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溜息を深呼吸に換えて、リナは気合を入れた。 ノックする。 返事はない。 アリエルは部屋に閉じこもり誰とも会おうとしない。 周囲の言葉が正しい事を裏付けていた。 「入るわね」 声でリナとわかったのだろう。 部屋の幼い主はさらに深く布団に潜り込んだ。うつ伏せに丸まって布団を自分の体に隙間なくかき寄せた。 軽快に響く足音がベッドまで進んだ。 ぴたりと止まったの察知し、アリエルは両耳を塞いだ。誰とも話などしたくなかったから。 なのに。 「きゃあっ」 耳を塞いでいた両手を思わずシーツにつき、アリエルは呆然と半身を起こしていた。座り込む形でベッドのそばに立つ人物を見上げる。 なんとも豪快に、というか乱暴に布団を剥ぎ取った人物は、それをそのまま後ろの床へ放り投げた。 ばさっっと音がたち、風が起こる。 「リ、ナ?」 それは見知らぬ珍客だった。 アリエルの知っているリナは、年上なのに可愛くてお茶目なお人よしの侍女だった。 魔道士姿に身を包んだりナはひと回り大きく見える。 背筋を伸ばし胸を張った凛々しい立ち姿。 好戦的な顔つきと輝く意志の瞳。 彼女はあのリナ=インバースなのだ。もはや疑いようもなく。 「リ、ナ?」 呆然としていたアリエルだったが、次の台詞でかっとなる。 「どうして部屋にこもってるわけ?」 「なっ、どうしてですって?わからないのそんなことも!?」 「わからないわね」 非情だ。これがリナ=インバース。あの、リナ。 信じられない。けれど信じられない現実などいくらでもあるのだと今は悟っていた。 「何の、用」 自棄になったようなその姿は先夜のアランを彷彿とさせた。 さすが兄妹。本来ならば微笑ましさを感じて不思議のないそれは、だからこそほろ苦い。 「城を出るから、お別れの挨拶に」 「ああそうご勝手に。さようなら」 ふて腐れた子供ではなかった。投げ遣りな態度など取れる子でもなかった。こんなふうに暗い顔の似合う少女でもなかった。 「随分冷たいのね」 「冷たい、冷たいですって?それはあなたでしょう!? 侍女なんかじゃなかったくせに。私を騙していたくせに。嘘つき!!」 違う。本当は違うのに。リナは自分を守ってくれていただけなのに。 リナが少しだけ目を瞠ったのが印象的だった。 傷つけてしまった。 後悔がアリエルを素直にさせた。 「ごめ、ごめんなさい。悪いのはリナじゃない、悪いのは私。何も知らなくて気づかなくて。 私なんて生まれてこなければよかった!!」 アリエルは完全に囚われれていた。アランの憎悪に。 無理からぬ事だ。 うつむいた顔からぽたぽたと涙がこぼれ、みるみるシーツが濡れていく。 「生まれてこなければよかった」 嗚咽交じりの小さな悲鳴は耳よりも心に痛い。 泣きたいだけ泣かせるつもりなのか、リナはその光景を見つめていた。 しばらくすると、いい加減涙も枯れる。嗚咽が小さくなり、押し殺した声も聞こえなくなる。それを待っていたかのようにリナは周囲が隠していた知らせを告げた。 「あなたが生まれた事を恨む人はアラン皇子だけだわ。しかもその彼はもういない」 アリエルがばっと顔を上げる。 「昨日の夜、自ら命を絶ったわよ」 「あ、あ・・・」 唇がわなわなと震え、再び、ようやく乾いていた涙が溢れ出す。 「あなたを恨む人はもういない」 「だからどうだというのっ」 なぜこんな知らせを聞かなければならないのか。リナが憎いとさえ思った。 「あなたの誕生を恨む人はもういない」 そんな事は慰めになりはしない。それでもリナは同じ言葉を繰り返し、窓際に進んで外を眺めやる。 唇をかみ締めて睨んだその横顔が太陽の下だというのにひどく青ざめていて、アリエルはぎょっとした。 暗い闇に飲み込まれる。 そんな恐怖を肌が感じた。 「でも、あたしの誕生を快く思わない人がこの世界にどれだけいると思う?あなたが‘死んだ方がいい人間’なら、あたしはどうなるの?たくさんの人の犠牲の上で生きているあたしは?この世界の未来の為にもさっさと死んだ方がいいかもしれないあたしは?生まれてこなければよかったの?どうなの?」 「そ、んな」 そんな質問に答えられるはずもない。 「たとえ生まれてこなければよかった。さっさと死んだ方がいい。そう責められても、あたしは生きるわ。生きなければならない。たった一人でもあたしの誕生日を祝ってくれようとする人がいる限り、あたしが生きる事を望む人がいる限り、あたしは生きたい。あたしにとって死ねない理由はそれで十分」 言葉を区切り、リナはアリエルに視線を移した。 「あなたはどう?」 答えなど期待していなかったのか、リナはそれきり押し黙り退室した。 一人残された部屋で。涙は相変わらず流れていたけれど。何かをかみ締めるように、自分を言い聞かせるように、アリエルは何度も何度もうなずいていた。 祭りの真っ只中、二人は城から旅立った。 喧騒がすっかり遠くなった街道で、リナが後ろに話しかける。 「この調子なら、予定通り葡萄の季節にゼフィーリア入りできそうね」 「そっか」 「あたしの誕生日はその後なの」 「リナ」 ガウリイが足を止め、リナが振り返った。 「お祝い、してくれるんでしょ?」 ゆっくりと、ガウリイに笑みが広がった。 「ああ」 「あたし、欲しいものがあるの」 「何でも買ってやるよ。なんだ?」 「秘密」 「・・・そっか」 「そうよ」 ガウリイの一生が欲しい。その言葉は、彼女の誕生日に彼女の口から聞くことができる。そのことを、ガウリイはまだ知らない。 ふと思いついて、ガウリイは疑問を口にした。 「そういやおまえさん、最初から…えーとなんだっけ、犯行を宣言していたなんとか団体、アレが犯人だって可能性は全然考えてなかったみたいだけどなんでだ?」 「ああ。 …あのね、ゼフィーリアって誰が治めてると思う?」 「たしかエターナル・クイーンだっけ。あ!!」 「そう、女王様なのよ。あいつら前に、よりにもよってエターナル・クイーンに喧嘩売ったのよ。公にはされてないけどね」 「で、そいつらどうなったんだ?」 「うちのねーちゃんが叩き潰した」 「へえ」 「そりゃあもう容赦ってもんがなかったわよ。悪党に同情したのはあのときが最初で最後だわね。そのうえきっちり残党狩りやったもんね。 全然別の団体ならともかく、復活なんかできるはずないのよ」 彼岸に旅立つかのような表情で昔を思い返すリナを見て、彼女の実家を訪れるのがちょっと恐いようなガウリイだった。 「それにね」 まだ何かあるのかとガウリイが顔を上げると、立ち止まり振り向いたりナが待っていた。 「ガウリイがアラン皇子の事、あんまり快く思ってなかったみたいじゃない?だから。 あたし、あんたの勘は自分の推量より信じてるのよ」 「あ、あれは」 後ろめたさと嬉しさでガウリイはむず痒い気分になった。 少しだけアランに嫉妬していたからだとガウリイが打ち明けるのは、まだ大分先の話。
Fin. |