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「こんにちはー!」 「あら、干城君。ご苦労様。」 川根幼稚園の門の所で、今日もランドセルを背負った干城は、見送りの先生に声を掛けた。 「水都ちゃーん。お兄ちゃんのお迎えよー!」 「はーい。」 教室で絵を描いていた女の子が、返事をして立ち上がる。 振り向いて干城の顔を確認すると、ニッコリと笑った。 丁寧にクレヨンをしまい、画用紙を鞄に入れる。 その黄色い鞄を斜めかけて、帽子を被りながら走って来た。 「走るなよ、水都。転ぶぞ。」 「ころばないもん。おセキもでないもん。」 「・・・そっか。じゃ、帰ろうか。」 干城は水都の手を取り、歩き出した。 「先生、さようなら。」 「さようなら。」 「また、あしたね。」 手を振りながら、二人は門を出て歩き出し。 小さな手が、小学二年生にしては大きい手を、ギュッと握っている。 「今日ね、おえかきしたの。」 「へえー。何描いたの?」 「・・・おとーさんと、おかーさん。」 沈んだ声。やはり、祖父宅に預けられたままの子供には、会いたくて堪らない人なのだろう。 ましてや、今度会える時、二人揃ってとは限らない。 隣家の噂をする自分の両親を、干城は思い出した。 繋いだ手に、ギュッと力が篭る。 「・・・水都。今日の夜、蛍見に行こうか。」 「ほたる? 行きたい!」 哀しい顔を見たくなくて、干城は水都を誘う。 自分と一緒にいる間は、少なくとも笑っていてもらいたい。 まだ子供ながら、干城は水都を護ってやる『お兄ちゃん』でありたかった。 「じいちゃんには、オレから言ってやるからさ。」 「うん! やくそくね。」 「約束だ。」 小指を絡めて指切りをする。水都は嬉しそうに笑った。 ・ ・・水都がいなくなったのは、その日の夕方だった・・・。 「水都が!?」 「ああ、飛び出して行ったきり、もう二時間くらい・・・。」 オロオロする祖父母と干城。でも、水都の母親は一人、落ち着いていた。 「警察にも届けたし、そのうち見つかるわよ。」 「お前! 自分の子だろう!」 「お父さんが持ってきた見合い相手の子よ! あの子さえいなければ、あたしだって・・・!」 全部を聞かず、干城は飛び出した。 『聞きたくない!』 子供を要らないと言う母親。多分、水都にも言ったのだろう。 今日の帰り道、あんなに蛍を楽しみにしていたのに笑っていたのに。 「そうだ、蛍!」 干城は走り出した。 小学校の裏の田んぼ。今日、蛍を見に行こうと言っていた場所。 家からあまり遠くない場所だが、畦には草が茂っていて、子供だったら見つかり難い。 水都はきっとそこにいる。 確信を持って来たものの、暗い田んぼでは3メートル先も見えない。 「水都! どこだー!」 大声を上げ、学校の体育館から漏れる明かりだけを頼りに探し回る。 『もしかして・・・!』 水辺ということも手伝って、最悪の結末が干城の脳裏に浮かぶ。 「水都! 水都!!」 「・・・おにい・・・ちゃん・・・?」 干城の切羽詰った声に、小さな声が応える。 「水都!?」 泥濘に足を取られそうになりながら、干城は水都の元へ急いだ。 「動くなよ! そこにいろよ!」 伸ばした手が、小さな体に触れる。そのまま力任せに抱き締めた。 「・・・良かった・・・。」 「お兄ちゃん、くるしいよ・・・。」 今まで泣いていたのだろう。鼻声で答える水都。 干城の声を聞いて、慌てて泣き止んだらしく、今は涙も止まっている。 「・・・帰ろう、水都。皆、心配しているよ。」 「おかーさん、まだいる?」 「・・・きっともう、帰ったよ。だから、帰ろう。」 抱き締めたまま立ち上がり、ゆっくりと離れると、手を繋ぐ。 水都は下を向いたまま、手を引かれて歩き出した。 二人の周りを、蛍がフワフワと飛んでいた。 「・・・ほたる、きれー。」 「うん。」 「おかーさんと、おとーさんと見たかったな・・・。」 「うん。」 「・・・でも、もうダメなの。」 「何で?」 「・・・おかーさんね、みなとのこと、いらないって。」 「・・・!」 「もしかしたら、お兄ちゃんとも一緒にいられなくなっちゃうかもしれない。」 「水都・・・。」 「みなと、どこ行けばいいのかな・・・。」 「オレの所においで。」 堪らず立ち止まり、干城は言った。 「オレの家で一緒に住もう。かーさんにはオレからお願いするから。」 「でも、おばちゃん、ダメって言ったら?」 思ってもみなかった言葉に、干城は一瞬詰まり、そして言った。 「一緒に家出しよう。」 「ダメ!」 小さい顔が、涙をいっぱい浮かべて見上げていた。 「おじちゃんも、おばちゃんも、お兄ちゃんのこといらなくないもん。 だから、いなくなっちゃダメ!」 言いながら、涙が溢れて頬を伝う。それを手の甲でゴシゴシとこすりながら、水都はポツリと言った。 「・・・みなと、産まれてこなきゃよかった・・・。」 「水都!」 再び抱き締められて、自分以外の涙を感じ、水都は干城を見た。干城も泣いていた。 「お兄ちゃん? 泣いてるの? ぽんぽ痛いの?」 干城は怒っていた。口惜しかった。 本来ならば、親の愛情を疑う事などない年齢の少女に口から、あんな言葉を言わせた大人たち、 全てに対して怒っていた。 そして、それに何もできない、まだ子供の自分が口惜しかった。 「お兄ちゃん?」 「水都、ずっと一緒にいよう。 オレは水都をいらない子だなんて思ってない。 だから、大きくなってもずっとずっと一緒にいよう。 そうだ、結婚しよう。そうすれば、ずっと一緒にいられるよ。」 「いや! けっこんしたら、いつもケンカしなくちゃならないもん。 みなと、お兄ちゃんとケンカしたくない。」 「・・・!」 物心つく前から、両親が喧嘩している所しか見ていない水都は、結婚という言葉に難色を示す。 それすらも口惜しくて、干城は指きりをした。 「しない。ケンカなんかしない。ずっと仲良くする。 だから、結婚しよう。」 「・・・ほんと?」 「本当。約束する。」 真剣な干城の言葉に、水都もようやく笑う。 「じゃ、けっこんしよう。ずーっと一緒にいてね。」 「うん、約束。」 「やくそく。」 蛍の飛び交う中、干城は水都の頬にキスをした。 家に帰り着く頃、水都は干城の背中で眠っていた。 その二日後の夏祭りで、干城は水都に指輪を贈った。 黄緑色のガラスの石が、蛍みたいだね、と笑いあった。 水都の背中で、やはり黄緑色の金魚帯が揺れた。 『大人』がどういう結論を出したのか、二人には知らなくてもいいことだった。
おわり |