I KNOW

作:翠さん



 あたしは、知ってる。
 楽しいこと、悲しいこと、恐ろしいこと――そして、彼のことも。










「畜生……っ!」

 呪詛を吐きながら、男は倒れていく。身体中を鮮血で濡らしながら。
 真っ赤に染まった腕が、立ち尽くす彼の服を掴んだ。
 その手は、死の間際に立つものとは思えないほどの強さでもって服の裾を掴み、そして不意に力を失って崩れ落ちる。
「…………」
 彼は、何も言わない。
 ただ黙って、その男を――自分が斬った男を、見下ろしている。
 無表情すぎるくらい、無表情に。





「…………」
 あたしは黙して、その一連の光景を見つめていた。
 こっそり溜息をつく。

 ――全く。だから『ついてくるな』って言ったのよ。

 しかし、それを口に出すことはない。それがどんなに愚かしい行為かを知っているから。
 代わりに、突き放すような言葉をかける。
「終わったの?」
「……ああ」
 振り返った彼は、いつもと同じ顔に戻っていた。
 剣についた血糊を振り払い、流れるような動作で鞘に戻す。その様子には、普段と変わったところなど全くなかった。
 それが、あたしの苛つきを増長する。
 あたしは腕を組んで、首を傾ける。斜め下の角度から挑発的な視線を送り、
「じゃあ、あたしはお宝発掘に行ってくるから。あんたは――」

 そこでふと、迷う。
 暫く一人にしておいてやろうとは、思う。しかし、『ここで待っていろ』と言うのは、流石に酷な気がする。

「……ついてきて。あそこの小屋の入り口で、見張りしてて。頼むわ」
「了解」
 くるりと背を向けると、あっさり頷いてついてくる。
 ちらりと横目で見ても、先程のような無表情な彼は、すっかりなりを潜めていた。
 けど、あたしは知ってる。
 あの無表情こそが、ガウリイの苦渋の表情なのだということを。










 いつのことだったろう。
 あたしがあんな顔をする彼に、気付いたのは。

 もう、ずいぶん前のことだったと思う。
 人を斬り殺した後、ガウリイの端正な顔に降りる、仮面のような表情。
 例え相手が盗賊だろうと、極悪人だろうと、自分に斬りかかってきた傭兵だろうと。
 その表情は変わらない。
 戦闘が終わって静まり返った戦場で。
 自分が殺した相手を、光を失った瞳で見下ろしている。
 ――あたしが声を、かけるまで。



 ガウリイはあたしに言う。まるで口癖のように。
『危ないから、一人で盗賊いじめには行くんじゃないぞ』
 けど、あたしが彼の言葉に従ったことは、ない。
 あんな顔をする彼に、気付いてしまったから。

 あたしは今日も、盗賊いじめに出かける。
 ガウリイを置いて、出かける。あんな顔をする彼を、見たくないから。
 けれど、ガウリイはあたしの外出に勘づいて、追ってくる。
 そして、盗賊が全員、地に伏す頃。
 また仮面のような表情で、屍の真ん中に立ち尽くすことになる。



 あたしは知ってる。
 剣で人を殺す、手応えを。

 初めて剣で人を殺めた日。
 肉を貫く手応えが、あたしを染めた血が、喉を絞るような断末魔が。
 いつまでも手に耳に残るようで、怖くて眠れなかった。
 以来あたしが剣を振るうのは、ほとんど牽制のためばかりになった。
 
 魔術で人を殺すとき、リアルな手応えはほとんど、無い。
 だからといって罪悪が薄れるわけではない。しかし、手に残る感触があるかないかということは、大きな違いになる。
 だからあたしは、そういう意味でも魔術に救われてきた。
 けれど、ガウリイは。
 魔術を操る術のない、彼は。
 人を斬る度に、否応なしにあの手応えを感じているわけで。



 傭兵が人を斬ることをいちいち気に病んでいるなんて、考えられない。
 普段のあたしだったら、真っ先にそう思うだろう。そんな感情は、彼の偽善に過ぎないと。
 けれど、あたしは知ってる。
 ガウリイの不器用さを。
 彼がいくら腕の立つ傭兵でも、既に何人もの人を斬り殺している身でも。
 それを仕方のないことと割り切れるほど、器用な人間ではないということを。

 でも、その苦しさを表に出すには、彼の手は汚れすぎていて。
 彼の感情は、罪悪なんて安っぽい言葉で片づけられるものでもなくて。
 ただ、命を奪うことの重さを、彼は知っているから。
 だから、あらゆる感情を押しやって、立ち尽くすしかないのだ。



