むかし、むかし
―3―


作:翠さん

 愛しい人が戻った家は、明るく温かい。
 女はうっとりと火の傍に座り、男を眺めた。長い間、この時を待っていた。
 ――男と出会ったのは、冬になったばかりの、酷く冷え込んだ日のことだった。思いの外深く降った雪のために道に迷ったらしい。足を挫いて途方に暮れていた彼と、導かれるようにして出会った。
 花を差し出して怪我を治すと、男は驚いたようだったが、笑顔になって礼を言った。雪が止むまで身を寄せれば良いと自分の家に誘うと、申し訳なさそうに何度も頭を下げた。心根の優しい、正直な男だと思った。
 そうして、男を家に招いてからは、矢のように時が過ぎた。雪はすぐ深くなり、二人を山の内に閉じ込めた。外界から切り離された粗末な小屋の中で、たくさんのことを話した。山間の村で移り行く四季の美しさ、霧の朝に振り下ろす斧が響かせる高い音、目を伏せて何気ない日常を訥々と話す男を見ているだけで、女は気持ちが満たされた。
 男の望みは何でも叶えてやるつもりだった。足の怪我を治し、温かな家を与え、食べ物を運んだ。
 しかし、季節の移り変わりは幸せな時間も等しく押し流していく。大気は日々輝きを増していく太陽に暖められ、全て覆っていた雪が大地に還っていく。そうしてすっかり山の景色が変わった頃、男は悲しそうに女を見つめて、言った。
「すまない、私は里に帰らなければ。――将来を約束した相手が、村で私を待っているんだ」
 男の望みは何でも叶えてやるつもりだった。確かに、そう思っていた。なのに。
 女の中で、何かがふつりと音を立てて切れた。


