BETRAY or TRUST

-9-

作:翠さん


 何もかもが、彼女を苛つかせる。

 町を歩きながら、しかしリナの気分は最悪だった。
 先程の食堂を、飛び出すようにして出てきた後。リナは真っ直ぐに宿へと向かっていた。
 いつもであれば、あれが旨いのこれが良さそうだのと批評を下しながら市場や屋台を巡るところなのだが。今のリナの心境は、それどころではなかったのである。
 原因は、自分でもよく分からなかった。先程のガウリイとウェイトレスとの会話のせいもあるだろうが、それより前から、どうにも精神的に不安定になっているようなのだ。周囲のざわめき一つ、相棒の仕草一つにも感情を刺激されて、仕方ない。
 今も。
 ちらり、と横目でガウリイを見る。一見、のんびりとリナの後をついて歩いているようだが、実際は違う。押し黙って、こちらの一挙一動を観察しているのがリナにも分かった。彼も、リナの機嫌が悪いことを気にしているのだろう。こちらに話しかけてくることはしないくせに、目だけが心配げにこちらを伺っていた。
 ――鬱陶しい。
 心の中だけで、リナは唾棄する。言いたいことがあるなら、ハッキリと言えばいいのだ。視線だけで機嫌を問われても、煩わしいばかりではないか。
 この男はいつもそうだ。黙って後をついてくるばかりで、自分の主張を前に出すことをしない。リナの決めたことには異を唱えずに従っているが、その実、裏で何を考えているのやら。
 今まで、こんなことは考えたこともなかった。ガウリイの心中を疑うなど。
 リナは一つ頭を振る。
 自分で自分が分からなかった。それまで、ガウリイは気の合う、良い相棒だった。多少過保護なところはあったが、それを鬱陶しいと思ったり、腹立たしいと感じたことはなかった。
 なのに、今はどうだ。ガウリイの視線一つにピリピリして、彼の本音を邪推して。そうして彼を疑う自分の方がどうかしているのだと、心の片隅で冷静に分析しながら、同時に、どうして今までこの類の疑念を思い浮かべもしなかったのだろうと思う自分もいる。
 そして、そんな自分の中の矛盾が、更にリナを不機嫌にさせた。
 苛つきを振り払うような速さで通りを過ぎ、しかし、気分が晴れないまま宿に辿り着いてしまう。
 何も言わずに宿に入ろうとしたリナだったが、
「どうしたの」
 振り返って、眉を潜める。ガウリイが唐突に足を止めたからだ。しかしガウリイは、のんびりと首を振るばかり。
「いや」
「何だって言うのよ?」
 煮え切らない態度に、リナは苛々と腕を組替える。何でもないと言うなら、さっさと宿に入っている筈だ。そうしない理由を、こちらは聞いているというのに。曖昧な返事を返すばかりの彼を、リナは強く睨みつけた。
 と、ガウリイはすまなそうに笑う。
「うん、ちょっと用事を思い出した。出かけてくるから、お前さんは戻っててくれ」
「……あ、そ」
 ――何処へ行くというのだろう? あたしを、宿に戻して。たった一人で。
 もやもやと胸中に広がるものを、どうにか抑えながら、リナはガウリイに背を向けた。






 ひらりと手を振って、リナはあっさりと宿に消えた。その背中を見送ってから、ガウリイはまた歩き始める。
 今の発言で、リナの不興を一層煽ってしまったことは明白だったが、仕方ない。ガウリイにも、やるべきことがあったのだ。
 宿を通り過ぎ、ひょいと角を曲がって裏路地へ。細い路地を数歩進んだところで、彼は不意に振り返り、思い切り腕を伸ばした。その腕に、まるで見計らったように、角を曲がってきた人間が引っかかる。
「え!?」
 いきなり喉元を掴まれて面食らったその人影は、しかし逃げることもできずにに路地の奥に引きずり込まれた。だん! と勢い良く壁に叩きつけられて、小さく咳き込む。
「ありゃ、悪かったな。素人さん相手にはちょっと力が強すぎたか」
 押さえつける腕の力はそのままに、ガウリイはのんびりと言う。
「ちょっと今日は、オレも余裕がなくてな。朝からずっと後をつけられて、益々いい気分じゃないし」
「き、気付いて……」
「ま、一応その道で食ってるんでね」
 相手のあからさまな怯えを見てとって、ガウリイはするりと腕を離した。
「で、あんたは? オレの後を追ってきたってことは、リナじゃなくてオレに用があるんだろ?」
 尋ねると、相手は真っ直ぐにガウリイを見返してきた。その顔に見覚えがあるような気がして、ガウリイは目を瞬かせる。
 褐色の瞳、短い髪。そして――右手の包帯。
「あんた……」
「ロレンス=クロックだ。昨日の朝、宿で会った」
 言われて、ガウリイもやっと思い出す。
 そう、確か、殺害された女性の婚約者だとかで、事件のことを聞きに来た――。
「そのあんたが、オレに何の用だ? 事件のことなら、オレはあまり詳しい話は――」
「あんたの相棒のことだ」
 ぴくり、とガウリイが反応する。無言で先を促すガウリイに、ロレンスは続けた。
「彼女――あの事件以来、変わった様子はないか? 妙に怒りっぽくなったり、時折姿を消したり――」
「……何を、知ってる?」
 鋭い視線で睨まれて、ロレンスはごくりと喉を鳴らした。
「知らない……俺も、分からないんだ。だが、もし心当たりがあるなら」
 呻くような低い声だった。
「彼女が指輪を持っていないか、確かめてくれ」
「指輪?」
 ガウリイは眉を顰める。
「指輪って、どうしてだ? リナと何の関係が――あっ、おい!?」
 唐突に身を翻したロレンスを、ガウリイは慌てて引き止めた。
「さっぱり分からん。何か知ってるなら、教えてくれ!」
「俺にはもう、これ以上は言えない。ただ、もし彼女が指輪を持っているなら――」
「持っているなら?」
 ガウリイの問いかけに、ロレンスは僅かに躊躇いを見せた。が、何かを振り切るように頭を振る。
「……捨ててくれ。川か、海か……どこでもいい。誰の手にも渡らない所へ。
 何もかも、あれのせいなんだ……!」
 言い捨て、ロレンスは今度こそ駆け出した。あっという間に人込みに紛れて消える。
 追いかける気になれず、ガウリイは呆然とそれを見送った。これ以上の追求は無駄に思えた。
 それに、宿にはリナがいる。彼女が不安定な今、不用意にリナの傍を離れることは、今はしたくなかった。
 ロレンスの言葉が引っかかる。指輪。リナの情緒不安定。唐突な不在。
 そういえばリナは、ずっと手袋を嵌めたままだった。それに昨日、リナの手に触れた時。グローブの下、はっきりと感じ取れた硬い感触。思い当たることは幾つもあった。
 リナに会って、確かめなければならない。リナはまた不機嫌になるだろうが、構っていられない。この際、多少強引な手を使ってでも。
 つらつらと考えながら、宿の入り口をくぐる。と。
 覚えのある感覚が、ガウリイの背筋を痺れさせた。慣れ親しんだ気配が消えたことに、唐突に気付いた時の、あの寒気が走るような感覚。
「またかよ……っ」
 吐き出しながら、ガウリイは階段を駆け上がる。
「リナ!」
 ノックもせずに扉を開ければ、案の定。つい数分前、宿に入っていったばかりの彼女の姿は、その部屋のどこにも見当たらなかった。


 半分開いた窓の向こうで、日が、また暮れようとしている。
 











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