ひどい現場だった。
 ユニア=イースの死体は、まるで壊された人形のように。
 間節という間節があちこちに、出鱈目に曲げられている。
 切り裂かれた腹部は、思ったより出血が少なく。かえってそれは内部の様子を細やかに伝えてくれた。その顔は苦しげに歪み、苦悶の表情を張り付かせたままで、目を大きく見開いている。
「………ユニア………」
 リズのか細い声だけが現場での唯一つの音となっている。
「ユニア……ユニア…………」
 何度も何度もその名を呼んで、その都度リズは絶望に震えている。
 あたしはそれをただ黙って見つめていた。





―静寂と孤独の狭間を彷徨う夜―
(第八話)

作:あごんさん




 ここはユニア=イースが最後に姿を見られたバイカー通りの、やはり裏路地である。いや、裏路地というよりも。
 漂う異臭。
 障る腐臭。
 散らばる汚物。
 捨てられた屑。
 そこにばら撒かれた全てが、先ほど必要だった物ばかり。
 そう、ここは。
 ここいらに住む人間が生活廃棄物を捨てる場所だった。
 ここに、ユニア=イースはまるでゴミ同然に打ち捨てられているのだ。
 発見者はここいらに宿を持つ浮浪者だった。
 空腹を覚えた発見者は、まだ食べられるであろう食物を求めてここに来て、そしてユニア=イースを発見したのだ。
 あたし達はすぐに現場に向かわずに、先ず宿屋へと戻りリズに報せた。とにかく先にリズに報せたかったのだ。そしてそのまま二人で現場に向かおうとしたあたしのマントをリズが引っ張り、どうしても連れて行け、と強く願った。
 友人であるリズに死体となったユニアの姿を見せるのはかなり躊躇したが、
「知りたいと言ってるのはリズだ。だったら連れて行った方がいい。その際に後悔を抱いてもそれら全てはリズのものだろ。リズには後悔する権利があるんだから」
 ガウリイがどこか寂しげにあたしの肩を叩いたのだった。
 その言葉に頷いたリズの瞳に、あたしは同行を許可したのだった。
「肉の腐り具合から見て、殺害されたのは今早朝から昼前まででしょう。出血の少なさから見て殺害場所は別と見た方がいいですね」
 淡々とした検死医の声が場にわだかまり空気を濁していくようだ。
「死因は今回はどうやら腹部切開による出血多量ではなく、絞殺のようです」
 その言葉にあたしはその場で首だけを検死医へと向けた。老齢にさしかかる男だ。何年か前までは黒々としていただろう髪は今では胡麻模様を描きつつある。
「絞殺?」 
「そうです。首に何か細い紐か何かを巻きつかせた跡があります。眼球の出血の様子から見てもそうでしょう」
 検死医はあたしに対しても丁寧かつ冷静に答えてくれた。
「昨夜のうちに殺害された可能性は?」
「それはないでしょう。昨夜はひどい熱帯夜でしたから、昨夜のうちに殺害されていたならこれだけの腐敗で済むとは思えません」
 ふむ。
 あたしは腕を組んだ。
 それでは犯人は誘拐後すぐには殺さずに半日ほど生かしておいたことになる。
 そして今までと違って殺害手段も絞殺、と。
 ちらりとユニア=イースの遺体に目を止める。
 少しだけ出来上がった赤い血の池。確かに検死医の言うように、絞殺後にここにユニア=イースの遺体を運び、そしてここで切開を行ったようである。
 しかしなんでまたそんな真似をする必要がある?
 昨夜ユニア=イースをさらった犯人は、まずどこかに運び、そこで何かあった。
 そして朝方辺りに殺害して、そして本日未明にここに再び運び、そして腹部切開を行った。
 なんだかそれではひどく七面倒ではないか。
 なんでわざわざここまで死体を運ばねばならない?
 いや、それよりも何故わざわざユニア=イースを誘拐しなければならなかったのか。やはり話はそこに戻ってしまう。犯人はユニア=イースになにか聞きたいことか何かがあったのではないのだろうか。だからどうしてもユニア=イースのみ誘拐する必要があった。
 それはいい。
 だが、どうしてわざわざ死体をここに再び運び、そしてここで切開をする必要があったのだ?
