ。 琥珀色のかなり度の強いそれだったが、男は一瞬だけそれを蝋燭の明かりに透かし楽しそうに目を細めたあと、一気に呷った。 あっという間に空になるが、テーブルに置いて、いまだこちらを見ようともしない彼ににやりと笑って見せると、彼のほうはいやいやながら酒を手にとり、顔だけはあさっての方向を向いたままグラスにそれを注いできた。 ピタリと零れる寸前で瓶は傾きを元に戻された。 再び、グラスが空にされる。 はあ、と大きなため息をついたあと、男はグラスから手を離した。 ガシャン! 「物騒だな・・・」 「そうされたくなかったら綺麗な顔をこっちに向けてくれるかな、久しぶりなんだからさ」 「綺麗な顔を見たかったら鏡をみればいいだろ?」 「てめえのつら見て喜ぶ趣味は俺にはないね」 「それはオレも同じだ」 「おー、そういうとこだけは意見があった♪」 「そういうとこ[だけ]な」 両手が空くと同時に、卓上にあったパン切りナイフを彼の顔めがけて投げた男は、中身が入ったままだったグラスを盾に、顔に傷をつくる被害だけは免れた彼を面白そうに見た。 グラスに残っていた酒は、そこが傷つけられた時点で、役割をはたせなくなってテーブルにこぼれていた。 「あーあ、酒がもったいないねー」 「ならやるなよ」 音と同時に振り向いた店にいた人間は、その荒っぽさにも関わらず一見穏やかな彼らの会話に興味がそがれたのか、また、自分達の世界にこもる。 ・・・・・男達だけは。 もし、造形物の神がいるならば、その寵愛を惜しみなく分け与えられたとはっきり分かる青年が二人もここにいるのだ。 女のほうは、未練がましくそちらを見たままで熱っぽい視線を送るのだが、彼らはまるっきりそれを無視していた。 近づきたくても近づけない。 彼らが店に入ってくるたびに女達は視線を、媚びを送るのだが、彼らはそれをはじき返し、寄せ付けない雰囲気をもっていた。 そう、まるで触れるだけであの世へと導く死神のように。 「ったく、数年ぶりにあった懐かしい顔に、ついついでた可愛い茶目っ気ぐらい、大人しくつきあったって罰はあたらんだろうに・・」 収まりの悪い、結構なくせっけの銀の光沢をもつ髪の青年が、さらにそれを悪化させるためとしか思えないようにぐしゃぐしゃと髪をかきまわす。 「ふざけるな。 そんなもの、お前にあるか。」 対してこちらは見事なストレートで、逆にそれが癖としてみられる金の長髪の青年が、手の内で破壊され、いまでは単なるガラスの欠片と、臭気を放つ液体になってしまった酒の混合物を、手近にあった布で拭き落とした。 「お、それが長年同じ傭兵団に所属していた同僚へのお言葉か? 淋しいね、俺の本質がわかってもらえていなかったなんて」 「男の中身なんぞ知りたくもない」 「んー、そんなつれないこと言うなよ。 俺とお前の仲だろう?」 「だからどんな仲だ」 「こんな仲」 光る銀光。 運悪くそれを見てしまった女の悲鳴があがった。 ・・・・・ギシリ、と刃と鞘が込められた力相応に軋む。 ナイフではなく、剣と剣。 ただし、一方は抜かれることなく攻撃を受け止めていた。 「腕はなまっていないようだなー。 っていうか、以前より上がった?」 「そっちも、人の腕を試すのに場所をまるでわきまえないところはまるで変わってないな」 「それが俺のいい所♪」 「やな所だよ!!」 途端、鞘がかみ合わされていたところから斬り裂かれ、鞘ずれの音さえせずに引き抜かれた刃が、もう一方を斬り飛ばした。 「・・・・・やっる〜♪」 凄まじい勢いで天井に突き刺さった己の元剣を見上げ、銀の青年が口笛を吹いた。 金の青年のほうは、無言で鞘がなくなり、剥き身にしておくしかない剣を、物騒な仕掛けをしてきた青年の首につきつける。 ガタガタと周りでテーブルごとその災難を避けようとしている人間のざわめきと、女達の怯えた声が聞こえた。 「そんなに怖い顔しないでよ、怪我したわけでもないし、誰にも被害はでてないでしょ? ほーら、人間笑顔が大切〜」 「なにが笑顔だ? おい、鞘をどうしてくれる?」 「壊れたのは俺のせいじゃないでしょ? んな剣をもっているお前のほうが悪い。 俺さあ、お前がもっているそれ、見たときから気になっていたんだよね。抜いてくれてよかったよかった。 まあ、前にもっていた剣には若干劣るみたいだけど・・・どうしたん、それ?」 己の命を瞬時に奪える状況と、そう出来る青年が揃っていながらまるで暢気な口調を崩さない銀髪の青年は、こともなげにつきつけられたものを指でつまむ。 