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『ねえ、シーリエだったら、どんな男の人が好き?』 ふわりと広がる薄い紅色のドレス。 花に溢れた庭園。 季節は春だろうか。肌に触れていく風は、やわらかな香りと暖かさをもち、とても快い。 『またその話?まったく、あなたって、会うたびにその話ね。たまには、違うことに興味をもたないの?』 プツリ。 少し荒れた手が花を摘む。 これは、自分の手だろうか。 『だって・・・』 ぷう、と膨れる頬。 それすらも、この目に映る少女を愛らしく彩ることしかしない。 くすくすと口から笑い声が漏れる。 『まあ、素敵なお顔ね。思わずひっぱりたくなっちゃうわ』 『う、ひどいわ。そんなことしたら、お父様に言いつけちゃうから』 『・・・そして、さっさと首を切らせる?そうね、あなたの身分なら、私の命なんて軽いものね』 皮肉気な表情が自分の顔に浮かぶのがわかった。対する少女の顔が見る見る青くなっていく。 『ごめんなさい。シーリエ・・・・そんな、そんなつもりじゃなかったの・・・』 エメラルドグリーンの瞳に涙が溜まり、白磁の肌を流れていく。 『ごめんなさい、ごめん・・な、さい』 『ああ、もう。王女様ともあろうものが、一人のしがない侍女のために泣いたりしないでよ。それこそ王様にばれたら殺されちゃうわ。 ほら、薔薇の王女は笑顔が似合うんでしょう?』 ポケットにあるのは、草の汁で汚れてしまっているので、少女がもったハンカチを、手馴れた様子でとりあげ、優しく目元をぬぐってやる。 捨てられた子犬のような、あどけない瞳。 これが、この国の王女かと思うと笑ってしまう。 一人の、なんでもない侍女の一言にすら傷つき、涙を流す脆い心。 よくこんなので、あの汚い宮廷社会を生き抜いていけるものだ。 いや・・・・脆いからこそ、か? 『・・・あなたはきっと・・・誰にでも愛されるのね・・・・』 ぽつり。 さりげに呟かれた言葉に、少女の瞳だ大きく開かれ、ついで、見たこともないような、優しく、綺麗な笑顔が作られた。 それは、とても、・・・・・・とても強い光。 『それは、違うわ、シーリエ・・・わたくしが愛されるのではなくって、わたくしが愛するの。 たくさんの人の愛なんかいらない。わたくしが欲しいのは、たった一人だけの愛。 それさえあれば、他はどうでもいいの。』 『・・・あなたに求婚している男性達が聞いたら、卒倒しそうね』 『シーリエったら』 くすくす、くすくす。 お互いが顔を合わせて、まるで秘密の共有をしたかのように笑いあう。 『たった一人の人だけ・・・』 その言葉が、彼女にどんな運命をもたらすかも、わからずに・・・・・・ 目が熱い、喉の奥が鳴る。胸からこみ上げてくる感情に、全てが押しつぶされそうだ。 せつない、痛い、悲しい、悔しい、そして・・・憎い。 夢の彼方に描かれた言葉のやりとり、王女との会話。 これは、あの人の記憶? 「気がついたようね」 脳裏ではなく、今度は直接聞こえる言葉。発しているのは、先ほど自分であった女性、シーリエ。 一切の光が届かぬ暗闇のはずなのに、シーリエの姿がリナの視界にはっきりと映る。 「こんな所でごめんなさい?でも、まだ生きているんだから感謝されてもいいわよね」 「シーリエ・・・」 淡く発光する、おそらく人をやめた女性に、リナは静かな瞳を向けた。 ジャラリ・・・。 首を少し動かすだけで、四肢を拘束している何かが鈍い音をたてた。 「痛い?でも、こんなもの、あなたにはどうだっていいことでしょう? だって、ちゃんと痛いって感情、もっていられるんだから」 細い指が額にかかった髪をうざったそうに掻き揚げる。 いらだったときの、彼女の癖。 ほんの少しだけ見えた過去の腕より、さらに痩せている。それはなんの為? 「・・・なによ、どうしたっていうの?」 「少し、痩せたわね・・・」 「・・・どいうこと?」 「髪も、あんなに綺麗に流していたのに・・・随分、きつく纏めてる。 痛くない?『髪に頭皮をひっぱられるのは嫌』ってあんなに言っていたのに」 「だ・・れなの?あなた、一体・・・誰?」 シーリエが藍色の眼を見開き、リナの真正面にふらつきながらよってきた。 おずおずと伸ばされる手。それはまるで壊れ物を扱うように、優しく頬に触れた。 ああ、こんな風に彼女には触れたのか。 まるで、禁忌のように、憧れとして見るだけの王女。 「濡れてる・・・泣いたの・・・?」 シーリエの荒れた指先が、リナの頬の湿った跡を辿った。 これは、涙だろうか? 泣いていたのは、自分? 違う・・・あたしじゃ、ない。 「あたしはあたしよ。リナ=インバース。 泣いたのは・・あたしに涙を流させたのは・・もう、ここにいない人よ・・」 「そう・・・会ったの・・・?」 手の平をそのまま、シーリエは静かに呟いた。 「会った・・・というより、見えたの。 シーリエ、あなたは『薔薇の王女』の大切な友人ね。」 