BETRAY or TRUST

-14-

作:翠さん


「リナが呪いに掛かってる」
 客間に通されるなり、ガウリイは切り出した。フレッドはまだ、腰を下ろしてもいなかった。
「リナを助けるには、どんな呪いが掛かってるか調べなきゃならない。この」
 ガウリイは、リナの細腕をシーツから取り出した。薬指を、ロレンスに突きつける。
「指輪に、何かあるんだろう」
 ちらりと指輪を目に留めて、ロレンスは溜息をついた。
「やっぱり、彼女が持っていたんだな」
「どうしても外れないんだ。
 これを嵌めてから、リナは様子が変だった。これは、何なんだ? 知ってるなら教えてくれ!」
「ガウリイさん、落ち着いて!」
 勢い込むガウリイを、フレッドが嗜める。やっとのことでガウリイが座ると、ロレンスは伏せていた顔をのろのろと上げた。
 目が、黄色く濁っている。無精髭が顎を覆い、吐く息は酒気を帯びていた。最初に会った時の繊細な様子は、もう欠片も見られない。
「……俺にも、よく分からないんだ」
 視線を厳しくするガウリイに、ロレンスは無気力で答えた。
「知っていることは全部話す。けど、あの指輪がどういうものか、俺には本当に分からないんだよ」



*  *  *  *  *




 その指輪を見つけたのは、ずっと昔のことだった。
 母親を亡くしたばかりの頃、恋しさに駆られて父親のクローゼットから、母親の遺品を探り出しては眺めていた頃が、ロレンスにはあった。
 指輪は、母親の遺品の中に混じっていた。
 こっそりと持ち出し、自分の机に仕舞い――やがては、それを持っていたことすら忘れてしまっていた。部屋の片隅からそれを見つけたのは、ステイシーだった。
「懐かしいな。母の形見なんだ」
 ロレンスは言って、それをステイシーの指に嵌めた。
「君が持っていてくれた方が、母も喜ぶんじゃないかな」
 ありがとう。きっと大切にするわね。
 涙も流さんばかりに喜んだステイシーに、ロレンスも笑んだ。幸せだったし、この先も幸せが約束されているのだと信じて疑わなかった。しかし現実には、それが彼女の最期の笑顔となったのだった。
 





 変化は唐突だった。
 ロレンスが語れば花のように綻んだステイシーは青い蕾に戻ったように表情を硬くし、受け答えも最低限の言葉だけ。
 首を捻っていたところに、酒場での障害事件が起こり始める。捜査に時間を取られ、理由が分からないまま、ろくに会えもしない日が続いた。
 二・三日してやっと会えたと思ったら、前以上に頑なな態度を返された。何が気に入らないのかと問えば、何もかもだと答える。愕然とした。



*  *  *  *  *




「しょげ返って家に戻ったよ。そうしたら、父が待ち構えていたんだ。父は見たこともない程、怖い顔をしてた」



*  *  *  *  *




「指輪をどうしたんだ!?」
 帰ってきた息子を、ライナスは唐突に怒鳴りつけた。
「お前が持ち出したのか!」
 もごもごとステイシーに贈ったことを告げると、ライナスの顔色が変わった。
「……ステイシーの様子は。おかしくはないか」
 どうして父がそのことを知っているのか。尋ねたが、ライナスは答えなかった。
「指輪を取り返して来い!」
 それきりを繰り返した。
「あれは母さんの形見なんかじゃないんだ。早くしなければ、取り返しのつかないことになる!」
 尋常でない父親の様子に、ロレンスはすぐにステイシーの元へと取って返した。冷たい視線にもどうにか耐えて、指輪のことを切り出した。もう自分への愛情をなくした彼女なら、頼むまでもなく突き返してくるだろう。悲しい予想は、幸か不幸か外れた。
「ふざけないで!」
 ステイシーは激しい拒絶を示した。
「今更、一度渡したものを返せって? どういうつもり」
「そう。これを取り返すってことは、本当に私への気持ちがなくなったってことね」
 睨めつけるステイシーを、言葉の限りを尽くして説得した。気持ちは変わらないと、何度も口にした。しかし、ステイシーは。
「やめて! もう、貴方の言うことなんて信じられない!」
 肩を掴んでいた手を振り払われると同時に、鋭い痛みが走った。
 いつから持っていたのか。ステイシーが握っていたのは、小さなナイフだった。彼女に切りつけられたのだ、ということを理解するまでの短い間に、ステイシーは全てを振り切るように駆け出した。
 呆然としていたロレンスは、とうとう彼女に追いつくことは出来なかった。そうして永遠に、彼はステイシーを見失ってしまったのである。



