BETRAY or TRUST

-10-

作:翠さん


「知らなかったな」
「何が……?」
 愉悦を含んだ男の呟きに、女は熱っぽい囁きを返した。細い肩を抱き込むと、甘い吐息が耳にかかって、男は更に気分を良くする。
「あんたみたいな女が、こんな田舎町にいたなんてな。
 こんないい女がいるって分かってりゃ、わざわざ隣町まで飲みに行ったりしなかったのになぁ」
 堪え切れず、下卑た笑いが喉から漏れる。
「いつからいるんだ? こんな最上級の女が町を歩いてたら、気付かないわけがねえんだが」
 興味本位で尋ねた男に、女は笑みを深くした。まるで、その問いかけを待っていたかのように。
「……ずっと」
 男は聞いていない。女の背をまさぐるのに忙しい。構わず、女はうっとりと続けた。
「もうずっと、この町にいるわ……」
 その一言を言い終わる頃には、男は女から離れていた。ぐらり、とその場に崩れる。悲鳴も上げずに倒れ伏した男を見下ろす女の手には、酒の空き瓶が握られていた。小さなガラス瓶は、その鋭い割れ口をねっとりとした血で濡らしていた。










 意識の隅に乱れた気配を捉えて、ガウリイは足を止めた。
 立ち並ぶ酒場通りの、終点に差し掛かった頃だった。辺りはすっかり暗くなっていて、町は深夜の顔を見せ始めている。酒場から漏れ聞こえる軽快な音楽、笑い声。
 しかしガウリイは、明らかに人の集まりそうな場所よりも、そこから外れた裏通りへと視線を向けた。人気も、灯りもない。今にも細い路地の向こうから、何かが伸びてきて闇に引きずり込まれそうな――。
「……っ……」
 視線を向けていた暗がりの向こうから、くぐもった悲鳴のようなものが聞こえて、ガウリイは今度こそ路地に踏み入った。細いそこを、積み重なった木箱や樽を押しのけるようにして進めば。
 ――どさっ――。
 唐突に、目の前に何かが倒れ込んでくる。先程の気配と一致していたので、ガウリイはさして驚かなかった。彼を驚かせたのは、もっと別のことだった。
 地面に伏したまま動かない男を、たった今放り出したような姿で、そこに佇むのは。
「……リナ?」
 問い掛けるような形になったのは、馴染んだ気配を感じられなかったからだ。いや、確かに彼女の気配はするが、それを覆い隠すように、何かが纏わりついている。
 異質な雰囲気を持つ彼女は、目に映る姿も別人のようだった。印象的な眼差しも、生き生きとした表情も消え失せ、唇だけが異様に赤く浮き上がって。
「リナ?」
 もう一度、今度は彼女の意思を確認するために呼ぶ。と、リナは突然、ガウリイの腕の中に飛び込んできた。
「お、おい?」
 唐突な彼女の行動に、ガウリイが面食らう。反射的に小さな身体を抱きとめると、少女にそぐわない異臭が鼻を突いた。同時に、視界の隅に倒れた男の姿が入る。雲が切れたのか、薄く入ってくる月明かりに照らされて、その姿が浮かび上がった。
 ガウリイの視力は、夜目には捉え難いそれをはっきりと捉える。男の影から滲み出るような、濃い粘質の液体も。
「!」
 ガウリイがリナから身体を離したのと、鋭い銀光が彼の目の前を一閃したのとは、ほぼ同時だった。
「リナ!?」
 愕然として、ガウリイは目の前の少女を見つめる。半ばから割れて武器と化したガラス瓶を、振り切ったままの姿勢で動きを止めた彼女を。
「……ふぅん?」
 リナは愛らしい仕草で首を傾げた。愉悦の笑みを浮かべながら。
「避けるんだ? そう」
 ぽい、と無造作にガラス瓶を手放す。代わりに、腰のショートソードに手をやった。躊躇いなく、抜き放つ。
「リナ!」
「そんなことだろうと思ったけど」
 侮蔑を含んだ一言を漏らすと、今度は真正面から突っ込んでくる。
「どうしたんだリナ、よせ!」
 大振りに左右されるショートソードを避けながら、ガウリイは叫ぶ。が、リナは止まらない。彼女らしくない、隙だらけの太刀筋で、ガウリイを追い詰める。
「端から信じてなんて、いないくせに」
「は!?」
 唐突な言葉に、ガウリイが唖然とする。
「リナ?」
「信じてないから、避けたんでしょう。なのに、仲間だなんて。嘘ばっかり」
 ぶん、と高い位置から剣を振り下ろす。
「保護者だから、なんて。そうやって誤魔化して、あたしを信じさせて。皆そうなんだから!」
「リナ!」
 次に突き出された剣を、ガウリイは避けずに、彼女の手首を掴むことで止めた。振り払おうと藻掻く左手も受け止める。
「一体どうしたんだ!? しっかりしろリナ!」
 その一喝が、効いたのか。怖いほど見開かれていた瞳から、ふと力が抜けた。同時に、四肢がくたりと折れる。
 また刺されるかと一瞬身構えたが、どうやら今度こそ気を失ったようだ。それを確かめると、ガウリイはほうっと大きな溜息をついた。今更のように冷や汗が出てくる。
「何だったんだ……?」
 呟きながら、腕の中のリナを見下ろし――ふと、気付く。
 掴んだままだった、小さな左手。僅かに血で染まったその薬指に、見慣れない輝きがあることに。











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