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『病める時も、健やかなる時も、か』 ぽつりと呟く、声。 『嘘っぽいわね、何だか。 永遠なんて、誰にも約束出来ないのに』 告げる調子は明るい。しかし、裏側に皮肉めいた響きも含んでいた。 『あたしは、そんな不確かな約束、出来ないわ……』 『別にいいんじゃないか? 不確かでも』 女の声に、男が答える。 『先のことなんて誰にも分からないんだし。 約束って、そんなもんだろう? 何があるか分からない先の時間を、どうにか相手に差し出したいと思って、約束するんだ。 大事なのは、その時の気持ちだよ。その約束を何が何でも叶えてやろう、っていう気持ち』 応える声に、迷いはなかった。 『オレは、お前さんとの約束だったら、どんなことでも叶えたいって思ってるぞ? だから。 約束してくれ、リナ――ずっと、永遠にオレと一緒にいるって』 『――いるんでしょう? 出てきて』 あたしの呼びかけに、彼女はあっさりと応じた。白い靄に覆われた世界に、鮮やかな色彩の少女が現れる。 彼女は微かに微笑んだ。その眼差しには、あたしへの哀れみが含まれている。 『まだ、引き返せるわ』 彼女は言う。 『また、自由を返してあげる。 あの人のことを忘れたら、貴方は望みどおり、自由になれるんだから。 全部忘れて、自由になって』 『勝手なこと言わないで』 返す言葉の怒気は抑えず。あたしは少女を睨みすえた。 『あんたなのね? あたしの記憶を奪ったのは』 少女は何も答えなかった。しかし、否定もしない。それを返答と受け取って、あたしは声を荒らげる。 『答えて! それを望んだのは、誰なの。ガウリイなの? ガウリイがそう望んだから、あんたが――』 『それは、貴方』 少女はさらりと栗色の髪を揺らした。 『彼でも、私でもない。貴方が望んだの』 『でも……だって!』 あたしは絶叫していた。目の前の、あたしに良く似た少女に向かって。 『あんたは、あたしじゃないの――!』 少女はふわりと笑っただけだった。 何度も味わった重苦しさと共に、あたしは目を開けた。 柔らかな月の光。それに浮かび上がる白い天井、白い壁。明かりこそ乏しいが、初めて目覚めた時が再現されているように思えた。その時を思い出し、ゆっくりと首を巡らせる。と、やはり同じ場所に、彼がいた。 「……ガウリイ……」 ガウリイは答えるように微笑んだ。 「心配しなくていい。身体は何ともないってことだから。 ……気分は?」 ゆるゆると首を振る。柔らかくあたしの髪を梳く彼の手に、頬を摺り寄せて。 「どうして、言ってくれなかったの? ……結婚のこと」 尋ねると、ガウリイは僅かに反応した。髪を撫でていた手が止まる。 「思い出した……のか?」 「ううん。 けど、見たの。礼拝堂にあった、聖書」 「ああ……アメリアの」 こくん、と頷く。 「ガウリイ、あたしを礼拝堂に近づけないようにしてたよね。それは、あれを見られたくなかったからなの?」 じっとガウリイを見つめて、問う。 「結婚のことを、思い出させたくなかったから――?」 「違う、リナ。そうじゃない」 「でも、さっきは――」 『リナには昔のことを教える気もないし、教える必要もないと思ってる』――ガウリイは言った。これは、ガウリイ自身が、あたしに何も思い出させたくなかったからではないのだろうか? 言葉を途切れさせたあたしに、ガウリイは申し訳なさそうな顔をした。 「すまん、不安にさせたな。オレの言い方が悪かった」 頭を深く下げるガウリイ。 「アメリアにも叱られたよ。『あんな言い方酷すぎる』って。 でも、オレが『記憶なんて関係ない』って言ったのは、リナのことがどうでもいいから、とか、記憶を取り戻させたくなかったから、とかいうわけじゃないんだ」 「じゃあ、どうして――?」 