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「闇の館」。 誰がいつそう呼び始めたのか。地形の影響で、太陽の光などほとんど射さない場所に立てられたその館は、しかし、魔道の力によって、中は常に快適に保たれている。 人工の光、人工の風、景色すらあるのは作り物で、まるで設計者はすべての自然、あるいはそこに宿る生を拒否しているかのように思えてしまう。 その一室、窓は一つもなく、置いてあるのは高価な調度なのに、あるいはそれゆえにか無機質な感覚が拭えないそこに、一人の女性が立っていた。 手には薔薇。 真紅のそれは彼女の手の中でくるくると回る。 「そう、彼はそちらに現れることはないのね・・・」 背後に立つ男に向かい、言葉を返すわけでもなくつぶやく。 「まったく、あちらを使うとはね。 ちょっとどころかかなり意外だった。 まさか未だにあの道を知っている人間がいるとは思わなかった。おかげでこちらが苦心して細工した情報も、揃えた人も、全て無駄になってしまったよ。」 「そうね・・・」 「・・・・・あまりがっかりしていないようだね」 光を受けて微妙に色を変えつづける薔薇を瞳に映したまま、魔性となった女性はひそやかに笑う。 「ええ。 だって、私にはあまり関係のないことだもの。 違って?」 「そういえてしまうのは、残念だね。 苦労した私の立場は一体どうなってしまうんだ?ここを用意したことに始まり、全ては私の協力があったからこそだろう?」 おおげさに手を広げ、男はシーリエのもとに歩み寄る。 肩に置かれた手がそのまま下がり、シーリエの体を辿った。 「・・・魔となった女に触れると不幸を呼びますわよ?若様。」 「構わないさ。普通の女にはあきあきしていた。 たまには毛色の違ったものも食べてみたくなる・・」 「好奇心、猫をも殺す、という言葉もありますよ」 低い笑い声がシーリエの肩に埋められた男から漏れた。 「殺す、か。 君のように、魔に全てを売り渡した女性には簡単なことだろうね。 でも、しないだろう、そんなこと」 「なぜそう断言できます?」 はらり。 一枚の薔薇の花びらが手から零れ、絨毯の赤に滲んでいく。 「まだ私には利用価値があるからさ。 魔との契約を結びながら、その能力を生かしきれず彷徨っていた君に方向性を与えたのは私だからね。 その道しるべをわざわざ失うことはしないだろう? 君は不死である、というだけで世間には関わることが出来ない。・・・・いや、出来るかもしれないがこれからは世間が君を拒否してしまう。 今後の情報にしても、欲しいことはいくらでもあるのに、君はもう何もできない。 ならば、好奇心だけでここにいる私を無視することなんて無駄。 彼女の利用にしたって」 刹那、シーリエから飛んだ一条の光が何かを貫く。 「・・・・・・・・その言葉は禁句だと言いませんでした?」 「そのようだね・・・・」 白い肌に這わせていた指をはずし、男は踵を返してドアに向かった。 「ではまた後でご機嫌伺いに参上するよ」 静かにドアが閉まる音が、人の声以上に空気を震わせ、シーリエの頬をなでた。 「馬鹿な男・・・・」 何かがつぶれる音がして、鼻腔に緩やかな風が流れ込んできた。 生と死と。 それらをともに匂わせる真紅は床一面と壁さえ染め上げ、シーリエの表情を光に反射させる。 「私には、もう先はいらないのに気がつかなかったのね・・・」 世間。 そんなもの、自分は彼女を失ったときから、拒否どころか異端としてはじき出されたというのに。 係わり合いなど、必要なことを受け取れば、あとは一切望んでなどいなかったというのに。 そんなものもわからなかったのだろうか。 転がった、驚愕の表情を貼り付けたままの物体を指先一つの動きで消し去り、無感動に部屋を見渡す。 真紅。 彼女が愛した色。 手を床に伸ばし、一滴ぶんだけ掬い取り、そこに唇を寄せた。 待っていて、すぐにそこに行く。 彼女が愛したすべては、自分が叶えてみせる。 抜け殻の自分を彼らの生で一杯にして、そして会いに行ってあげる。 「そうしたら・・・」 『もう一度、私を見てくれる?』 『天の鎖』は『天の道』を開く鍵。 扉の前にたどり着けば、後はすべてその短剣が導いてくれる。 「あんなセリフを素直に信じたオレが馬鹿だった・・・」 アーマーに獣の血をこびりつけ、それでも傷は一つもなくガルフが「危険だけどあんたなら十分大丈夫」といわれた山道にしては険しすぎ、ほとんどロッククライングになってしまった道を登りきり、ガウリイは肩で息をついた。 「普通、あれを道とはいわん」 通ってきた道のこともさることながら、彼を休ませることなど許さずといった風情で襲ってきた獣の集団や、魔族(こちらは幸いにして、亜魔族だったが)を思い出し、よくもまあ、完璧でない体調で倒しおおせたものだと自分でも感心する。 それもこれも、リナのため、そして、リナを助けたあとの彼女にかかる負担を減らすためだったのだが。 「扉ってどこがだよ・・・・」 ガルフが説明してくれて、ご丁寧に地図まできっちり書いてくれたた道無き道を、迷子になるのが既に得意技となってしまった自分にしては、間違えることなく通ってきた。 そして、一応「扉」の特徴も聞いていたのだが。 今、ガウリイの目の前に聳え立つのは見事な一枚岩に描かれた扉もどきの絵だったりする。 まあ、確かに扉は扉なのだが、ためしに短剣をかかげたり、境目に突き刺したりしてみたが、なんの変化も現れない。 焦りとどうしようもない怒りが湧いてくるのだが、かといって短剣を投げ捨てるわけにもいかない。 頼みはこれだけなのだ。 こんなことなら、もう少し詳しく聞いておくべきだった。 思ってもあとのまつりだとわかっていても、愚痴をこぼさずにはいられない。 「後でしばくか・・・」 必要以上にガルフへの怒りをかきたてるのは、そうでもしないと焦燥感で狂ってしまいそうだからだ。 リナ・・・・。 この瞬間にも、何かに苦しめられている。 それは推測ではなく確信だった。 泣くな、すぐにそこに行く。 そう言って柔らかい体を抱きしめたい。そばにいたい。しかし・・・・・ 抱きしめる腕も、言葉を紡ぐ唇も遠く離れていてはなんの意味ももたない。 噛みしめた口から、一筋の血が流れ、顎を伝った。 ポタリ。 地面に落ちたそれがほんの少し染みを作った。 『我を求めよ』 瞬間、脳裏に直接刻まれたのは、声。 「何?」 ざっと気配を探っても、あるのは己一人の命の息吹だけ。 『・・・・・・・・・・・乙女はためらいもなく短剣をとり、自分の胸に突き刺した』 そうだ、あのときガルフはなんと言った? 土地に伝わる、ありふれた神話。 それでも、ここにその欠片が厳然とした事実として残るならば、かけてみる価値がある! 「くれてやるよ、オレの命ごと。 だから・・・」 確実にあいつのもとへ連れて行け。 ガウリイは短剣を扉にかかげ、そして、ためらいもなく、それの切っ先を自分の首筋に刺した。 |