空には十六夜の月。
仕事を終え、マンションに帰り着いた月村は、自室の前にちょこんと座り込んだ生き物を目にして足を止めた。
「何やってるんだ?おまえ」
にゃー
問いかけに答えるように小首をかしげて部屋の主を見上げるその仕草がなんとも愛くるしくて、頬が緩む。
夜目でもわかる毛並みの良さは、その来訪者が野良ではなく、誰かの庇護の元で暮らしていることを物語っているようだ。
「どこの迷子だよ?おまえ」
語りかけながら目線を合わせるようにしゃがみこんだ月村と微妙な距離を保ちながら、猫は何かを探るようにこちらを伺っている。
静かな月明かりの他に夜を彩るのは、街灯と廊下の蛍光灯、そして同じ階に並ぶ部屋からこぼれる明り。
闇を照らすそれらのどの色とも違った不思議な光を夜の中に浮かび上がらせた眸が、まっすぐに月村を見つめている。
そのくせに、手の届く範囲内には決して入ろうとしない猫の様子がどこかの誰かを彷彿とさせ、なんとなく、放っておけない気持ちにさせられる。
「腹減ってんのか?」
にゃあ
即答され、月村は、この男にしては珍しく、困惑したような表情を浮かべた。
「なにか食わせてやりたいのはやまやまなんだけどなぁ…」
飼うつもりがないなら、半端にかまうな。
常套句だ。
それがたとえ、小さなものであっても、命は、生半可な思いで弄べるような軽いものではない。
そもそも、この腕はもう、他の誰にも差し伸べることが出来ないほど、大切なものを抱えてしまっている。
この手を差し伸べたのはたったひとり。
この腕で包み込めるのはたったひとり。
この想いを捧げたのは、たったひとり。
だから。
目の前の小さな生き物に向かってごめんな、と言いかけたそのとき。
笑いを含んだ声が頭上から降ってきた。
「ずいぶん可愛い小悪魔にたぶらかされそうになってるじゃないか」
「小悪魔って……もしかしなくてもコイツのことですか?」
猫を指差した月村の隣に同じようにしゃがみこんだ蒼井は、彼もまた、猫に手を差し伸べることなくただじっと見やる。
「飼うつもり?」
「まさか。俺のキャパじゃ、蒼井さんだけで手一杯だ」
言った瞬間、決してやさしくはない力で肘で脇腹をつつかれて、月村は低く呻いた。
「何するんですか!」
「一緒にするな」
すっと立ち上がった蒼井は早く扉を開けろと言わんばかりの表情で月村を見やる。
鍵、持ってるじゃないですか、と、肩をすくめた月村は、足元の猫をにチラリと視線を向けて立ち上がった。
「おまえもはやくご主人様のところにちゃんと帰れよ」
な? と、月村に同意を求められた猫は、一向に自分を構う気配を見せない二人に尻尾を一振りして揺らし、立ち去っていった。
「はい、開けましたよ」
鍵を開けた部屋に先に蒼井を入れてやり、その後を月村が追う。
靴を脱ごうと、屈んだ脇腹に、ツキン、とした痛みが走り、このままやられっぱなしなのは何だか癪に障るような気がして。
リビングに向かいかけた蒼井の腕を「待ってくださいよ」と、掴んで引いた。
「何?」
うるさそうに振り向いた蒼井に、月村らしからぬ人の悪い笑みを浮かべ、耳元に息を吹きかけるような囁きを落とす。
「俺の家に自由に出入りする生き物は、どんなイイ声で啼いてくれるますか?」
切れ上がった蒼井の眸が光を放つ。
「知りたい?」
「もちろん」
「だったら……」
足を止め、月村の首に片腕を絡めた蒼井は、唇を触れ合わせて吐息で返した。
「おまえが死ぬほど可愛がってくれたら、腰振って啼いてやるよ」
口元に浮かぶのは、妖艶な、としか形容のしようのない笑い。
そえれが、日頃はストイックにみられる彼の、自分にだけしか向けられることのない一面だということを知っているからこそ―――――たまらなくそそられる。
どちらからともなく伸ばされる腕。
こすりあわせるように密着させた下半身では、熱い塊が脈打っている。
ゾクリと背を這い上がるしびれる様な感覚。
深くあわせた唇を外せば、濡れた唾液が糸を引いた。
閉じきらない蒼井の唇の端を親指でぬぐってやりながら、月村は問う。
「シャワーは?」
だが、片腕でしっかりと蒼井の腰を抱き込んだ月村は、離すつもりのないことを知らしめるように、下肢を押し付ける。
応える蒼井の眸に孕んだ強烈な色香。
「いい。このまま―――」
「このまま?」
男の肩口にしなだれかかるように顔を埋めた蒼井は、どこか疲れたように吐き出した。
「離すな………」
喘ぎを零して綺麗にそらされた蒼井の喉を、月村の首から滴った汗が伝う。
大きく開かせた脚の間に躯を割り入れ、丹念にほぐして緩ませたその場所に熱い猛りを押し付けた月村は、その塊をぐっと、深いところまで突き入れた。
「……ん―――っ……」
眉根を寄せ、それが入り込んでくる圧迫感に耐える蒼井が落ち着くのを待ってゆっくりと腰を蠢かせれば、いやらしい水音が耳を打つ。
熱い、吐息。
突き上げられ、四肢を絡み合わせながら、快楽だけを追っているその表情が愛おしい。
しっとりと汗ばんだ躯を強く、強く抱きしめた月村は、リズムを変え、角度を変えて、最奥を抉つ。
そうして二人、何かを補い合うかのように、求め、貪りあい……………
満ちたりた微笑みを浮かべたまま、眠りの淵へと沈んでいった。
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