Midnight Rain

作:ナーヤさん

 夜半過ぎの雨。静かに降るくせに、それは容易に人に気配を明かす。今は、外に出る時間ではない、と。



 屋根、窓、建物にあたってしたたりおちる。特有の静かな、それでも少し、耳障りな.........かすかに音がする.........夜の雨。
 とうとう降り出したか。
 軽く舌打ちをする。雨の中を帰るとなると......少々厄介だという忌々しさが先にたつ。濡れて帰るのはしゃくだが、仕方が無い。
 衣服を身に着けるために起き上がろうとして、腕を引かれる。体勢の悪いときにやられたせいで、おれとしては珍しく、今までいた寝台のなかに倒れ込む形となった。
「私は誰の身代わりなの?」
 おれの腕を引いた女、少女といっていいくらいの年齢の女が恨めし気な表情で、おれを見る。
「.........なぜ、そう思ったんだ?」
 腕をはずしながら尋ねる。そんなことをとわれる理由はなかった。純粋に、女を抱きたい気分だったから、この女を買った筈だ。
「そうね...まず、私の名前って、分かる?」
 名前?......名前は.........
 最初に聞いたはずなのに思い出せないことに忌々しさを感じる。普段なら、抱いている女の名は別れるまでは忘れはしないのだが。
 抱いている間は、その女の名を呼んでやることにしている。それが、道具(もの)ではなく、女性を相手としているのだということの、最低限の礼儀だと思っているから。
 なのに、な。
「......すまないが......」
「覚えてないでしょ。」
 先程の恨めしそうな表情が嘘のように、くすっと彼女が笑う。長い髪を腰まで垂らしている、まだ、若い、幼いあどけなさが微かに残る少女。
 いつからおれは、この年齢の娼婦を買うようになったのか。
「だって、あなたは一度も私の名前を呼んでくれなかったもの。それなのに、すごくやさしく扱うのだから。」
 そういって、じっとおれを見つめる。
「どうせ忘れるだろうけど、もう一度言っておくわ。私の名前は、アヤよ。」
 アヤ。確かに、最初に聞いたのが、そんな名前だった。珍しい名だと思ったのを覚えている。それに、あいつと同じ、二文字の名前。
「ああ、覚えておく。」
 そういうと、アヤは笑って首を振った。
「無理だと思うわよ。......だって、あなた、私を抱いている間、ずっと、他の女の名前をよんでいたんだもの。」
 ぎょっとした。全く、覚えが無い。おれの表情を見たのか、女はあきれたように、首を振った。
「あきれた。覚えてないのね。」
 じゃあ、いいわ、でも、誰を呼んでいたのかは教えないから。彼女はそう言って、くすくすと笑う。自分がなんて言っていたのか気にならないといえば嘘になるが、逆に、聞くのが恐かった。
 おれは寝台から降りる。脱ぎ捨ててあった衣服を身にまとっていく。帰らなければ。
「......それにね、」
 そういって、彼女は寝台の上で、シーツをまとって、起き上がる。着替えをしているおれに向かって、濡れた声で独り言のように、呟く。
「こんな雨の中、どうして帰ろうとするの?この雨は、朝には止むから、やんでから帰ればいいのに。」
 どうせこの部屋、朝までいられるだけのお金は払ってあるのだから。そういって、彼女は、艶めかしい表情で、おれを見つめる。おれは彼女の言葉を無視して帰り支度を整える。
 金はもう、払ってある。
「それとも、誰か、待ってるのかしら?」
 じろっと彼女の方を見る。それだけの反応でも、彼女は気をよくして、おれを見て、笑う。
「そうね、女を抱きに出たことを知られたくない人がいるのかしら。」
 ......とっさに反応することができなかった。そのことに、おれ自身戸惑う。
「雨が止む朝まで待ってたら、その人にばれてしまうものね。雨が降っていようが、今のうちに帰らないと、確かにまずいわよね。」
 おれの反応を見ているくせに、素知らぬ顔をして女がいう。
「......別にそういう訳じゃあない。」
「じゃあ、どうしてこんな時に帰ろうとするのかしら?」
「出かけたのを知られたくないんだ。」
 ふーんと、いいたげな表情をした。
「知られたくないのは、女を抱きに出たことじゃなくて、出かけてた事だって、あなたは言うんだ。」
 おれは頷く。
「夜に出かけてたなんていうと、うるさい。」
 あたしが出かけるのは、うるさく邪魔するのに、と。夜出かける理由が、そもそも違うだろうが。いい加減危険だと思ってくれればいいのに。あいつは、嬉々として、出かけていく。
「宿に、お連れさんがいるのよね。」
 少女がおれをじとっと見る。
「あてましょうか。女でしょ。」
「おいおい。」
 おれは思わず苦笑した。ニュアンスが違う。
「女って、単なる旅の連れだ。大体まだあいつは子供だぞ。」
 にっと、少女は笑う。
「でも、知られたくないのは、彼女に、でしょ。」
 当然だろう。
「知られたら、あいつだって好きなところに行きかねないからな。」
 盗賊いじめは危険だから止めろといっているのに、ききやしないんだあいつは。そう考えていると、少女が、あら、と声を上げた。
「いいんじゃないの?彼女だって、夜の街で遊べばいいのに。面白いじゃない。」
 この街の夜は、と。彼女は言葉を続ける。そっちもそっちで問題だな。
「まだ、こんなところに来るには、早いさ。あいつはまだ、幼い。」
「いくつなのかしら?」
 さて、出会ったときがあの年齢だっていってたからな......今は.........
「17には、なったんじゃないのか?」
 彼女があきれたように笑う。
「17は、子供なの?...老けて見えるかもしれないけど...わたしだって、17よ。もう、十分大人。それは、わかってもらえたわよね。」
 婀娜めいたしぐさでおれにいう。...............たしかに。否定できず、おれは思わず苦笑した。
「過保護なのね、保護者さんは。」
 保護者、か。あったときから、目を離せない子供だと思っていた。確かに、あれからずいぶん経った。にしても、まだ、守るべき...対象だ、あの少女は。
「あいつを一人でほっておくと、何をするか、分からないからな。」
 答えながら、枕元、手の届く範囲においておいた剣を、取る。
 そのおれの動きを見ながら、ふーん、と、少女が相づちを打つ。
「寂しがりなのね、あなたの妹さんは。だったらたしかに、夜出かけてたなんて知ったら、拗ねられちゃうわね。」
 歳の離れた妹って、可愛いっていうものね。彼女の言葉に、剣帯につけようとしていた剣を取り落とした。
「妹じゃないぞ。」
 彼女が、驚いたように、おれを見る。
「え?」
 じゃあ、なんで?
 彼女が口の中で呟いた言葉が聞こえた。
「なんで、かわりを抱く必要があるの?」
 何?拾い上げようとしていた剣が、手からこぼれおちる。
「どういう意味だ?」
 彼女がじっとおれを見つめていた。先ほどまでの余韻は全くみせずに。
「あなたはね、私を抱きながら、ずっと、他の人の名前を呼んでたの。...まあ、こういう商売だから、―私だって、少しは長いのよ。まだ幼いかんじが残ってる方が好みっていう人の相手もさ、してたから。...だから、誰かの代わりに抱かれてるんだなっていうのは別にかまわなかったの。でも、あなた、あまりにも優しく抱くんだもの。すごくすごく、その相手がうらやましかったわ。」
 おれは何も言えずに、彼女の言葉を聞いていた。
「だから、ほんのちょっといじめるつもりで聞いてみただけだったのよ。妹とか、手を出しちゃいけない人相手だと思ったし......でも、ね。」
 彼女が静かにおれに問い掛ける。
「妹じゃないんでしょ?だったら、何で代わりなんかを抱くの?」
 いわれたことが理解できなかった。代わり?何を言っているのだろうか。
「......もしかして、分かってないの?」
 分かってない、なにを?おれの表情を見て、彼女は笑い出す。
「ほんっとうに、自分がなにをしてるか、わかってないんだ。すごいよね。」
 少女がくすくす笑う。
「教える義理はないんだけどなあ.........」
 何の話だ?おれは少し苛立つ。
「何の話だ?おれはいい加減帰るぞ。」
 彼女が逡巡する。言うべきかどうか、迷ったように。それを無視して、おれは剣をつけ、そのまま、扉に向かう。
 彼女は、慌てたように、おれに声を掛けた。
「ねえ、もう二度とこんなところにこないで。」
 言われた言葉に、おれは扉に手をかけたまま、振りかえる。何故そんな事を言われなければならないのか、分からなかった。
「もう、こういう事はしないで。彼女が悲しむから。身代わりに抱くなんて、抱かれる私たちは、もうなれちゃってるけど、彼女は、きっと嫌がるし、かわいそうよ。彼女が大事なら、もうこんなところに、来ないで。」
 そう言う少女の瞳から、透明なしずくが、頬をつたって滑り落ちた。



