嶮しい女性ではなかった。
 激しい性質は見え隠れする程度。
 出会ってまだ一日も過ぎていない。
 それでも、彼女にはどこか惹かれていた。
 疲れたように髪を掻きあげて、だるそうに息は吐く。
 対等であろうとしていた。つまり公正であろうとしていたのだろう。
 綺麗だと思っていた。
 守りたいと、本気で思っていた。
 謝罪の念よりも、後悔の念よりも、ただ。
 憎悪よりも悲哀よりも、ただ。
 自分が忌々しく思えた。
 絶対に守るって言ったのに。
 彼女もそれを信じてくれて、抱きしめてくれたのに。
 あたしは彼女の信頼を裏切ってしまったんだろうか。






―静寂と孤独の狭間を彷徨う夜―
(第十一話)

作:あごんさん





 ひんやりと目の上に冷気が乗ったのがわかった。
 重い。
「………ん?」
 小さく身じろぐと、上から優しい声が降ってきた。
「気が付いたか?」
 ガウリイの声だった。
 背中が柔らかいのがわかった。ベッドの上だろうか。
「もう少し寝てろ」
「これ、濡れタオル?」
「ああ。気持ちいいだろ?」
「うん」
 もう少しだけ目を瞑っていようかな。目の上に乗せられてるタオルが気持ち良い。
 それにゆっくり髪を撫でるガウリイの手が気持ちいいし。
「寝不足と体力低下。それと突然のことで衝撃を精神が受け止められなかったんだな」
「……………」
 突然のこと?
 衝撃………?
 うずくまったままの記憶が鎌首を気怠げにもちあげる。
 赤い――血の――海――倒れた――白い――………。
「リズっっ!!」
 がばりとその場に身を起こす。拍子でタオルが跳ね除けられた。
「寝てろ!」
「それどころじゃあないわ! 寝てなんかいられない!」
 あたしは慌ててベッドを降りようとした。
「いいから! 現場に今リナが行ってもどうにもならない! 寝てろ!」
「どうにもならないことないわよ! 捜査しなきゃ!」
 犯人を見つけなきゃ!
 不覚だ。どれくらい気を失っていたのか。
 守るって言ったのに! あたしリズにそう言ったのに!
「寝てろ!!」
 強い口調でガウリイが一喝した。あたしは驚いてびくりと身体を竦ませた。
 今までこんなにガウリイが強く怒鳴ったことなんて、ない。
 真正面にあったガウリイの表情は、険しさも厳しさもなく、ただ眉を下げて、哀願するように祈るようなものだった。
「頼むから、もう少しだけ寝ててくれ。お前が倒れた時、俺がどれだけ不安だったかわかってくれるなら、頼むよ。頼む、リナ」
「………ガウリイ」
 ガウリイの頭が下げられて、そのはずみで金色の髪が揺れた。
 あたしはそっと手を伸ばし、ガウリイの髪を撫でた。
「ありがとう。でもね、あたしはリズのためにも、自分のためにも今、動きたいのよ。あんたの心配は嬉しい。ホントよ。だからこそ、甘えた行動を選びたくないのよ」
「甘えるとかじゃあないだろ」
 俯いたままでガウリイがぼそりと抗議する。あたしは少しだけ笑った。
「うん、そーね。言葉が悪かったわ。ここで今、ふらつく足を抑えてでも立ち上がることに、あたしは意味があると思うの」
「………………」
「だから、行かせて? あたしの後ろにはいつだってガウリイがいてくれるから。行かせて」
「………………」
 あたしはじっとガウリイの言葉を待った。
 しばらくの沈黙の後で、ガウリイは重々しく息を吐いた。後で思えばこれは観念した溜息だったのかしれない。
「………そうだな。うん。お前は、立っていることを実感してないと、ダメだもんな」
 まるで自分に言い聞かせるように、ガウリイは、一句、一句を区切るようにした。
「ありがとう、ガウリイ」
「無茶はすんなよ」
「努力するわ」
「………オーケー。リナにとっては最大の譲歩だな、それは」
 あたしは破顔した。
「事件が無事に解決したら、この街のワインでも飲もうね」
「ああ」
 ベッドから降りようとしたあたしをガウリイの腕が手助けしてくれた。それにもう一度礼を言ってからあたしはベッド脇に掛けてあったマントを羽織った。
 ドアノブの手を伸ばしかけた時に、向こうからコンコンと来た。
「はい? 誰?」
「僕だよ。アリエール」
 扉の向こうから間延びした声がのんびりと聞こえた。
 そのままかちゃりと扉を開ける。確かにそこにはアリエールがいた。
「何?」
「もう大丈夫みたいだね」
「え? あぁ、うん、大丈夫よ」
「じゃ、いいかな?」
「何が?」
 アリエールは微笑した。
「事情聴取」

