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夢なんか見なかった。 でも日増しに暑くなる夏の夜の寝苦しさに息が詰まりそうで。 隣で眠るガウリイの寝息に安堵もしたけど、ガウリイと違うリズムで呼吸する自分の息遣いに少し不安になった。 そのせいか、寝覚めは決してよろしくなかった。 ―静寂と孤独の狭間を彷徨う夜― (第四話) 作:あごんさん いつもどーりの慌しい、でも心温まるお食事バトルを終えて、あたしとガウリイは一旦部屋に戻った。あたしは資料を取りに、ガウリイは土をいじるのに軍手がいることにやっと気付いたらしく、軍手を取りにである。 「で、どーするんだ?」 「ん〜〜? そぉねぇ」 気の早いことで軍手をもう着け始めたガウリイがあたしの目を覗き込むように腰を折った。 しばしあたしは考えてから、 「とりあえず、アリエールのとこに行くわ。ルワードさんは秘書なんだから午前中は忙しいだろうし」 そう言って資料を手に持った。 「そっか。そーいやお前さぁ」 「何?」 ガウリイが扉を開けてあたしを先に通す。 「あの黒づくめの奴。妙に気に入ってなかったよな」 「アルヴァート=クリスンのこと?」 「そうそう。そんな名前。あの市長相手ならわからんでもなかったけどなぁ、なんであいつも気に入らないんだ?」 ありゃ。 「わかっちゃった?」 ガウリイの言葉にペロリと舌を出してあたしは肩を一度だけ上下させた。 「一発でわかるに決まってるだろ」 ぽて、とあたしの頭に手を置いたガウリイの目をあたしは見上げた。 ん〜〜〜、と低く唸ってからあたしは呼気を吐く。 「それがわっかんないのよねぇ。とにかく気に入らないってことだけしかわかんないの」 「ふぅん。第六感ってやつなのか?」 天井に視線を漂わせてガウリイが、夏だけど春爛漫な声でのんびりと、あたしの髪をくしゃりと撫で付けた。その感触が気持ちよくってあたしは小さく笑った。 それからあたし達は頷きあってから、宿屋の前にて右と左に別れたのだった。 その途中で一度だけ振り返ると、そこにはやはりこちらを振り向いているガウリイが、莞爾と笑い大きく手を振っていた。 初夏の陽射しを一身に受けたガウリイが、なんだか遠くに感じたことは胸の隅にねじ伏せた。 「進展があったっぽいよ」 アリエールの第一声はこれだった。 しかし昨日一日だけでこの男がかなりちゃらんぽらんな事はわかっているから、この言葉にも素直に反応できなかったりする。 それにしても「ぽい」ってのは何だ? 「へぇ、どんな?」 ほぼ完全に義務感のみであたしは尋ねた。 「まぁ、些細なことなんだけど。それがね」 満面の笑顔でアリエールが笑う。それにしてもこの男は爽快さとは縁がない笑顔をする。 「昨夜未明に、一人の路上娼婦が行方不明になったんだ」 「んなにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!!??」 進展どころではないっ! それは新たな事件発生とゆーのだ!!! サラリと言うなぁぁぁっ!! 「些細じゃないでしょーがっ! オオゴトよ! とことんっ!!」 「いやぁ、でもまだ事件と決まったわけでもないからねぇ」 まるで自分と無関係であるかのよーにアリエールはへへへと笑う。なんつー無責任っぷり! 「だぁぁぁっ! 取り越し苦労だったらそれまででそれはそれでオッケーなのよ! もしこれが事件だったらってことを想定して動きなさい!」 言ってあたしは勢いよく立ち上がった! まだ動かないアリエールをあたしはきっと睨んだ。 「………何してんのよ」 「いや。僕は動けないんだよ」 「………何でよ?」 痙攣しつつあるこめかみに指を当ててあたしは低く、本当に低くそう訊いた。 「事件だと確定されるまでは動けない。だってお役所勤めだからね」 あっさりと、しかも笑顔で、未だ椅子から動かないアリエールに。 あたしはそのまま背を向けたのだった。 行き場のない憤慨に身を侵されそうになりながら、肩で風を切るように早足で部屋の外へと足を進めた。扉に手を伸ばしたあたしの背中に、アリエールの抑揚のない声がぶつかったのはその時だった。 「行方不明の女性の名前はユニア=イース。住所はエイトン通りの三丁目の八番地。