*  *  *  *  *




「同じ時期に、通り魔事件が起きるようになった。捜査で人出がいる筈なのに、父は俺に休暇を取らせた。ステイシーを探せって。
 父は、俺には何も説明してくれなかったけど、流石に察しがついたよ。ステイシーを狂わせたのは、その指輪だって」
 リナの指で煌めくそれを、ロレンスは顎でしゃくる。
「彼女も、か?」
 ガウリイは頷いた。
「ああ。突然だった。始終苛々して、オレを寄せ付けなかった。
 凄く具合が悪そうなのに、夜になるとふらっと消えちまう。今日はもう、目も覚まさなくなってた。
 医者は、呪いの症状に似ている、と」
「呪い、か」
 くくっとロレンスは笑った。皮肉に口が歪む。
「当にそうなんだろうな。ローラの報復――笑えるじゃないか」
「ローラって……ロレンス、まさかお前、本当に亡霊のせいだとでも思ってるのか!?」
 フレッドの叱責に、ロレンスは投げやりに手を振った。
「だってそうだろう? 指輪はは母の形見じゃなかった。じゃあ、父は誰の指輪を後生大事に持ってたんだ? ――それが危険なものだと知っていたからじゃないのか。
 現に、指輪を嵌めたステイシーは失踪して、街では30年前と同じ事件が繰り返されてる」
 席を立ち、ロレンスはキャビネットからボトルを取り出した。
「あれはローラの指輪だったんだ。ステイシーは指輪に殺された」
 そのまま、煽る。ごくりごくりと喉が鳴り、琥珀色の液体が口元を零れた。
「……あんたの相棒もな」
「リナは死なない」
「まだ死んでないってだけだ」
 鋭く否定するガウリイに、ロレンスもまた切り返す。
「あの通り魔事件は、ステイシーの仕業だったんだろうと、俺は思っているよ。そしてステイシーが死んだ後は、彼女が――そうなんじゃないのか?」
 フレッドがぎょっと息を呑む。リナから身を引きかけたフレッドを、ガウリイは意図的に無視して頷いてみせた。
「でも、あれはリナじゃない」
「ステイシーだってそうだ。彼女の意思じゃなかった筈だ。そして死んだ。
 指輪は持ち主に、ローラの復讐を代行させる。そして、持ち主が死ぬと次の主人を選び、復讐を繰り返すんだ。そうやって持ち主と、周りの人間を破滅させる。
 あんたの相棒も、このままなら殺される――確実に」
「じゃあ、どうすればいい!」
「それが分かっていたら、俺がとっくにステイシーを助けてる!」
 怒鳴ると同時、ロレンスは酒瓶を壁に叩きつけた。がしゃん、という破砕音と、壁にシミが残る。散らばったガラス片の上に、ロレンスは頭を抱えて座り込んだ。
「……畜生、どうしてこんな……」
 罵る声に嗚咽が混じって、ガウリイも追求を躊躇った。
 ロレンスの気持ちも分かるが、ガウリイにも時間がない。どうにか、呪いの手がかりを得なければ――。
「あの」
 そろそろと切り出したのは、フレッドだった。
「隊長に、話を聞いてみたらどうですか」
 あまりの事態に青ざめているが、彼なりに、この事態をどうしたらいいか、考えているらしかった。顔を引き攣らせながらも、口元を固く引き結んでいる。
「本当に、事件が指輪の呪いのせいで、それがローラのものだっていうなら――隊長が、何かご存知だと思います。30年前の事件についても」
「こいつの父親……だったか」
「はい。30年前、ローラを逮捕したのも隊長です。隊長なら、きっと――」
 その時だった。ぶあ、と唐突に黒い霧の風が巻き起こり、ガウリイとフレッドは吹き飛んだ。かろうじて受身を取ったガウリイは、その風の原因が何であるかを悟っていた。
「リナ!」
 尚も渦巻く風の中心で、リナが佇んでいた。目を見開き、髪を風に躍らせて宙に浮く彼女からは、もう人間らしさと呼べるものが削げ落ちていた。
 彼女から放たれる、背筋が泡立つほど禍々しい、気配は。
 ――瘴気。
 幾度となく浴びたそれを、今はリナから感じ取り、ガウリイはぎりと唇を噛んだ。呪いなんてもんじゃない。これは。
「リナ!」
 吹き荒れる瘴気の風の中、ガウリイだけが辛うじて立ち上がった。他の二人は床に叩きつけられて、動くこともままならない。
 ぴし、と窓ガラスに僅かなヒビが入ったかと思ったら、それは瞬く間に伝播して、あっというまに外側に向けて弾け飛んだ。窓の外から悲鳴が聞こえる。
 部屋の中で吹き荒れる嵐の中、リナの唇が、微かに動いた。
「……イ……」
 がたがたと鳴る窓枠や耳元を掠める空気の悲鳴でほとんど聞き取れなかったが、それが人の名前だということに、ガウリイは遅れて気付いた。
「……ライ――」
「リナ、ダメだ!」
 風圧に逆らい、その中心へ、ガウリイは必死に手を伸ばす。邪気の奔流が指先を焼いたが、彼は構わず更に一歩、リナへと踏み込んだ。
 あと少し。拳一つ分、手を伸ばせば。
 ふと風が緩んで、ガウリイはつんのめるように前に出た。が、それはガウリイが瘴気に押し勝ったからではなかった。
 瘴気が収束するのと同時、リナの姿も渦に呑まれて消える。最後まで残った髪先も、ガウリイの手を擦り抜けて消えた。
 唐突に訪れた静寂に、誰もが呆然としていた。はためいたカーテンの向こうでは、朱に染まった太陽が、山の稜線へと消えかけていた。













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