 犯人は移動先で切開してそこが汚れるのを厭うたのか?
 それでも、死体の運び先は何もここでなくてもいいではないか。
 同じ捨てるならその辺の川でもいい。その辺の裏路地だっていい。
 それともこの辺りに犯人が潜んでいるのだろうか?
「これまでと同じで、持ち去られた内臓は、心臓、胃の一部ですな」
「そう………」
 いやに醒めた検死医の声があたしを思考の海から引き上げた。
 まぁ、これぐらいの方が検死医という死体を相手にする仕事に相応しいのだろうけど。
「あなたは、何故犯人が内臓を持ち去ったのか、理解できる?」
 あたしは検死医にそう尋ねた。
「まさか。精神異常者の心理なんてわかりませんよ」
「いや、そーゆー意味じゃなくって。心臓と胃だけ持っていくなんて、何か関連があるのかな、と思っただけよ」
 検死医は少しだけ瞑目して小さく俯く。
「………心臓と胃に共通項なんて無いに等しいですな」
「そうよねぇ」
「あえて言うとすれば、一般人でも切開後にすぐに見分けがつくってことぐらいですかな」
「………う〜〜ん、なんかぱっと来ないわねぇ、それじゃあ」
 検死医は小さく肩を竦めた。
「まぁ胃と心臓くらいなら俺も知ってるもんな」
 ガウリイが興味無さげに鼻を鳴らす。
 確かに生後三ヶ月ほどの赤ちゃんの知能しか持たないガウリイでもわかるほどに一番知名度の高い臓器ではあるが。
 それがどーした。
 というくらいにしか感想が出ない。
「なんかさぁ………」
 場に相応しいとは思えないガウリイの声。
「犯人は腹を切るために殺したって感じだよな」
「だから切り裂きジャックなんでしょ」
 今更何を言っているんだ、この男は。
 今までに事件の経過や性質からいってもそれ以外の感想は持てないだろーに。
「そうじゃなくってさぁ。今回はなんか違うくないか?」
 どこか困ったようにガウリイは声を潜める。
「どう言やいいのかな………。今までは腹を切ったら死んじまったって印象が強かったんだよな、なんとなく」
 ?
 長いことガウリイの隣にいるが、本当に時折通訳が欲しくなる時がある。今がまさにそれだった。
「犯人に、殺意が感じられなかったって言やいいのかなぁ」
「…………………」
 続けろと目線で促す。
「でも今回だけなんで先に殺してから腹を切ったんだろう? なんか、今までと違う匂いがする」
 その言葉にあたしは、胸の奥にしこりめいた異物が産まれたような錯覚を覚えた。
 確かにそれはある。
 なぜ犯人は絞殺に及んだのか。
 このことい一つとってもいくつかの疑問点が浮かび上がる。
 犯人は最初から絞殺するつもりだったのか。
 それとも予期せねアクシデントが起こり、やむなく絞殺に至ったのか。
 しかしそれならば犯人は絞殺のための紐をあらかじめ用意しておかなければならない。
 今までの犯行の際にでも、一応絞殺の為に紐を用意してあったのか。
 あたしはどうしようもない溜息をひとつ吐いた。
 疑問はあとで考えればいい。
 今すべきなのは、状況をよく見て、死体をよく見ることだ。
 あたしはゆっくりとユニア=イースの遺体の周囲を歩いた。
 顔を綺麗なものだった。顔には傷ひとつない。腐乱の進行もまだそれほどでもない。確かに遺棄されてまだそれほどの時間は経過していないようだ。検死医の見立て通りだろうとは思う。
 夜の闇は酷く濃く、禍々しい匂いを放っている。これほど一日が長く感じられるのも久しぶりだ。
「なぁ、リナ」
「なによ」
 声を潜めたガウリイがあたしのマントを軽く引っ張る。
「これでハロルドの疑いは晴れたんじゃあないのか?」
「晴れないわ」
 僅かな希望を持ったガウリイのその言葉にあたしはにべもない返答をした。
「なんで?」
「ハロルドが捕まったのは今日の昼過ぎでしょ。死体遺棄の時間帯は今朝から正午前にかけてなんだから。ギリギリで晴れないのよ」
「そぉかぁ」
 実に残念そうにガウリイが呻く。
 呻きたいのはこっちも同じである。
 憂鬱な足を引き摺るようにしてあたしはまた一歩と踏み出す。死体検分なんて気分が悪いことに慣れるなんてやっぱしできない。
