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手酌で注いだ3杯目を干しながら、インバース氏の表情はますます不機嫌そうだった。 「お義母さんだってルナさんだって、近所の人に俺のことを、リナのお婿さん、って紹介してくれてるし。照れ屋のリナだって俺のことを、お婿さんですか?って聞かれて、赤くなったけど頷いてくれたぜ?」 「うるせえうるせえ! 女どもがどう言おうと、俺が認めたわけじゃねえ!」 ぷいと横を向いてしまったインバース氏に、ガウリイが笑顔を向けた。店主が見ればさきほどの印象を取り消すこと請け合いの、かなり人の悪い笑顔だ。 「前にふたりで呑んだ時に認めたじゃないか、娘婿って」 2ヶ月ほど前のことを----こういうことだけはちゃっかりと覚えていて----ちくりと突いた言葉に、思わず言葉に詰まるインバース氏だった。 「順番が後先になったけど、あの後ちゃんとリナにプロポーズして、3回ばかしぶっ飛ばされたけど受けて貰えたし」 にまにまと笑みを浮かべ、葡萄酒を嘗めながらいい調子でガウリイが話し続ける。 「だいたいあんただって、今こうして俺を連れまわしてるのは、インバース商店の婿を鍛える、って理由じゃなかったっけか?」 「ふんっ」 そっぽを向いたままグラスを呷って、インバース氏が唸った。 「てめえなんか婿には10年早いから、ちっと鍛えてやるっつっただけだ」 実際。ここ最近のガウリイは、インバース氏に連れまわされる日々が続いていた。 ゼフィーリアに着いて早々にルナの“試し”を受け、どうやらリナの相手として受け入れられ、リナへのプロポーズも無事----命があったという点では、無事----に終えた今、ガウリイのほとんど唯一の敵は義父となるインバース氏だった。 「うちの娘と一緒になろうってんなら、ゼフィール・シティでもちょいと知られたインバース商店を営っていけるだけの力量がねえとな。どうしてもってんなら仕方ない、俺がじきじきに鍛えてやってもいいぜ」 そう言うと、ゼフィール市内はもとより、ヴェンツ始め各地の取引先にガウリイを伴いだし、今日もヴェンツの商人組合や取引先を一日中回ってきた。インバース氏とガウリイの健脚なら普通の旅人よりはよほど早く着くとは言うものの、ゼフィールからこのヴェンツまでそれでも5日はかかる。ヴェンツでの商談と帰りの旅程も考えれば、ざっと2週間近くリナに会えないわけだ。 万事この調子で、なるほど商人として鍛えていると言えば聞こえはいいが、ゼフィールに着いてから3ヶ月は経とうというのに、その間インバース家に落ち着いていたのがせいぜい2週間ときては、少しでも娘とひっつく時間を減らそうという男親の魂胆丸見えというものである。 ついでに言えば、「まだ式を挙げたわけでもないんだから、けじめってもんをつけねえとな」と至極もっともらしい理由から、ガウリイはインバース家の客間に寝泊りさせられていた。リナの寝室はすぐ隣なのだが、壁一枚の距離を無にするためには、階下で気配を研ぎ澄ませている腕っこきをひとり殺る必要があるだろう。 ざっとこんな次第では、ガウリイが人の悪い笑顔を未来の義父に向けるのも、まずは無理の無いところだろう。 「初対面のときから結構な歓迎ぶりだったけどな。こうも往生際が悪いとは、正直思わなかったよ、俺は」 「てめえだって親父になってみろ。俺の気持ちがわからぁな」 そむけていた顔をようやくガウリイに向け直すと、インバース氏の眼つきはすっかり据わっていた。 「往生際が悪いだと? 気安く言ってくれるぜ。10年前には、父ちゃんのお嫁さんになる、って言ってた可愛いリナが、てめえみてえなくそ天然と一緒になるってんだぞ。そんなもん歓迎する親父がどこの世界にいるってんだ、馬鹿野郎」 「まあ、そりゃそうなんだろうけど」 「いいや、てめえには金輪際わからねえ!」 言葉を吐き捨てると、グラスに注ぐのももどかしく瓶ごと葡萄酒を呷った。