むかし、むかし
―1―


作:翠さん


 昔々、あるところに樵の男が住んでいました。
 ある日、いつものように男は山へ仕事に向かいましたが、うっかりと足を滑らせて怪我をしてしまいました。歩けずに難儀していると、そこに女が通りかかりました。
 女は男を大層気に入って、怪我を治す代わりに自分と暮らすように言いました。男が頷くと、女は持っていた花を男に与えました。すると、男の怪我はたちまち治ってしまいました。
 そうして、男は女と暮らすようになりました。そうして暫く過ごす内に、男は女が山に住む化け物であることに気付いてしまいました。男は化け物の隙をついて逃げ出し、それきり山には戻りませんでした。
 化け物は男を恨み、それ以来、山に迷い込んだ人々を襲うようになりました――



「――で、どーしてそんな昔話のある山、わざわざ通らなきゃならないんだ?」
「るっさいわね」
 なるべく口を動かさないように気を付けながら、リナは短く吐き出した。
 彼女の故郷の遥か北、大陸の突端に暮らす人々は、そうして喋るのだと聞いたことがある。方言が強くて、慣れない者はとても聞き取ることが出来ないらしいのだが、寒さ厳しい土地で暮らすために、自然と身についた技なのだという。
 つまり、こんな気候の中――春間近とはいえ冬の寒さ色濃く残るような季節の、太陽も顔を出したばかりの朝、その僅かな日光すら薄い雲に遮られ、あまつさえこちらをからかうように小雪など舞ったりしていて、しかも風だけは一人前に冷たいという、出歩きたくもないが、天気を理由に閉じ篭もってもいられないという絶妙な天候の下では、当にお誂え向きな技なのではなかろうか。
 ふーっ、と荒々しく白い息を吐き出して、リナは苦々しく眉根を寄せた。魔道士協会からの依頼がロクでもないことは重々承知だが、今回はその極みだ。
 窓口で、世間話ついでに『これからのんびり沿岸諸国を目指す』などと口を滑らせてしまったのが不味かった。その発言から三分と立たない内にお偉いさんが出てきて、畳み掛けられるままに仕事を押し付けられてしまった。
 沿岸諸国への道すがら、小さな村での依頼。その依頼自体は、面倒ではあるが仕方ない。それよりも問題なのは、その村まで三日で行けという無体な指令の方である。
 おかげで、山を迂回して南に下る予定だった旅程が、一気に冬の山越えに早変わりしてしまった。そういう訳で、これから登る山を前に、リナの機嫌は斜めを通り越して直滑降。まるで親の仇を前にしたような顔で、山を睨み据えている。
「昔話だろ〜が怪談だろ〜が、この山を越えるしか道がないんだからしょうがないでしょっ」
 先方も、急を要する依頼なのだ。引き受けたからには期日に遅れるような真似はしたくないし、またそんな真似をすれば魔道士協会からの受けも良くない。連中につけ込まれるような隙を、お偉いさんの前にぶら下げてやる程、リナは親切ではないのだ。
 しかし、心配性のガウリイは、渋い顔をしてまだ唸っている。
「でも、宿のおばちゃんも散々言ってなかったか? この山は危ないから通るなって」
「行方不明者が多いってんでしょ。
 あたしだって好き好んで通るわけじゃないわよ。他に期日に間に合うルートがないんだからっ」
 リナからしたら、山村の行方不明者なんて、田舎暮らしに飽き飽きした若者が村を飛び出しただけだろうと思うのだが。そうと信じられない年寄りは、何でもかんでも昔話の化け物の仕業だと思い込んでしまうのだろう。
「とーにかくっ! あたしはとっとと沿岸諸国のあったかいお日様に当たりたいのよっ!
 さくさく山越えて、ついでに依頼も片付けるわよ!」
「依頼がついでかよ……」
 ガウリイは小さく苦笑して、既にせかせかと山道を急ぎ始めたリナの背中を追った。