「ん?」
「どうした?」
 思わず出た声に、ガウリイがすかさず訊いてくる。反応早いなぁ。
「いや、ちょっと………ユニア=イースの髪が………」
「ホントだ。なんかみょーにザンバラな気がする………」
 言いかけたあたしに最後まで言わさずに、ガウリイが後半の言葉を繋げるように首を傾げる。
 そうなのだ。
 ユニア=イースの髪が、不自然に揃っていないのだ。
 しゃがみこんで近くでよく見てみる。
 目の覚めるような赤い、赤すぎる髪。量も豊かで死んだ今でもなお輝きを失わないその艶。その赤い髪は肩口で短く切られている。
 初めからのショート・ヘアとは思われない。
 なぜならばその髪先はてんでバラバラの長さで、いかにも無理矢理に切られたかのようだったのだ。まー広いこの世の中であるから、中にはこーゆー髪型に変なポリシーなんぞ持って好き好んでザンバラヘアーな女性もいるかも知れないけど。
 しかしユニア=イースは娼婦なのだ。男の視線を常に気にしなければならない職業の人間が、こんなみっともない髪型をするとは思われない。
「切られてるわ………」
 嗚咽をかみ殺すような口調で、低くリズが言葉を落とす。
「………切られ……?」
「ユニアの髪はあの子の自慢だったの。長くて、綺麗で………。なのに、切られてるわ」
 苦痛を堪えるようにリズが顔を歪ませながらユニア=イースの亡骸を見つめて立ち尽くす。
「ひどいじゃない………。殺しておいて、腹を裂いておいて………あの子の自慢だった髪まで切るなんて………」
 握り締められた拳がわななく。
「どうして………」
 それきりリズは語らなくなった。ただ、泣くでもなく、怒るでもなく、悲嘆にくれるでもなく憤りも見せずに、ユニア=イースの物言わぬ身体を見つめていた。



「死体はとりあえず本局に回収するよ。リナさん達はどうする?」
 凶悪な現場にいる自覚があるのかないのか、アリエールがなんにもなかったようにこちらを見た。
「ハロルドとの面会の続き………はまだ駄目よねぇ?」
「さすがにねぇ、それはちょっと。ただでさえ皆混乱してるし。もーちょっと落ち着いたら続きをしてもいいけど………っと、ところでルワードは?」
「あぁ、市長のトコに報告に行くってそのまま別れたわ」
「ふぅん」
 興味無さげに相槌ひとつ。それからアリエールの視線がリズへと向いた。
「君は?」
「エリザベス=ハーカー」
「ふぅん。いい名だね」
 淡々としたリズの名乗りにも彼は興味が無いようだった。
 余りにも職業意識が低すぎる。
 なんで死体発見現場に女性がいて、それを不審に思わないんだっアリエール=ソフラン!
「リズは殺されたさ………四人と同じグループよ」
 三人と言いかけてちょい詰まり、あたしはすぐに四人と言った。犠牲者が、増えたのだった。
 アリエールは「へぇ」と短く頷いた。
「なんでここにいるの?」
「あたし達と一緒に来たのよ」
「へぇ」
 再び短く頷く。
「じゃあ後で色々訊きたいこともあるし、本局の方に来てもらえるかな?」
「お断りよ」
 即答だった。
 アリエールは口を歪めてリズを真っ向から見据える。それに対峙するようにリズは目を逸らすこともなく再び吐き捨てるように口を開いた。
「お断りよ。あんた達に話すことなんて無いわ」
 そのまま踵を返して、来た道を引き返し始めた。これにはさすがのあたしも少し面食らった。
 呼び止めようとして腕を伸ばしたアリエールに、
「彼女にはあたしから話を聞いとくわ。後で報告するから。それよりも検死結果とか詳しいのが出たらそれをまとめておいて」
 言い置いてガウリイと二人でリズの華奢な背中を追った。
 夜闇に呑み込まれそうな、容易く折れてしまいそうな、細い体のラインだった。
 
 
「嫌いだわ、あいつら全員」
 声を掛けるその前に、リズが忌々しげに毒づいた。
 あいつらとはつまり警備隊の人間のことだろう。
「本当に事件を解決する気ならもっと早くの時点で、あたしに話を聞きに来るものなんじゃあないの?
