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「な……っ!?」 動きを封じられたことに焦ったのか、自らナイフを受け入れたガウリイに戸惑ったのか。リナは絶句し、ガウリイを仰いだ。 あまりに無防備な表情を見せられて、ガウリイの方が苦笑する。少なくともそれは、心から憎んでいる相手に向ける顔ではなかった。 小さな彼女を覆うように、更に深く腕を回す。ナイフが腹を抉って鋭い痛みを与えてきたが、ガウリイはリナの髪に顔を埋めることでそれに耐えた。 深い吐息と共に、囁く。 「オレを疑うな、リナ」 「……っ……!」 それを聞いて、リナが我に返ったらしい。ガウリイから逃れようと、必死になって藻掻き始める。 「放せ……っ」 「リナ、オレはお前を傷つけたくないし、裏切ったりもしない。何があっても」 耳元で、どくんどくんと鼓動が脈打っている。自分のものか――あるいは、リナのものか。温かな脈動に耳を傾けていると、このまま眠ってしまいそうだった。酩酊感に抗い、続ける。 「お前さんが許してくれる限り、オレはリナと一緒にいる。リナを一人になんて、しないから」 「……嘘を……っ」 「嘘じゃない。 ちゃんと言えばよかったな。オレがお前さんと旅するのは、オレが一緒に行きたいからだって。理由が要らないんじゃなくて、理由を作ろうとしなくていいんだって、そう言いたかったんだ。 わざわざ言わなくても、伝わってるって思い込んでた。ごめん……言葉にしなきゃいけないことだったんだよな」 「…………」 リナの抵抗が、弱くなる。ガウリイの胸を押していた手は徐々に力を無くし、とうとう添えられるだけになった。 ぎゅ、と力を込めて抱き寄せると、小さな身体は更にガウリイに密着してくる。彼女はこんなにも小さかったのかと、ガウリイは今更ながら驚いた。 「言葉が足りないせいで、お前さんをいっぱい悩ませて……オレが悪かった。ごめんな」 「…………」 「リナも。言いたいことがあったら、ちゃんとオレに言ってくれ。オレはちゃんと聞くし、何を言われたってお前さんを見捨てたりしないから。 それだけは、信じてくれ……お前さんに『信用できない』って言われるの、思ったよりキツい」 「……ガ、ウリ……」 「ん?」 小さな手が、ガウリイに縋るように握られたのを感じて、ガウリイは顔を上げた。間近で覗いたリナの瞳は、透明な水で濡れ、揺れていた。 「……信じても、い……の?」 「勿論だ」 力強く、頷く。リナの瞳の中に、真摯な自分の姿が映り――ふいに、瞼に遮られて消える。同時に、ふ、とリナの肩から力が抜けた。 「おっ……と」 崩れる彼女の身体を、ガウリイが支える。二人分の体重を支えることが出来なくなって、ガウリイはよろめいた。壁に凭れ、息をつく。 「リナ……?」 呼びかけに答える声はなかったが、代わりに静かな呼吸が聞こえてきた。 ――生きている。その事実に、どっと安堵が押し寄せる。 力なく垂れたリナの左手から、するりと指輪が抜けたのが、視界の端に見えた。軽い金属音を立てて、それは空き地の中央まで転がり、止まる。 『……お、のれ……おのれぇっ……!』 ぶわ、と瘴気が溢れて、ガウリイはリナを庇うように抱き込んだ。 見れば、黒い靄が指輪の周りに吹き上がり、蠢いていた。しかし、ロレンスの家で見た程の勢いはもう無い。 渦巻く霧の中からは、皺枯れた魔族の呻きが聞こえた。 『弾き出された、だと!? 何故だ……既に心の奥底まで、我は巣食っていた筈なのに……!』 「人間を、玩ぶからだ」 冷ややかに、ガウリイは告げた。 「人間は確かに弱い生き物かもしれない。