「あの女のところへなんて、行かせない。あんたはここで、ずっとあたしと暮らすんだ!」
 女が咆えると同時に、触手が一斉に芽吹いた。無数の、鮮やか過ぎる花弁がそこここで開き、毒の花粉を撒き散らす。ガウリイは咄嗟に腕で顔を庇って、勢いよく剣を一閃した。
 魔術をも防ぐ剣は、毒の霧も等しく一文字に切り裂いてみせる。剣に触れた毒が蒸発して、じゅ、と熱の気化する音を立てた。
 返す剣の切っ先を、ガウリイは背後の蔦に突き立てる。戸のあった筈のそこを、剣は容易く貫いた。蔦に覆われたすぐ向こうに空間があることを感じて、ガウリイはそのまま、力任せに剣を薙ぐ。鈍く水気の弾ける音がして、蔦はあっけなく断ち切られた。
「待てえっ!」
 縋るように追ってくる女の手を避け、ガウリイはそのまま、蔦に覆われた部屋から転がり出た。逃げ出した先はごつごつと硬い感触がして、ガウリイは違和感から周囲に目を走らせた。
 暗いそこは、天井も床も岩に囲まれている。どうやら洞窟のように見えた。先の方に薄く明かりが差していて、考えるより前にガウリイは駆け出した。狭い場所では剣を振るえない。とにかく、外へ。
「あんたああああっ!」
 背後から咆哮が聞こえる。同時に、ざわりと何かが蠢く気配があった。背後を見れば、破れた蔦の向こうから、更に触手が伸びてガウリイを探すように洞窟を這い始めている。
 もう足に絡みつき始めた蔦を、ガウリイが無理な体勢で断ち切ろうとした、その時。近づいてくる別の気配に気付いて、ガウリイはその腕を止めた。
「ガウリイ、避けて!」
「!」
 余計な反問はしない。ガウリイは素早く壁に身を寄せた。間髪入れず、流れる髪先を掠める勢いで光の塊が目の前を通り過ぎる。光弾は蔦の壁を貫いて刺さり、奥でぎゃああと怪物の悲鳴が上がった。
 それを聞く前に、ガウリイはもう身を翻して走り始めている。気配と声で相手は認識できていても、その無事は目で確かめなければ分からない。何しろ無茶をする奴だから。
「リナ!」
 洞窟から飛び出たガウリイの目には、雪雲に覆われた空でも眩く見える。逆光に焼かれる目を無理に開いて、ガウリイは目当ての人物の姿を必死に探った。洞窟の入り口に背を預けている彼女を見つけて、思わず叫ぶ。
「大丈夫なのか、リナ。怪我は!?」
「そりゃこっちの科白よクラゲ! まんまと攫われたクセに人の心配してんじゃないわよ!」
 すかさず怒鳴り返されて、ガウリイはありゃりゃ、と肩を落とした。確かに返す言葉も無い。
 リナはすっかり立腹の様子で、ぎろりと険悪な視線をこちらに向けていた。
「あいつは?」
「魔法は当たったみたいだ。悲鳴が聞こえたが、どうだろうな」
 相手は化け物だ。洞窟の中ということもあって、リナも威力を抑えた魔法を使ったようだったし、完全に倒せた可能性は薄そうだが――
 言いながら振り返ってみて、ガウリイは苦い顔をした。リナも気付いて、眉を顰める。洞窟の入り口から、さわさわと細い蔦が這い出てきていた。
「とにかく撤退!」
「了解」
 否やもなく、ガウリイは身を翻すリナに続いた。
 リナの後を追いながら、ガウリイは彼女の走り方が、少しぎこちないことに気付く。身体の傾け方から、左半身を庇っていることが見受けられた。やはり無事とは行かなかったか、とガウリイは臍を噛む。
 とはいえ、今は堪えて走って貰うしかないのだ。とにかく木ばかりの場所は足場が悪い。迎え撃つにしても、もっと開けた場所を探す必要があった。
 雪は今や、強さを増す風に乗って吹雪くまでになっていた。ちりちりと手足に当たっては、その結晶が砕けて散っていく。視界が悪かった。目を細めて走りながら、リナは風に負けないように叫んだ。
「あいつに何かされなかった!?」
「いや、オレは大丈夫だ!
 最初はえらく歓迎されてな。どうやらオレを誰かと勘違いしてたらしくて、『人違いだ』って言ったんだよ。そうしたら襲われた」
「なるほどね……あいつ、相当まずいわ。
 多分、山に迷い込んだ人間を、あんたの時みたいに自分の巣に引きずり込んでるのよ。で、自分の意に沿わない相手と分かったら殺すんだわ。
 さっき、死体が山ほど放り込まれた洞窟があった。良かったわね。あと一歩遅かったら、あんたも仲間入りしてたかもよ!」
「嬉しくねえなあ、それ……」
 思わず想像して、ガウリイはげんなりと呟いた。リナは強気に笑った。
「無事だったからいいわ。このお礼は、夕食一週間分で手を打ってあげるから――」
 言いかけたリナの言葉が止まる。ガウリイも素早く察して、周囲に視線を走らせた。
 吹雪く雪の向こう、さわさわと密やかに何かが走る音がする。例の植物だ、とガウリイは直感的に感じた。
「リナ、追って来てる!」
「分かってる」
 リナは口早に呪文を唱えた。炎の術だ。植物には有効な筈だった。
 ガウリイは後ろを振り返る。やはり気配で感じていた通り、遠い木々の合間に化け物が立っているのが見えた。触手はその足元から、左右に分かれてガウリイ達を囲むように生え続けている。
 か、と化け物が口を開いた。
「リナ、来る!」
 叫ぶと同時、化け物の口から衝撃波が放たれた。間にある木々を薙ぎ倒して、ガウリイ達に迫る。二人は大きく後ろへ跳び退ることでそれを避けた。
 と、リナの着地点に、予想より遥かに早いスピードで触手が迫る。狙いはリナ一人だった。
「リナ!」
「炎の矢!」
 用意していた呪文を解き放つ。無数の矢が地を這う植物に突き刺さり、炎と土煙が上がった。予定していた場所を避けて着地したために、リナの態勢が崩れる。しかし、それを狙い済ましたように、爆煙の向こうから新たな触手がリナを襲った。
「!」
 リナの足に触手が絡みつく。フォローに入るためにリナの元へと駆け出すガウリイは、背後で再び化け物が動く気配を捉えていた。化け物ががば、と大きく口を開ける――
「リナ駄目だ、逃げろ!」
 間に合え、と祈りにも似た気持ちを込めて、ガウリイは叫んだ。リナとの間を阻む触手を切り裂くが、次から次へと増殖するそれらに、近づくことを許されない。
 リナはガウリイの叫びにハッと顔を上げるが、その時既に衝撃波は放たれていた。迫る力の塊に、リナは大きく目を見開き。
「リナ――――ッ!」
 吹っ飛ばされたリナの体は、玩具のように宙に待った。その華奢な腕を、肩を、触手が次々に貫く。
 ガウリイは最早言葉にならない叫びを上げて、必死に触手を振り払ってリナの元に辿り着いた。地面に放り出されたリナを抱き上げると、血にまみれた腕がだらりと零れた。
「リナ……リナ、リナ!」
「……ぁ、ウリ……」
 言いかけた言葉は、ごぼりと器官から溢れた血で途切れた。焦点の合わない瞳が、何かを探してゆるりと動く。
「分かってる。助けるから! 絶対だからな!」
 ガウリイは自分にも言い聞かせるように強く言って、リナを抱いたまま立ち上がった。とにかく医者のいるところへ行かねばならない。山のどちらに向かえば人里に出るのか、それすらも分からない中、ガウリイは勘に任せて走り出そうとした。
 しかし。
「さあ、あんた」
 柔らかな声が間近から聞こえて、ガウリイはハッと振り返った。いつの間にか、女の姿に戻った化け物が、ガウリイのすぐ背後に立っていた。これまでの狂気が嘘のように、にっこりと優しげな笑みを浮かべている。
「もう帰ろうよ。
 あんたの望むことは、あたしが全部叶えてあげる。だから、あたしと一緒にまた暮らそう」
「だったら……!」
 ガウリイは叫んだ。腕の中のリナを強く抱き締めて、女に訴える。
「だったら、今は行かせてくれ! その後だったら、オレはどうなってもいい。
 あんたにだって、分かるだろう!? 愛しい男が苦しむ姿を見ていたくなかったから、あんたはそいつの怪我を治してやったんだろう!
 オレだって同じなんだ! リナを……リナを助けなくちゃならないんだ……!」
 必死の形相を向けてくるガウリイの、その張り詰めた視線は、女に何かを思い出させた。