「―――と、まぁそーゆーワケであたしはリズにこの宿屋に来てもらったの」
「なるほどね」
 とりあえずアリエールを部屋に入れて、あと、なぜか付いてきてたアルヴァートも勝手に部屋に入ってきて、テーブルを挟んで向かい合っていた。
「で、誰かここにエリザベスさんが来てたことを知ってた人物は?」
「それなんだけど、いないのよ」
 アリエールが首を捻る。合点がいかない、とゆー顔だ。
「いないはずはないだろう。実際に犯人がここに来てるんだから」
「本当に誰にも言ってないわ。と、言うよりも言う暇さえなかったのよ」
「尾行されてたとか」
「それは無いわね。こう見えても場数だけは人並み以上よ。尾行に気付かないほど愚鈍じゃないつもりなの」
「でもそれだとおかしくなるよ」
 そうは言われてもしょうがない。
「いるじゃないか」
 腕組みして考え込んだあたし達の間に涼しい声が割り込んだ。
「アルヴァート?」
「なんであなたにそれがわかるのよ」
 アルヴァートの瞳の奥に底知れない闇が見えた。
「昨夜、尋問室で」
 尋問室で?
「ハロルド=マクラクランがエリザベス=ハーカーの名を出した折に、自分の宿屋にいる、と」
 記憶が瞬時に蘇る。
 そうだ。言った。

  『ね、あんたは知ってるの? 殺された三名と行方不明のユニア=イースとは同じ娼婦のグループだってこと』
  『…………知ってるさ。あと一人、エリザベスもだろ?』
  『そうね。リズは今あたしの宿屋にいるけどね』

 交わされた会話が鮮明に脳裏に映し出された。
「まさかっ! ハロルドだとでも言いたいの!?」
「まさか。ハロルドはまだ留置されてる身だよ。リナ=インバース?」
 愉しげにアルヴァートが笑う。反射的にアリエールを振り返った。こっくりとアリエールの顔が縦に動かされた。
「確かに。ハロルド=マクラクランはちゃんといる。脱走なんてしていないよ」
 ………じゃあ………?
 困惑の渦に思考が飲み込まれかけ、あたしははっと気付く。
 あの時、あそこにいたのは四人だった。
 あたしと、ガウリイと、ハロルドと―――。
「そう。ルワード=ダービがいた」
 アルヴァートの声は愉悦に浸りきっているようだった。
「そうよ、ルワードさんが………」
 呆然と呟き、そしてゆっくりとアルヴァートへと視線を転じた。
「ダービ、ですって?」
 確かめるように、はっきりとした発音でその姓を口にした。
 驚愕はゆるゆると這い登るようにやってきた。
 ダービなんて苗字はそう多くない。
 少なくともあたしがこの街で知ってる「ダービ」の姓を持つ者は一人だけだ。
「知らなかったのかい? ルワード氏は市長、テレンス=ダービの嫡子だということを」
 あたしの体内で、散らかされていた事件という名の複雑難解なパズルのピースが徐々に、収まるべき場所を見つけようとしていた。
「リナ。昨夜リズはニーナのことを言ってたよな。花売りの娘、だと」
 言ってた。
 けど唐突にその話題を持ち出されても今は返事ができない。
「俺さ、どうにも不自然でしょうがなかったんだ。なんでニーナのことを花屋って言わないのかなって」
 あたしの心中を知らないのか、ガウリイは喋るのをやめない。
 やかましいわよ。ガウリイ。
 考えをまとめなくっちゃ。
「普通に暮らしてりゃ聞かないけど、戦場にはよく『花売り娘』が現れたんだ」
「ちょっと黙ってて、ガウリイ」
「単純に『花売り』とも呼んでたけどな。花売りってのは花だけを売るんじゃないんだ。その身体も、男に売るんだ。戦場では娼婦は花を持って、身を売りに来てた」
「…………花売り娘が、娼婦、ですって?」
「そうだ」
 あたしは耐え難い感情を抑えかねて、椅子を蹴り立ち上がるとガウリイに叫んだ。
「じゃあニーナが娼婦だとでも言うの!?」
「違う。聞け」
 立ち上がり、諭すようにガウリイがあたしの両肩を掴み、そして低く言った。
「花売りってのは本当に花も売っていたんだ。どうしてニーナはこの街で花屋を始めたんだ?」
「そりゃあ花に詳しいからでしょうよ」
「そうだと思う。リズは『花売りの娘』と表現した。それはつまり、ニーナの母親が娼婦だったってコトじゃあないのか? ニーナはきっと母親の仕事を手伝って花に詳しくなったんだよ」
 今や完全に、パズルが完成されようとしていた。
 あたしは、世界が、歪んで見えはじめていた。
「それと、ニーナに初めて会った時のことを覚えてるか?」
 声には出さずにこっくりと頷いた。
 あたしとガウリイのやりとりを、アリエールとアルヴァートは黙って見ている。
「チンピラにからまれてたよな? チンピラってのは誰彼構わずにからむもんじゃないだろ?」
「そうね。その筋の人間とか、鼻に衝く人間とか。女に絡むとしたら金持ちか、とんでもない美人ね」
「ニーナはそのどれとも違う」
 話の終着点が見えない。
「ニーナはよく、チンピラにからまれていたらしい。それこそ、日常茶飯事で」
「……………どういう?」
「お前がハロルドの女か、とか。お兄さんは元気か、とかが、奴らのよく言う科白だったらしい」
 床がまるで軟体動物のように、ぐにゃりとうねったような錯覚。
 あたしは足がふらつき、とん、と後ろにいるガウリイに凭れかかった。
 わかった。
 全てが、わかった。
 いや、まだわかってないこともあるが、それは推理の範疇ではない。犯人のみが知ることだからだ。
 それでもいくらか想像はつく。
 今までの見聞きしてきた全てが断片的に順不同に、その場面が言葉が湧き上がってくる。
 あの時のあの男の科白。
 哀しげに俯くニーナ。
 眉一筋動かさないルワード。
 行動に矛盾を抱えるハロルド。