けどな、だからって侮ったりすれば、必ずしっぺ返しを喰らうんだよ!」 『ほざけ、人間が!』 漠然と漂っていた靄が、ぐるりと動きを早め、収束する。それは、蛇が鎌首を持ち上げる様に似ていた。 『ここは退くしかあるまい……しかし、貴様だけは今、我の手で止めを刺さねば気が済まぬ! 人間! 貴様の命を喰ろうて、また力を取り戻してやるわ!』 言うなり、闇の蛇は空を切った。ガウリイは動かない。迫る魔族の顎を、ただ冷めた目で見つめ―― ――ざっ――! ガウリイの首に届く寸前、魔族は霧散した。瘴気が、ガウリイの視界を覆い尽くす。 「ステイシーを……ステイシーを、よくも……!」 ロレンスだった。ライナスをフレッドに預けて、その足で戻ってきたのだろう。息は荒く、肩を大きく上下させている。 ガウリイが放り出した妖斬剣。それを振り下ろした姿のまま、彼は泣いていた。刃の下には、両断された指輪。それもぼろぼろと風に崩れ、すぐに塵となった。 「……すまん、助かった」 ガウリイが言うと、ロレンスはぐいと涙を拭った。 「礼を言うのはこっちの方だ……感謝する」 震える声で告げ、彼はガウリイを見返った。剣を、ガウリイに返そうとして、腹部の怪我に気付いたようだ。ロレンスは顔色を変えた。 「酷い……! すぐに、医者のところへ!」 「悪いな、ちょっと動けそうにない。 誰か、治療呪文が使える奴、いないか。呼んで来てくれると、助かる」 荒い息の下で言うと、ロレンスも頷いた。 「そう、そうだな。その方が早い……待っていろ、すぐに連れてくる!」 「ああ、頼む」 ばたばたと去っていく足音を、ガウリイは目を瞑って聞いた。傷を負った部分が、熱い。痛みより、その熱に焼かれてしまいそうに感じる。 「……ん……」 「リナ?」 腕に抱えていたリナが身動ぎしたことで、ガウリイはハッと目を開く。彼の呼びかけに、今度こそリナが応えた。 「ガウ……リイ?」 「大丈夫か、リナ。怪我は」 「頭、痛い……ガンガンする。……あたし、どうしたの……?」 自力で立とうとするが失敗して、リナはよろめいた。ガウリイに縋ろうとするが、逆に彼の方から凭れかかられて、二人とも体勢を崩す。 「……ちょっ……」 「悪い……ちょっと立っていられない。ごめんな」 謝るガウリイの顔色が蒼白になっていることに、リナは遅れて気付いた。同時に、自分の衣服に纏わりつく、ぬるりと温かい感触にも。 「ガウリイ!? あんた、怪我してるの!?」 「大丈夫」 「大丈夫じゃないわよ! こんな、酷い……っ」 未だに突き刺さったままのナイフを目にして、リナが怒鳴り返す。しかし、ガウリイは不謹慎にも笑っていた。 「そんな顔するな、リナ。これくらいじゃ死なない」 「うるさい!」 ぴしゃりと言って、リナはガウリイの腹部からナイフを引き抜いた。どっと血が溢れ出すが、構わず両手を当てる。酷い頭痛を堪えて、リナは治療呪文を紡いだ。 魔術の白い光が傷を塞いでいく。しかし、これも長くは保たないだろうことに、リナは気付いていた。頭痛と疲労が、集中力を奪う。思うように魔術を維持できない。 焦るリナの耳元に、ガウリイの声が届いた。 「大丈夫、だから……お前さんを、一人になんてしないって、言っただろう――?」 「ちょっ……ガウリイ!?」 言うだけ言って意識を失ってしまったガウリイに、リナはパニックになった。同時に、唯でさえ脆かった魔術の構成が、解けていく。 「ダメ! お願い、もう少し待って――!」 無理矢理に術を編み上げる。ガンガンと頭を揺さぶられるような痛みに襲われるが、構わず続けて――そして、リナも気を失った。 |