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「っとにもう、ちっとも止まないんだから!」 窓の外の雨を睨みつけ、まったく我慢なら無いと言ったふうに、リナが言い捨てた。まだ昼を回ったばかりだと言うのに、吐き出された文句はもう片手の指を数えるに足る。否、それは文句と言うよりも、もはや恨み言と言うべき口調だった。それもしかし、無理は無いのかもしれない。雨はすでに3昼夜を超え、今や4日目も昼を過ぎようと言うのだから。 「よく降るよなー、ほんと」 「あーっっもうっ、いい加減なんとかなんないわけ、この天気はっ!?」 連れに枕を投げつけたところで雨が上がるはずも無く、それは完全な八つ当たりと言うものだ。至近距離から結構な勢いで飛んできた枕を難なく掴みながら、ガウリイに出来るのは苦笑いだけだった。人間としてはおそらく極限に近い魔力を発揮できるリナであっても、天候を操る術を持ってはいない。ましてや、いかに凄腕とは言え剣士の領分であるはずもないのだ。 「そんなこと言ったってなあ。天気には勝てないだろ」 宿に足止めを食っているのはリナとガウリイだけではなく、商用の旅らしい連中も少なからず滞在している。多少の雨なら予定を優先させる商人とて、盥をひっくり返したような大雨が続いては、荷を担いで出発することはできない。 思わぬ長雨に唯ひとり笑いが止まらないのは、宿の親父だろう。泊り客の顔色と反比例して日毎に赤味を増す顔は、ほくほくと笑みが零れている。ご多分に漏れず宿の1階は食堂兼酒場になっているから、予定を狂わされた旅商人だけではなく、雨が降っては仕事にならない近所の職人衆や猟師衆、商売あがったりの商店主らが気勢の上がらない自棄酒を呷って、常ならぬ大盛況である。 性格なのか育ちからか意外に貧乏性なところがあるリナには、昼間から酒を飲むという行為に嫌悪感があるらしく、また宿のメニューに食指をそそるものがないせいもあって、適当な食事を終えると、それ以上食堂に居座る気にもならない。部屋で大人しく魔道書を読んで過ごしていたのも2日目までで、昨日からは食事以外の時間はガウリイの部屋に居座って、雨が止まないと文句を言ってはガウリイに八つ当たりして過ごしていた。 それでも、八つ当たりされたことに苦情を述べようとも、ガウリイは思わない。いつものことだと諦観してもいるし、それ以上にリナの憤懣を理解していたからだ。なんとなれば、リナは雨の嫌いな娘である。雨に風情を感じる種類の人間ではないし、屋根を打ち窓を叩く雨音も耳障りにしか聴こえない。湿気が増せばマントも身体に纏わり着いて不快だし、そのうえナメクジも出てくる。何よりも、行動を束縛されることが、リナはそれこそナメクジと同じくらい嫌いなのだ。 無理もないなと微苦笑を浮かべるガウリイが密かに思うところ、リナは太陽こそが似合う女なのである。それが連日の雨で宿に釘付けとあっては、機嫌も悪くなろうと言うものではないか。それに、リナに言ったことは無いが、ガウリイも雨は嫌いなのだ。理由はリナとは全く違っていたのだが、自分が嫌いなものをリナも嫌いだということは、なんとなく嬉しいものだ。そんなわけだから、雨に苛ついたリナの八つ当たりは、ガウリイの苦にするところではなかったのだ。 「なんか気が晴れるようなことないのっ?」 「ん〜なんかあるかなあ」 ガウリイのベッドに寝転がって手足をバタバタさせる様子は、まるで遊びにいけなくて駄々をこねる子どものようだ。もっとも、いくら背が低くても胸が小ぶりでも、リナも子どもとは言えない年頃なので。ガウリイとても男なのだから、「外に出られないなら出られないなりに、愉しみ方はあるんだけどな」と思わずにはいられないのだが。それはしかし、リナには言えないことである。 「こーゆー時には、脳味噌がヨーグルトなヤツはいいわよねー。どうせぼけぇーーっとしてることに変わりないんだし」 かなり意地の悪い口調でリナが絡みだしたのは、マイペースを崩さないガウリイを困らせたかったからだろう。昨日からリナの愚痴に相槌は打っているものの、いつもと変わらず平然としているガウリイの様子は、リナならずとも退屈ということを知らないのではないか、と思いたくなる。 