BETRAY or TRUST

-17-

作:翠さん


 リナは、全く気に入らないという様子で、事の成り行きを見守っていた。
「ガウリイ。貴方、あたしの味方よね?」
「ああ」
「じゃあどうして、あたしの邪魔をするの?」
 空き地を囲む壁に沿って歩きながら、リナは愛らしく首を傾げる。ガウリイはそれを追って、視線をゆっくりと巡らせた。
 リナはもう、ライナスから興味を外したようだった。
 口では文句を言うのに、ライナスを追うつもりはないらしい。今は、目の前の玩具に興味があるようだ。それはそうだろう――ガウリイの持つ怒りも焦りも絶望も、多分、ライナスのそれと変わらぬ程に、大きい筈。
 逃げてしまったエサを追うのは、目の前のエサを喰らってからでも遅くない。
「オレは、リナの味方だからな」
 静かに、ガウリイは言った。
「だからこそ、お前を止めなきゃならないんだ。
 今、お前さんを止めなかったら、リナは絶対に自分を責める。リナにできない今だから、オレがやらなきゃならないんだ。
 だから、絶対にお前を止めるぞ――魔族!」
「……ほう?」
 リナが――いや、リナを操るそれが、ゆうるりと笑った。
「我らについての知識が、少しはあるようだな。人間」
 リナの声で語るそれは、もうリナでも、ローラでも――およそ人間と呼べる存在の、誰でもなかった。ガウリイは知っている。それが何であるかを。
 ――魔族。
「前にもお前みたいなのと戦ったことがあるんでな」
 触れただけで人を灼く程の瘴気。それを生み出せるのは、魔族と呼ばれる存在しかない。
 既に伝説に近い存在になっているそれらが、本当に実在しているのだということも。それらが人間の憎しみや争いを見て、ほくそ笑んでいることも。結果として、沢山の人々がそれらの犠牲になっている、現実も。
 ガウリイは、数え切れない程に見てきたのだ。
「……リナを、返せ」
 地を這うほどに低い声で、ガウリイは言った。剣の柄に手を触れ、
「オレは魔法は使えないが、この剣でなら魔族を斬ることができる。仲間と同じ目に遭いたくなかったら、リナを元に戻せ」
「脅しのつもりか?」
 魔族は動じもしない。
「容易くはないぞ。この娘の手首ごと我を斬るというなら、別だがな。」
 ――確かに。制止している相手ならともかく、こちらを殺そうと向かってくる相手を傷つけず、指輪だけを切り落とすなど不可能だ。
 例え指一本と言えど、無くせばどうなるか。剣を扱うガウリイにはよく分かる。命は助かっても、リナは今までのように戦えなくなるだろう。
 何よりガウリイ自身が、リナを傷つけることなど出来はしないのだ。
 唇を噛むガウリイに、リナの顔をした魔族は気を良くしたようだった。ガウリイの焦りは、多分に魔族を喜ばせるものだったらしい。更に欲を満たそうと、魔族は追い討ちを掛ける。
「この娘、相当に強い魔力を持っているようだな。何と力の漲ることか。今までの女共とは比べものにならん」
 ぴくり、とガウリイが反応する。
「この身体、気に入った。生気を奪い尽くし、我が力を蓄えるまで、存分に使わせて貰おう」
「ふざけるな!」
 ガウリイが叫ぶ。
「リナを好き勝手にできると思うなよ」
「そうかな? 我を呼び込んだのは、娘達の方だというのに?」
「……何?」
「我がいくら操ろうとて、娘達の側に我を受け入れる心がなければ、手出しはできぬ。この町で喰らった女達は皆、心の底に鬱屈する気持ちを抱いておったわ――そう、この娘も」
「リナが?」
「そう。お前に対する猜疑、嫉妬……実に美味だったよ。女達の抱く暗い感情はどれも甘いが、この娘は格別だ」
「貴様!」
 掴みかかろうとしたガウリイを、魔族はするりと避けた。
「おお怖い。
 寧ろ、感謝されても良いくらいだがね。お前によって惑わされるこの娘の心を、抑圧から解放してやったのだから」
「オレが……? どういうことだ!」
「見せてやろうか?」
 言うなり、魔族は攻め込んできた。あっという間に懐に入られて、ガウリイが慌てて飛び退く。
 リナの繰り出した剣を、ガウリイは剣の柄で払った。立て続けに襲う剣撃を、後退しながらやり過ごす。
「あたし、腹を立ててるのよ」
「……リナ……!?」
 口調が変わったことに、ガウリイが戸惑う。リナは攻撃を続けながら、更に言葉を続けた。
「あんたときたら、大事なことはいつもはぐらかしてばっかり。言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいんだわ!」
「何!?」
「相手が子供なら、誤魔化せると思ってる? あたしは、そんなことで騙される程子供じゃない!」
「何を言ってるんだ! オレはそんなつもりはないぞ!?」
「嘘! 優しいフリして、あたしをいい気にさせて。
 そうして気を許したあたしを、影で笑ってるんでしょ!? 都合が悪くなったら突き放して、あたしを一人にするんでしょう!」
「リナ!」
 ぎん、と一際大きな音を立てて斬撃を弾き、ガウリイが大きく飛び退いた。
「リナ、悪いが何の話だか分からん。説明してくれたら、後でちゃんと聞くから。もうこんなことはよせ!」
「ほら!」
 リナはぎらぎらと怒りを燃え立たせた。
「また誤魔化す!」
「そうじゃないって」
「うるさい!」
 言い募ろうとするガウリイに、リナはもう耳を押さえ、強く頭を振った。
「聞きたくない! ガウリイの言うこと、あたしにはもう信じられない!」
 ぎり、と。心臓が軋むのを、ガウリイは自覚した。
 戦闘の時、視線を合わせるだけで、相手の考えていることが分かった。他の誰にも理解できない感覚の鋭さを、彼女だけが疑わず、信じてくれた。出会ったばかりの頃、人を見る目はあるから、と笑って、同行を許してくれた。
 これ以上無いくらいの信頼で、リナとの関係は満たされていたと、ガウリイは思っていた。
 しかし今。リナの口から零れる言葉の数々は、全てそれを否定するもの。
「……リナ……」
 ガウリイは呻いた。リナとの間に築いてきたものが、がらがらと崩れていく気がした。
 魔族は、リナの心に付け入る隙があったと言った。それが、全てガウリイへの疑いから生まれていたとしたら。
 ガウリイが傍にいる限り、リナは魔族の呪縛から逃れられないのではないか。