思わず身を起こしかけたあたしを、しかしガウリイは止めなかった。代わりに、あたしの肩を支えるように手を廻してくれる。どきりと緊張を走らせたあたしを落ち着かせるように、彼はあたしの肩を撫でた。 「リナは、愛情って何処から来ると思う?」 「え……」 唐突に問われて、あたしは言葉に詰まる。そんなあたしに、ガウリイは笑った。 「いきなり言われても困るよな。 ――オレはさ、リナ。愛情ってのは時間の積み重ねだと思うんだよ」 「時間?」 「そう。一緒にいる時間が長ければ長いだけ、愛情ってのは深まるもんだと思ってる」 言うガウリイの口調には、確固たる響きがあった。 「例えば、だ。オレが事故に遭って、顔が変わっちまったとするだろ? お前さん、どうする」 「どうって」 話が見えない。あたしの困惑を見て取ったのか、ガウリイは更に加えた。 「だからさ、目が潰れて、鼻なんかひん曲がっちまって。二目と見られないような、酷い顔になっちまったらさ。お前さん、今と同じに話したり、こうして触れさせたりしてくれるか?」 「ば、馬鹿言ってんじゃないわよ! あんたはあんたでしょ!? だったら何も――」 変わらない、と言いかけて、ガウリイのあんまり嬉しそうな顔に気付いて、あたしは口を噤む。 「そうだよな。オレはオレだよな。 じゃあ、事故のせいで性格まで変わっちまったら? 卑屈になって、部屋に閉じこもったきり出てこなくなったら。どうする」 「ンなの決まってるでしょ。外に引きずり出して、根性叩き直してやるわよ」 即座に言ったら、ガウリイは吹き出した。 「お前さんらしいなぁ。 まあでも、そうだよな。顔とか性格が変わったからって、いきなり嫌いになるなんてこと、ないよな? それってさ、オレと過ごしたこの何日かの間に、少しはオレのこと、好きになってくれたからだよな?」 「す、好きって」 「少なくとも嫌われてはいないと思ってるんだけど。違うか?」 そう言われると否定できない。躊躇いながらも頷くと、わしわしと頭をかき回される。 「良かった。 ……とまあ、例えが長くなったけどさ。相手の何かが変わっちまっても、一度好きになった相手のことは、やっぱり好きでいられるもんだと思わないか? 顔が変わっても、性格が変わっても、……記憶がなくなっても」 どきりとしてガウリイを仰ぐと、しかしガウリイは、いつもと変わらぬ笑みを浮かべていた。 「リナがオレのことを覚えてないって分かった時、思ったんだ。 例えリナが覚えてなくても、オレがちゃんと覚えてる。リナと過ごした時間も、リナが通ってきた道も、何もかも。 だから、リナの記憶がなくても構わない。オレは、オレがリナのことを好きだってことさえ分かってれば、それでいいって――」 ――この人は。 あたしは何も言えなくなって、ガウリイの胸に顔を埋めた。ガウリイは、そんなあたしを柔らかく包んでくれる。 夢の中の温もりが、またあたしに返ってきたようだった。 「でも、それで却って不安にさせちまってたんだな。悪かったと思ってる」 あたしの髪を撫でながら、ガウリイは囁く。 「あたしは……あたしは、ガウリイが、何もなかったことにしたいのかと思ってた。今まで一緒に旅したことも、結婚のことも」 「そうか」 「あたしはガウリイがどんな人で、どうしてあたしに優しくしてくれるのか知りたかったの。 だけどガウリイが何も話してくれないから、不安になって、それで――」 段々と小さくなる言葉を、ガウリイはちゃんと聞いていてくれた。抱き込んだあたしの頭に、ガウリイの額がこつん、と当たる。 「ごめんな。 ただ――オレも迷ってたんだ。全部を思い出すことで、お前さんがまた苦しむんじゃないかと思ったから」 「あたしが……?」 「話すよ。オレが知ってることは、全部」 ぽつり、ぽつりと。 ガウリイは話し始めた。 |