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巨大な怪物に追いかけられているかのように、息せき切って駆け続けるリナの後ろを、さして呼吸も乱さずにガウリイとインバース氏も走っていった。程なく、一軒の建物の前でリナが立ち止まった。かなり大きな商店らしい。入り口には、流麗な文字で「インバース商店」と描かれた看板が掛かっている。中途半端な時間帯のせいか、店内に人影は見当たらなかった。 建物の門に両手をつき、ぜぇぜぇと乱れた息を整えるリナ。やがて、大きくひとつ深呼吸すると、小さく「よっしゃぁぁっっっ」と気合いを入れ直し、店の中に入っていった。 ずんずんと店の奥まで進み、店舗と住居の仕切らしい扉を開ける。 「たっだいまっっ」 元気良く叫んだリナの声は、微妙に震えているようにも聞こえた。 ともあれ、リナの声に応えて、奥から人が出てくる気配がする。 そして。 「あらあら、お帰りなさい、リナ」 ほわっと、それだけで場が和みそうな声と共に、ひとりの女性が姿を見せた。年の頃なら20代半ばか。女性にしてはかなりの長身だが、程良い凹凸が柔らかな曲線を描き、ガウリイをして一瞬見とれさせる程の見事なプロポーション。花が咲き零れるような笑顔の、もの柔らかな空気を纏った美女であった。 年格好からするとリナの姉らしいが、リナですら恐怖するというイメージとはあまりにも懸け離れた雰囲気。我知らず脱力したガウリイが内心で首を傾げていると、リナの快活な声が響いた。 「ただいま、母ちゃんっ!」 「・・・・母・・ちゃん・・・・?」 ギギイィ。錆び付いた金具を捻るような音をたてて、ガウリイがインバース氏に首を向ける。視線に些か険悪な光があった。 「俺の自慢の女房だ。なんか、文句でもあんのか?」 タバコを懐にしまいながら、事も無げに言った。 「・・・・犯罪だと思うぞ・・・・」 ぼそりっと呟いたガウリイの言葉に、僅かに目を見開き、 「言っとくが、歳は俺とそう変わらんぞ。ま、新婚時代以来、変わらず若いけどな」 目元がやにさがって見えてのは、ガウリイの気のせいではなかっただろう。 ふと、母親の視線がガウリイを捉えた。 「あら、そちらの方がリナのお連れさんなの?」 「あ、えと、その、連れって言うかなんて言うか、まあその、あの、ええっと、」 リナが、またもや頬を染め上げて何やらじたばたしだした。変わって応えたのは、今度はインバース氏だった。 「ああ、リナの“旅の連れ”で、ガウリイ・ガブリエフさんだそうだ」 “旅の連れ”という言葉に異様に力が入っていたことに、ガウリイは勿論気付き、リナは、おそらくは気付いていなかっただろう。 「あらあら、どうもリナがお世話になりました。どうぞよろしくお願いしますね、ガウリイさん」 柔らかな声と満面の笑顔を向けられ、滅多に無いことだがガウリイが僅かに赤面した。 「あ、いや、こちらこそよろしくお願いします」 「ふたりとも長旅で疲れてるでしょ? 中に入って、ゆっくり休んでね。今、お茶を淹れますからね。ダーリンもお茶でいいですか?」 「・・・・ダーリン・・・・?」 再び、ギギイィ、と首を向けたガウリイを無視して、 「おお、なんたってハニィのお茶は最高だからな。誰でも彼でも飲ませちゃ、勿体ないくらいだ」 恥ずかしげもなく、軽く言ってのけた。 些かぽかんとしてしまったガウリイ。ひょいひょいと袖を引かれて、首を傾けた。 「あ、あのね、父ちゃん達いっつもあの調子だから、気にしないで。っとに、仲がいいのは結構だけど、こっちが恥ずかしいわよ・・・・」 またまた頬が紅いのは、今度はガウリイのせいではないらしい。 