クルモルというアパルトメンに住んでいるよ」 ………………………………………。 あたしはその姿勢のままで右手だけを頭上に上げて、そして振り返ることなく扉を抜けた。 お役所勤めも大変だな、と小さな感想と共に。 薄汚れて寂びれた、どこか疲れた風景だな、というのが第一印象だった。 ここはアリエールに教えてもらった、ユニア=イースの住むアパルトメンの前である。 さて、どうしようか。 思わず勢い込んでここまで来ちゃったけど、頭に明確な目的があったわけでもない。 灰色にくすんだ壁に亀裂が所々に走っている。いくつかの窓からはシーツがはたはたと揺れている。最下層の人間が住む地区なのだ、ここは。世界はまだまだ貧富の差が激しい。 「ちょっと、あんた」 突如、背後から女性の細い声が聞こえた。あたしはくるりと振り返る。 そこには背の高いすらりとした糸杉のような身体をもった女性がいた。 年齢ならばおそらく二十と少し。長いストレートの髪は極上の絹糸、色は陽を跳ね返して真珠のようにきらめく白銀。 瞳はくすんだ朱色で、夜空に時折現れる不吉を象徴する赤い月を思い出させた。 「あたし、ですか?」 白々しいかな、と思いながらも自分の胸に指を当てた。どうしてあたし? とゆージェスチャーには充分だろう。 「そ。あんた。あんたみたいな素人の女がこんなとこうろついて何なの?」 つっけんどんに、だがどこか徹しきれていない声音で女があたしに近づく。 「この辺は今ちょっとヤバイのよ。早くどこかに行きなさいよ」 気怠げだが温かみのある口調だ。優しい人なのかもしれない。 「えっと、あの〜〜」 「何よ」 「あたし、リナって言います」 「あんたの名前なんか聞いてないわよ」 女は白銀の髪を鬱陶しそうに掻き上げる。あたしと今、会話してることが鬱陶しいのだろう。 「婦女連続殺人事件の捜査を、市長から正式に依頼された者です」 女の右の眉がぴくりと動いた。それから女は口元をきりと結び踵を返す。白銀の髪が揺れた。 「あたしはエリザベス=ハーカー。リズでいいわ」 足早にアパルトメンの内へと入っていくリズさんの背中を、あたしは無言で追いかけた。中に入ると黴臭い匂いが鼻を衝いた。 香茶が湯気を立ててあたしの座ったテーブルに置かれる。 「ども。ありがとうございます」 軽く一礼したあたしにリズさんは何も言わなかった。 リズさんは自分の部屋に招いてくれると、視線で座ることを指示した。あたしは黙ってそれに従い、そして今に至るとゆーわけである。 「さて、誰の話が聞きたいの?」 「誰、とは?」 切り出したリズさんにあたしは眉を寄せた。 リズさんは小さく肩を竦める。 「ケイトでもイブでもトリッシュでも、勿論ユニアでも。一応あたし達は五人、ガキの頃から一緒にいるからね。親に売られたのも捨てられたのも同じ頃よ。このアパルトメンに皆住んでるわ………っと、もう過去形の方がいいのしらねぇ」 どこか嘲けるように皮肉な笑みがリズさんの口元に拡がる。 「次はあたしかしらね」 陽気にそう言ったが、あたしはそれに関しては返答しなかった。 「えっと、じゃあリズさん」 「よしてよ。あんたみたいなキレイな子に敬称なんかつけられた日にゃ、眠れないわよ」 この場合の『キレイ』とは顔体の造形のことなんかじゃあなくて、おそらく、生きてきた環境のことだろう。世の中の女性は娼婦を毛嫌いするが、あたしはそんなことはない。そりゃあ彼女達の事が何か判るのかと言われたら窮するしかないが、それでも彼女達を尊敬している部分は確かにある。 生きるってのはそれだけで困難なのだ。 必死で生き抜いている彼女達は、親元でただヌクヌクと育つだけのお嬢様より、ずっと綺麗だと思う。 「じゃあリズ。殺された三人には、そして行方不明のユニアさんには、何か共通点とかない?」 彼女は「はんッ」と短く笑った。吐き捨てるような笑い声だった。 「そりゃあいっぱいあるわよ。汚い娼婦だし汚い格好してるし、食い意地はきたないし、汚い世の中を渡っているわ。汚いつながり、ね」 あたしもだけど、と付け加えて、やはり自嘲するリズにあたしは視線をひたと止める。 「マジメに答えてほしいの、リズ」 「マジメに答えてるわよ」 はふ、とあたしは宙を仰いでからしばし考えた。 「質問を変えるわ。あなた達五人に共通の秘密とかはない?」 