「おかえり。」
 宿の階段。上りきったところで声を掛けられ、おれは、驚いた。狼狽えている感情を表に出さないようにしながら、彼女にきく。
「......おきてたのか?」
「のどかわいて、水飲みにおきただけよ。」
 彼女はそういって、おれを見る。軽く、溜息をつきながら。
「......雨なら、別に無理して帰らなくても、泊ってくればよかったのに。」
 どうせ明日もこの街にいるんだし。そういって、おれの横を摺り抜けようとする彼女の腕を、おれはつかんだ。
「何?」
 とわれて、おれは答えることができず、手を放した。今、おれは何をしようとしたのだろうか?
「いや。」
「そう。...今度から、出かける時は一言ことわってくれる?そしたら泊って来れるわよ。あたしはかまわないから。」
 彼女がわらう。
「......そしたら、おれのいないのを良いことに、盗賊いじめに出かけるんだろ。」
 彼女が愛らしく、舌を出す。
「ばれた?」
「当たり前だ。」
 おれは、渋い顔をして、即答で応じる。危険すぎて、一人で出かけさせられるか。......今だって、カーデガンを羽織ってるとはいえ、パジャマで宿の廊下をうろつくなど。人がいないような時間だから良いようなものの。
「でも、ほんと。泊ってきても、かまわないわ。」
 何気ない口調で彼女はそういって、おれに背を向け歩いていく。
「あんたも男だってことだもんね。」
 言われた言葉に、思わず、手を伸ばす。ひじをつかむと、今度は大きく、振り払われた。
「さっさと戻って寝たら?つかれてるんでしょ?」
 こっちを振り向き、彼女はそういった。おれは...なにも言えなかった。
「それから、しばらくあたしの近くによらないでくれる?...その香水の匂い、好きじゃないから。」
 そういって、彼女は階段を降りていく。......なにも声を掛けられず、おれは、部屋に戻った。
 残り香など、ついてはいない。戻る途中の雨が、すっかり流してしまっている。おれは、寝台の上に転がる。眠れる気分ではなかった。
 何がそんなに神経をささくれ立てているのか、まるでわからなかった。ただ、目を閉じると、今日の少女の顔が浮かぶ。静かに、涙を流した...その顔はやがて、連れの彼女の顔になる。そんな顔、見たわけじゃないのに、彼女も少女と同じような表情をしていた。おれは知らず、溜息をついた。
 とてもじゃないが、眠れそうになかった。
 雨は、まだ降り続いている。静かなはずのその音が耳についてはなれない.........



