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あれから。あたしは安積さんを避け続けた。 会社の中では目を合わせないようにして、携帯も電源を切った。 仕事が終わっても真っ直ぐは帰らず、コーヒースタンドや本屋で時間を潰した。 深夜近くなってから部屋に戻り、シャワーだけでベッドに潜り込む。 次の日も、忙しく仕事をする振りをしてやり過ごす。 でも、金曜日の就業間近。とうとう捕まってしまった。 なるべく人目のある所を選んでいたつもりだったのに、トイレを出たらそこに居たのだ。 それも偶然じゃなく、いかにも『待ってました』というように腕組みして、壁に寄りかかってこちらを見ていた。 「・・・何で避けるんだ・・・?」 不機嫌そうな、怒っているような感じで、壁からトンっと体を離す。 「電話にも出ない。部屋に行ってもいない。」 一歩一歩、近付く様子は、怒っているなんて生易しいものじゃない。 本能的に恐怖を覚えて、あたしも一歩づつ後退ってしまう。でも、それが精一杯。 すぐに壁際に追い詰められてしまう。 「何処で何をしてたんだ・・・?」 「あ、あたし・・・。」 ふと、人の話し声がした。 安積さんにも聞こえたようで、素早くあたしから離れる。 その隙に歩き出そうとしたあたしは、流石に睨まれて、動けなくなってしまう。 突き当たりの廊下を、書類片手に何かを話しながら歩いていく二人組。 その人達の姿が見えなくなると、安積さんはあたしの腕を掴み、近くの資料室に引っ張り込んだ。 中からガチャリと鍵を掛けるその音が、静かな資料室に響いてあたしは、掴まれた二の腕を擦りながら、怖いと感じていた。 「さあ、聞かせてもらおうか?」 振り返り様、またも怒りを顕わにして詰め寄る。 あたしは既に資料棚に阻まれていて、難なく捕まってしまう。 「夏波。」 「・・・だって、他の人宛がってまで遠避けようとする程、邪魔になったんでしょう? だから、少しでも離れようと思ったのよ。 それとも、明日の予定を話すつもりだったの? だったら今聞くわ。」 早口になってしまうのを止められない。それ程、今の安積さんは怖かった。 「大体、たった二日じゃない。避けてるうちに入らないわ。」 「正確には三日だろ? 出てきてすぐ、避け出して、今日はもうすぐ退社時刻だ。」 顔の両脇に突かれた腕が、檻のような気がする。 何でこの人に、こんな事言われなくちゃならないんだろう。 そう思っただけで、涙が滲む。でも。泣き顔だけは見せたくない。 「ほ、他の女性と連絡・・・。」 「そんな暇、ある訳ないだろ! ずっとお前の携帯に掛けっぱなしで! 会社で声掛けようにも逃げてばかり・・・!」 逃げてない。 そう言いたかったけれど、喰いしばった歯を緩めたら、涙が零れそうで出来なかった。 「・・・昨日、一昨日と何処に行ってたんだ? 佐川とでも会ってたのか? もう寝たのか?」 カアッと顔が熱くなったのが、自分でも分かった。 佐川さんどころじゃない、あたしは安積さんとしか、好きな人としかあんな事できない。 でも安積さんは、あたしの顔が赤くなったのを、肯定ととったらしい。 チッと舌打ちをすると、ブラウスのボタンを外し始めた。 「やだ!」 「じゃ、言うんだ! 誰と会ってたんだ!」 「誰とも会ってない!」 「・・・確かめてやる・・・。」 暴れるあたしを押さえ込み、安積さんはそう呟いた・・・。 気が付くと。座り込んだまま動けないあたしを、安積さんは背中から抱き締めていた。 まだ2つ3つは外れているものの、ボタンも掛けられスカートも伸ばされている。 汗が引いて肌寒さが戻ってきたせいか、ブルッと体が震える。 途端、安積さんがギュッと腕に力を込めて抱き締め、顔を覗き込んできた。 「気が付いたか。」 「・・・今、何時?」 抱き締めたままの腕を軽く捻って、安積さんは腕に巻いた時計を見た。 「6時半だ。・・・送っていくよ。」 あたしは指一本動かすのも面倒だったけど、頭を振った。 「他の人に譲れる程度の女に優しくしないで・・・。」 「・・・お前、分かってて言ってるのか・・・?」 低い声と、力の篭った腕。でももう、怖いと思う事さえ疲れた。 「あたしに分かっているのは、あんな事、安積さんとしかしないし、したくないって事だけ。」 「分かってる、俺が悪かった。 夏波がそんな事する訳ないの、分かっていたのに。 他の女みたいに、泣いて我が儘言ってすぐ嘘をついてくれれば分かるのに。 今までの女と反応が違うからどうしていいのか分からないんだ。 分からないからイライラして・・・、八つ当たりだ。ゴメン・・・。」 腕を解き、立ち上がり、あたしの手を引く。 立たせたあたしをもう一度抱き締めて、安積さんは言った。 「・・・頼むから、携帯の電源を切るな。俺の目の届かない所へ行くな。 この前みたいに青い顔で倒れられたら、と思うと心配で腹が立つくらいだ。」 「あれは・・・。」 「分かってる! でも、嫌なんだ! 俺の見ていない所で何かあったらと思うだけで嫌なんだよ!」 ・・・いつも余裕のある人だと思ってた。 付き合ってる女性がいっぱいいて、女の扱いが上手で、でも本気にはならない人だ、と。 でも今の安積さんは、いつもと何処かが違ってる・・・。 「・・・悪かったよ、大声出して。 今日はもう帰ろう。嫌だと言っても送っていくから。 部屋に入って鍵を掛けるまで、見届けるからな。」 「送ってくれて、ありがとう。」 我ながら抑揚のない声が口から滑り出る。 「・・・明日、本当に行くのか?」 「もう約束したんでしょ?」 それに。自分で見付けて来た人なら、安積さんも安心してあたしと別れられるだろうし・・・。 そう言いたかったけど、言葉を飲み込んだ。 「・・・じゃ、11時頃迎えに来るから。」 「分かった。」 「おやすみ。」 いつものようにキスしようと、安積さんが顎に手を掛けるが、あたしは顔を上げなかった。 ふうっと溜め息が聞こえ、前髪が上げられた。 「・・・おやすみ。」 額に唇の感触がして、視界から靴が消えた。 あたしが無言で鍵とチェーンを掛けると、外からガチャガチャと確かめる音がして、もう一度、声が聞こえた。 「おやすみ。」 |