そのまましげしげとそれを見ていたのだが、 「見るな、減る」 というなんともつれない金の青年の言葉とともに、剣はひっこめられてしまった。 「うう、もっと見たかったのに。俺は武器に関しては結構うるさいんだよ?」 「だったら、自分の剣をもっと大切にしたらどうだ?」 きりおとされ半分以下になり、机の上に無造作に投げ出されたものにチラリと視線をなげかけて、自分のものはそのまま床に突き刺した。 ひどくあっさり、まるで柔らかいチーズに刺さったかのように、剣は下に身をうずめた。 「ナイスな斬れ味♪」 「・・・・・・・」 出来れば、こいつの首でそれを実証したかった、と言わんばかりの目が、他の客に注文の品を運ぶために近くを通らざるをえなかった女に、料理の注文をしている青年にむいた。娼婦をかねているにしてはまだすれていない女のほうは声をかけられ、最初はびっくりしていたようだが、いくつかの注文を聞き、頷いた。 「これで全部?」 「そうそう、よろしくね」 「はい・・・あの・・」 ただ、女の本能からか媚びが覗きそうになったそのとき、銀の青年の目の質が変わった。 光も、温かみも何もない、いっそ無機質なそれに。 「それじゃ、出来たらさくさく持ってきて♪」 「・・・・はい」 薄黒いグリーンの瞳をまともに見て、カタカタと震えた女に、ため息をついた金の青年が軽く手を振る。 「早く行け」 はじかれた勢いで、女は去っていった。 「おーい、いつから女をくどく男の邪魔をするやぼな人間になったんだ?」 「変なからかいかたはやめておけ」 「・・・・・・・なんか、随分優しくなったんじゃないか?前だったら助けもしなかったろうにねー」 「気まぐれだろ?」 「んー?」 銀の男はトントンと指でリズムをとる。 目線が真っ直ぐに金の男に向かい、わずかに細められた。 「違う・・な。お前、雰囲気がぜーんぜん違う。 なにより、ここになじんでいない。 どうしたんでしょうか、『金の闘神』さん?」 ざわり。 今度は金の髪の青年の持つ雰囲気が変わった。 例えて言うならば、闘気。 「余計な詮索はやぼじゃないのか『銀の告知天使』?いや・・・・『サイレント・シルバー・デス』?」 酒場を、針一本ですら響き渡りそうな静寂が支配した。 元となるのは、二人の青年が放つ殺気。 「お互い、呼んじゃいけない名前ってのがあるねー。 特にそれがやな思い出につながっているものを掘り起こすものだと特に」 「そのとおりだ。 だが・・・・仕掛けてきたのはお前のほうだろう?違うか?」 「自分が言うのは構わなくっても、人に言われるのは嫌だなあ」 「それはお前の勝手だ・・・それで?」 やるのか、やらないのか? 金の髪の青年は、無言で先を促した。片手は既に剣を床から引き抜いていた。 ここでどちらかが後少し気を膨らませれば、場など関係なく殺戮が始まる。 「やめときましょ、わざわざ疲れることをする必要はない。 そうだろ、ガウリイ」 「最初からそうしろ、シリウス」 初めてこの場にきてからお互いが名前を呼び合い、纏っていた殺気を霧散させた。 どこからともなく、ほう、という安堵の声がもれる。 「おねーさん、こっちにグラス二つ。 ついでにお酒も5、6本持ってきて〜」 何事もなかったかのように、いち早く席に座ったシリウスが、遠くにいる女に声をかける。 それを聞いて、席の背に手をおいて座る一歩手前だったガウリイが顔をしかめた。 「おい、オレは酒は飲まないぞ」 「え、なんでだよ。 お前いくら飲んでも平気な人間なくせに。飲みましょーよ、久しぶりの再会を呪ってさ」 「・・・・・・今日は、そんなに金もってきてないんだよ」 確かにこいつと会ったのは呪って当然かもしれない、などと思いながら、ガウリイは本当は言いたくない言葉を言った。 聞こえるか、聞こえないかの間際の大きさでつぶやかれた声に、シリウスの目が驚きと興味を示した。 「は?どういうこと?」 「だから・・・」 こいつが興味を示したことを、納得する答えを得られるまで簡単にあきらめることはない。 そう知っているガウリイが、嫌な顔をした。 「いま、そういうことの金銭管理は相棒がやってるから、オレはそんなに無駄金もってないんだよ」 「・・・・・まじ?」 「・・・・・・・・」 「うわっ、嘘だろ〜。 お前が他人を信用するなんて!」 シリウスが両手を肩口にまで万歳させて大仰に驚くのを見て、ガウリイの顔はますます歪んだ。 「それだと、オレがいままで誰も信用してなかったみたいだろうが。 