―静寂と孤独の狭間を彷徨う夜―
(最終話)

作:あごんさん





「ちょ………ちょっと待ってよ、リナさんっ!」
 焦りの声がアリエールから上がる。どうやらアリエールも事態が理解できたようである。
「それって………まさかっ!?」
「そうよ。ニーナは、彼女はハロルド=マクラクランの腹部切開及び臓器摘出を行ってるわ」
 つまりさっき道の真ん中でルワードさんがあんな態度を取ったのは、この解体ための時間稼ぎだったのだろう。
「ありえないっ! ハロルド=マクラクランは当局で………っ!」
「残っているのはわずか数人。あの広い建物の中でたったの数人しかいない状態で、人一人脱獄させるなんてワケないわよ」
「脱獄ってのはそんな簡単なものじゃあないんだ!」
「――殺したよ。残っていた四名、全員を」
 地の底から這い上がって来たかのような声は、完全にアリエールを沈黙させた。
 ルワードさんだった。
 全く変わらない姿勢のままでルワードさんは言葉を続ける。
「エリザベス=ハーカーを殺害後、すぐに警備局まで行き、そして事件の発覚をその場で待った。ほぼ全員が飛んで出て行ったのを見送ってから、残っていた四名を一人ずつ、殺した。そしてハロルドに事情を説明してね。ハロルドは、沈痛な顔で私と共にここまでやって来たんだ。後は―――言わずもがなだろう」
 言って視線をニーナへと向けた。その視線を受けて、ニーナは少しだけ目を伏せた。
「ハリーは何も、本当に何も言ってくれませんでした。
 ただ、今は言えない。いずれちゃんと伝えるの一点張りで。
 胸の中を見ても、やっぱり何も言ってはくれませんでした」
 かぶりを数回振ってニーナは俯いた、が、すぐにその面は上げられた。
 その顔に張り付いていた表情は、怒りにも見え悲哀にも感じられた。小さな桃色の唇がいびつに曲げられる。
 笑っていることに気付いたのは何人いたのだろうか。
「何も言ってくれない! そのくせ自分を信じて欲しいなんて手前勝手な事ばかりを言うっ!
 信じるですって!? 
 はっ! 何も言わない人間の何を信じろって言うのよ!!
 あたしはただ知りたいだけなのよ!?
 あいつは何も答えない! 私のことなんてどうでもいいって証拠だわ!」
 童話に出てくる鬼女のような険しい、人間の持つ獰猛な部分を前面に押し出したかのようなその表情でニーナは叫んだ。開かれた目は充血して、額には血管が浮き出ている。
「ハロルドはあなたを愛していたわ! 心からね! 第三者のあたしにもよくわかったその想いがあなたに伝わらないとは思えないわ!」
 あたしも声を張り上げた。ハロルドの純粋な想いをニーナが拒絶するのを見るのが耐えられなかったからだった。
「笑わせないで! 愛しているですって!?
 ならば、なおさら私の疑問にちゃんと答えるものだわ!
 なのに何も言わなかった! 愛しているなんて私は聞いたこともないわ!」
「言葉は全てじゃないでしょう! あなただってハロルドの瞳を見てたはずだわ!
 ハロルドはニーナを心から大切に想っていた! 
 だからこそ言えなかったのよ!
 彼はね、あたしに言ったわ!
 今はニーナに全てを話しても彼女の心に余計な負担をかけるだけだってね!
 だからもう少し時が経ってあなたの精神に余裕が出来たその時こそ全てを告白するって!」
 ニーナの顔に亀裂が走ったような錯覚が見えた。
 彼女はがちがちと歯を鳴らし、己の手指を噛みはじめた。
「そんなこと知らない! だって私は何も知らなかったっ
 あいつは何も話さなかった! 自分のことは何一つ!!
 何も、何一つ、知らなかったのよっ!?
 それでどうやって信じろっていうのよ!?
 あいつは、結局私のことを信じていなかった!
 だから、私も信じなかったのよ!!」
 聞こえるのは崩壊の音色なのか、慟哭の叫びなのか。
「――大切なのは過去ではないでしょう?
 それに――それでも、彼はあなたのことを本当に大切に思っていたのよ」
 多分、ハロルドは自分がニーナに殺されるであろうことを予想してたはずだ。
 ルワードさんは事情を全て話したと言った。本当に全部を話したんじゃないのだろうか。
 それでもハロルドは、ニーナを愛していたのだ。全てを受け入れる覚悟で、受け止める覚悟で。
 愚直と言われるかもしれないだろう。不器用だと笑われるようなほどの。
 でもそれが、人を愛するということなのだ。
 信じるということなのだ。
「人が人を信じるのに確証とか条件なんて無いのよ!
 信じるって事はそれたった一つだけで成り立ってるのよ!?
 そこには何も介入できっこないわっ!
 だって信じてるんだから! 莫迦なことでも愚直と言われようとも不器用でも無様でも!
 そんなことの全ては無関係なのよ!
 あなたに欠けてたものは唯一つだけっ
 ニーナ! あなたにはハロルドを信じる勇気を持つことさえできなかった!」
 喉の奥が切れそうなほどにあたしは叫んだ!
 あたしはリズの信頼を裏切ってなんかない!
 守れなかったけど! 守りたかったけど! それでもあたしは裏切ってなんかない!
「信じないっ そんなこと信じないっっ そんなこと!!」
 語尾には悲鳴が重なった。
 ニーナはその華奢な身体を興奮に痙攣させてその場で膝を折った。