 『…………いや、何もおかしなトコロは無かったぜ。いつものダウンタウンの夜中の光景だけだったな。ゴミ箱に顔をつっこんでるババアや、酔いつぶれた女を担いだバカ共に、野良犬とエサの奪い合いをする間抜け。あとは喚き散らす女に服を脱ぎだす男。それから………』

 酔いつぶれた女を担いだバカ共? 
 つまりそれは二人以上の人間が女を担いでいたってことじゃないのか? 酔いつぶれたように他人には見えた女――どういう状態の女だ? そう。ぐったりとした女じゃないだろうか。そこへ適当に『しっかりしろよ』などと声を掛ければそんな状況を作れないだろうか?
 ユニアの長すぎる髪が肩まで切られていたなら、あの男はその女をユニア=イースと認識できないのではないか?

 『はぁ………。いつも思うんですけど、リナさん達って羨ましいです』
 『何がよ?』
 『本当に全て信頼してあってるんだなぁって思います』
 『ハロルドとニーナだって信頼しあってるじゃない』
 『そうでしょうか』

 信頼しあうとは何だろう?
 あたしは確かにガウリイを信頼してる。そしてガウリイもまたあたしを信頼してくれてることはわかる。そして第三者から見ても、少なくともハロルドはニーナを信頼していた。愛しているのがよくわかった。なのにどうしてニーナ自身にはそう思えなかったのか?
 さっきのガウリイの言葉。
 チンピラに絡まれるのが日常茶飯事?
 内容は『ハロルドの女ってのはあんたか』といったものだった。
 そしてハロルドはニーナに過去の自分を全く話していなかった。
 この状況では、女は不安にならないだろうか。

 『ではお聞き及びかと思いますが、ニーナが私の妹であることは黙っていていただきたい』

 ニーナはこの街の有力者の私生児だと聞いた。しかしそれどころではなかったのが現実だ。
 有力者、どころか最高権力者だ。
 しかもその最高権力者は、この街から娼婦を消そうとしていた男だった。
 もし、ニーナがルワードを「兄さん」と呼んでいる所を誰かが目撃していたら?
 すぐに市長には私生児がいるとわかる。そして、多分だが、少し調べればニーナが娼婦の子供であることくらいはわかるのじゃないだろうか。
 リズは殺された四人が市長を脅迫するつもりだったと言った。その際にユニアは市長を『徹底的に潰してやる』と明言していた。

