BETRAY or TRUST

-15-

作:翠さん


 ライナスは焦燥に駆られていた。
 誰もが家路へと急ぐ中を、足早に逆行する。少し込み入った路地に入れば、そこはもう真夜中と変わらない暗さだった。そこで足音を潜め、油断なく辺りを見回す。剣に触れた手がかちゃりと金具を鳴らしたが、それきり彼は音を立てずに路地を進んだ。
 彼の計画は、あと少しで完璧なものとなる。ステイシーは救えなかったが、代わりにグラントという絶好の生贄を作ってくれた。後は、全ての罪をグラントに被せ、彼を処刑台に導く。そのためにはもう一つ、やらなければならない仕事があった。
 今回の事件がローラの亡霊の仕業だと言われていることを、彼も耳にしている。30年前の事件を詳しく覚えている者は少ないが、事件が起こった途端に蒸し返される程度には、人の心に残っていたらしい。
 町の人間は亡霊を疑い、恐れているが、ライナスは違った。彼は今回の騒ぎが亡霊の仕業だと確信していたし、本気でそれを滅ぼそうと考えていた。通り魔事件が再発し、家のクローゼットにしまっていた指輪が消えたことに気付いた時から、ずっと。
 亡霊など、この町には必要ない。誰にも思い出されず、静かに眠っていた方がいいのだ――。
 細い路地が終着を迎えた場所は、まるで忘れ去られたように何もない空間を作っていた。無計画に建物を建てた結果、この一角だけが誰の手にも余ったらしい。木箱やら樽やらがうち捨てられ、今でも有効利用されていないここが、ライナスの目的地だった。
 30年前の事件が終わった場所。
 この10日間、彼は毎夜、夜の町を巡回して『彼女』を探し続けていた。その巡回の最初の立ち寄り場所が、ここである。
 一連の事件が始まってから、『彼女』がここに現われたことは、一度もない。事件は寂れた裏通りで起こるということ以外に規則性はなく、『彼女』を探すにも、偶然の遭遇以外に期待できるものはなかった。
 それでも。彼はここから始めずにはいられない。
 それは自身への戒めのようなものだった。30年前、この場所で味わった絶望、哀しみ――それらを忘れないため、そして、二度と同じことを、誰にも繰り返させないために。
 刹那、足を止めて感慨に耽っていたライナスだが、いつも通りの巡廻コースを辿ろうと、踵を返した。否、返しかけ――


「ライ」


 たった一声に、足が止まる。石になったかのように強張った身体を、ぎこちなく振り向かせれば。
 先程までは誰もいなかった、狭い空地。転がるガラクタもそのままのそこに、いつしか女が一人いた。
 纏った薄布を、彼女の出現と同時に生まれた風に靡かせている。布に合わせて波打つ髪は、暗闇の中で鋼色に染まっていた。
 女は――少女とも呼ぶべき年齢の彼女は、ライナスに向かって、年に似合わぬ艶かしい笑みを見せた。
「会いたかったわ、ライ」
 再度呼ばれて、ライナスも答える。ゆっくりと、腰の剣を抜きながら。
「ああ、私もだ――ローラ」



*  *  *  *  *




 誰でもそうであるように、ライナスもかつて、若く、エネルギーに溢れ、そして浅はかな時代があった。
 青年であった彼は幸せだった。自分の剣を生かせる職に就き、大切にしたい女性もいた。当時は若者特有の、世間への反発や現状への不満もそれなりに抱えていたが、それも彼の人生を充実させるための、些細なスパイスでしかなかった。
 あの頃、もう少し自分に思慮深さがあったら――何度願っただろう。しかし、失った時間は取り戻せない。永久に。
 その年、ライナスは初めて大掛かりな任務に就いた。近隣の街の警備隊と協力して行った、盗賊狩りである。
 領主の指揮の下、盗賊団を壊滅に追い込み、近隣の町から奪われた金品の数々を取り返すことに成功した。金貨、宝石、骨董品――およそ宝と名のつくもの全てが無造作に転がる場所で、ライナスはそれを見つけた。
 見事な指輪だった。
 秀麗な細工、台座に収まる輝石は深紅で、若い彼の目を奪った。見たこともない美しさだった。
 きっと、彼の愛らしい恋人に――愛しいローラに、それはよく似合うだろう。細い指先は、この指輪によって一層白く引き立てられるに違いない。彼女なら、いや、彼女こそが、この指輪の持ち主に相応しい。
 指輪に魅入られたライナスを、誰も見咎めることはなかった。その日の内に恋人に渡した。
 君に似合うと思って。
 単純で、愚かしい行為だった。ローラは喜び、感謝し、そして。
 彼女も指輪に魅入られた。





