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「水都、どうした?」 ベッドの上で抱き締められて、額と額がくっつきそうな距離で、干城が言う。 思わず瞑っていた目を開けてしまい、干城の目を見てしまい、慌ててもう一度瞑った。 「・・・ちょっとだけ怖い。それに恥ずかしい・・・。」 ふ、と笑った気配がする。そして唇の感触が降って来る。 怖い。抱かれている時、あたしはどうなってしまっているんだろう。 みっともない顔してないかな? 変な声してないかな? 干城、呆れてないかな・・・? もう、考えることが出来ない頭の片隅で、あたしは干城の手を感じていた。 「・・・水都。」 干城の手が、頬を撫でた。目を開けると、干城の顔がぼやけて見えた。 「何で泣くんだ。ん?」 優しい声に、尚も涙が溢れるのが分かった。 その涙を、優しく拭ってくれながら、干城が言った。 「今日はもう寝よう。 初めての長旅で、疲れただろ? 俺も少し疲れた。 ・・・おやすみ。」 そう言いながら、自分のベッドには戻らず、狭いシングル・ベッドの上であたしを抱き込む。 「干城、干城・・・。」 抱きしめられたまま、干城の胸に顔を押し当てて、あたしは涙を止めようとした。 「水都。泣いてな。 無理に泣き止まなくていいから。な?」 背中を撫でる手の暖かさと、宥めるような声色、言われた言葉の深さに、あたしは素直に泣く事にした。 時計の音と、干城の心音。 頭の中でシンクロして、いつしかあたしは眠りに引き込まれていた・・・。 重い瞼を無理矢理開けると、部屋の中は既に明るかった。 確か、山間のホテルだったから、こんなに明るいというのは、もう大分日が高いという事。 「・・・干城・・・?」 伸ばした手の先に、慣れたぬくもりがなく、あたしは一瞬で目が覚めた。 体を起こし部屋を見回しても、人の・・・干城の気配はない。 「干城? 何処?」 自分でも弱弱しい声が部屋に響く。 と。ガチャガチャと鍵のまわる音がして、ドアが開いた。 「あ、水都。目覚めたのか。おはよう。」 「干城・・・。」 どこに行ってたの、じゃ詮索してるみたいだし、 起きる前にいなくならないで、じゃ束縛してるみたいだし。 あたしは、掛ける言葉さえ分からなくなってしまった。 「水都?」 ベッドに腰掛けて、干城が抱きしめてくれる。 それさえもどう反応していいか分からなくて、あたしは腕を背に回すことも出来なかった。 「・・・水都、一人にしてゴメンな? そろそろ、朝飯に行こうぜ。それから遊覧船に乗って、毬藻見よう。な?」 さざめく湖面を遊覧船はゆっくりと滑り、眠る毬藻を起こさぬように停まる。 「・・・毬藻には、伝説が二つあります。 ひとつは、昔阿寒湖にいたカムイ(神)とべカンベ(菱)が喧嘩をして、 湖から出て行くように言われたべカンベが暴れて、近くに生えていた藻を投付けた。 その藻が湖の波間を転がっているうちに丸くなり、ト・カリプ(毬藻)になった。 というものです。」 エンジンも止めた船体が、波に揺れる度に隣に座っている干城に触ってしまう。 湖の西岸を見せる目的なのだろう停泊は、あたしにとって、ちょっと辛いものだった。 自分の気持ちが分かってしまった今、不用意に干城に触れたら泣いてしまいそうだった。 何に。干城はニコニコしながら次第に間をつめて、エンジンがかかる頃には手を握っていた。 「もうひとつは、有名な話で、ピリカメノコのセトナとマニベの愛の伝説です。 ここ、阿寒湖の西岸にモノッペというコタンがあり、その村長シッパチにはセトナという娘がありました。 セトナは下僕のマニベと恋人同士でしたが、やがてセトナは他の男と結婚することになったのです。 マニベは夜になると草笛を吹いてセトナの幸せを祈っておりましたが、 その音色に誘われて訪れたセトナと、丸木船に乗って沖に出て、 この世で結ばれぬならカムイチェップに守られて湖底で結ばれようと、湖に入ったのです。 二人の美しい心が毬藻の姿になって、今も漂っていると言われています。 今でも、阿寒おろしの吹く夜には、セトナのむせび泣く声と、マニベの草笛の音色が聞こえます。 今は夏ですが、冬の阿寒湖にも、ぜひいらして下さい。」 乗客の笑い声で終わりを迎えた話は、あたしにはあまり面白いものではなかった。 何で死んでしまうんだろう? 二人で丸木船に乗れたのなら、そのまま何処かへ逃げることも出来たはずなのに。 例え途中で捕まってしまうかもしれなくても、逃げ切れるかもしれないのに。 何で、死を選んでしまったのだろうか・・・? 「水都。そろそろ毬藻センターに着くぞ。」 