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ガウリイは首を捻った。 今朝は、何かが少しずつ、おかしい。 例えば、食事の間も嵌められたままのリナの手袋。例えば、リナに取られることもなく、皿に乗ったまま自分に食べられるのを待っているハムエッグ。例えば、心なしか言葉少なな、リナ。 おかずの取り合いにもキレがなかった。今一つ調子が乗らないらしく、リナ自身も、そんな自分に首を傾げているようだった。おかげで、ハムエッグは無事に確保できそうなのだが。 普段なら、リナの攻撃を掻い潜って一口で飲み込まなければならないハムエッグをわざわざ切り分けながら、ガウリイはリナを伺った。 「どうした、リナ。具合でも悪いのか」 「ん〜、そういう訳じゃないんだけど……」 海藻サラダをつつきながら、曖昧な答えを返してくる。が、リナの不調は明白だった。朝、顔を合わせた時から眉が絞られたままだったし、何より食事を楽しんでいない。夕べの夕食には、こちらが幸せになるほど舌鼓を打っていたというのに。 「なあ、今日は暇なんだろ? だったら、一日部屋で休んだらどうだ? 昨日は色々あったし、疲れてるのかもしれないぞ」 「だーから、大丈夫だってば。気にしないで」 「でも……」 「しつこいわよ」 ぎろりと本気で睨まれて、ガウリイはおや、と思う。普段の彼女なら、『過保護者ねぇ』と呆れられて終わるところなのに。 機嫌のリミットがいつもより低いようだ。悟って、ガウリイは素直に引き下がる。 と、その時。 「あの」 横から声がかかって、二人は同時に振り返った。視線の先には、おずおずとこちらを伺う青年が一人。 年の頃はガウリイとそう変わらない。短く刈った髪と同じ褐色の目が、せわしなく周りとこちらを行き来していた。どうやら、人目を気にしているらしい。青年にとっては幸いなことに、朝食時で騒がしい店内の人々は、誰もこちらに注意を向けてはいなかった。 「突然すみません。あなた方が、昨夜の事件を目撃されたという方ですか?」 「そうだけど。何か用?」 リナに見据えられて、青年は返答に躊躇したようだった。落ち着きなく両の手を擦り合わせる彼に、 ガウリイは遅ればせながら気付く――怪我をしている。服の袖から、腕に巻かれた真白い包帯がちらついていた。 とうとう覚悟を決めたのか、青年は真っ直ぐにリナを見返した。 「指輪……ステイシーの指輪を、ご存知ありませんか」 彼の一言を聞いた途端、リナの様子が変わった。 といっても、顔色が変わったわけではない。リナは完全にポーカーフェイスを保っていた。ただ、フォークを握っていた手が完全にガードを忘れて、ガウリイの侵攻を許すことになった。ガラ空きになったリナの腕をくぐり抜けて、皿からウィンナーを奪い取ることに成功する。 リナは。 ガウリイがウィンナーを攫っても、そのウィンナーを口元に運んでも、咀嚼して飲み下しても、自分の失態に気付かなかった。 ――その間、たったの数秒。 「さあ? 知らないわ」 リナは首を振った。あくまで自然に。 「そんな……!」 リナの返答に、青年は愕然とした。 「昨晩、ステイシーが嵌めていた指輪です。本当にご存知ありませんか!? あれは――」 縋るような面持ちで問う彼に、リナは視線をきつめた。 「いきなり来て、何なの? そもそも貴方、誰」 リナに睨まれて、青年は言葉に詰まる。 「ぼ、僕は――」 「ロレンス!」 答えたのは別の声だった。店の奥から出てきた男が、足早にこちらのテーブルへと近づいてくる。 「どうしたんだ、こんな所で。インバースさん達に用だったのか?」 「……いや、もう済んだ。何でもないんだ」 力なく首を振る青年の肩を、男が慰めるように叩いた。 「事件のことでも聞いていたのか? 捜査は僕らに任せろって言ったろう。隊長から、休暇の命令が出ているんだろう?」 「ああ……」 「こんなところにいるのがバレたら、不味いじゃないか。帰って休めよ」 促されて、青年は今度こそ出口へと向かう。その背中を見送ってから、割り込んできた男は小さく頭を下げた。 「お食事中にすみませんでした、インバースさん」 「ってことは、貴方がこの宿の息子さんの、警備隊員さんかしら?」 「はい! 警備隊伝令係・フレッド=タクスと申します!」 ピッと敬礼を摂る若者に、リナはふうんと気のない相槌を打った。店を手伝っていたためだろう、白いエプロンに、警備隊の礼は酷く似合わなかった。 「で? 今のがステイシーさんの婚約者?」 「はい。ロレンス=クロックです」 「今の様子からして、彼も警備隊員なの?」 「はい。ただ、今回の捜査からは、彼は外されてしまったんです。隊長の判断ですが、本人は納得していないようで――。 すみません、彼が何か、失礼なことでも……?」 心配そうに伺うフレッドに、リナは首を振った。 「いいえ。ステイシーさんのことを聞きたかっただけみたいよ。気にしないで」 言うと、警備隊員はほっとしたようだった。『どうぞごゆっくり』と言い置いて、また店の奥へ引っ込んでいく。 フレッドを見送って、リナは大きく溜息をついた。 「馬っ鹿みたい。あんなに顔色伺って」 ガウリイは目を丸くした。 心底呆れ返った、そして苛立ちさえも含んだその悪態は、とてもリナらしくないものに思えた。形のいい眉が嫌悪に歪み、もう見えなくなった警備隊員の背中を、未だ睨みつけている。 朝から漠然と感じていた違和感を、ガウリイははっきりと知覚した。 これは――まずい。多分、良くない兆候だ。 「リナ」 「あたし、部屋に戻るわ」 「リナ!」 呼びかけを無視して席を立ったリナを、ガウリイはすぐさま追いかけた。部屋の前まで来たところで、ドアノブにかけられたリナの手を掴む。 返って来たのは、刃物のように鋭い視線。 「何よ」 「どうしたんだ、リナ」 「どうもしないわ。仕事もないし、お互い好きに過ごしましょ。それでいいでしょ?」 強引に話を切り上げようとするリナに、ガウリイは彼女の手を握る力を強め――ふと、手の下の違和感に気付く。 滑らかなグローブの、その下。指の根本に当たる場所の、小さな固い感触は。 「リナ……お前」 「うるさい! 放っておいてって言ってるでしょう!」 激昂されて、ガウリイは思わず手を引いた。 声に驚いていたのは、ガウリイだけではなかった。リナの方が、自分が叫んだことが信じられない、というように愕然としている。遅れて口元に持っていかれた手が、微かに震えていた。 「……リナ」 「ごめん……そんなつもりじゃ」 ゆっくりと、リナはかぶりを振る。 「ちょっと、疲れてるみたい。ごめん、ガウリイ」 「気にするな。 ……そうだな、昨日は色々あったからな。ゆっくり休んだ方がいい」 「うん……そうする」 ガウリイからは視線を外したまま、リナは扉の内側へと消えた。 部屋の中で、微かに物音が聞こえた後、リナがベッドに入った気配が伝わっても。 ガウリイは、ドアの前に立ち尽くしていた。 |