口の端を透き通った液体が流れ、滴っていく。 「いいか、リナは俺の宝なんだ。それを横から掻っ攫いやがって、歓迎して貰えるとでも思ってんのか、てめえはよ」 葡萄酒の瓶を一息に干すと、いっそう据わった目をガウリイに向けた。 「自分に娘が出来てみろ。嫌でも俺の気持ちがわかるってもんだ」 「俺に娘? ・・・・そうだな、いつかは俺とリナの子どもも生まれるだろうし。リナの産む娘なら、リナに似て可愛いだろうなあ・・・・気が強くなりそうなのは心配だけど、でもいい子に育つよな、きっと」 思わず空想に浸ってしまったガウリイに、ばしゃんと冷たいものがかけられた。香しく匂い立つ葡萄酒。 「冷てえっ。何するんだよ、いきなり」 「っせぇ! てめえ、いま何妄想してやがった!?」 空のグラスを片手に、インバース氏が怒りも露わに身を乗り出している。 「何って・・・・俺とリナの娘・・」 「てめえなんてこと考えやがる!」 「あんたが言ったんだろうが、娘ができたらどうとかって」 「リナに子どもを産ませようとは、太い野郎だ!」 ガウリイの言葉に、くわっと眼を見開いてインバース氏がますます怒った。テーブル越しに左腕がガウリイの襟首を掴み、ぐいと引き寄せる。ようは酔っ払いの戯言なのだが、元が腕っこきの戦士で鳴らした男だから、威圧感は半端じゃない。常人なら一瞬で失禁してしまうだろう。 「・・・・酔ってるだろ、あんた。俺はリナと結婚するんだぞ。他の女に子どもを産ませることならともかく、リナが俺の子を産むことを想像して何が悪いんだよ!?」 欠片ほどにも怯える様子がないところはこちらも流石のものだが、落ち着かせるならともかく火に油を注いでいるあたり、ガウリイも多少は酔っているのかも知れない。 「てめえ、子どもを産ませるってことは、リナを抱くことを想像しやがっただろ!?許せねえ!」 インバース氏の云い様はかなり無茶苦茶なのだが、どうやら身に覚えがあるのか、ガウリイが咄嗟に言葉に詰まった。 「あっ、黙ったとこみると、ほんとに想像してやがったな!? この野郎!」 ガウリイの襟首を掴む左腕に、ますます力が入る。 と、その腕をガウリイの右手が掴んだ。手首のあたりをぎりぎりと締め上げる。見る見るうちに、インバース氏の指先が青白くなった。 「想像して悪いか、ええっ!? あんたのおかげでもう3月もリナと御無沙汰なんだ。妄想ぐらいしなきゃやってられるか!」 逆ギレ紛いなガウリイの云い様だったが、インバース氏に劣らぬ迫力が漂っていた。 インバース氏といいガウリイといい、いい歳をした大の男の態度とも思えないが、どちらも内心それなりに溜まったものがあったのだろう。燻った心に注がれた酒が発火点を下げ、あっさりと火がついたわけだ。 かくて室内を緊迫した空気が満たし、娘可愛さの親馬鹿煩悩とおあずけを喰らった男の煩悩が暴発寸前の火花を散した。 と、その時。部屋の外から、妙に暢気な声が聞こえた。 「旦那方、そろそろお酒が切れる頃じゃありませんか? そう思ってお代わりをお持ちしたんですがね」 あまりにも場違いな声になんとなく力が抜け、どちらからともなく腕を放して腰を下ろす。返事を待たずに扉を開けると、半ダースほどの葡萄酒を並べた盆を持って、店主が腹を揺すりながら入ってきた。 「おやおや、おふたりともお酒ばかり進んで料理が減ってないじゃないですか。自慢の料理なんですから、召し上がってくださいよ」 室内の空気を知ってか知らずか、至って暢気に喋りながら空き瓶を片付け新しい瓶を並べると、丸々した顔に笑顔を零しつつ、ふたりに頭を下げて部屋を出た。扉を閉め際、 「旨い料理を食って旨い酒を呑んでりゃ、喧嘩なんぞ馬鹿馬鹿しくなりまさあ」 思わずインバース氏とガウリイが顔を見合わせ、苦笑いを交わした。 いちいち聞き耳を立てていたわけでもあるまいに、室内の空気を察してさり気なく水を入れに来る辺り、暢気で陽気な太っちょに見えてこの店主、その実なかなかのクセモノであるらしい。 |