言われて顔を上げると、干城がニコニコしながら顔を覗き込んでいた。 目が合った途端、顔が赤くなったのが分かる。 すると、余計に嬉しそうな笑顔になるのが、ちょっと悔しい。 「・・・干城の意地悪・・・。」 「何もしてないだろ?」 笑いを含んだ声で言われても信じられない。 「拗ねない、拗ねない。ほら、降りよう。」 腕をとられて立ち上がり、そのまま手を繋いで歩く。 昔からのそれも、やっぱりちょっと恥ずかしい。 センターは、チュールイ島という阿寒湖では最大の島に建っていた。 建物全体が明るく、毬藻の生態を観察し易く建てられたと言う話だった。 「毬藻という名前は発見した植物学者によって付けられましたが、 アイヌでは『ト・カリプ』や『ト・ラサンペ』と呼ばれていました。 どちらもこの辺りを指す地名です。」 静かな館内に、ガイドさんの声が響く。 異国的なアイヌの言葉。 目の前の水槽には、大小様々な毬藻。 それは、阿寒湖の底にいる様な、不思議な光景だった。 ・・・この中に、セトナとマニベの毬藻はあるのだろうか・・・? 自分の考えにゾッとして、ブルリと体が震えた。 繋いだ手からそれが分かったのだろう、干城が肩に腕を回した。 ゆっくりと歩調を合わせてくれた先には、例の子供の頭ほどもある毬藻。 思わず干城を見上げると、優しく微笑み返してくれる。 大丈夫。あたしには干城がいる。 約一時間ちょっとのクルージングを終えて、船着場へと戻った。 「昼飯喰ったらアイヌ・コタンでも覗くか?」 「アイヌ・コタンって?」 「観光用のみやげ物屋ってとこかな? ホテルからすぐだから、レストランで食事をしてゆっくり行っても時間はたっぷりだ。」 嬉しそうに、握った手に力を込める。 それだけなのに、どうしていいか分からないほどに苦しくなる。 誰よりも長く、一緒にいるのに。 結婚だってしてるのに。 なのに、何で今更こんなに好きだって解ってしまったんだろう。 「・・・水都。今は楽しもう。」 「干城・・・。」 あたしのことを何でも分かってくれる、干城。 格好良くって、優しくて、でも優柔不断なんかじゃ決してなくて。 いつも大人で余裕な、大好きな人。 何があっても受け止めてくれる人なのに、何故あたしは『きらい』と言えないんだろう。 食事はとても美味しかった。 スモークサーモンやチーズのサンドイッチ。 新鮮な牛乳を入れたアイスミルクティー。 暑いくらいの今日に、ぴったりだった。 美味しい食事に気分も浮上して、干城と二人、アイヌ・コタンへと歩いた。 「やっぱり、木彫りが多いんだね。」 「まあな。木彫りと刺繍が主だって、ガイド・ブックには書いてあったぞ。」 ホテルにあったガイド・ブック。 干城が持っているのを覗き込むと、簡単なアイヌ語の訳なんかもあった。 「・・・『ピリカ』ってのは美しい、って意味なんだ。」 「有名な所では、『カムイ』が神とかな。」 ほっぺがくっ付きそうに近くで、干城の腕の温かさにここにいることを実感する。 干城はマニベのように死を選んだりしない。 でもあたしはどうなんだろう? セトナのように、何も言えずに死んでしまうのだろうか。 あたしは、干城と何でも言い合える仲になりたい。セトナのようにはなりたくない! 「あ、あれ、どうだ?」 考え込んでいると、干城が一件のお店を指した。 「・・・きれい・・・。」 そこにあったのは、色取り取りの刺繍が施されたコースター。中を覗くとテーブルマットもある。 「欲しい?」 「うん。だから、自分で買う。」 「そうか。」 笑いながら付き合ってくれる、干城。・・・と。 「あ、俺も発見。後で迎えに来るからな。」 言い残して、スルリと腕を解いて行ってしまった。 その背中を見送り、店の中に目を戻せば、木彫りのタイピンが目に付いた。 夕飯の後、部屋に戻ったあたしは、早速干城に渡して告白しようとした。 「あ、あの、干城・・・。」 「・・・その様子じゃ、答えは出たようだな。」 ニッコリと笑って、干城はあたしの頭を軽く撫でた。 「・・・分かってたの?」 「まあな。でも、自分で答えを探さなきゃ意味はないからな。 はい、プレゼント。」 するりと首に掛けられたのは、少し大振りの木彫りのペンダント。 「うん。やっぱり似合うな。」 「これ・・・。」 手に取って見ると、後ろにもなにか彫ってある指触り。 「・・・『エアニ・クアニ・イオマップ』・・・。」 アイヌ語のそれは、確かガイドブックに書かれていた筈。 でもあたしが手を伸ばす前に、今までで最高の笑顔で干城が言った。 「愛してる。誰よりも、何よりも、一番愛してる。」 『きらい』と言い合える仲に、なれた瞬間だった。
おわり |