「それはあるわ。ありすぎて困るほどよ」 「………それを教えてもらうってワケには………いかないわよね?」 上目遣いで見たリズの端正な顔に薄笑いが乗った。 「秘密は常にそれぞれの胸の中にしまっているの」 ノー、ってことか。 しかしこれでは捜査がちっとも進まない。 犯人の動機を考えるのは後回しにした方がいいだろう。 そう結論付けてあたしは香茶を一口含んだ。甘い。 「えっと、仕事場についてなんだけど。縄張りがあるってことくらいなら知ってるんだけど、その日その日のそれぞれの仕事場については認識できてるのかしら?」 「それはできてるわ。だってローテーションしてるから」 「ローテーション?」 あたしは少しテーブルに体を乗り出してリズに問うた。 「そ。娼婦ってのは大体三〜六人くらいのグループを組んでるのよ。その日の儲けを全員で持ち寄ってそして山分けするのが相場ね」 へぇ、知らなかった。 「公平であるってのは大切でしょ? じゃないと儲かる場所をとった子だけに金銭がいくようになるわ。妬み嫉みは一文の得にもなりゃしない。だから仲間内でローテーションするの」 それじゃちょっと調べれば誰がいつどこに立っているのかもわかるということだろう。 あたしは「失礼」と断ってから資料を取り出す。 ガサガサと耳障りな音を立てて紙を一枚、二枚とめくった。ちらりと見たリズの顔は静かなものだった。 ふぅむ。 一人目の被害者であるケイト=デリバーの死体発見場所はクリニクス通りの裏路地。 二人目の被害者であるイブ=ロートンはディートル通りのやはり裏路地。 三人目のトリッシュ=シナは、ケイトと同じでクリニクス通り。 そして次はこの街の大まかな地図が書いてある資料を取り出す。 あたしが今いるこのエイトン通りから二つ向こうがクリニクス。そしてその一つ向こうがディートルだった。 「えぇっと、ユニア=イースさんは昨夜はどこの通りで仕事を?」 「………バイカー通り」 しばし考えてからリズはそう言った。 あたしは再び地図を見る。バイカー通りはディートルの向こうだった。 「じゃあリズはどこで?」 「あたしはラントーニ通りよ」 ラントーニ通りはクリニクスから一つこのエイトン通りよりだった。 殺された順番と死体発見場所に何かの法則があるようには見られない。 ただの通り魔なのだろうか。 それにしては殺された三人と現在行方不明の一人が同じ娼婦グループなのは不自然だ。 あたしが考え込んでいると、 「ねぇ」 リズがまるで感慨の欠片も無い声で話しかけてきた。 「犯人は、あたし達を狙っているの?」 「………現段階ではそれはわからないわ」 正直な回答をあたしはした。 「模範的ね」 その通りなのであたしは答えない。 「これじゃおちおち仕事もできないわねぇ」 不満気にリズが呟く。 って、まさかっ!? 「今夜も仕事をするわけじゃあないでしょうね!?」 思わず叫んで立ち上がるあたしを、リズは醒めた目で睨んできた。 「当たり前だわ。仕事をしないと生きていけないの」 「殺される危険性の方が高いわ」 「殺されない可能性もあるって意味よね」 「しばらく仕事は控えてほしいわね」 あたしの言葉にリズはまた吐き捨てるように、斬りつけるように笑った。 「はっ! しばらくってのはいつまで? 犯人が捕まるまでのこと? この街で厄介であるだけの娼婦がいくら殺されようと役人は痛くも痒くもないのよ?」 「リズ、聞いて」 「ふん、いっそのこと全ての娼婦が殺されるのを待つのも策よね。犯人を見つける手間も省けるし、娼婦もいなくなるんだから」 嘲るように笑うリズをあたしは見ていた。彼女は誰を嘲っているのだろうか。 「リズ、あたしは犯人を捕まえるためにこの依頼を受けたわ」 そこまで言ってあたしの脳裏に「否」という文字が浮かんだ。 「いいえ、これ以上被害者を出さない、その為にこの依頼を受けたの」 リズの眉が動いた。何か言いたげだったが彼女は口を開かずにカップに口をつけただけだった。 「あなたはさっきあたしに忠告してくれたわよね?」 「何か言ったかしら?」 「ええ。ここは危ないから離れろ、と。この科白を、次はあたしが言ってもいい?」 リズは盛大に眉をしかめた。 リズが何か言う前にあたしが先に口を開く。 「あたしのいる宿屋に来て。あなたを雇うわ。