 普段、村人はあまりこの山に入らないと言っていた。次第に細くなる山道に、リナは村人の言が事実であろうと得心する。
 村人が生活に使う木を切り出す山は、こことは真反対にある小さな山で、そちらは隣の国への峠道も通り、人も物も頻繁に通っていた。こちらの山の方がずっと大きく、自然も豊富ではあるのだが、それがほとんど手付かずなのは例の伝承のせいなのだろう。
 淡いながらも照っていた日は道を進む毎に枝葉の向こうに姿を隠し、村ではうっすらとしか積もっていなかった雪が、次第に地面を覆う面積を増やしていく。
 そうして、どれだけ山道を登っただろうか。ガウリイが、ぽつりと不穏なことを口にした。
「なあ。本当にこの道、山の向こうまで続いてるのか?」
「うっ」
 当に思っていたことを言い当てられて、リナはぎくりと肩を震わせた。
 木々の間をうねうねと伸びる道は、草に埋もれてまるきり獣道のよう。石や草の根に足を取られる回数も、格段に多くなった。辿っているこの道が、次のカーブの先で忽然と途切れていても何の不思議もないように思える。
「ち、地図にはちゃんと道があったもんっ! 宿の女将さんだって、人は滅多に通らないけど道はあるって――」
「人が滅多に通らない道がそこに『まだある』って、誰が確かめたんだ?」
「…………」
 至極尤もなことをすぱりと指摘されて、リナは言葉に詰まった。言い負かされてなるものか、と必死に頭を巡らせる。
「だ、だいじょ〜ぶよ! ほら、今のところ道っぽいもんは続いてんだし!
 雪は残ってるからちょっと歩きづらいけどっ、いざとなったら頼もしいガウリイちゃんがあたしを担いで山道登ってくれればっ」
「って、あのなあ。ちゃっかりと都合のいいこと言って……あれ?」
 びしりと獣道を指差すリナに、ガウリイは苦笑しながら後に続こうとして、ふと雪の上のそれに目を留めた。
「……何だ? あれ」
「え?」
 ガウリイが指差すのは、少し先の道だった。カーブに差し掛かるそこに、リナも首を傾げながら近づく。ざくりざくりと雪を踏み締めて、傍まで行けば。
「……足、跡……?」
 語尾が疑問形になるのは、雪の中にくっきりと残ったそれが、あまりに異様な形をしていたからだ。
 足と言うよりは、人間の手のような形に近い。が、細長い三角形から異常に長い指が四本、末広がりに生えている様子は、明らかに人のものではなかった。大きさはガウリイのサイズを軽く超えるだけあり、深く雪に刻み込まれている様子から、これの持ち主が相当の体躯と重量を持ち合わせていることが分かった。
「ちょっと、何これ」
 リナは激しく眉を顰める。
「行方不明者が多いってのは聞いたけど、その原因の化け物が今もまだ実在するなんて話は聞いてないわよ」
「けど、化け物が実在するって思ってたから、宿のおばちゃんもあんなに必死に止めてくれたんじゃないのか?」
「あのねえ。尤もらしいことをのんびりと言ってる場合じゃ――」
 呆れ返るリナの言葉が、不意に途切れた。
「――何か、匂わない?」
「え?」
「花みたいな、甘い――」
 香りに誘われるように、リナは視線を上げる。すると、ほわりと空から白いものが舞ってきた。いよいよ本格的に降ってきたか、とリナは顔を顰めかけたが、次の瞬間にはその瞳を大きく見開いた。
 ふわりと風に乗って舞い降り、差し出した掌の上に着地したのは。
「……花……?」
 最初、雪かと思ったそれは、小さく薄い花びらだった。
 よく見れば淡い薄紅色をしていて、美しい筈なのに、寒々しい周りの景色から余りに掛け離れているために却って異質さばかりが増して見える。
「どこから、こんなもの」
 おそらく、あの甘い香りはこの花のものなのだろう。元を探そうとリナが再び顔を上げたところで、
「リナ」
 低い声と共に鞘走りの音が聞こえて、リナは意識を切り替えた。ガウリイが意味もなく剣を抜く筈がない。
「来た?」
「ああ。殺気とは違うみたいだけど……」
 ガウリイが言い終わらない内に、がさりと右手の茂みが揺れた。例の足跡があった場所の、奥の林だ。警戒する二人の目の前で、茂みは尚もがさがさと葉を揺らし――ざざ、と最後に大きく音を立てて、遂にその主が姿を現した。
 その姿を見て、ガウリイとリナは目を丸くする。何故なら、相手が人間の、それも女だったからだ。
