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白い霧の間に紛れるように、霧と同色のゆったりとした服を着た、男。若いのか年寄りなのかよくわからない白い顔には、微笑みとも、苦笑いともとれる曖昧な笑みが浮かんでいる。
「神ではない。だが、神に近い……」 神官か。 「そうだ。神官――そう呼ばれた事もあった」 今、あたしは声に出して言わなかった。 「あ……」 「リナさん?」 「考えを読まれてるわ」 声をひそめて、彼女の耳元で言う。ま、意味がない事だけど。 この神官、思念派(テレパシー)が使えるようだ。さっきまでの頭に響く声は思念派を使って、送っていたのだ。 「思念派。ですか」 ミレイは、表情を引き締めて呟く。 声に出さなくても、相手にはあたし達の考えが読み取れる。 おそらく、光や霧を媒体にして……。 「頭の回転が速くて助かる。わざわざ筋道立てて説明するのも、面倒なものだからな」 「誉められても、あんまし嬉しくないわね……」 「しかし――つくづく、面白い人間だ。ユニークな考え方を持っている」 「誰の事です?」 ミレイが、強張った顔のまま、言葉少なに問う。 こうして表情を無くしてみると、彼女と彼女の兄は似ている。 「四人ともだ」 「そう……で、後の二人はどこにいるの?」 「さあ、どうだろうな――」 笑みを深くする、神官。 「――色々な人間を見た。ずっと、以前の事だ。神の御心のままに、人々に助言を与えていた。 しかし、人は貪欲なまでに力を求め、挙句に――暴走する。 人間とは弱い者だ。最初から、力など欲しがらなければよいものを……」 「神の御心?どうして神の意志とわかるんです」 「……神託だ」 ミレイの問いに一言で答えると、神官はすうっと横に移動する。音もなく、霧の軌跡もなく。 「氷霧針(ダストチップ)」 低い声。 神官がさっきまでいた場所に、白い軌跡が通り過ぎる。 「兄さん?!」 「当たらなかったか……」 声のした方、霧の間から姿を現すライナス。 「当たらないわ。そいつには、考えてる事が筒抜けなのよ」 「思念派で」 あたしの説明に、ミレイが補足する。 「そうか」 あまり驚いた様子もなく、妹の横に立つ兄。 「いきなり攻撃とはな」 こちらもまた驚いた様子もなく言う、神官。攻撃を予想できたのだから、当然と言えば当然ではある。 「まあいい。――話の続きだ。 力などあったところで、無駄どころか災いを生むきっかけになる。だから、私はここに篭もったのだ。――しかし、サービスすると言った。力を得るに相応しいかどうか、テストしてやろう。纏めてかかって来るがいい」 言葉が終わるか終わらないかの内に、静かに漂っていた霧が、神官の周りに凝縮し――。それが、風となり圧力となり押し寄せて、来た――。 目がまともに開けていられない。 風が、耳元で唸り声を上げる。 ――ぎりっ 食いしばった奥歯がきしむ。 プレッシャーで、体が流されるのを堪える。 「どうした。かかって来ないのか?――手加減は無用だぞ」 風が吹き過ぎる。息をついて目を上げる。 数歩、後退したせいで、少し遠くに見える神官。しかし、発せられている瘴気に近い気は強くなっている。 「……どうしましょう……?」 まともに反応して、困った顔を見せるミレイ。 神官が使った術は、風波礫圧破(ディミルアーウィン)の影響範囲を拡散させたモノだろう。しかし、実践慣れしてない彼女には、脅威に映ったのだ。 「手加減は無用だ。――今まで、テストに合格しなかった者は、ここから生きて出られなかったのだからな」 「どーゆー事よ?」 あたしは思わず、烈閃槍(エルメキア・ランス)の呪文を中断し、神官に問う。 「言っただろう、人間は脆弱すぎると。己の分をわきまえず力を求める愚かな人間は、生きている価値がないのだ。だから――」 すうっと、神官の顔から曖昧な微笑みが消える。 「早目に、あの世に旅だってもらったのだ」 「そんなっ!?神官なのに?」 ミレイが驚きの声を上げる。 そーは言っても、聖職についているからと言って、みんな善い人だとは限らないものである。 「神官だからだ。――私は神に近い。私の行動は神のご意志なのだ」 「……んなの、思いこむのは勝手よ……。 