体を使ってお金を稼ぐって意味ではどの仕事も一緒よね。犯人が捕まるまで、あたしがリズを雇うわ」 リズはもごもごと唇を動かしたが、たっぷり三十数える時間を置いてから、 「オーケー。命あっての物種よ。仕事があるなら受けるだけよ」 みすみす命を捨てる行為に出るほど愚かではない。そして人の憐れみなんか糞食らえだと言外に言って、彼女は立ち上がった。 「あたしは高いわよ」 そう言った彼女の瞳は、少しだけ笑っていた。 ちょっと待ってて、と言い残して隣の部屋に消えたリズはすぐに出てきた。ちょっとも待ってなどいない。どうやら荷物をまとめたらしい。 あたし達はそのままその部屋を後にして、このアパルトメンを出た。 小さい鞄をひとつだけ持って彼女はあたしの横に並んだ。荷物なんて無い、と彼女は軽い鞄を軽く頭上に上げる。 「ねぇ。リナ。ユニアはもう殺されたのかしら?」 やはり感情を見せない表情と声でリズがあたしの顔を見る。 「わかんないわ。でも犯人は今までその場で殺してきてる。なのにユニアさんを誘拐するなんてちょっと合点が行かないことをしてるわ」 「生きてる可能性もあるってこと?」 町並みに目をやって零すようにリズが呟く。あたしはひとつ頷いた。 「ユニアさんを連れ去ったってことに疑問を持ってるの。彼女は何か特別なことがある?」 あたしの質問にリズは首を横に振る。 「あたし達は所詮ドブ鼠よ。特技も何も持ってないし、お金なんか無い」 う〜〜〜ん。じゃあ一体なんでユニアさんだけその場で殺さなかったんだろう。 そこで殺せなくなった事情があるんだろうか。 例えば人が通りかかったとか。 しかし、それはそれでユニアさんも抵抗するだろうしなぁ。 何も、本当に何一つ謎が解決されてないことにあたしは頭痛しそうだった。 宿屋まで少し会話を挟みながら歩いた。 道々でリズは自分達のことを話してくれた。 「あたし達は自分が汚いってコト位はわかってるの。それを訳知り顔で同情されるのもイヤだし、そんなことないって否定されるのも大嫌い」 頷くだけのあたしにリズは微笑んだ。綺麗な笑顔だな、と心の底から思った。 「でもあんたはそんなこと何一つ言わなかったからね。普通なら言うでしょ、何か聞き出そうとして心にも無いことをさ。あんたはあたしに対してマジメだった。だからあたしはあんたの宿屋に行くのさ」 それに、とリズは付け加えた。 「あんたは娼婦連続殺人事件って言わなかった。お役人が、それを事件の正式名称にまでしたっていうのにね」 果敢無げに。 リズは小さく微笑った。 その笑顔もやっぱり綺麗だとあたしは思った。 宿屋に着いてからすぐにあたしはリズを部屋に案内した。 「二人部屋じゃない」 目を丸くしてリズが言う。 「あんたの情人もいるの?」 「あ〜〜、まぁね。でもま、あたしの連れには別の部屋を取ってもらうから気にしないで」 言いながら部屋の窓を大きく開けた。初夏の南風が心地よい。 「あたしがその部屋に行くわよ。一番安い部屋を取っておいて」 あたしの世話にはならない、という意味だろう。自分の部屋代くらいは自分で払うという気概が見えるリズの姿勢をあたしは気に入った。 「オッケー、リズ」 適当にくつろいでて、と言い置いて、あたしは宿屋の受付に向かった。そこでおばちゃんに言って部屋を貰い、そのまま鍵を持って部屋に帰る。その途中で、 「さて、雇うとは言ったものの、何をしてもらおうかなぁ」 リズへの依頼内容を考えながら廊下をてくてくと歩いた。 その時だった。 どたばたと廊下を慌しく走る足音が耳を打ったのは。 騒々しいわね、とあたしが背後を振り向くと、そこには顔面蒼白のガウリイがいた。 「ガウリイ!?」 「リナ!!」 あたしの顔を認めるや否や、ガウリイは猛然とダッシュしてこちらに走ってくる。 「ど、どーしたの!? 何かあったの!?」 「ハっ! ハロルドが!」 ハロルドが? どうしたの言うのだろう。 そう問うよりも先にガウリイが結論を言った。 声に音に不審を感じたのか廊下に出てきたリズも眉を顰めている。 「ハロルドが連続殺人事件の犯人だって、役人に連れてかれたんだ!!」 「ええええええええええええええええええっっ!!?」 余りにも突拍子がなさすぎて、あたしは思いっきり叫んだ。 リズも驚きに目を丸くして、口を大きく開けていた。 |