「友人・・・あなたにはそう見えた?」 「・・・・・」 「・・・そうね。少し、違うかもしれない・・・私は、彼女を羨んでた。妬んでた。・・・私が持っていない全てを持っている彼女に。・・なぜか、彼女は私を気に入ってくれていたけど。」 「・・・それでも・・・大好きだったことには変わりないんでしょう? だから、あなたはずっとずっと、彼女の傍にいた。」 例えどれだけ負の感情がシーリエを捉えたとしても。 理由は、たった一つだけだ。 リナが真っ直ぐにシーリエを見据えた。シーリエはその視線を避けて、リナではない、ここにはいない存在を透かし見ている。 「その、通りよ。 彼女は、私の一番。 愛憎は、紙一重というけれど、私は、その両方の面で、彼女を一番にしてしまった。 彼女がいなくなれば・・残るのは・・・抜け殻だけ・・・」 ふいに口をつぐみ、リナの四肢を戒めているために天井から下げている鎖を引っ張る。 鎖同士がこすれあう音がして、リナの拘束された部分を傷付けながら、膝立ちの姿勢から足がぎりぎり地面につくかどうかの体制の変えさせた。 頬をなでていたシーリエの指が顎、首筋を通り、胸元を引き裂いた。 鋭利な爪は、たやすく布を断ち切り、リナの白磁の肌を露にする。 「つっ」 その指はそのままリナの肌に血の筋をともないながら、不可思議な文様を描く。 「これで終りよ」 シーリエの爪はためらいもなくリナの心臓の位置に手首までもぐりこませた。 「ああああ!!!」 脳天までつきぬける灼熱の痛みに、リナの口から絶叫が上がった。 本来、触れることなどありえない異物が、その持ち主の意志に従って、リナの命を紡ぐ心臓の表面をかする。 「柔らかいわね。それに、休みなく脈打っている。生きている証だわ。」 ビクンッ もはや声もだすことすら許されない感覚のなか、リナの体が思い切り跳ねた。 「・・・少し、じっとしていてもらえないかしら?間違って突き破ったらあなたお終いよ?」 シーリエの体からまた淡く燐光が発せられ、リナの体を縛り付ける鎖が、強化された。 圧迫が強くなったため、傷付けられた部分から、血が溢れ出す。 鼓動の一つ一つが全身から響いてるように、もはや何も考えられない。 シーリエはリナののたうつ様など無視して、小さなリングをリナの心臓の血管に引っ掛けた。 めり込んでいた手を、無造作に引き抜く。赤く血塗られたそれは、爪の先まで彩られ、手首の白と、淡く光る様子と相まって、壮絶な美しさを放つ。 「これは死のリング」 やっと異物を体内に取り入れるということからは開放され、肩で息をついたリナの顔を、シーリエの赤い掌が持ち上げる。 そのまま人差し指で唇をなぞり、蒼白な顔のなか、そこだけを紅色に染めた。 「彼女を死へと導いたあの男。そして、あなたの大切なあの男があなたを助けに来たその時、それは威力を発揮するわ。あなたとあの死神が出会ったとき、魔方陣とリングが共鳴し、その中に封じられた呪文が作動する。 大丈夫よ、痛みは一瞬。 体も綺麗なままで残してあげる。 それから、もし、あの男がこなくてもそれは作動するわ。 タイムリミットは一日。 それまでに、あなたをみつけることが出来るかしら? 私としては、目の前で死んで見せてあげて欲しいのよ。 大事な大事な存在が、なす術もなく失われていく様を、ぜひとも、ね。」 「・・・なた・・は・・でいい・・・の・・・?」 喘ぐようにリナは言葉を搾り出した。 ゆっくりと、苦しげに閉じられていた瞳を開き、ぼんやりとした視界のまま、何を見ているのかよくわからないまま、想いを形にする。 「そ・・やって・・あたし・・たち・・を・・殺す・・だけで・・いい、の?」 「・・・わからないわ・・・」 シーリエの指がはずされたが、リナの顔は下がらない。轟然とまでに前を見据えるのは、彼女が彼女である、存在意義。 「・・・なんで・・・これしか・・ない・・の・・?」 「なんでかしらね・・・?でも・・」 ふいにシーリエが後ろを向き、リナに背を向けた。 「私は、そうすることで・・何かを取り戻したかったのかもしれない・・・」 そのまま・・・足音すらたてずに、シーリエは消え去った。 たった一人残されたその暗闇で。 リナは声もださずに、出すことも出来ずに呪文をとなえる。 ガウリイ・・ガウリイ、ガウリイ・・。 この場にいない大切な存在を想い、リナの眼から無意識な涙が一滴零れ落ちる。 ここにいるのは、大切な人を失った、不安定な女性だけだった。 どこまでも悲しい、ただ一人だけの人。 あたしには、彼女を救うことは出来ない。 お願い、傍にきて。 あたしはここにいていいのだと、例え、死のカウントダウンが始まるのだとしても、あたしを抱きしめて。 大丈夫だと言って。 「ガウリイ・・」 リナの纏う白いワンピースが胸元から色を変えていく。 囚われの蝶。 尊き生贄。 『薔薇の王女』の死の装束と同じに、じょじょにそれは変化していく。 死神の顎まで、あと二十三時間・・・ |