「アヤ?....ああ、あのこか。あのこなら去年、結婚したよ。客の一人が随分惚れ込んでね。あの子の借金をぜんぶ肩代わりして、一緒になったわけだ。今でも幸せに暮らしてるはずだな。」
「住所?んなの、教えれるわけないだろ、兄ちゃん。考えてもみなよ。こんな過去は忘れたがっているはずだぜ。だいたいなんで、彼女に逢おうとしてるんだい?え?」
「お詫びと、お礼を言いたい?彼女には迷惑をかけないようにするから?.........んなこといったってよ.........どうしても、もう一度だけ?ったく。しつこい兄ちゃんだな。......ここで知り合った客が来ってだけで、ずいぶん迷惑だと思うんだがよ、そこんとこ、分かってるか?」
「..................いいかげんにしろよなあ、ったく。わかったよ。教えてやる。ただし、彼女に間違っても迷惑は掛けるなよ。」



「はーい。どなたさま?あいにく主人は出かけてるんですけど......え?だれ?..................ええ?」
「ふうん。今度はちゃんと覚えてたのね。えらいえらい。で、何のごよう?もう二度と、身代わりはごめんよ。私にだって大切な人がいるんだからね。」
「そんなんじゃない?お詫びと、お礼?どうしたの?」
「......よかったじゃない。ちゃんと自覚できて。挨拶にいくの?...大変だと思うけど、がんばってね...あらやだ、まだ本人にはきちんと言ってないの?ほんとに?......違う意味で彼女がかわいそう...でもまあ、おもしろそうね。」
「今?私?...私はもちろん幸せよ。だって、「私」を大事にしてくれる人がいるんだもの。今日だって、私の手料理が食べたいから、すぐ帰るって言ってくれたのよ。...あら、こんなののろけのうちに、入らないわよ。」
「彼女、泣かさないでね。世界で一番大事でしょ。...そんなのわかるわよ......世界よりも大事なの?.........本人に言ってあげなさいよ、その言葉。そういうのを、のろけっていうのよ。」
「でも、本当によかったわ。お幸せにね。」



「どこいってたの?」
「ああ、ちょっと。昔世話になった人に会いに。」
 をを、と彼女が反応する。
「あんたが人を覚えてたりもするんだ。」
 明日は雨ね。彼女が断言する。おいおい。
「おれをなんだと......」
「脳みそクラゲ。」
彼女らしい即答に、おれは思いっきり脱力した。
「あのなあ......」
 笑いながら彼女は言い張る。
「だって、一緒に旅した人達のことですら、誰だっけって、あんたは言ったわよ。」
「だから、あれはじょうだんだって。」
 あんたが言うと冗談に聞こえないのよ。彼女はきっぱりといいきった。相変わらずのその物言い。色々なことがあったが、こいつもおれも、変わっちゃいない。何より、どんなに未来だろうが、おれがこいつと一緒にいることは、変わらないだろう。
 それでも...確かに変わったものも、存在している.........






Fin.





貰いモノは嬉し!へ戻る