「素晴らしいっ! 
 ここに今、美しい楽譜が完成されたっ!!」

 歓喜の貌でアルヴァートが舞台に立つ役者のように両腕を勢いよく広げた。
「―――ガウリイっ!」
 あたしの声が口から出るのとガウリイが腰に差してある斬妖剣を抜いて地を蹴るのとは同時だった。
「無粋な」
 容赦ないその鋭い斬撃をアルヴァートは紙一重でかわすと、余裕の笑みをもってふわりと地に再び足を着けた。
「せっかくこんなにも美しい精神の崩壊の音色が鳴り響き聞き惚れているというのに、人間というものは情緒が無いなんとも下等で低俗な生き物なのだろうね」
 あたしはアルヴァートを睨み付けた。
「あんた、魔族ね! アルヴァート=クリスン!」
「アルヴァートだけで結構。リナ=インバース」
 驚愕の小さな声がアリエールとルワードさんの口から漏れた。
 アルヴァートがどうやってハロルドとの面会時の会話を知ることができたのか、これならば納得がいく。
 隙のない構えのままでガウリイがじりじりとアルヴァートとの間合いを詰めていく。
「そう殺気立てることもないだろうにねぇ」
 くっくっと喉の奥で愉快そうに笑う。
「人間にはどうやら美しい旋律に耳を傾けるという高尚な趣味は無いようだね。
 稀に見る――いや、聴く、かな。
 美しい精神の崩壊の音を聴かせてもらったよ。
 お陰様で『オナカイッパイ』になったよ」
「はぁっ!」
 裂帛の気合と共にガウリイが再び剣を疾らせた。切先がアルヴァートに届くその一瞬前にその姿は空気に溶け込み消えた。ガウリイの剣はむなしく虚空を斬っただけだった。
 あたしとガウリイが暫くその虚空を睨みつけていたが、そこにはもう気配は微塵も残ってなかった。
 目が合ったガウリイも首を横に振る。完璧にいないということだろう。
 忌々しかったが、それにかまけてる状況でもない。
 あたしは視線をニーナへと戻し、そしてルワードさんへと移した。
 ルワードさんは疲れた表情で力無く笑うと、訥々と語り出した。