なのに、ユニアが死んで、それからやっと本腰を入れるなんて、手遅れにもホドがあるわ」
 語気は決して荒くはないが、冷静さを欠きつつある声音だった。
「リズ。ねぇ教えて欲しいことがあるのよ」
「嫌いだわ。大嫌い。あいつらにとってあたし達の命なんかゴミ以下だって証拠なのよ」
「リズ、落ち着いて」
 なんとか歩みを止めようと、あたしはリズの肩に手を伸ばし、
「次はきっとあたしだわ」
 その言葉に指先に電流が走ったような感覚が生まれた。
 リズの露わになったその両の肩が小さく震えている。
 ここに至ってようやく解った。
 リズは怯えているのだということが。怒りよりも悲しみよりも、怯えが先ずリズの体内で産声をあげたんだ。だから、さっき現場で、あんな表情をしてたんだわ。
「あたしが守るわ!」
「あんただって結局市長の犬じゃない!」
 咄嗟に出た、でも掛け値なしの本音は、リズの悲壮な声に音量的に完全に敗北していた。
「守るわ! そのためにあなたに会いに行ったんだから!」
「あんたの飼い主はあたし達を毛嫌いしてるのにっ!?」
「あたしは市長なんかの犬じゃないわ!」
「同じことよ!」
 未だ闇が覆うこの街の片隅で、あたしとリズは肩で息をしながら睨みあった。
 朝は。
 まだ来ないのか。
 あたしは、そしておそらくリズもだろうが、次に何と言おうか考えあぐねていると、ガウリイがあたし達の間にゆっくりと足を進めた。
「リズ。リナは犬じゃないぞ。女なんだ。あんたと同じ、女だ」
「………………っ」
「………ガウリイ………」
 波一つ立てない、静かな湖面のような青い瞳がじっとリズを見つめた。引き締められた口元に佇む影は形容のしようがない色合いがある。
「リズ。あんたがリナをどう思うのも感じるのも全てあんたの自由だ」
 眼差しと同じに静寂を感じさせるガウリイの言葉に、リズは眉間に皺を幾本か作り上げた。おそらく気を緩めれば今作っている怒りに似た慟哭の表情が崩れるのだろう。それを抑えるためにリズはぐっと眉間に力を込めた。
「でも、こいつにとって、あんたはもう友達なんだ」
 夏の夜の風が湿気を伴い街中を疾走する。しめった風があたし達三人の間をすり抜ける。気のせいだろうが、そこに血の匂いが混じっている気がした。
 ガウリイのその一言に、リズの首ががくんと垂れた。まるで力尽きた旅人のように。
 あたしは思わずガウリイを振り仰ぐ。視線が合ってガウリイはどこか寂しげに一度だけ頷いた。
 それに頷き返して、あたしは胸中で彼に頭を下げたい想いに駆られた。
 あんたがいてくれて、良かった、と。
「リズ。守るから、信じて」
「………親からも兄弟からも捨てられて、この街の隅っこで、五人で慰めあうように生きてきたの」
 俯いたままでやはり肩を震わせている。
「ゴミ同然の生き方だけど、ゴミじゃないって自負だけは捨てなかった………」
 夜が深い。闇が濃い。
「まるでそれを否定されたみたいに、みんな………」
 言葉ってのは無力だ。
 言葉を紡がないと魔法は使えないから、言葉ってのは絶対だと思ってた。言葉が無いと想いなんて伝えようがないってことなんだって。それは確かに真実だけど。
「リズ」
 あたしよりも少し高い位置にあるその頭を、精一杯背伸びして、抱きかかえるようにして包みこむ。
 真実なんていつだってどこか一面から事象を捉えることが多い。
 違う一面から見れば、真実が虚偽に変わるなんてザラだ。
「リズ。絶対に守るから」
 力を込めて、あたしはリズを抱きしめた。
「………………」
 リズは何も言ってくれなかったけど、でも、力いっぱいに抱きしめ返してくれた。





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