 女は茂みを抜け出てよろよろと進み出ると、リナ達を見とめてがっくりと膝をついた。
「ちょ、ちょっと大丈夫!?」
 警戒は解かぬまま、リナがそろりと近づく。よく見れば、女の衣服は擦り切れてかなり傷んでいることが分かった。靴も履いておらず、白い足が泥で汚れている。
 細い腕で身体を支え、やっとのことで上げた顔は、美しいが酷くやつれて弱々しく見えた。瞳がちの両眼が、ひたりと二人を――どちらかと言えばガウリイを見つめた。
「大丈夫か? 怪我は」
 剣を収め、ガウリイが手を伸べる。それに縋る女を見守りながら、リナは思考を巡らせていた。村人――ではない筈だ。宿の女将は、村人は誰も山に入らないと言っていた。自分達と同じような旅行者がいたのか? しかし、こんな軽装の、しかも女性が、たった一人でこんな冬山を登るだろうか。
 女を立ち上がらせようと手を貸しながら、ガウリイはふと異質な香りを嗅ぎ取った。甘いそれは、他の空気より密度が濃いのか、重く胸に沈む。甘ったるい、しかしこれは、毒を含む香だ――顔を顰めると、女がにこりと邪気なく笑った。
 リナは思考をますます速く回転させながら、女を注意深く観察していた。擦り切れた衣服。やけに古いものに見える。傷んでいるからというだけでなく、また汚れていて分かりづらいが、型からして古風めいたものではないだろうか。あんな風に丈の長い布を巻きつけて腰帯で止める形の服を、歴史書で見かけたことがある気がした。
 山の中に、風変わりな出で立ちの女。男を探して彷徨う化け物の伝承。
 化け物はその伝承で、どんな風に男を誘い出した? 花を持った、女の姿をして――
「駄目、ガウリイ!」
 リナが叫んだ時、ガウリイは初めて自分の身体がまともな反応を返せなくなっていることに気付いた。細く見えた女の身体はやけに重く、白い指が腕に食い込む。花の香は身体中に充満して、それきり吐き出すことが出来なかった。ゆっくりと、身体の中心から痺れていく。 逃げろ、という声はとうとう音にならず、視界がぐるりと円を描いた。身体が横倒しに倒れたのだ。
「ガウリイ!」
 リナは咄嗟に呪文を唱えようとした。女の腕に囚われたガウリイに影響がなく、相手に確実にダメージを与える術――逡巡が、相手に時間を与えた。
 がぱ、と女が口を開ける。その時には、化け物は半ば自分の姿を取り戻していて、雪のように白かった肌に緑色の斑紋が浮かんでいた。 顔の半分以上を占めるその口で、女が何事かを叫んだ。或いは、咆えたのか。ともかく、それは音より先に衝撃を生んで、リナを襲った。
「!」
 リナは身構える暇も与えられず、あっけなく吹っ飛んだ。
 風の塊をぶつけられたようだった。音と衝撃で平衡感覚が麻痺し、数メートル後ろの木に叩き付けられる。胸の辺りを中心に激震が走り、一瞬呼吸が止まった。
「……こ、の……!」
 憎しみを込めて呻くが、肺が正常な機能を拒む。呪文を唱えることが出来ない。霞む視界に懸命に眼を凝らすと、それがガウリイの足を引き摺って森の奥へと消えていくのが見えた。
 ――リナがやっと身体を動かせるようになったのは、ガウリイと化け物が完全に姿を消して、数十分が経過してからだった。身体の痛みと呼吸困難で半ば意識を手放していたが、それが落ち着いてやっと、身体を起こす。咄嗟に利き腕は庇ったものの、代わりに左半身がぎちぎちと軋んだ。
 そろそろと呼吸をしてみて、肺に損傷がないことを確かめてから呪文を唱える。癒しの光が身体を包んでも、しかし心は安堵を得るに至らなかった。大丈夫、と一度、心の中で言い聞かせる。
 伝承では、化け物は男を攫って山に隠した。そして今、化け物はガウリイを攫って行った。伝承通りなら、ガウリイがすぐに喰われたり、危害を加えられることはないだろう。
 山にはまだ雪が残っている。泥もまだ柔らかく、ガウリイを引き摺って行けば必ず跡が残る。これからすぐに、追えば。
「大丈夫」
 閉じていた目を開いて、リナは立ち上がった。少しよろけるが、どうにか歩くことは出来そうだ。
「ったく、あの馬鹿くらげ……女子供に優しいにも程があるわよ」
 悪態を一つ、親しみを込めて呟くと、リナは森の奥に向けて歩き出した。









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