実のところ、その勘繰りは半分当たって半分外れというところで。自分の考え、自分の行動を世界の中心に置くリナと比べて、置かれた状況にマイペースに適応するという矛盾した特技を持つガウリイは、退屈しにくい人間であるし、また退屈に強い人間でもある。しかしそれは、理由の半分であって。あとの半分は、リナを見ているだけでもガウリイは退屈しないからだということは、未だにリナの気付かない、そしてまだ暫らくは気付きそうも無い、真実なのだ。 「普段から何にも考えてないから、何にもすることがない時でも平気なのよね、きっと」 勝手に決め付けて、勝手に納得している。言いたい放題なのだが、当のガウリイは、ん〜そうかなあなどと頭を掻いているだけだから、リナも遠慮する気など毛頭ない。 「ガウリイってさぁ、いつからそんなクラゲになったわけ? 子どもの頃からずっとそうなの?」 「さあ、どうだっけなあ?」 適当に応えながら、ちょっとガウリイが首を捻った。リナがガウリイに昔のことを訊くのは、珍しいことと言っていい。一緒に旅をして長いが、お互いに相手の過去を尋ねるということは、ほとんどしなかった。 ガウリイがリナのことをあれこれ訊かないのは、たぶん興味がないからだとリナは思っている。実のところそうではないのだが、ガウリイが口に出さない以上、リナにわかることではない。頭も勘も飛び抜けて良いが、ある方面に限ってのみは、ガウリイが溜息を吐きたくなるほどに鈍い娘だ。 一方、リナにしてみれば、ガウリイはただガウリイでよかった。初対面でいい人だと思って以来、その印象は変わっていなかったし、保護者面されるのには閉口するが、相棒としてこれほど頼りにできる相手もいない。旅の傭兵なんて生き方をしていたのだから、褒められた人生を歩んできたわけではないだろうが、そんなことは気にもならないほど信頼できる連れだった。 出会った頃には何気なしに昔のことを訊いたこともあったが、決まって「さあ?」だの「忘れた」だのと答えるので訊くのを止めた。口では「このクラゲには、本っ気で記憶力が無い」と決め付けて、内心、言いたくないこともあるんだろうと、リナなりに解釈してもいたのだ。 「だいたい、あたしと旅するようになってからこっち、行き先を決めるのもお金銭を管理するのも、全部あたしじゃない。これまでどうやって生きてたんだろう、って不思議に思うわよ」 今、唐突にガウリイの過去を訊き始めたのは、要するに退屈していたのだ。本当は、自分が苛々しているのに超然としているガウリイにもっと構って欲しかったのだ、とは、リナ自身は絶対に認めない理由だろう。リナにツッコまれた時の癖で髪を掻きながら、ガウリイは薄々察していた。 「いやあ、そう言われてもなあ。俺はほら、考えるのが苦手だから」 気が抜けるようなことを笑顔で言いながら、珍しく、本当に珍しく、ガウリイは昔のことを思い出していた。 あれこれ考えるということを、あまりしてこなかった。子どもの頃からずっとだ。考えることは、誰かがする。誰かに預ける。誰かの考えたことの中に自分の果たすべき役割があるのなら、それを果たす。考える人間のことが好きならば、それでいい。ずっとそうして生きてきたのだ。 実家にいたころは、ほとんどのことは祖父と祖母が考えた。父も母も、いなかったのだ。祖父にさせられたのは剣の修行だけだったが、別に不満はなかった。腕が動かなくなるまで剣を振らされたときも、痛みで眠れないほど打ち据えられたときも、不満には思わなかった。祖父が自分を嫌いではないということが、なんとなくわかっていたからだ。だから、祖父のことも嫌いではなかった。 剣以外のことは、全て祖母が教えてくれた。死んだ両親のこと。世の中のこと。優しさということ。生きるということ。死ぬということ。祖母のことは誰よりも好きだった。祖母に教わったことは、だから、今でも全て正しいと思っている。剣以外は全て祖母に任せていた祖父が、一度だけ言葉で教えてくれたことがあった。それも、今でも正しいのだろうと思っている。 歳の離れた兄もいたが、好きにはなれなかった。それはお互いにそうだったのだ。兄は、祖父のことも、祖母のことも、死んだ両親のことも嫌いなようだった。ガウリイがまだ幼い頃は一緒に祖父の下で修行していたが、やがて家を出てひとりで修行し出した。