•  刹那の証  
    〜月村×蒼井〜 





     激しい呼吸に呼応するように撓る背を汗が伝う。
     内腿は滴る体液で濡れそぼってしまっている。
     遂情の余韻に小さな痙攣を繰り返す躯を、俺は包みこむように両腕で抱いた。
     触れ合っているところから伝わるその肌のあたたかさに、泣きたくなってくる。
     胸の中で渦巻くのは、愛おしいという思いと、そして、拭いようのない切なさだ。
     そう。
     こうして腕の中にいるのに。
     何度も躯を繋げて抱きあっているのに。
     こんなにも不安に押しつぶされそうになってしまうのは、何でだろう?
     ここにいるのに。
     あなたはここにいるのに。
     それなのに………
     いつか。
     いつか、あなたがどこかへいってしまいそうで。
     この腕の中からすり抜けていってしまいそうで。
     どうしていいのかわからなくなる。
     だけど。
     無力な俺は、あなたを繋ぎ止める術を持たないまま、ひたすらに願うことしか出来ないのだ。
     だからこそ、刻みつけたくなる。
     証を。
     あなたが俺のものである証を。
     あなたのその躯に、刻みつけたくなる。
     こんなことを願うのは、俺の傲慢な独占欲でしかないことはわかっているけれども………
     そんな俺のドロドロとした胸の内には気づかぬまま、蒼井さんは甘えるように俺の肩口に鼻先を摺り寄せた。
     俺の視線に気づいたのか、微かに身じろいで眸を開け、見上げるように俺を見やって少しはにかんだような微笑を浮かべている。
     濡れた髪をかきあげて、額に小さなキスを落とす。
     想いを伝える言葉は数多あるけれども。
     自分が抱えたこの想いを表す言葉はどこにも存在しない。
     どんな言葉でもこの想いのすべてを言い表すことなど出来ないだろう。
     言うならば、すべて。
     あなたの存在が、俺のすべて。
    「……蒼井さん――――」
     凶暴な、とすら言えるような激しい欲が、俺を浚う。
     繋がったままの腰を揺らして、内壁を擦りあげれば、濡れた唇から上ずったような声があがった。
     沈めたものの硬さが増すのがわかる。
     その感覚が蒼井さんにもリアルに伝わったのだろう。
     泳ぎかけた腰を逃がさず、衝動のままに突き上げた。
    「やっ……」
     収まりかけた熱を再び呼び覚まされ、蒼井さんが全身を震わせる。
    「――っ……」
     無意識に口元に当てられた蒼井さんの左手に俺はそっと指を絡め、誘うように俺の口元へ引き寄せた。
    「んぁ……ぁああ―――」
     感じる部分を容赦なく突き上げられ、追い詰められていく蒼井さんの意識は、まさに極めようとしている絶頂の中にある。
     啼きすぎて掠れた喉からはもう、意味を持った言葉は出てこない。
     俺の呼吸だって相当に荒く乱れている。
     その瞬間に俺の中に宿ったものは、果たして何だったのだろう?
     舌を這わせていたその指に恭しく口吻けると、俺は指の付け根を上下の歯でそっと挟み込んだ。
     迸るのは切なる願い。
     証を。
     確かな証を。
     どうか。
     どうか、お願いだから。
     他には何も、望まないから。
     だから。
     だから………
    「……――ぁああっ…つき、むら………月村ッ―――――」
     込められる、力。
     ブツリと。
     柔らかな皮膚が噛み破られたその瞬間。
     口の中に広がる鉄の味。
     俺と蒼井さんは、同時に達していた。






    「しょうがないヤツだなァ……」
     ひどく傷ついてしまった左手の薬指を見やり、蒼井さんは呆れたように言った。
    「すみません……」
    「腹減ってたのか?」
    「違います」
     茶化されてがっくりと落ち込み、もう一度、すみません、とうなだれた俺に、もういいよ、と蒼井さんは笑って言った。
    「気にするな。こんな傷、すぐに消えるさ」
     そして、まるで子供をあやすように俺の頭をかき回した蒼井さんは、スルリとベッドを抜け出してバスルームへと向かっていった。
     ――――すぐに消えるさ……
     何気なく落とされた言葉が胸に刺さる。
     その言葉がどれだけ俺を傷つけるのか、蒼井さんは知らない。
     滑らかな背を見つめながら、俺は震える唇を噛み締めた。
     蒼井さんが後ろを振り返らないことを、必死で願いながら。
     こんな顔は、ちょっと見せられないだろう。
     ぽたりと。
     シーツに落とされた朱赤の跡をそっと指でなぞる。
     蒼井さんの言葉通り、何日かすれば、あの傷は消えてなくなってしまうだろう。
     俺があれほどまでに切に願った証は、つかの間のまがい物。
     あの人を繋ぎ止める鎖にはなり得ない。
     ――蒼井さん……蒼井さん………
     朱赤の隣に滲み出す、色のない染み。
     何故か。
     涙が溢れて仕方がなかった。
     嗚咽を噛み殺すために、枕に顔を埋める。
     バスルームからは水音が聞こえてくる。
     夜は尚、しっとりとした帳の中にあった。






    End