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「知らなかったな」 「何が……?」 愉悦を含んだ男の呟きに、女は熱っぽい囁きを返した。細い肩を抱き込むと、甘い吐息が耳にかかって、男は更に気分を良くする。 「あんたみたいな女が、こんな田舎町にいたなんてな。 こんないい女がいるって分かってりゃ、わざわざ隣町まで飲みに行ったりしなかったのになぁ」 堪え切れず、下卑た笑いが喉から漏れる。 「いつからいるんだ? こんな最上級の女が町を歩いてたら、気付かないわけがねえんだが」 興味本位で尋ねた男に、女は笑みを深くした。まるで、その問いかけを待っていたかのように。 「……ずっと」 男は聞いていない。女の背をまさぐるのに忙しい。構わず、女はうっとりと続けた。 「もうずっと、この町にいるわ……」 その一言を言い終わる頃には、男は女から離れていた。ぐらり、とその場に崩れる。悲鳴も上げずに倒れ伏した男を見下ろす女の手には、酒の空き瓶が握られていた。小さなガラス瓶は、その鋭い割れ口をねっとりとした血で濡らしていた。 意識の隅に乱れた気配を捉えて、ガウリイは足を止めた。 立ち並ぶ酒場通りの、終点に差し掛かった頃だった。辺りはすっかり暗くなっていて、町は深夜の顔を見せ始めている。酒場から漏れ聞こえる軽快な音楽、笑い声。 しかしガウリイは、明らかに人の集まりそうな場所よりも、そこから外れた裏通りへと視線を向けた。人気も、灯りもない。今にも細い路地の向こうから、何かが伸びてきて闇に引きずり込まれそうな――。 「……っ……」 視線を向けていた暗がりの向こうから、くぐもった悲鳴のようなものが聞こえて、ガウリイは今度こそ路地に踏み入った。細いそこを、積み重なった木箱や樽を押しのけるようにして進めば。 ――どさっ――。 唐突に、目の前に何かが倒れ込んでくる。先程の気配と一致していたので、ガウリイはさして驚かなかった。彼を驚かせたのは、もっと別のことだった。 地面に伏したまま動かない男を、たった今放り出したような姿で、そこに佇むのは。 「……リナ?」 問い掛けるような形になったのは、馴染んだ気配を感じられなかったからだ。いや、確かに彼女の気配はするが、それを覆い隠すように、何かが纏わりついている。 異質な雰囲気を持つ彼女は、目に映る姿も別人のようだった。印象的な眼差しも、生き生きとした表情も消え失せ、唇だけが異様に赤く浮き上がって。 「リナ?」 もう一度、今度は彼女の意思を確認するために呼ぶ。と、リナは突然、ガウリイの腕の中に飛び込んできた。 「お、おい?」 唐突な彼女の行動に、ガウリイが面食らう。反射的に小さな身体を抱きとめると、少女にそぐわない異臭が鼻を突いた。同時に、視界の隅に倒れた男の姿が入る。雲が切れたのか、薄く入ってくる月明かりに照らされて、その姿が浮かび上がった。 ガウリイの視力は、夜目には捉え難いそれをはっきりと捉える。男の影から滲み出るような、濃い粘質の液体も。 「!」 ガウリイがリナから身体を離したのと、鋭い銀光が彼の目の前を一閃したのとは、ほぼ同時だった。 「リナ!?」 愕然として、ガウリイは目の前の少女を見つめる。半ばから割れて武器と化したガラス瓶を、振り切ったままの姿勢で動きを止めた彼女を。 「……ふぅん?」 リナは愛らしい仕草で首を傾げた。愉悦の笑みを浮かべながら。 「避けるんだ? そう」 ぽい、と無造作にガラス瓶を手放す。代わりに、腰のショートソードに手をやった。躊躇いなく、抜き放つ。 「リナ!」 「そんなことだろうと思ったけど」 侮蔑を含んだ一言を漏らすと、今度は真正面から突っ込んでくる。 「どうしたんだリナ、よせ!」 大振りに左右されるショートソードを避けながら、ガウリイは叫ぶ。が、リナは止まらない。彼女らしくない、隙だらけの太刀筋で、ガウリイを追い詰める。 「端から信じてなんて、いないくせに」 「は!?」 唐突な言葉に、ガウリイが唖然とする。 「リナ?」 「信じてないから、避けたんでしょう。なのに、仲間だなんて。嘘ばっかり」 ぶん、と高い位置から剣を振り下ろす。 「保護者だから、なんて。そうやって誤魔化して、あたしを信じさせて。皆そうなんだから!」 「リナ!」 次に突き出された剣を、ガウリイは避けずに、彼女の手首を掴むことで止めた。振り払おうと藻掻く左手も受け止める。 「一体どうしたんだ!? しっかりしろリナ!」 その一喝が、効いたのか。怖いほど見開かれていた瞳から、ふと力が抜けた。同時に、四肢がくたりと折れる。 また刺されるかと一瞬身構えたが、どうやら今度こそ気を失ったようだ。それを確かめると、ガウリイはほうっと大きな溜息をついた。今更のように冷や汗が出てくる。 「何だったんだ……?」 呟きながら、腕の中のリナを見下ろし――ふと、気付く。 掴んだままだった、小さな左手。僅かに血で染まったその薬指に、見慣れない輝きがあることに。 |