ふわりと漂う湯上りの石鹸の香りに誘われるように、テレビの前に陣取った芳樹の背中から、樹生は腕を廻した。
ところが。
真剣に前方を見据えたままの芳樹はまったくの無反応だ。
それがなんとなく面白くなくて、樹生は生乾きの髪がふりかかる項に唇を落としてみる。
けれども。
芳樹の目線はテレビから離れない。
ならば……と、髪の間から覗く耳朶を甘く噛み、ふわっと吐息を吹きかける。
さすがに今度は芳樹の肩がピクリ、とあがった。
ようやく反応があったことに気持が弾み、どうやら自分は、芳樹に構ってもらいたいらしいと、樹生は自覚する。
そんな想いに誘われるままに、芳樹の身体をさらに深く抱き寄せ、首筋を吸い上げながらボディーソープの香りが新しい肌をまさぐろうとしたその瞬間。
聞きなれた怒鳴り声が炸裂した。
「ちょっと! 俺は真剣にテレビ見てんの! ジャマすんなよ」
それでも果敢に芳樹にジャレついてみせるのだけれども。
「だから、後にしろってば!」
振り向き様の肘打ちが見事にヒットした腹を抑え、「いってェ……」と、うめく羽目になる。
「何すんだよ」
いくらなんでもやりすぎだろ、と、毒づいた樹生は…………
「あ! ああぁぁぁぁ―――――」
耳元で絶叫を放たれて、思いっきり顔をしかめた。
「どうしてくれるんだよ! あの霊がどうなったか、わかんなかったじゃん!」
「…………霊?」
「そうだよ! 鏡台にとりついてた霊! 樹生、見てた?」
聞かれたところで、テレビがまったく目に入っていなかった樹生には、皆目検討もつかない。そもそも、芳樹が見ていたのが何の番組かすら、わからないのだ。
知らねぇよ、と首を横に振る樹生に、使えねぇ、と毒づいた芳樹は、そんなことで気持がおさまるはずもなく、尚もブツブツと文句を言いつづける。
「こーゆーのは結末知らないと、余計怖いんだよ! 今日寝れないって。どーすんだよ。樹生のせいだかんな」
そして、怖いって、寝れないってば、祟られる、と芳樹は延々と繰り返す。
しつこく続く嫌味くさい口調にうんざりとした樹生は、火のついていない煙草を噛みながら、吐き捨てるように言った。
「俺がいるだろ! 寝れないわけあるかよ」
「…………」
「…………」
刹那。
よぎった空気の白々しさに、ふたりは苦虫を噛み潰したような、なんとも複雑な表情で顔を見合わせた。
口にした瞬間、樹生自身が相当恥ずかしいと思ったのだが、言われた芳樹も半ば照れ隠しもあってその言葉を茶化してみせる。
「寒ッ。さむさむ。この部屋なんかいるよ? なんだか急に悪寒が――――」
背を縮め、両腕で己の身体をさするような仕草で、芳樹は身体を震わせる。
あまりにもわざとらしいその仕草に、いい加減にしろよな! と、ドスをきかせた声で凄んで見せるのだけれども。
「うわッ、今度は何か幻聴が……」
耳を塞いだ芳樹が、ますます調子にのったような声をあげる。
チッ、と舌打ちした樹生は、そんな芳樹の両手首を掴むと、低い声で囁きかける。
「そーゆーコト言ってると、三日三晩寝かせてやんねーぞ」
「ッ……!」
反撃する言葉を見つけられないまま手首を引かれた芳樹は、逞しい腕の中にがっちりと捕らえられてしまった。
「それとも一生取り憑いてやろうか?」
ニヤリ…と笑った樹生を見上げ、暫し考え込むように押し黙った芳樹は、いつになく小さな声で問い掛けてくる。
「……それって、プロポーズ?」
真摯な眸と思いがけない言葉にうろたえたのは樹生の方だ。
狼狽がそのまま表情に出た貌を目にした瞬間、芳樹の表情がくるりと動いた。
「ばーか。冗談だよ、冗談」
「――――――!!!!!」
さすがにコレはあんまりなのではないだろうか?
からかうような小憎らしい笑いを浮かべている芳樹を床に押し倒した樹生は唸るように言葉を落とした。
「てめぇ、マジで覚悟しろよ」
「―――――!? ちょっと、あ、待てって……ぁ」
柔らかな肌を舌先で舐め上げられて甘い声があがる。
コレもある種のコミュニケーション。
ジタバタと暴れていた芳樹が、やがて樹生の背に腕を廻すまでには、たいした時間はかからないのであった。
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