Je te veux
―14―


作:マックさん♪


 あれから。あたしは安積さんを避け続けた。
会社の中では目を合わせないようにして、携帯も電源を切った。
仕事が終わっても真っ直ぐは帰らず、コーヒースタンドや本屋で時間を潰した。
深夜近くなってから部屋に戻り、シャワーだけでベッドに潜り込む。
 次の日も、忙しく仕事をする振りをしてやり過ごす。
 でも、金曜日の就業間近。とうとう捕まってしまった。
なるべく人目のある所を選んでいたつもりだったのに、トイレを出たらそこに居たのだ。
それも偶然じゃなく、いかにも『待ってました』というように腕組みして、壁に寄りかかってこちらを見ていた。
「・・・何で避けるんだ・・・?」
不機嫌そうな、怒っているような感じで、壁からトンっと体を離す。
「電話にも出ない。部屋に行ってもいない。」
一歩一歩、近付く様子は、怒っているなんて生易しいものじゃない。
本能的に恐怖を覚えて、あたしも一歩づつ後退ってしまう。でも、それが精一杯。
すぐに壁際に追い詰められてしまう。
「何処で何をしてたんだ・・・?」
「あ、あたし・・・。」
ふと、人の話し声がした。
安積さんにも聞こえたようで、素早くあたしから離れる。
その隙に歩き出そうとしたあたしは、流石に睨まれて、動けなくなってしまう。
 突き当たりの廊下を、書類片手に何かを話しながら歩いていく二人組。
その人達の姿が見えなくなると、安積さんはあたしの腕を掴み、近くの資料室に引っ張り込んだ。
中からガチャリと鍵を掛けるその音が、静かな資料室に響いてあたしは、掴まれた二の腕を擦りながら、怖いと感じていた。
「さあ、聞かせてもらおうか?」
振り返り様、またも怒りを顕わにして詰め寄る。
あたしは既に資料棚に阻まれていて、難なく捕まってしまう。
「夏波。」
「・・・だって、他の人宛がってまで遠避けようとする程、邪魔になったんでしょう?
 だから、少しでも離れようと思ったのよ。
 それとも、明日の予定を話すつもりだったの? だったら今聞くわ。」
早口になってしまうのを止められない。それ程、今の安積さんは怖かった。
「大体、たった二日じゃない。避けてるうちに入らないわ。」
「正確には三日だろ?
 出てきてすぐ、避け出して、今日はもうすぐ退社時刻だ。」
顔の両脇に突かれた腕が、檻のような気がする。
何でこの人に、こんな事言われなくちゃならないんだろう。
そう思っただけで、涙が滲む。でも。泣き顔だけは見せたくない。
「ほ、他の女性と連絡・・・。」
「そんな暇、ある訳ないだろ! ずっとお前の携帯に掛けっぱなしで!
 会社で声掛けようにも逃げてばかり・・・!」
逃げてない。
そう言いたかったけれど、喰いしばった歯を緩めたら、涙が零れそうで出来なかった。
「・・・昨日、一昨日と何処に行ってたんだ?
 佐川とでも会ってたのか? もう寝たのか?」
カアッと顔が熱くなったのが、自分でも分かった。
佐川さんどころじゃない、あたしは安積さんとしか、好きな人としかあんな事できない。
でも安積さんは、あたしの顔が赤くなったのを、肯定ととったらしい。
チッと舌打ちをすると、ブラウスのボタンを外し始めた。
「やだ!」
「じゃ、言うんだ! 誰と会ってたんだ!」
「誰とも会ってない!」
「・・・確かめてやる・・・。」
暴れるあたしを押さえ込み、安積さんはそう呟いた・・・。


 気が付くと。座り込んだまま動けないあたしを、安積さんは背中から抱き締めていた。
まだ2つ3つは外れているものの、ボタンも掛けられスカートも伸ばされている。
汗が引いて肌寒さが戻ってきたせいか、ブルッと体が震える。
途端、安積さんがギュッと腕に力を込めて抱き締め、顔を覗き込んできた。
「気が付いたか。」
「・・・今、何時?」
抱き締めたままの腕を軽く捻って、安積さんは腕に巻いた時計を見た。
「6時半だ。・・・送っていくよ。」
あたしは指一本動かすのも面倒だったけど、頭を振った。
「他の人に譲れる程度の女に優しくしないで・・・。」
「・・・お前、分かってて言ってるのか・・・?」
低い声と、力の篭った腕。でももう、怖いと思う事さえ疲れた。
「あたしに分かっているのは、あんな事、安積さんとしかしないし、したくないって事だけ。」
「分かってる、俺が悪かった。
 夏波がそんな事する訳ないの、分かっていたのに。
他の女みたいに、泣いて我が儘言ってすぐ嘘をついてくれれば分かるのに。
今までの女と反応が違うからどうしていいのか分からないんだ。
 分からないからイライラして・・・、八つ当たりだ。ゴメン・・・。」
腕を解き、立ち上がり、あたしの手を引く。
立たせたあたしをもう一度抱き締めて、安積さんは言った。
「・・・頼むから、携帯の電源を切るな。俺の目の届かない所へ行くな。
 この前みたいに青い顔で倒れられたら、と思うと心配で腹が立つくらいだ。」
「あれは・・・。」
「分かってる! でも、嫌なんだ!
 俺の見ていない所で何かあったらと思うだけで嫌なんだよ!」
・・・いつも余裕のある人だと思ってた。
付き合ってる女性がいっぱいいて、女の扱いが上手で、でも本気にはならない人だ、と。
でも今の安積さんは、いつもと何処かが違ってる・・・。
「・・・悪かったよ、大声出して。
 今日はもう帰ろう。嫌だと言っても送っていくから。
 部屋に入って鍵を掛けるまで、見届けるからな。」


 「送ってくれて、ありがとう。」
我ながら抑揚のない声が口から滑り出る。
「・・・明日、本当に行くのか?」
「もう約束したんでしょ?」
それに。自分で見付けて来た人なら、安積さんも安心してあたしと別れられるだろうし・・・。
そう言いたかったけど、言葉を飲み込んだ。
「・・・じゃ、11時頃迎えに来るから。」
「分かった。」
「おやすみ。」
いつものようにキスしようと、安積さんが顎に手を掛けるが、あたしは顔を上げなかった。
ふうっと溜め息が聞こえ、前髪が上げられた。
「・・・おやすみ。」
額に唇の感触がして、視界から靴が消えた。
あたしが無言で鍵とチェーンを掛けると、外からガチャガチャと確かめる音がして、もう一度、声が聞こえた。
「おやすみ。」



目を瞑ると、頭の中でJe te veuxが流れる。
でもそれは、今までみたいに甘い響きではなく、妙に物悲しい感じがした。






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