リナの母に促されて、居間に入った。佳い香りをたてて、香茶のカップが置かれる。お茶に手を伸ばすより先に、リナが恐る恐るといった風情で両親に訊ねかけた。 「あのさ・・・・ところで、その・・・・姉ちゃんは・・・・?」 「ああ、ルナなら、急用があるって今朝から出かけてるぞ。明日の晩くらいまで帰れないそうだ」 呆気なく応えた父の言葉に、リナがどっと脱力するのがわかった。 「・・・・た、助かった・・・・とりあえず、今日は生き延びたわけね・・・・」 「なぁ、おまえの姉さんって」 「・・・・聞かないで、お願いだから・・・・」 あからさまに脱力しきったリナの様子に、ガウリイも口を閉ざした。 リナの言葉どおり、両親の仲の良さはガウリイにも厭と言うほど思い知らされた。呼び合う時は「ダーリン」「ハニィ」。でなければ「あなた(はあと)」「おまえ(はあと)」。挨拶から、お茶、歓談、食事と、常にこの調子でやられてはたまったものではない。 もっとも、ラブラブウェーブを除けば、非の打ち所のない歓待だった。食事時、テーブルから溢れんばかりに並べられた料理の数々は、リナとの食事バトルに慣れたガウリイでも驚くほどの量と、旅の先々で食べた名物料理に勝るとも劣らない味だった。インバース氏が終始ジト眼でガウリイを見ていなければ、もっと美味しかっただろう。 食後、ガウリイを客間に案内するときにも、一悶着あった。客間が、2階のリナの部屋の隣だった為、インバース氏が露骨に難色を示したのだ。結局のところ、母親の一声で決定したのだが。 曰く。 「じゃあ私が客間で寝ますから、ダーリンはガウリイさんと一緒のお部屋で寝ます?」 案内された客間で、ガウリイはベッドに寝ころんでくつろいでいた。隣室のリナはもう寝たらしく、物音ひとつ聞こえない。 ふと。階段を昇り、客間に向かって進んでくる足音に、ガウリイが身を起こした。もっとも、普通の人間には足音など聞こえないだろう。熟練した剣士や武芸者に特有の、音も気配もごく自然に絶った歩行。室内から察知できたのは、ガウリイならこそである。足音は部屋の前で止まり、ぎっ、とドアが開いた。 「おい、入るぞ」 「・・・・普通は開ける前に声をかけるんじゃないのか?」 じとっとした目つきで応えるガウリイを無視して、懐から取り出したタバコをくわえる。 くわえたばかりのタバコを指に持ち代え、いじってはまたくわえる。あからさまに様子がおかしい。ガウリイが黙って眺めていると、やがて、タバコを懐にしまって、インバース氏が口を開いた。 「おまえ・・・・リナの部屋が隣だからって、夜這いなんかしやがったら、土に返して葡萄畑の肥料にしてやるからな」 ベッドの上で、ガウリイがこけた。 「・・・・あのなぁ・・・・あんた、わざわざそんな事言いに来たのかよ・・・・」 「うっせぇっ! いいか、来年のワインの養分になりたくなかったら、妙な気おこすんじゃねえぞっ」 言い捨ててドアも閉めずに部屋を出ていく。 「ヒマなおやじだな・・・・男親ってのは、やっぱあーゆーもんかね?」 苦笑を浮かべひとり呟きながら立ち上がり、静かにドアを閉める。眉を顰め、頭を掻きむしりながら階段を降りていくインバース氏の姿は、勿論ガウリイには見えなかった。 やや時間が経って、再び足音が聞こえた。今度は、静かだがどこか軽やかに響く足音。 こんこん。小さなノックの音に続いて、柔らかい声が響く。 「ガウリイさん、もうおやすみですか?」 「いや、まだ起きてます」 静かに応えながらガウリイは立ち上がり、静かにドアを開いた。ほんの数時間ですっかり見慣れた、花が咲き零れるような笑顔。夫と同じくらいの背丈だろうか。