アウストロ(南風亭)綺談
 〜〜インバース家の人々・後伝〜〜


<第1章>親父と天然

作:りょーさん♪


 がこんっとやや荒い音を立てて扉が開いた。
 「いらっしゃいまし」
 愛想たっぷりの声で出迎えながら、その実店主の目はさり気なくそれでいて確実に客を観察している。商人や旅人相手の酒場の主たる者、人を見る目と警戒心なしにはやっていけないのである。
 ふたり連れの男達。先に入って来た背の高い黒髪の男は、店主の良く知った顔だった。月に2,3度は顔を出す馴染み客。ゼフィール・シティ界隈では少しは知られたインバース商店の主で、商人組合でもちょっとした顔だという男だ。若く見えるが年頃の娘がふたりいると言うのだから、自分とそう変わらない歳だろう。いつ来ても賑やかな楽しい酒を呑み、払いもちゃんとしているので、まずは上客のひとりに店主は数えている。
 「これはインバースの旦那、いらっしゃいまし。毎度ご贔屓にいただきまして」

 愛想を2,3割上乗せして上得意に笑いかけながら、後ろに立った連れの男に素早く目線を走らせる。いかにも人が良さそうに緩みきった顔の店主だが、目だけはいつも油断なく客筋を見定めているのだ。
 長身のインバース氏よりさらにのっぽの若者。長く伸ばした金髪といい、秀麗な顔立ちといい、ちょっと見かけないほどの美男子である。これでぼけぇっと間の抜けた笑顔を浮かべていなければ、さしずめどこぞの貴公子といったところだろう。だが、その抜けた笑顔が幸いしてか、人柄は悪く見えない。
 半瞬足らずでそれだけ見て取ると、店主は最近馴染みのゼフィール商人達から聞いた噂話を思い出した。
 ----「ずっと旅に出てた、インバースん家の下の娘が帰ってきたんだがな。
    それがなんと、婿を連れてきたんだってよ」
   「あの親馬鹿のこった、さぞかし泡食ってるんじゃねえか」
   「けどあそこの娘ったら、上も下もおとなしく男とくっつくような
    タマじゃねえだろう」
   「それがえらい色男を連れて帰ったらしいぜ。近所の娘たちがきゃあ
    きゃあ騒いでたって話だ」                   ----

 なるほど噂どおり、いや噂以上の色男だ。胸の内で小さく呟いていると、当の青年が店主ににこっと笑いかけた。商売柄笑顔も武器のうちと心得ている店主の目から見ても、それは極上の笑顔だった。腹に一物持った人間には、こういう笑顔はできるものじゃない。
 なべて美男子にいい感情を持たないのが美形ならざる男の常というものだが、この青年の笑顔には悪感情を霧散させる魅力があった。 
 こりゃあいい若者だ。人を見る目には年季の入ってる店主が、初対面でそう断じた。
 早速、軽く揉み手をしながら、花嫁の父になるらしい男ににこにこと話しかける。
 「そちらの若い方が旦那のお嬢さんを射止めたって方ですか? 噂にゃ聞いてましたが、なるほどいい男ですねえ」
 インバース氏の顔が一瞬で曇ると、
 「天然のくそたわけのくせしやがって俺の大事な下の娘を誑かしくさった極悪人だこいつがひとりで来た時は毒入りの酒しか出すんじゃねえぞ」
 苦虫の10ダースも噛み潰したかのように口を歪め、吐き捨てるように一息で言い切った。

 と、店のあちこちから笑い声が響いた。
 曰く、「そんだけいい男じゃ、自慢の娘が親父を見捨てて男に走ったのも無理ねえや」
 曰く、「あんたも往生際が悪いな。婿さんにゃもっと優しくしてやんなよ。大事な跡取なんだろ」
 曰く、「これで女の客が増えりゃ商売繁盛で結構なことじゃないか」
 曰く、「男っぷりでも若さでも数段負けてるんだ、娘ばかりか嫁さんまで取られて、店ごと持ってかれないように気をつけな」
 げらげらと大きな笑い声もかけられた言葉も少々品には欠けるが、少なくとも悪意から言ったのでないことだけは、客達の表情で明らかだった。素直に祝いを述べるには、些かひねくれてしまった年頃の親父達なのだろう。 