あたしは――あなたを倒して、絶対、生きてここから出るわ」 ――あたしは、正義のミカタなどと言う大層なものではない。しかし――。 「爆風弾(ブラム・ガッシュ)」 静かだと思っていたライナスが放った術は――やはりと言うか、あっさり避けられる。 それでも。 相手が、誰であろうとも。 売られたケンカは――買う! 「やはり、面白い人間だな――この私を、倒すと言うのか。力を欲していたのではないのか?」 あたしは、こんなヤツから助言なんて受けたくない。 「いらないわ」 「俺は、見届けに来ただけだ」 ライナスが、関係ないとでも言うように、首を横に振る。 「私……は」 ふらり。 一歩、神官に近寄るミレイ。 まさか? 『ミレイ?!』 あたしとライナスの声がハモる。 「私、目の前の目標が、高くて……それを越えたくて……。確かに、力は欲しいです。 でも、あなたの助言はいりませんっ!」 きっぱり言い切る彼女。 「――行くわよ!」 「はい。みんなでここを出ましょう!」 拳を固めて言うミレイ。ライナスも、無言で頷いている。 「おーい……。その、みんなにはオレも入ってるのか?」 のほほんとした――そしてあまりにも聞き慣れた、声! あたしは、思いっきし大声で、名前を呼ぶ。 「ガウリイっ!!」 「おっ?リナ、元気そーだな?」 霧の間から顔を見せて、第一声がこれである。 にこにこと嬉しそうに、あたしに近寄ってくる彼。 ……ったく…… 「あんたわっ!今まで一体、どこに行ってたのっ!」 すぱーんっ ガウリイは再登場して、いきなし、あたしの必殺スリッパに倒され床と仲良くなったのだった……。 「って、なに寝てんのよ!」 「なに……って、お前なあ…」 倒れた床から、うらめしいそーに言うガウリイ。 「どこ行ってたのって聞いてんのよ、あたしは!」 「さあ……迷ってた……んだろうな」 やっぱし!!そうだと思った! ったく、この大変な時にっ! 「……あの……リナさん……」 ミレイが遠慮がちに、あたしの肩をつつく。 「なに?取り込み中なんだけど」 「……こっちも取り込み中なんですけど……」 あ……。 見れば、距離を置いて対峙したままの、神官とライナス。 二人は、そこだけ違う世界を作っていた。 「結破冷断(ライブリム)」 ライナスの呪文。 いともあっさりと、余裕を持って冷気の波動をかわす神官。 「ちっ!やはり……読まれて……」 ライナスが小さくうめく。 不意打ちが、不意打ちになっていない。 呪文を唱え、放つまでのタイムラグに、読み取られている。 「リナさん……」 ミレイも、気づいている。 「ミレイっ!余計な事考えないでやるのよっ!」 「…そ、そうですよね!わかりましたっ!」 不安を振り払い。 元気に――たとえそれが、カラ元気だとしても。 これは、彼女のテストでもあるのだ。 「適切なアドバイスだな。――ナンセンスだが」 うっすらと霧の漂う中から、神官が言う。 彼女は、急ぎ口の中で呪文を唱え出す。 神官が、笑う。心底嬉しそうに。 自分の優位は揺るがないと思っているのだろう。 「烈閃咆(エルメキア・フレイム)」 「冥壊屍(ゴズ・ヴ・ロー)」 ほぼ同時に放たれたミレイとライナスの呪文。 それも避けられる。しかし、少し避けるのが――遅い気がするのは気のせいだろうか……。 もしかすると……。 「ガウリイ!」 あたしは、剣士の名前を呼ぶ。 「なんだ?」 「あんた、なにも考えないでするのって得意でしょ?」 「得意ってほどでもないぞ」 答えるガウリイ。 呪文の効果を考え唱える魔道士とは違う。 彼は、ほとんど考えず条件反射で動いてるだろう。そうでなければ、素早く動けるものではない。 「いつもみたいに、なんにも考えずにあいつに斬りかかって!」 「なんにも……ってリナ、お前な……」 「いーから、早くっ!」 「やれやれ…」 苦笑しながら、ガウリイは剣を抜く。 ――余計な事は、考えずに――。 言うのは容易だが、人はいつもなにかを考えている。 人の考えている事、それが全て頭の中に入って来るとしたら……。 霧に半ば隠れている、神官と目が合う。 あたしの考えは、図星だったはずだ。――しかし、何故か神官は嬉しそうに、笑った。 「炎の槍(フレア・ランス)」 「霊氷陣(デモナ・クリスタル)」 「雷撃破(ディグ・ヴォルト)」 三人それぞれ、三つの呪文。 連続して、しかし全く効果の違う術が霧の中へと突き進む。 