『頼む、助けてくれ……帰らなくてはならないんだ……!』
 縋るように自分に手を伸べて、男は助けを求めていた。毒でろくに動かない身体を引き摺り、それでも目だけは女を通り越して、彼が本当に求める誰かの姿を映していた。
 男の望むことは、何でも叶えてやるつもりだった。それなのに。
 あの日。自らの手で怪我を癒し救ってやったことのある男を、自分は酷く冷たい瞳で見下ろしていた。彼の命が尽きるまで。
 その時からだ。自分の中で、何かが狂い始めたのは。

 男の最期の姿を思い出した女には、もう目の前の男が、自分の愛した男ではないことが分かっていた。
 血まみれになった少女を抱え直し、その男は既に駆け出していた。その後姿をぼんやりと見送りながら、女は男の言葉を反芻する。
 そう。自分も、彼が難儀している姿を見ていられなくて、怪我を治してやったのだ。男が笑う顔を見たくて、家を用意し食べ物を運んだのだ。そうして一緒に暮らしていたら、自分の内に宿る温かな感情が、もっと自分を満たすだろうと。
 男が故郷に帰りたいと言った時。全身が凍るような想いだった。引き止めようと手を尽くした。それでも変わらない男の心に、とうとう自分は、取り返しのつかないことをしてしまった。
 あの時、どうして男の望みを叶えてやらなかったのだろう。そうしたら今でも、あの温かな気持ちはこの胸に宿っていたに違いないのに。
 女の頬を、涙が伝う。男の為に用意した仮の姿が解け、ぬるついた肌をした、本来の姿が現れる。それでも涙は止まらなかった。
 たまらずに、彼女は啼いた。彼女の叫びは、吹雪を貫いて悲しげに山中に響いた。



