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それは、3年前の夏のこと。 伊豆の邸に、京に勤める貴族が、避暑のために訪れていた。 貴族には、娘がいた。 名は、由嘉里(ゆかり)。 箏と琵琶の名手で、透き通るような歌声を持っていた。 そして美女であり、巷の男達は、由嘉里の心を誰が落とすか、賭をしていた。 由嘉里にアプローチを駈けたのは、賭に加わっていた貴族だった。その貴族は、伊豆の漁村を治めていた。 貴族は、由嘉里に文を書き、熱心にアタックを繰り返していた。 由嘉里は心を動かされ、2人は深い仲となっていった。関係を持つのも、時間の問題だった。 だが、貴族には妻子があった。正妻は天皇家の血筋を組む者であった。一方の由嘉里は、父親が貴族で京で勤めているものの、宮廷内ではあまり権力を持っていなかった。 野心家な貴族はそのことを知ると、由嘉里のことに見向きもしなかった。 由嘉里はやがて、貴族の子を妊娠した。 だが、貴族が自分を落とせるかどうかの賭をしていたことを知ると、由嘉里は貴族の館に乗り込み、正妻と幼い3人の子をメッタ刺しにして殺し、村の井戸の傍で自らの腹を裂いて子を取り出した後、その身を井戸に投げた。 清らかな心を持った歌姫は、一瞬にして夜叉と変わり、死した後も貴族を呪い、井戸で貴族に復讐する機会を待っていた。 井戸の水が濁ったのは、弄ばれ夜叉となり、非業の死を遂げた由嘉里の思いだったのだ。 有輝は由嘉里の残留思念から、彼女の悲恋を聞いた。 「あなたは苦しんだ・・人を殺めたけれども、あなたはここで苦しまなくてもいい・・安らかに、成仏しなさい。」 有輝はそう言うと、井戸に向かって呪文を唱えた。 すると井戸の中から、白い光をまとった、女が出てきた。 由嘉里だ。 『わたくしは・・本気だったのに・・』 無念の涙を流す由嘉里。 有輝は、貴族の館に向かった。 「井戸はどうだ?あれからどうなっておる?」 「失礼ですが、由嘉里という娘をご存知ですか?」 貴族の顔が青ざめた。 「彼女は、あなたに言いたいことがあるようです。」 有輝がそう言うと同時に、由嘉里が現れた。 「ゆ、由嘉里・・お前は死んだはず・・」 由嘉里は手に太刀を持っていた。 「許してくれ・・許してくれぇ!」 『許さぬ・・よくも弄んでくれたな・・』 館に、悲鳴が響いた。 有輝は館を振り向かずに、去っていった。 あれから数日経ち、井戸の水は元通りになった。 貴族は館で、腹を裂かれ殺されていたという。 有輝はまた、過酷な労働に耐えていた。 夜、眠っていると、枕元に人の気配がした。 有輝が起きると、そこには由嘉里が立っていた。 由嘉里は優しい笑みを浮かばせていた。 『お礼を、言いに参りました。』 そう言った由嘉里の表情は穏やかだった。 「礼などいいのですよ。私はあなたをあの井戸から解放したかったのです。苦しかったでしょう・・」 『私の苦しみは終わりました。ようやく成仏できます。あなた様のお陰です。』 「来世で、幸せになりなさい。」 『ありがとうございます、ありがとうございます・・』 由嘉里は何度も有輝に礼を言うと、消えていった。 井戸の件で、有輝は一躍、その名が村で有名となった。 「あれだよ、あれが土御門有匡の嫡子だよ。」 「あの土御門有匡の・・何故こんな辺鄙なところに?」 「それがな・・」 有輝が有匡の嫡子であることと、伊豆の辺鄙な村に来たいきさつが、たちまち村中に広がっていった。 有輝はそんなことも知らなかった。 非業の死を遂げた歌姫・由嘉里。 悲しい出来事ですね。 身勝手な男に振り回されてた女の末路・・由嘉里は自分を弄んだ男を殺して成仏しましたが。 有輝君のことが村の噂となる。 宮中に戻る日は、間近かもしれません。 Novel&Message by 千菊丸さん |