 そんなことくらいは、あたしにも分かってる。
 けれど、たとえ分かっていたとしても。
 あたしに出来ることは、声を掛けることだけ。
 ただ声を掛けて、彼の目を覚まさせてやることだけ。
 あたしの声に返ってくるのが、あたしのために作られた笑顔でしかないことも知っているのに。





 あたしの前では絶対に晒されない、彼の苦悩、彼の感情。
 あたしは、彼の言葉に幾度も救われてきたというのに。
 あたしが彼に与えたものなんて、何があっただろう。

 彼のために出来ることはないのかと、あたしはずっと考えていた。










「じゃあおやすみ、リナ」
「あ、ちょっと待ってガウリイ」
「?」
 夜も更けきった頃、宿に戻ってきたあたし達。
 さっさと部屋に戻ろうとするガウリイを、あたしは慌てて呼び止めた。
 怪訝な顔で振り返る彼の顎に、伸び上がって手を掛ける。
「やっぱり。怪我してる」
 つい、と顎を持ち上げてやれば、右耳の下に走る朱の線。掠っただけの浅いもので、既に血も止まっていた。
 ガウリイがスッとあたしの手を避ける。
「いいよ、これくらい。怪我の内にも入らんさ」
「ダメ。変な毒とかバイ菌とかが入ってたらどうするの。ちゃんと解毒して、治さなきゃ」
 あたしはガウリイの背中を押し、彼の部屋に踏み入った。





「ほら、防具外して。そこに座ってて」
 ベッドを指さしながら、こちらもてきぱきと装備を解く。
 ガードから解放されて軽くなった肩をほぐしつつ、あたしは彼の隣に腰掛けた。
「リナ? そっちに座ったら、傷と逆なんだけど」
「いいの、こうするから。……うりゃっ!」
「わっ!? 何だぁ!?」
 彼の首に腕を絡めて、思いきり引っ張ってやる。
 案の定、バランスを崩したガウリイはあっさりと倒れ込んできた――あたしの、膝の上に。
「り、リナぁ!?」
「いいから大人しくする!」
 慌てて起きあがろうとするガウリイを、あたしはぎゅうぎゅうと押さえつけた。
 尚もジタバタするガウリイに、
「暴れるとやりにくいでしょ!? 子供じゃないんだから駄々こねないの!」
「……って、そうは言ってもなあ……」
 困り果てたようなガウリイの声。でも、離してやらない。
「仮にも乙女が膝枕してあげるって言ってんのよ。ちょっとでも『役得〜♪』とか思わないわけ?
 それとも、きれーなお姉さん相手だったら文句言わずに大人しくしてるとか?」
「あのなあ……」
 もごもご言いながらも、ガウリイは大人しくなった。あたしの膝に頭を預けたまま、気恥ずかしいのか顔を背けている。
 傷を覆う金の髪を手で避け、解毒の呪文を唱える。きちんと解毒処置をしておかないと、治療呪文をかけた時に雑菌が大繁殖するハメになるからだ。
 淡く光る掌を彼の首筋に当て、術が浸透するのを待った。


 そして、勇気を溜める。
 こいつの鈍い頭に、あたしの思っていることを伝えるための、勇気。
 幸い、こうしていれば彼の顔は見えない。
 普段は照れくさくて口に出せないようなことも、今だったら言える気がする。


「……ねえ?」
「何だ?」
 返ってくる、いつもと変わらない声。あたしはすう、とひとつ息を吸い込んで、初めの言葉を吐き出した。
「あたしって、あんたの何なのかな?」
「へ?」
 いきなりの問いに、ガウリイが間抜けな声を上げる。
「ちょっとね、思ったの。
 あんたはあたしに『何でも話せ』って言ってくれるのに、あたしには何も話してくれないのよね、あんたは」
「…………」
 ガウリイは黙っている。
「でもね」
 あたしは構わず続けた。
「あたしね、結構、色んなこと知ってるのよ?」
「?」
 ガウリイが目を上げる。あたしは小さく微笑みかけた。
「あんたのことよ。ちゃんと分かるのよ? どんなこと考えてるのかとか、何を見てるかとか」
「…………」
「知らなかった?」
 言うと、ガウリイは再び目をそらした。
「……いや。分かるよ、何となく」
「ふぅん?」
 ――本当に分かってるんだろうか?
「だから、話してくれなくてもいいの。ちゃんと分かってるつもりだから。
 でもあんた、あたしに言ってくれたよね。『重いものは、オレも半分背負ってやるから』って。
 あたしが言いたいのは、そういうこと。
 あんた一人で背負い込むこと、ないんだからね?」
「…………」
 ガウリイは身動きひとつしない。寝ちゃったんじゃないかと心配になるくらいだ。
 解毒魔法が切れた。あたしは次に、治療呪文を唱える。解毒の青白い光の代わりに、今度は暖かな光が部屋を照らした。