さして見上げるでもなく、ごく普通にガウリイと視線を合わせる。部屋に入るよう手で促し、ガウリイがあくまで静かにドアを閉めた。 「遅くにごめんなさい。ガウリイさんにお話したいことがあって」 「いえ、どうせ起きてましたから。それで、お話って・・・・あの、俺、何か可笑しいですか?」 口元に手を当ててくすくすと笑いだした姿に、ガウリイが怪訝そうに問いかけた。 「あら、ごめんなさい。ガウリイさんって、ほんとにリナのことを大切にしてくれてるんだなぁ、って思ってつい。さっきからドアの音を発てないようにしてるの、リナを起こさないためでしょ?」 「あ、いや、結構疲れてるみたいだし、まぁ、起こしたくないなって・・・・」 図星を突かれて、ガウリイがこめかみの辺りをぽりぽり掻いた。その様子がまた可笑しかったのか、くすくす笑いはしばらく続いた。 「ごめんなさい、笑ったりして。なんだか微笑ましくって」 ひとしきり笑ったあと、ぺこりと悪戯っぽく頭を下げる。その表情といい仕草といい、年頃の朗らかな美人にしか見えないこの女性が、紛れもなく“あの”リナの母親であることをガウリイが思い知らされたのは、ほんの直後だった。 「でも、それなら心配いりません。さっき、ブルーリーの実よりちょっぴり強力な睡眠剤を入れたお茶を、リナに淹れたから。隣で盗賊が暴れ回ったって、朝までは目を覚ましませんよ」 明るい笑顔のままでこんな台詞をさらりと言ってのけるあたり、この女性もやはりただ者ではなかった。 ・・・・さすがリナのおふくろさん・・・・ ・・・・これくらいの女でないと、あのおっさんの女房は務まらんか・・・・ 咄嗟に妙なことに感心してしまう。数瞬後。ようやく我に返り、ガウリイの目つきが変わった。 「どうゆうことですか?」 押し殺した声に、並の人間なら間違いなく震え上がる強烈な気が篭もっていた。だが、ガウリイの前に立った女性の笑顔は乱れない。 「ガウリイさんに行って欲しい所があったんだけど、リナが知ったら心配すると思って。それで、休養を兼ねてぐっすり寝てもらってるんです」 「俺に行って欲しい所?」 「ええ。ルナがそこで待ってるんです」 「リナの姉さんが俺を? 何の為に?」 「リナは姉の事を話しました?」 僅かにガウリイの表情が動く。一拍、間が空いて、 「いえ、リナはあまり詳しいことは。一応、おおよそのところは、わかっていますが」 「リナの姉として、スィーフィードナイトとして、リナと共に在る人を見極めたい。ルナはそう言っていました。行ってくれますか?」 ふぅ、っとガウリイが息を吐いた。凝結した気が散る。 「そーゆーことですか」 「一応言っておきますけど、無事ここに戻ってこれるとは保証できませんから」 この言葉も相変わらず笑顔のまま。ガウリイも笑顔でごくあっさりと返した。 「無事を保証されたことなんて、これまでだって一度もありませんよ。それがリナと一緒にいるために必要なことなら、俺は行くだけです」 「そうですか」 心なしか、笑顔が広がった。 「それで、どこに行けばいいんですか?」 「街を出て、西に向かって2時間ほど全力で走ると、岩山があります。ルナは頂上にいますから」 「わかりました」 言うや、ひょい、と無造作に剣を掴み、ドアを開けて歩き出す。 「ガウリイさん」 背に、声がかけられた。 「あの子のことをそんなに想ってくれて、ありがとうございます。母親として、お礼を言います」 ガウリイが振り向くと、深く頭を下げた姿があった。表情は、見えない。顔が上げられた時にはまた、花が咲き零れるような笑顔。 「あの子の為に、戻ってきてくださいね」 ガウリイの笑顔と気負いのない声が、応えた。 「じゃ、行って来ます」 |