|
「ホワイトデー、何かリクエストはある?」 安積さんが、背中から抱きしめてくれながら言う。 先程までの責めるような抱き方とは打って変わって、優しい声。 回された腕も、重さを掛けないようにしてくれているのが分かる。 ・・・何で、急にこんな態度をとるのだろう。 他の女性たちにも、こんな風に『鞭と飴』みたいなことをするのだろうか。 どんな風に見つめて、どんな風に抱きしめて、どんな風に囁くのだろうか。 そう考えて笑ってしまった。 焼き餅だ、これは。 あたしの知らない安積さんを知っている女性が居る事に対する、嫉妬。 もしかすると、独占欲かもしれない。 こんな気持ちを口にしたら、安積さんはどう思うだろう。 「夏波? ・・・寝たのか?」 「ううん。寝てないよ。」 腕の中でモゾモゾと向きを変えて、安積さんの胸に擦り寄った。 暖かい、広い胸。・・・それだけで満足しよう。 「ホワイトデーね、クッキーがいいな。」 「・・・欲がないな。」 「じゃあ、チョコレートも欲しい。」 「はいはい。」 笑いながら、髪をなでてくれる手が優しくて、あたしは何も考えられなくなった。 帰りの車の中で、安積さんが珍しくCDをかけた。 「オルゴール?」 「そう。好きなんだ。」 以外な一面を見られて、ちょっと嬉しくなる。 普通は琴で聴くことの多い『六段』や『さくらさくら』が、硬質な澄んだ音で流れてくる。 「・・・オルゴール館ってのがあってさ。 そこでは昔のドーナツ版式の大型オルゴールが聴けるんだ。 今度行かないか?」 今度・・・。いつになるか分からない約束。 いつもの安積さんなら、はっきりと日にちを決めるのに、曖昧な言い方。 「うん、行きたい。」 「そうか、今度な。」 ほんのちょっとだけだけど、佐川さんに対して焼き餅を焼いてくれたのかな、と思った自分が後ろめたくて、あたしも曖昧な返事を返した。 次の日の朝。 体中がダルく、頭痛と吐き気がして目が覚めた。 目が覚めても、ベッドから起き上がれない。 ズキズキと痛む頭で考えると、もうすぐアノ日だと思い当たる。 あたしは結構重い方だけど、ここまで酷いのも珍しい。 きっと今日中にくるだろうから、大人しくしていよう。 取り合えず、食欲はないものの、コーヒーでもと思い起き上がる。 途端にせり上げる物に、慌ててトイレに駆け込んだ。 吐く物なんか何もないのに、吐き気だけが納まらない。 ・・・今回、本当に酷いな・・・。 そのままトイレでへばっていると、チャイムの音が響いた。 誰だろう? 立ち上がった途端、流れ出す不快感。・・・来た! 仕方なくトイレに座り直すと、ガチャガチャとチェーンの音がする。 「夏波! どうしたんだ!」 「安積さん。ちょっとだけ待ってて!」 力を振り絞って声を上げ、あたしはトイレを出た。 水音に状況が分かったのか、安積さんはドアを閉じて待っていた。 「ごめんなさい。」 「トイレだったのか?」 「うん・・・。」 まだパジャマのあたしを見て、顔を顰めながら入って来る。 「具合、悪いんなら、横になっていた方がいい。」 ベッドへあたしを戻しながら言う。 「大丈夫よ。・・・病気じゃないから。」 「でも、真っ青で涙目だ。」 毛布を肩まで上げて、ポンポンと叩く。 「・・・そんなに酷い顔?」 「ああ。でも、病気じゃないって、まさか・・・。」 「あー・・・、えーと・・・。」 流石に恥ずかしくて口籠っていると、安積さんが急に顔を覗き込んで来た。 「・・・つわりか?」 「違います。・・・その逆です。」 いくらなんでも勘違いしすぎ。あたしは慌てて訂正する。 「そうだよな。一応、俺も気を付けてるし・・・。 ・・・いつもそんなに酷いのか?」 「ここまでじゃないけど、結構ね。 でも、今回特に酷いみたい。」 「じゃ、やっぱり休んでおけ。」 ゆっくり、瞼を閉じるように手が撫でて行く。 その暖かい手に、あたしは急激に眠くなって来た。 ・・・でもね。本当はその手をずっと握っていられたら、痛いのも苦しいのもなくなるのにな。 ゆっくり目を開くと、安積さんの姿はなかった。 ヒーターが低めの温度で入れてあり、部屋の中は暖かかった、 起き上がってみると、テーブルの上にはメモが一枚。 『オレンジのムースなら、喰えるだろう。冷蔵庫に入れて置く』 大きな角ばった文字で、そう書いてあった。 冷蔵庫を覗くと、白い箱が入っていて、中にはメモの通りオレンジのムースが3つ。 暖かな室内でそれを食べていたら、美味しいのに涙が溢れてきた。 「何でこんなに優しいのよ! その他大勢なのに、こんなに優しくしないでよ! もっと素っ気なくしてくれないと、本気で好きになっちゃうよ!」 とっくに本気で好きなくせに、まだ悪あがきが出来ると思っている自分が、心底嫌になった・・・。 |