時折家に戻るのは、祖父に自分の腕が上がったことを認めさせる為だけだった。祖母が死んだときも、兄は帰らなかった。死を伝えたとき、「それがどうしたと言うんだ」と冷たい目で言い放った兄を、ガウリイも嫌いになった。 兄がガウリイに剣を向けたのは、祖父が死んだときだった。死ぬ前に、祖父は家に伝わる「光の剣」をガウリイに手渡した。兄がずっと欲しがっていた剣だ。欲しいと思ったことはない。だが、祖父がガウリイに渡すと決めたのだ。兄に渡すことはできなかった。そう言うと、兄は剣を抜いた。殺してでも取る。兄はそう言った。目に、確かな殺気があった。反射的にガウリイも剣を抜き、表へ飛び出した。後を追って兄も飛び出した。雨の激しい日だった。叩きつけるような雨を、兄の剣が斬り裂いた。 怒りも悲しみも感じなかった。ただ、祖母がもう死んでいて良かったと思った。祖母が見れば、きっと悲しむだろう。そのことだけが気になったのだ。他のことは何も考えなかった。考えるより先に、身体が動いていた。 斬撃。刺突。殺気を込めて兄が繰り出す剣を、ことごとく捌いていた。鋭い剣だったが、祖父には及ばなかった。祖父が兄ではなく自分に光の剣を渡した理由を、ガウリイは身体で理解した。眼前に迫った剣をぎりぎりでかわす。前髪が刃風に散った。かわしざま、半歩踏み込む。下から上へ剣を斬り上げた。白い光が疾る。刹那。赤い雨が降った。 剣を握ったままの腕が、水溜りに転がった。瞬くうちに水溜りが赤く染まった。声も出せぬまま蹲った兄の足元で、血が雨に混じって地面に広がる。兄の目がガウリイを見た。自信の光も怒りの昏さも無く、ただ恐怖だけを宿した弱々しい目。 兄に背を向け、ガウリイは歩き出した。祖父を葬らなくてはいけない。祖父が祖母にしたように、遺体を清め、こまごまとした品々と一緒に棺桶に入れる。家のすぐ裏手に祖母の墓があった。祖父もその隣に埋めようと、棺桶を担いで雨の表に出た。 兄の姿は既に無く、雨に混じった血だけがまだ地面にどす黒く残っていた。人を斬ったのは初めてだったのだと、その時気付いた。 祖母の隣に祖父を埋めた。兄を斬った剣も一緒に埋めた。考えてくれる人がいなくなった。光の剣と家にあった金だけを持って、雨の中でガウリイは家を出た。考え込むこともせず、何かを決めることもせず、ただ思いつくままの旅。 旅をしていれば、いろいろな人間に出会った。ガウリイのことをいろいろ考えようとする人間も、中にはいた。それは傭兵仲間であったり、雇い主であったり、時には娼婦であったりした。勘は良いから、悪意を持って近づいてくる人間はすぐわかる。腕は立つから、敵ならば誰でも斬ることができる。相手を信じられれば、好きになれればそれでよかった。考えることを預け、勘と腕だけを頼りに生きていくことができた。 祖母に教えられたことは、忘れなかった。世の中に出てみれば、教えられたことの正しさがよくわかった。祖父が、剣しか教えなかった祖父が唯一つだけ教えたことも、忘れはしなかった。男は、自分は男なのだと、それだけ思っていられれば、それでいい。人が聞けば笑いそうな言葉を、祖父は真剣に伝えていた。だから、ガウリイも真剣に聞いた。 自分じゃ何も考えない、お前は楽な生き方に逃げているだけだ。そんなふうに責められたこともあった。人を信じて自分を預けるなんて、損な生き方を選ばなくてもいいのに。そう言って泣かれたこともあった。逃げているのかも、損をしているのかも、気にしようとも思わなかった。それが自分の生き方なのだ。祖母に教わったことにも、祖父が伝えたことにも、その生き方は反していないはずだから。 やがてひとりの少女に出会った。自分よりずっと頭が良く、物知りで、そのくせなんだか目の離せない少女に、ガウリイは考えることを預けた。その日からずっと。 好きだから、信じる。考えることを預ける。自分自身を、命さえも預ける。それ以外の生き方は知らない。 「ガウリイ? どうしたの?」 遠い目をして黙ってしまったガウリイに、すこし心配そうにリナが問い掛けた。タブーというわけではないが、普段は避けていた質問をしたのが、やはり気になったのだろう。ところがガウリイの返答といえば、これが見事なくらい気の抜けたもので。 