『……信用、しとく』


 リナの言葉が蘇る。
 魔族に蝕まれ、自分が自分でなくなっていくことを恐れていた彼女。
 自分がついているからと言ったガウリイに、リナは安心したように微笑んでいた。あの時ですら、リナは自分を信じてくれていなかったというのか。

 ――違う。

 ガウリイはぶるん、と頭を振った。
 いつの間にか、こちらまで猜疑に取り憑かれそうになっている。そうして心を惑わせて、付け込んでくるのが魔族の手口だということは、知り過ぎる程に知っている筈なのに!
 何があろうとも、自分がリナを疑うことだけは、してはならないのだ。絶対に。
「リナ!」
 ガウリイは声を張り上げた。
「聞こえるか!? 言いたいことがあるなら、魔族の手なんか借りないで、自分で言え!
 オレは気が回るほうじゃないから、ちゃんと言ってくれないと、リナが悩んでることは分からん。
 だけど、リナに言われたことは、ちゃんと聞くから。だから――」
「うるさい!」
 リナが吼える。
「あんたなんかに、言うことなんて何もない!」
 叫びと共に、十数個の魔力弾が出現する。空気を震わせて向かい来るそれを、ガウリイはぎりぎりのところで避けた。全弾を躱したところで、息をつく間もなく、魔力弾を煙幕にしたリナが突っ込んでくる!
 がきぃっ!
 火花が、一瞬だけ路地を照らした。大きく振り下ろされた剣を、ガウリイは抜きかけた剣の腹で受けていた。
 息が掛かるほど間近で、蒼と紅の瞳が交錯する。狂気に染まった朱の瞳が、一瞬、ゆるりと揺らぐのを、ガウリイは確かに見た。
「……ねえ」
 リナの声は、それまでの勢いが嘘のように静かだった。
「どうして、一緒にいてくれるの」
「え?」
 剣を押す力は変わらない。寧ろこちらに縋るように体重が掛かって、ガウリイは戸惑った。
「一緒にいるのに理由は要らないって、言ってくれたよね? ……嬉しかったの。本当に」
 初めて聞く、リナの生の声。そんな気がした。
「でも、それと同じくらい怖くなったの。どういうつもりでガウリイがそう言ってくれたのか、分からないから」
 泣き出す直前の幼子のような、脆い表情で。
「あんたが優しくしてくれる度に、不安になる。
 あんたの笑顔が本当に本心からなのかとか、一緒にいる理由がないなら別れるのにも理由がいらないんじゃないかとか、本当はあたしのことが邪魔なんじゃないかとか!
 あんたがいつ、別の道を行こうって言い出すかと思うと、どうしたらいいか分からなくなる!」
 リナは、気持ちの全てを吐露する。
「あんたは最高の相棒だと思ってる。疑いたくなんかない。なのに、止まらないの。
 あんたと一緒にいると、あたしどんどんおかしくなる。こんなに苦しいのは、もう嫌!」
「リナ!」
 ガウリイはリナの瞳に向かって、一心に叫んだ。
「リナ、オレは嘘なんてついてない! オレだって、お前さんが最高の相棒だって思ってる。
 今まで言ったことは、全部本心だった」
「嘘!」
「嘘じゃない!」
「もういい、聞きたくないっ! これ以上、あたしを迷わせないで!」
 力任せに剣を押して、リナはガウリイから離れる。大きく跳び退ったリナを目で追いながら、ガウリイは必死になって考えていた。
 もう呪いも、魔族もどうでも良かった。ただ、リナから拒絶されることが辛かった。
 せめて、自分が抱く彼女への想いだけは、彼女に分かって貰わなければ。そのための方法だけを、ガウリイは探していた。
 言葉はもう通じない。どんなに伝えようとしても、伝わらない。耳に届く全てを、リナは否定してしまう。

 ――どうしたら、伝わる?

「あたしがこんなに苦しいのは、全部あんたのせいなんだから。あんたといるから、あたしは――!」
 叫びながら再度、リナが飛び込んでくる。ガウリイはその姿を焼き付けるように、一瞬、目を閉じた。からん、とガウリイの右手から、妖斬剣が零れ落ちる。
 リナが驚愕に目を見開いたのは、既にガウリイの両腕に、自身を囚われた後だった――突き刺さる、ナイフと共に。













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