空気が乱れ、霧が渦巻く。 その中に、ガウリイが飛び込む。 「魔風(ディム・ウィン)」 急いで唱え、生まれ出た風が乱れた霧を吹き飛ばす。 霧が晴れた先に立つ、人影が二つ。 あたしは呪文も唱えず、なんの疑いもなく、人影に近寄っていく。 「リナさん!?」 心配そうなミレイに、軽く笑って、手を振る。 人影は、ガウリイと、神官。 神官の右腕と胸は焦げ下半身が氷で固まり、左肩とわき腹から血を流している。 避けられなかった。或は、避けなかった――? 今すぐには、死なないだろう。が、しかし、放置しておくと遠からず、死ぬだろう……。 「とどめを刺した方がいい?」 あたしは、静かに問い掛ける。 「いや――このままで。――ゆっくり人生を振り返ってみたい。 私は、神ではない。強さを求め、欲を出す人間を赦す事が出来なかった。 神ではない――だから自分も救えないのだろう――」 擦れた声で、それでも笑みを浮かべて言う、神官。 「強大な術が使えるからと言って、本当に強いとは言えないわ」 「そうだな……。 ――リナ・インバース、その強さはどこからくるのだ」 「さあ……ね」 「よく食うからじゃないか?」 構えていた剣を降ろしつつ、ぼそっと呟くガウリイ。 「そんなら、あんたも一緒よっ!」 「食欲と魔力って正比例するのかしら……」 「真に受けるなよ……ミレイ……」 張り倒したガウリイの向こうで、真剣に考え込むミレイと疲れた顔のライナスがいた。 「そうだ……リナ・インバース、ミレイ・アンダーソン……。 これを、渡そう。助言の代わりに――受け取ってくれ」 神官が懐から、なにかを取り出す。 「どうして、リナとミレイだけなんだ?」 「私は――こう見えても、フェミニストなのだよ……」 ガウリイの問いに、神官は微笑を浮かべ、答える。 霧が取り巻いていないせいだろうか、その顔は、ひどく年老いて見えたのだった……。 次の日――。 町を発つあたしとガウリイを、ミレイが見送りに来た。 「どうもありがとうございました。リナさん、ガウリイさん。 お礼、少ないですけど……」 ミレイが、小さな皮袋を差し出す。 結局、得るところはあまりなかった。――いや、神官から助言の代わりに貰った護符があるか……。 「そーいえば、あの…ミレイの兄さんってヤツは今日はいないのか?」 もしかして、ガウリイ……名前覚えてない、とか……? 「兄さんは、魔道士協会です。遺跡の内部報告と――あと、叱られに」 「叱られに?」 「はい。実は、あそこって、立ち入り禁止だったんです。無断で入ったので、多分……」 苦笑しながら言う、彼女。 「あ…そ、そう……」 一人で叱られに行ったんだ。――思ったより、いいヤツだったのかもしんない。 「じゃあ、元気でね」 「また」 「はいっ!お元気で!」 彼女は、元気な笑顔で手を振った。 ――きっと、彼女は彼女なりの強さを手に入れるだろう……。 あたしは、そう確信した。 「あーあ……骨折り損だったわね……」 街道を歩きながら、陽光に護符をかざす。 手のひらに乗る大きさの、カードのようなモノに落書きのような文字が浮かんでいる。 「また落書きか?」 「違うってば……」 子供の落書きのような、文字。 ミレイが持ってきた怪しげな地図にあった暗号と同じ形態の文字。 あの神官が書いたのだろう。 『真実の力』 神官は、あたしが強いと言ったが……。 「ま、気休め程度のお守りみたいなモノね。 ガウリイ、これ欲しい?」 「いや…」 彼は首を横に振って、それでも、護符を一応覗き込む。 「リナが貰ったもんだろ」 昨日に引き続き暖かい陽気の中、陽炎のように文字がふんわりと、優しく踊る。 ガウリイは強いから、いらないか……。 それに気休め程度でも、多少は役に立つかもしんないし。 「そーね。やっぱお守りって、か弱い乙女が持つモノよね」 …………って、そこで笑うなっ! 「なんで笑うのよ…」 「……いらないよな。お前さんには」 笑いながら言う。 か弱くない、って言いたいんだろう。でも、言ったらどーなるか……。 「お守りがなくても、オレがいるからな……」 スリッパを振り下ろす先をなくして。 あたしはしばらくの間、頭を撫でる大きな手を感じていた。 ほんの、ひととき。 まるで、陽だまりの中誰かの膝の上で撫でられる、仔猫のように。
おわり |