 『これ以上構うな』

 これはハロルドがユニア=イースに言ったことだ。
 ハロルドはヤバい仕事にこれ以上構うな、という意味合いであたしに説明したが。
 ひょっとしたらニーナにこれ以上構うなという言葉ではないのか? 
 勿論それにはニーナ自身に、ということもあっただろうが、何よりもニーナが市長の娘であることについて構うな、という意味ではないのか?
 だからあんな風に歯切れが悪かったのだ。これをあたし達に言えば、ニーナが市長の娘であることが知れる。それが警備隊にでも伝われば、おそらく。
 ニーナはこの街にもう住めない。
 少なくともルワード=ダービはこの事件に深く関わっている。そして間接的かもしれないがニーナも。
 ルワードを捜さなくてならない。
 しかし市長宅にいるとも思えない。どこかに身を隠す必要はある。なぜならば………。
「アリエール。リズの内臓は、やはり持ち去られているの?」
 これは質問ではない。確認だ。
「持ち去られているよ」
 今は夏だ。どこに置いておくというんだ? 後で処理するとしてもその間に保管する場所が必要だ。腐乱の進行を遅め、人の目に触れにくい所。
「ニーナの家に行くわよ………」
「リナ?」
「おい、どういうコトだ? なんでニーナの家に?」
 あたしはそれに答えなかった。答える時間さえも惜しい気が今はする。
 段々と考えが綺麗に纏まっていくのがわかる。
 ユニア=イースの殺害に関しての犯人の一貫性のない行動。
 これは、最先端の捜査方法がかえって見えにくくしたのだ。
 早足で、いや、半ば駆けるようにあたしは部屋を飛び出した。後ろからついてくる幾つかの足音。ガウリイとアリエールとアルヴァートだろう。廊下を抜ける際にリズが取っていた部屋の前を横切った。まだ血の匂いは濃い。警備員が随分といる。
 外は夏の空気にさらされて、太陽は眩しく光り輝く。
 なんだか、夏が嫌いになりそうだった。
「翔封界っ!」
 外に出るなりあたしはガウリイの腕をひっつかみ、そして最速の移動呪文を唱え、力を解放した。重力に反して身体が持ち上がり、風の結界があたしとガウリイを丸ごと包み込む。
 夏の爽やかでさえある朝の空気を切り裂くように、あたしは大空へと舞った。
「おっおい! リナ! アリエール達は………っ!?」
「知んないわよ! 後で追っかけてくるでしょ! 行き先なら聞いてたはずよ!」
 まぁ、ニーナを知らないだろーけど。
 その時、横に黒い影が並んだ。
 ちらりと視線を向けた先には。
「アルヴァート!?」
 そう。片手にアリエールをひっつかみ、不敵な笑みであたしと同じように空を舞うアルヴァートがいた。
「………魔法を使えたのね」
「お供させていただくよ」
 静かな声のはずなのに、この分厚い風の結界をアルヴァートの涼しい声が透過した。
 あたしはそれを無視して、ただ真っ直ぐに前を向き、ただひたすらにニーナの家のある方向に術を操作した。

 予想外、だった。
 湿った風が街を渡り、通りを過ぎ、そしてあたし達に横からぶつかってくる。
 あたしもガウリイも、唇を引き締めてその顔をじっと見つめた。
 予想外だった。まさかニーナの家のまん前にルワードさんが、まるであたし達が来ることを知っていたように佇んでいるとは思わなかった。
「そろそろ、来る頃かと思ってましたよ」
 その表情に疲労の翳は濃い。
「…………ルワードさん」
 ルワードさんは口元だけで微笑した。
「事件に発展があった、と云う顔ですね。リナさん」
「発展はあったわ。あなたとニーナは少なくともこの事件に深く関わっているであろうということしかわかってないけれどね」
 あたしの言葉に、四人が四様の反応を示した。
 ガウリイは辛そうに顔をしかめたし、アリエールは愕然としていた。
 アルヴァートは、やはり、笑っていた。
 ガウリイもなんとなく気付いていたのだろう。それほど表情に驚きの色は無かった。ただ、やっぱりそうか、という悲嘆にも似た感情が少し覗かれた。
 アリエールは全く想像していなかったのか、まさか、と口中で呟いたのがいやに遠くに聞こえた。
「どこまで、わかってるんですか?」
 諦めでもなく、挑戦的でもないその顔。何を意味する表情なのだろうか。彼の内部では今、どんな種類の思いが生まれているのか。
「………答えあわせをしてくれるのかしら?」
「私に答えられる範囲でならば、誠意を持って」  
 ルワードさんの薄青の瞳が、まるで石のように鈍い光を放った。




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