たかが金銭管理で大げさな」 「『たかが金銭管理』?! その言葉が出てくる自体が俺が知っているガウリイじゃないって! なんだよ、お前。 いまは相棒の尻にしかれてるのか!?って、どんな相棒だよ、それ?!」 「お前に言う必要はない」 「俺に言わない〜?! そうすると、もしかして女か?なら余計はけ!!」 ますます興味をそそられたらしいシリウスの手が、テーブル越しにガウリイの胸元を掴み揺さぶろうと伸ばされる。が、タイミングがいいのか悪いのか、丁度そのとき、『お待ちどう様』と、ウェイトレスが温かい湯気をたてるいくつかの皿とグラス、酒が運んできた。 シリウスの手は自然、方向を変え、それらを受け取る。男の服に掴みかかるより、食欲を優先したらしい。 賢明な判断だ。 「お、結構うまそう。 ・・・・で?」 皿と酒を、狭い卓上に上手く自分で並べ替えて、さりげに特別おいしそうな部分を自分の周りに配置して、シリウスがガウリイに先をうながす。 目はこういっては変だが、年頃の女の子やゴシップ好きのおばさんよろしく、らんらんとおいしい情報を得ようと輝いていた。 ここで、黙って席をたつ、という選択肢もガウリイにはあった。 しかし、その場合。 駄目だ、素直に話したほうが害は少ない。 このまま席を立ちいなくなる→シリウスが追いかけてくる→リナに会う→余計なことをふきこむ→騒動。 三段論法ならぬ五段論法が普段使うことなくそのままにしてあるガウリイの頭を駆け抜けた。 ちなみに、シリウスを巻くことはガウリイの勘をもってしても不可能だ。 外見超一流、腕も超一流、性格・態度、奇人、変人、変態、というのが、ガウリイのシリウスに対する偽らざる認識だった。 「女、というよりは女の子、だな。もう二年以上一緒にいる。最初は、盗賊に襲われていると勘違いして保護をかってでた。今にして思えばお笑いぐさだけどな。 魔導師で、力は桁外れだ。おそらく、人間としてならば5本、いや、3本の指に入るほどの実力をもっている。 髪は栗色、瞳は赤に近い。小柄で華奢、おまけに童顔で、年よりもニ、三は若く見えるな」 「ほーう。それで?」 「それでってなんだよ? これで十分だろ?」 「いんや」 にんまりとシリウスが笑い、二つのグラスに酒を注ぎ、一方をガウリイに渡してきた。 そのまま顎で『飲め』と勧めてくる。 ガウリイはそれを素直に口にもっていき―――― 「その子、お前が惚れるほど美人?」 という言葉に含んだばかりの酒を器官に入れた。 「おー、だーいじょーぶかー、ガウリイ?」 かなりきつい酒を呼吸器に入れてしまったために、通常、たんに物をつまらせた場合よりも苦しむ彼を見ながら、シリウスは心配とは反対の表情で自分の酒を飲む。 そうして期待以上の味の良さに相好を崩した。 「おいしーねー、これ。」 「・・・・・末期の酒がそれでよかったな」 「なに怒ってるんだ、ガウリイ? 俺は本当のことを言ったまででしょう?」 違うのか? 落ちてきた前髪をかきあげ、いっそ艶やかに笑うシリウス。 それが十分堕天使の笑顔だとわかっているガウリイでさえ、美しいと思えないこともなかった。 しかし、発言はかなり堪えた。 「なんで傍にいる相棒=惚れている女になるんだ?」 ガウリイはようやく落ち着いた喉に、今度こそ慎重に酒を流し込みながら、パクパク料理をつつきだしたシリウスをじと目で見た。 「だって、お前変わっただろ? どんな女でも全く自分を変えようとはしなかった『ガウリイ=ガブリエフ』が。 男が変わる原因っていったら、女、しかも心底惚れきった女でしょ〜」 「随分と短絡思考だな」 「ん〜、そうか? んじゃあお前は他に原因があって、それをきっちり認識してんのか?」 「・・・・別に、女とは限らないだろう?」 「なにい!?ってことはお前は男に惚れて人生変えるのか?!」 「しゃれにならんことを言うな!!」 ガウリイは思わず過去の思い出したくもない出来事を頭に蘇らせた。 ・・・なまじ顔が良かっただけに、女のみならず男にも惚れられたことは数え切れないのだ。 「そうだよな、そうしたら真っ先に候補にあがるの俺だろうし」 シリウスは一人納得して頷く。 それだけは例え自分が男ではなく女であっても絶対にない、と断言できるガウリイ。 「オレが言ったのは、人間として人の人生を変える人間もいるってことだよ」 「それって、男女関係なくってことか?」 「そうだ」 「ふーん。 人として、ねえ?」 疑問符を頭上に浮かべたままシリウスはフォークを動かした。 ガウリイは、手酌で勝手に酒を消費していく。 しばらくは、食器の触れ合う音だけが響いた。 |