 夜が、更けていく。

 朝までの刹那の時間を、あたしは逃がしたくなかった。
 今を逃してしまったら、こいつはまた、全部を一人で抱え込んでしまう。あたしには到底届かない、奥底にしまい込んでしまう。
 そして朝になると、またいつも通りの顔で、あたしの前に現れるのだ。

 はっきり言って、あたしはそれが気にくわなかった。
 あたしにまで弱味を見せようとしない、彼が。





「あんたにとって、あたしは保護しなきゃならない女の子かもしれないけど。
 あたしにとって、あんたは大事な相棒よ。
 だから、本当に辛くなったら、ちゃんと頼りにしてほしいの。
 ……甘えても、いいんだよ?」





 ガウリイが話そうとしないことを、無理矢理聞き出すことはできない。――したく、ない。
 けれど。
 こうして触れているだけで、『あんたは一人じゃない』と、伝えられるような気がするから。

 だから今夜は、こうしていたかった。





「『女に弱味は見せられない』なんて、バカなこと言う奴がいるけどね。
 そんなの、男の傲慢よ?
 あたしだったら、弱い部分もカッコ悪いところも、ちゃんと全部見せてほしい。
 いつもじゃなくても、たまにでいいの。
 だってそうじゃなきゃ、せっかく二人でいるのに、支え合うこともできないでしょ?」
 柔らかな髪を梳く。
「あたしは当分、今みたいな旅を続けて行くつもりなの。
 盗賊いじめもやめないし、トラブルも転がり込んでくるだろうし、魔族とだって無関係じゃいられない。
 でもあんたは、そんなあたしにとことんつき合ってくれるって、言ってくれたから」





 だから、そのことを謝るつもりはない。

 あたしはこれからも、これまでと同じように旅を続けていくだろう。
 そして、これから行く道でも、たくさんの人の死に出会うだろう。
 あたしのせいで、ガウリイの手が更に汚れることになるかもしれない。
 そして、あの仮面のような表情で、戦場に立ち尽くすことになるのかもしれない。

 それでも。
 彼はそんなことも全部ひっくるめて、あたしと旅を続けたいと言ってくれた。
 あたしの背負うものを、半分引き受けてもいいと言ってくれた。
 だから。
 あたしがすべきことは、今の旅を――これからの道を、捨てることじゃなくて。
 彼の負うものを、少しでも軽くすることなのだ、ということを。

 ――あたしは、知っている。





「その代わりって言うんじゃないけど、」
 あたしはくすりと笑ってみせた。
「グチくらい、ちゃんと聞いてあげる。必要なら、手だって肩だって――泣きたいんなら胸だって、いつでも貸してあげるから。
 ――覚えておいて。何度も言わないから」
「…………」
 ガウリイは無言だ。
 沈黙が続く中、治療が終わる。
 髪を撫でつけていた手を離し、あたしは嘆息した。部屋に戻るべく、ゆっくりと膝を引き抜こうとし――
 ――不意に、それを制される。
「もうちょっと」
 ガウリイだった。
 ガウリイの腕が、いつの間にかあたしの腰にまわされて、あたしを引き止めている。
「もうちょっと、こうしててくれるか」
 ――あたしはこの時、笑ったのだと思う。
「……うん」
 ゆっくりと身を屈めて、彼の頭を抱え込む。闇の中でも光を失わない彼の髪に、頬を寄せて目を閉じる。
「ここにいるから。ずっと、こうしてるから。
 今夜はもう、難しいこと考えるのはやめにして、寝ちゃいなさい」
「……ああ……」
 素直に頷いて、瞼を閉ざすガウリイ。
 膝の上の温かな重みを、同じくらい温かな胸の熱と一緒に、あたしは腕に閉じこめた。





 あたしは知ってる。
 こんな風に触れ合えるのは、今、この時だけだということを。
 朝になればまた、あたし達はいつものように歩いていかなければならないということを。

 だから、せめて今だけ。
 今だけでも、この手で彼を癒やすことができますように。
 朝が来るまでの、刹那の時間に。



 ――朝は、まだ来ない。





END


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