「全てが、リナさんのご推測の通りですよ。
 ニーナの母親は花売りと呼ばれる娼婦でした。そして私の父の、市長の妾でもありました。
 元々は私の不注意もあったでしょう。ニーナには私を兄と呼ばないようにという注意を出すのが遅すぎました。ニーナが不義の子供だと、市長と娼婦との間に生まれた子供だと、ごろつき共にばれたんです。
 ニーナは自分の父親を知りません。
 脅迫を、確かに私は恐れました、が、手を打つ前に、ニーナが凶行に及びました」
 ルワードさんは瞳を未だに床の上で奇声を上げている妹へと向けた。
「第二の被害者まで私は知りませんでしたけどね。
 第三の被害者、トリッシュ=シナの時にニーナがいつもの笑顔で、本当にあどけなく噛み千切られた耳が痛いと私に言ってきたんです。ひどく混乱しましたが、今まで色んな苦労をしてきた妹を、見捨てるわけには行きませんでした。見捨てるなんて選択も思い浮かばなかったな、当時は。
 ニーナはなんとかハロルドの過去が知りたいと切実に願ってたんです。
 私は以前にハロルドを調べたときに彼の過去の行いを知っていましたから、それをそのまま伝えましたが、ニーナはそれを聞いてさえくれなかった。
 ハロルド本人か、もしくは娼婦達に直接聞かないと納得できなくなってたんでしょう。
 ユニア=イースの事件は、私は心配になってニーナの後を尾行したんです。
 誤解しないでください。私は卑劣で卑怯な男です。ユニア=イースの生命を心配したんじゃない。
 第四の事件になるわけですから、警備もいくらかは強化されている。
 ニーナの犯行が誰かに見られないかどうかの心配です」
 ルワードさんは、やはり笑っていた。
 彼の精神も、崩れ始めているのかもしれない。
「ユニア=イースの時も推理通りですよ。ナイフが折れてしまってね。揉み合ってるうちにニーナの指の包帯が解けたんです。ニーナは咄嗟に包帯でユニア=イースの首を絞めて、殺しました。
 完全に伸びきった包帯はもう使い物にならなくってね。しかし予備を置いてなかったために翌日は半日程でしたが包帯をしていなかった。そこをガウリイさんに聞かれ、思わず治ったと答えたんでしょう。まさかこれが命取りになるとは思いませんでしたが。
 ニーナは何としても内臓が欲しかったんですよ。しかし折れたナイフでは腹を裂けない。
 ですから私は死体を移動させる事を提案しました。髪を切って酔っ払いに言うように適当に声を死んだユニア=イースに掛けながら二人で肩に担いで移動させたんです。
 そして腐臭を少しでも抑えるために保冷庫で解体をしました。
 遺体を戻したのは、捜査を混乱させるためだけですよ。他に理由はないです。
 荷車で運びました」
 ふぅ、と重い溜息が誰かに口から漏れたのか聞こえた。ひょっとしたら全員だったのかもしれない。
「どうして、リズを殺したの? ニーナの話では標的の娼婦は四人だったでしょう?」
 その回答を予想しながらあたしは問うた。
「陽動、ですよ。リナさん。
 ほぼリアルタイムで起こった事件なら、警備員も大人数で動くと予想してましたからね。
 ハロルドを脱獄させるためだけの、陽動です」
 感情が動くより、まず手が動いた。
 あたしは固く握り締めた拳をルワードさんの顔面に叩き付けた。
「ふざけないでっ! 人の生命を………っ
 人一人の一生を、過去を未来を何だと思ってるのよっ!
 全部奪ったのよ!?
 思いも夢も約束も笑顔も涙も……っ
 全部、根こそぎ奪ったのよ!?」
 ルワードさんはあたしに殴られた頬を押さえもせずに、ただ床に目を落としていただけだった。
「保冷庫に行きましょう」
 ちゃんと物的証拠を手に入れないと現行犯逮捕には踏み切れない。
 わななきは止まらない。
 後何発殴りつけたところでもきっと怒りは収まらないだろう。
 抑えきれないこの昂ぶりは、でも抑えなくてはならない昂ぶりなのだ。
 ニーナもルワードさんもきっと抑えきれなかったのだろう。抑えきれないから抑えなかったでは人間はヒトではなくなる気がする。
 あたしは足を保冷庫のある方向に向けてさっさと歩き出した。
 未だに狂い泣くニーナと項垂れたなりのルワードさんに背を向けて。アリエールはこのまま二人を放っておいたままで離れるのを危惧しているのか、ちょっと考えた後で結局足を動かさなかった。今更逃亡も何もないだろうに。
 ちゃんと物的証拠を手に入れないと現行犯逮捕には踏み切れない。
 保冷庫まで行くには一旦外に出て花屋店舗から入らなければならない。あたしとガウリイは玄関を抜け外に出た。陽射しはやっぱりきつかった。
 赤レンガ造りの小さな小屋の前で一旦足を止めて見上げる。熱い空気は上に逃げるために天井近くには幾つかの風抜けのための窓がある。
 ノブに手を伸ばしたがどうやら鍵がかかってるらしい。カチャリと小さな音を立てただけで扉は開かなかった。ガウリイに目配せをする必要もなく、ガウリイが一歩前に進み出て斬妖剣を一閃させる。扉と壁の間に剣を入れてそして閂を切ったのだ。閂が地に落ちる音がしたので迷う事無くあたしは扉を開けた。