「いやあ、ちょっと思い出してみたんだけどさ。やっぱり俺、考えるの苦手みたいだ。ずっと誰かに任せてたし」 さしものリナも脱力せずにはいられなかった。まったくもう、とベッドに寝転がる。あんまり無防備な体勢は止めて欲しいなあ、とガウリイが思っていることなど、勿論気付いていよう筈も無い。考えていることは反論だけで、そもそもガウリイ相手に沈黙するようなリナではなく、口を尖らせて言葉の矢をつがえるのだ。 「ンないい加減なことってある!? 自分のことは自分で考えなさいよっ!」 至極もっとも言い分なのだが、いかんせん相手はガウリイである。普段の口喧嘩ではリナの敵ではないが、いったん惚けた受け流しに持ち込めばペースはガウリイのものだ。そんなこと言ってもなあ、と頭を掻きながら、益々脱力させるような言葉が返ってくる。 「だから、考えるのは苦手なんだって」 「だからってねえ!」 良くも悪くも自己中心的で、何事につけ自分自身で徹底的に考える性分のリナにしてみれば、考えることを人に委ねるということ自体、理解の外であろう。頭が痛いとでも言いたげに、抱え込んで唸っている。 そんなリナの様子を愉しげに眺めながら、ガウリイが冗談めかして質問を返した。冗談めかしているのは口調だけで、リナに見えていないガウリイの表情は真剣そのものだったのだが。 「リナは俺のこと、嫌いじゃないだろ?」 「あ、う・・・・そ、そりゃあ、嫌いだったら一緒に旅なんてしてないけど・・・・」 唐突に投げかけられた言葉に、リナが思わず赤面しながら口篭もる。誰が見ても嫌いじゃないどころの話ではないのだが、それを素直に認められるようなリナであるはずもなく。俯いてしどろもどろに答える姿は、ガウリイならずとも抱き上げたくなるような愛らしさである。 「だったらいいじゃないか」 一瞬伸ばしかけた腕をそっと引っ込めて。見る人によっては広々とした青空のような、見る人によってはすっかりまったく何も考えていないかのような、そんな笑顔をリナに向ける。 「俺のこともリナが考えてくれよ。全部、預けるからさ」 軽い口調で言ってのける。その内容は、実はとてつもなく重いのだけれども。そのことに気付いたのか気付いていないのか、リナは、はあぁと溜息を吐きながら、呆れ顔でガウリイを見上げる。 「あんた、そのうち脊椎反射だけで生きるようになるわよ、きっと」 考えてみれば酷いことを言われているのだが、そんなことを気に留めるようなガウリイではなく、穏やかににこにことしている。ふと、さっきから音が聞こえなくなっていることに気付いて、窓の外にちらりと視線をやると、なあなあ、とリナの肩を叩いた。 「雨、止んできたんじゃないか?」 「ホントだ。この調子なら、今夜には晴れそうね」 釣られて外を見たリナが、声を弾ませる。まだ雨は降っていたが、空を覆っていた墨色の雲が薄墨くらいの色に変わり、ところどころで切れ間から光が差していた。リナの声も表情も、覿面に明るくなった。やっぱりリナには雨より太陽が似合うよな、と横目で再確認しながら、ガウリイがのんびりした声をあげた。 「いい天気になるといいなあ」 「ガウリイ、雨でも全然平気そうだったじゃない」 上機嫌な顔にちょっとだけ悪戯っぽい笑みを浮かべて、リナがガウリイの顔を見上げた。 「雨は嫌いなんだ。厭なことを思い出すし、それにリナが元気じゃなくなるからな」 何を思い出すのか、ガウリイは言わなかったし、リナは訊かなかった。元気になったリナが早速したことは、ふたりのこれからの予定を考えることと、行動を決めること。 「ここで足止め食った分、明日っからバァーっといくわよ! とりあえず目的地は隣街! 名物料理の食い尽しよっ!!」 「おうっ!」 あれこれ考えるということを、あまりしてこなかった。子どもの頃からずっとだ。考えることは、誰かがする。誰かに預ける。誰かの考えたことの中に自分の果たすべき役割があるのなら、それを果たす。考える人間のことが好きならば、それでいい。ずっとそうして生きてきたのだ。それ以外の生き方は、ガウリイには無い。祖母も祖父も、それを責めはしないだろう。なんとなれば、それこそがガウリイの生き方なのだ。 だから、ガウリイのことはリナが考える。リナに預ける。好きならば、それでいい。
Fin. |