 「うるせえっ! てめえらも娘が男連れで帰ってくりゃわかるってんだ。その時になっておたおたしてやがったら、思いっきり大笑いしてやるから覚えとけよ!」
 ひねくれた祝辞にひねくれた謝辞を返すと、店主のほうを向き直った。
 「おい親父、げたげた笑ってねえでとっとと仕事しろよ」
 「へいへい、こりゃどうも失礼を。お席の方はどちらに?」
 噴出しそうになるのを堪えながら、店主が問い掛けると、
 「いつもの部屋を開けてくれ。酒と料理は適当に頼まあ」
 「へい、旦那。今すぐにご用意いたします」
 でっぷりとした腹を揺すりながら、上得意の注文に応えるべく、店主は店の奥に駆け込 んで行くのだった。

 アウストロの奥には、馴染み客達が商談などに使うための個室がいくつか用意してあった。そのうちの一室が整えられ、店主自慢の酒と料理が卓上に並べられるまで、それほど時間はかからなかった。
 「へえ〜〜旨そうだなあ」
 ずらりと並べられた皿を前に、青年の口からなんとも幸せそうな声が出た。こうも手放しに賞賛されれば、店主たるもの胸を張らずにはいられない。
 「そりゃあもう、うちの料理と酒はヴェンツでも一番ですからね。旦那と若旦那には、なかでもとびっきりの自慢の品を用意させて貰いましたよ」
 「誰が若旦那だ、誰がっ!?」
 噛み付きそうなインバース氏の声など聞こえぬ素振りで、若者の視線は料理の上を嬉しそうに踊っている。

 こういう人間に食べて貰えれば料理だって本望ってもんだ。思わず、店主まで心愉しくなる。
 「こいつあうちでもとっておきの葡萄酒でしてね。呑ませろって方は多いんですが、大事なお客さんにしかお出ししないんですよ」
 能書きも愉しげに、倉庫から引っ張り出してきた何本かの葡萄酒を、料理と一緒に卓上に並べると、
 「それじゃあ、後は義父子(おやこ)水入らずで楽しんでくださいまし。どうぞごゆっくり」
 「誰と誰が『おやこ』だあ? いい加減なこと抜かすんじゃねえぞっ!」
 きゃんきゃんと煩い声を背中に聞きながら、店主は部屋を出て店へと戻るのだった。丸々と肥えた後姿を青年----いや、いい加減ガウリイと名を呼んでやろうか----の悪意の無い笑顔が見送る。

 「いや〜ほんとに旨そうだ♪ そんじゃ早速いただこうかな。んと、こいつから・・」
 「くぉら天然!」
 両手にフォークと小皿を持ってごちそうに取り掛かろうとしたガウリイに、正面から罵声が飛んだ。
 「何か?」
 「何か、じゃねえ! てめえ、俺に酒も注がずにさっさっと食い始めるつもりか!?」
 椅子にふんぞり返り高々と足を組んで、インバース氏の目はぎょろりと青年を睨んでいる。逞しい肩をひょいと竦めて、ガウリイがふたりのグラスに葡萄酒を注いだ。
 「じゃあまあ、お疲れさんってことで」
 そう言ってグラスを掲げてみせると、またインバース氏が毒づいた。
 「お疲れさん? てめえが何に疲れたってんだ、ええ? のそのそ俺の尻にくっついてただけじゃねえか」
 偉そうに言うだけ言うと、ぐいと葡萄酒を呷った。音を立てて卓上に戻されたグラスに、また葡萄酒を注ぎながら、小さく呟いた。
 「自分が、勉強させてやるからとりあえず尻にくっついてこい、って俺を連れてきたんじゃなかったっけ?」
 「っせえっ! 勉強させて貰っといて口答えするんじゃねえよ、天然! 感謝の気持ちが足りねえんじゃ、商人は勤まらねえぞ」
 苦々しい表情のままでインバース氏が喚き散す。

 「あのさあ。どうでもいいけど、会う人毎に俺のことを『天然』とか『極悪人』とか紹介するのやめてくれないかなあ。一応、俺にも名前があるんだからさ」
 「ああ?」
 苦笑しつつ言ったガウリイの言葉に、インバース氏がまたぎょろりと眼を剥いた。
 「よ〜〜し、それじゃあ今度からはてめえのことを、ガブリエフって若造、って紹介してやるよ。それで文句ねえな!?」
 「ガブリエフねえ。そりゃまあ、今のトコはまだそうなんだけどさ」
 もしインバース氏の愛妻がこの場にいれば、柔らかい笑顔で、「いつまでも駄々っ子みたいに拗ねてると、みっともないですよ」とぐさりと言ってのけるところだろう。
 自分も何杯目かの葡萄酒を口にしながら、ガウリイがちろりと視線を向けた。
 「・・・・けっこう往生際が悪いよな、あんた。素直に、うちの婿、って言えないもんか?」
 悪戯っぽい笑みに、険悪な視線が向けられる。




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