 化け物の動きが止まったのを見て、ガウリイは一目散に駆け出した。
 化け物がどこまでガウリイの言うことを理解したかは分からないが、あれきり化け物は戦う気をなくしてしまったようだ。追ってくる気配がないのは好都合だった。
 リナは既に意識を失っていた。身体が力を失い、逆に血液はどくどくと容赦なく身体から溢れていく。それは、リナにまだ命がある証拠であったが、同時にそれが失われていく様相でもあった。ガウリイの表情に焦りが浮かぶ。
 頭の冷静な部分が、最悪の結末を予測しようとする。それを意識的に振り払った。風に立ち向かうように、既に方向も分からない吹雪の中を猛然と進む。
「大丈夫だ……大丈夫だからな、リナ。助けるから――!」
 それはともすれば、自分に言い聞かせるための言葉だったのかも知れない。
 唐突に、背後から化け物の叫びが聞こえた。また攻撃か、とガウリイは身構えたが、先程まで化け物に漲っていた狂気がない。
 それと同時に広がった光景に、ガウリイは目を疑った。
 森の木々が、一斉に花をつけた。それまでモノクロだった景色が、突然色を取り戻す。淡く色づいた花びらが、雪に代わってガウリイの前に舞った。
 花びらが風に乗って行く先に、あの化け物がいた。女の姿を取り戻したそれは、ガウリイの目にはふわりと柔らかく笑ったように見えた。まるで、咲き乱れる花のように。
「……ガウ、リ……?」
「リナ!?」
 か細い声が聞こえて、ガウリイはハッと腕の中に目を落とした。見れば、リナが薄く目を開いて、身を起こそうとしている。
 あれだけ体中に負った傷が、傷口から流れていた血が、まるで幻だったとでも言うように消えていた。顔色も赤みが差して、ガウリイに安堵の溜息をつかせる。
「大丈夫、なんだな?」
「うん、平気みたい……一体何が何だか」
 地面に降り立ちしっかりと自分の足で立つリナを見て、ガウリイはその理由に思い当たる。慌てて化け物の方を振り返るが、既にそこに、彼女の姿は見えなかった。あれだけ辺りに舞っていた花弁も、既に消えている。そこにあったのは、元の通りの冬山の景色だった。
「あいつ……助けてくれたのか……」
「え?」
「……いや、何でもないんだ。それより、山を降りよう。急がないと日が暮れる」
 言って、ガウリイは再びリナを抱え上げた。リナは驚いて、わたわたと暴れ出す。
「ちょ、ちょっとガウリイ!? 降ろしてよ、自分で歩くったら!」
「いいから。怪我したんだし、急がなくちゃならないだろ。このまま行く」
「もう大丈夫だってば!」
「オレがそうしたいんだ。頼むよ」
「…………分かったわよ」
 思いの外真剣な顔で言われて、リナは大人しく引き下がった。が、忘れずに付け加える。
「元の村に戻ろうなんて考えるんじゃないわよ!? 山を越えて、次の町に行くのよ!? そうじゃないと力の限り暴れるからね!」
「分かった分かった」
 ガウリイは苦笑して、そのまま歩き出す。あまりに無防備に進むガウリイに、リナは不安そうに当たりを見回した。
「あいつは? どうなったの?」
「うん……もう、大丈夫だと思うんだ。きっと終わったんだよ」
 ガウリイはもう一度背後を振り返り、リナもつられて風の向こうを見遣った。
 吹雪に紛れて、遠くから声が聞こえた気がした。もの悲しく響く、女の啼き声が。




 昔々、山には化け物がおりました。
 化け物はある日、山で怪我をした樵の男に出会いました。化け物は一目で男に恋をしました。すっかり男を気に入った化け物は、男を自分の巣穴に連れ帰りました。そうして一つの季節が過ぎる間、化け物は男と暮らしました。
 ところがある日、男は化け物に、故郷に帰りたいと言いました。化け物は大層怒って、その男を殺してしまいました。
 化け物は悲しみのあまり、自分が男を殺したことも忘れて、それから何年も、何十年も、男を捜して山を彷徨い歩きました。たまに山に迷い込んできた人間を見つけては連れ去り、相手が愛しい男でないことが分かるとまた、殺してしまいました。何度も何度も、同じことをしました。
 そうして長い時間が経ったある日。山に二人連れの男女がやって来ました。化け物は女を殺して男を連れ去ろうとしましたが、男が怪我をした女を必死に助けようとする姿を見て、自分のしたことを思い出しました。
 化け物は大層嘆いて山の奥深くに逃げ去り、それきり、誰も姿を見ることはありませんでした――








Fin.




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