「ルワード=ダービ、及びニーナ………ダービ、警備隊長の名において、逮捕します」
 静かに。
 アリエールはそう宣言して、ルワードさんとニーナの両腕に縄をかけたのだった。
 内臓はちゃんとあった。心臓と胃が合計で三つずつ。ユニアとリズとハロルドのものだった。他の三人の内臓は既に捨ててあるとルワードさんが供述したのだ。
 ハロルドの死体もまたそこにあった。
 腹を切り裂かれ、取り出された内蔵も二つに割ってあった。ニーナが秘密を探ろうとした跡だった。
 どうして心臓と胃の固執したのはわからない。でも少なくとも胃と心臓だけは数ある贓物の中ではポピュラーなものなのだから、その辺は関係してくるかもしれない。これは後日にでも落ち着いたニーナに訊くしかないだろう。
 ハロルドの死に顔は激痛に歪んではいたがそこに恨みめいた感情は読み取れなかった。
 保冷庫にあった全ての内蔵や死体を動かすには二人では足りないため、あたしとガウリイはハロルドの死体だけを運んだ。ガウリイは一人で運ぶと主張したが、あたしはちゃんと、事件に関わった人間としてちゃんと運びたかったので、それを無理矢理説得して二人でハロルドを運んだ。
 ひどく重い死体だった。
 二人共、衣服が血にまみれてしまったけど。そんなことは気にもならなかった。
 ハロルドの死体を目にしたニーナはまた髪を振り乱して喚き出したが、その言葉はすでに意味を持つことを放棄していた。
 あたしはなんとも言い切れない想いを抱えたままでその場に立ち尽くした。
 ガウリイが、そっとあたしの両肩に手を乗せたの時、少しだけ泣きそうになったけれど。
 泣けなかった。
 誰に対しての涙なのかわからなくなりそうで、そう考えたら泣けなかった。
 小さく聞こえるガウリイの呼吸が、あたしとは別のリズムで伝わってきて。
 あたしとガウリイはどうしようもなく別人なんだとぼんやりと考えながら、連行される二人を見つめていた。
 あたしはガウリイの全てを知ってるわけじゃない。だって、全てを知るなんて無理だから。
 自分のことだってわからなくなる時があるっていうのに、人のこと全てがわかる道理がない。
 全てを知らなくたって、あたしはガウリイを信じてる。
 あたしの知っているガウリイは、あたしの信じるガウリイだから。
 そっと思いをリズに馳せてみる。
 彼女は最後にあたしを信じてくれた。静かな眼差しは綺麗だった。
 今夜は少しアルコールを飲もう。ガウリイと一緒に。
 あたしはあたしの孤独を抱えながら、リズへの気持ちを抱きしめながら静寂な夜を過ごそう。
 人は誰だって静寂と孤独の狭間を彷徨いながら、夜を越えて朝を迎える。
 ニーナもハロルドもルワードさんも、リズもそうだったのだろう。
 あたしもガウリイもそうであるように。
 
 そしてあたし達はこの家を後にした。
 自分の両足で大地を踏みしめて、また静寂と孤独の狭間を彷徨う夜を迎えるために。








Fin.




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