 ローラの変化は顕著だった。怯え、怒り、焦り。持ち得る限りのマイナスの感情を、ローラはライナスに――というよりも、男性全てを相手に抱いたようだった。
 恥らって受けていた触れ合いに嫌悪を示す、軽い冗談に本気になって噛み付いてくる、疑い深く、嫉妬深くなる。
 世の男共の身勝手さを罵り、無能さを暴き、それをライナスの行動一つ一つに当て嵌めてみせた。かと思うと、急に媚びて甘えた媚態を見せることもある。そうして油断させて、こちらが気を許したところで態度を豹変させ、男の愚かさを嘲笑うのが彼女の手口だった。
 暫くはローラの意に添うよう、努力した。しかし、限界はすぐに訪れた。彼女が変わってしまったことより、彼女に拒絶されることそのものに耐えられず、ライナスは別れを切り出した。
 ローラは受け入れなかった。あらん限りの言葉でライナスを責め、心変わりの原因を、女のせいと疑った。
「そうやって私を裏切るのね! 私を信じさせて、良い気分にさせて、最期には裏切るのよ。
 貴方だけじゃない、、男の人なんていつもそう! 誰も彼も、報いを受ければいいわ……!」
 事件が起こり始めたのは、それからすぐのこと。
 酒場での障害事件が相次いだ。町では見慣れない、壮絶な美人と酒を呑んでいたら、彼女に突然傷つけられた――被害に遭った男達の言い分は、こうだ。しかし不思議なことに、誰も女の顔を覚えていない。
 捜査が進展しないことを嘲笑うように、事件は次々起こった。ローラを案じる間もなく、ライナスは捜査に打ち込んだ。
 ローラの噂を聞いたのは、とうとう犯人が最初の殺人を犯した直後。
 ――ローラが倒れた。
 流石に気になって、ライナスは彼女の家を訪ねた。ローラは衰弱して、昏々と眠っていた。最後に会ってからたった半月だというのに、彼女はすっかり痩せ細ってしまっていた。ふっくらとした頬からは肉が削げ落ち、唇も色を失ってしまっている。骨が浮き出た指にはまだ指輪が嵌っていて、ライナスは心を痛めた。
 久々に顔を見せたライナスに、ローラの両親は縋るように尋ねてきた。
「娘に何があったのか」
「起き上がれないほど弱っているのに、夜になると姿が消えていることがある」
 ローラの奇妙な外出が、事件の発生と悉く一致することに気付くのに、そう時間はかからなかった。
 まさかと思いながら、しかし疑念は消えなかった。その日、ライナスはローラを監視した。
 日が沈むと、ローラは目を覚ました。
 ――否。消えたのだ。ローラを見守っていた、ライナスの目の前で。
 起き上がったローラを、唐突に黒い霧が包んだ。霧に巻かれたライナスは、彼女が消える瞬間、きらりと指輪が光るのを見た。一際強い風に思わず目を閉じ、次に目を開けた時には、既にローラは消えていた。
 慌ててローラの家を飛び出す。街中を走り回った。事件が起こりそうな裏通りを中心に、彼はローラの姿を探し――そして、見つけた。
 手には真っ赤に染まったナイフ、足元には男の亡骸。それらの中心で、口元に壮絶な笑みを浮かべた、ローラを。



*  *  *  *  *




「本当に君なのか? ローラ」
「ええ、勿論よライ」
 油断無く剣を構えたまま問うライナスに、少女はくつくつと笑った。
「疑うの?」
 愛らしく首を傾げる少女は、数日前に警備隊を訪れた人物だ。リナ=インバース。姿も声も、その時と何も変わらない。
 彼女が事件に関わった時から、彼女が指輪を持っているのではないかとライナスは疑っていた。それを確かめるために町に留め置き、部下や息子を使って行動を見張らせてきた。事情聴取を自ら行ったのも、来訪を拒まなかったのも、全て指輪についての情報を得るためである。今は誰も呼ばなくなった愛称で呼ばれた時に確信した。ローラは彼女の中にいる、と。
 それでも、実際に相対してみれば、あまりに受け入れ難い現実だった。目の前の少女に、30年前に死んだ恋人が宿っているなどとは。
 沈黙するライナスを嘲笑うように、少女は続けた。
「ここで貴方に捕まった日のことを、よく覚えてるわ。月の綺麗な、静かな晩だったわね……今日のように」
 言いながら、空を見上げる。月明かりに浮かび上がるのはローラの面影など何一つない別人だが、仕草や口調は明らかに彼女のものだった。
「貴方、私がしていることが信じられないって顔だった」
「やめろ!」
 ライナスは苦しげに呻いた。
「君じゃない……そうだろう? あれは、君がやったんじゃない。指輪のせいだったんじゃないのか」



*  *  *  *  *




 気付いたのは、事件が解決して、大分経った後だった。
 ローラは獄中で死んだ。舌を噛み切っての自殺だった。
 取調べの間中、彼女は『私じゃない』『私は何もしていない』とずっと叫んでいた。ローラからの証言は得られなかったが、街の人間は、ライナスに振られた腹いせの犯行だろうと勝手に納得した。実際、ライナスもそう信じかけていた。
 しかし。
 ローラが自殺し、その遺体を見た時、違和感を覚えた。
 彼女の指には、まだ指輪があった。但しそれは、今にも落ちそうな程に緩く、かろうじて指の節に引っかかっていた。
 ライナスは訝った。衰弱したローラが指輪を嵌めていたのを覚えている。その時、骨と皮ばかりの指に、指輪はしっかりと嵌っていた――それがそもそもおかしかったのだ。ローラに指輪を贈った時、それはローラに誂えた様にぴったりと彼女の指に合ったのだから。

 ――ローラはいつからおかしくなった?
 ――自分を見限ったというなら、何故ずっと指輪を嵌めていたんだ?
 ――魔法も使えないローラが、あの夜、自分の目の前から忽然と姿を消すことができたのは。

 考えながら、また指輪に魅入っている自分に気付き、ぞっとする。
 この指輪は、良くない。直感だった。咄嗟に指輪を掴み、持ち出した。
 誰の目にも触れないよう、ライナスはそれを自宅に仕舞い込んだ――捨て切れなかったのも、やはり指輪の魔力だったのかもしれない。













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