•  焦燥  
    〜神崎×朔夜〜 
    敵対している組織のふたり、をイメージしてください。





     彼の名には、月の意味が宿ると言う。
     だから、だろうか?
     窓から差し込む蒼い月明りが、その身を飾るのにこんなに相応しいと思えてしまうのは。
     間接照明を最小まで絞った部屋のソファーにゆったりと躯を沈めた神崎は、グラスに満たしたブランデーで喉を潤しながら、飽くことなく、眠る朔夜を見つめていた。
     少し前までの、そのベッドの上での激しい情交の名残を匂わせない穏やかな表情で、規則正しい寝息をたてている。
     溶けて小さくなった氷をカラリとまわし、グラスの中身を一息で干す。
     酒を注ぎ足そうとした手を止め、音を立てずに腰を上げた神崎は、月明りに守られているかのように身を横たえる朔夜のもとへと歩み寄った。
     何故に、これほどまでに心が騒ぐのか。
     わからないからこそ、容赦なくせめたててしまう。
     まるで、何かに駆り立てられるかのように。
     その躯をねじ伏せて飽くことなく貪れば、眉根を寄せて苦痛と愉悦に身悶える。
     欲しがる様が見たくて、甘い声が聞きたくて、追いつめて、追いたててしまう。
     そう。彼が意識を手放してしまうほどに。
     それでも、朔夜は決して神崎に膝を屈しはしない。
     決して折れることのない強情な心。
     逸らされることのない曇りのない眸。
     注がれる視線が痛い。
     何故にそこまで潔く在れるのか。
     神崎には不思議で仕方がなかった。
     月は、惜しみなく降りそそいでいる。
     疲れの滲む目元に触れようと、指を伸ばしかけたけれども。
    「ん……」
     なんとも形容のしがたい声を零した朔夜のまぶたが微かに震え、触れる前にその指を引き戻した。
     震える目元は、眠りの終わりを告げるものだ。
     そのことを残念だと思う神崎の思いを他所に、パチパチと瞬かせながら眸を開いた朔夜は、気だるげに半身を起こした。
    「寝てしまったのか」
     自分自身に語りかけるように呟き、ベッドに落ちかかる影に気づいて眸をあげた。
     まっすぐに神崎を捕らえたその眸は、眠っていたときの穏やかさを欠片も感じさせない鋭い光彩を放っている。
    「何時だ……?」
     あれほど甘く艶やかに濡れていた声は、低く乾いてしまっている。
     やはり残念だと、改めて思う。ふっくらとしたその唇には、舌っ足らずの啼き声がよく似合う。だが、そんな思いをおくびにも出さずに、神崎はあっさりと言葉を返した。
    「ちょうど、日付が変わったところだ」
    「そうか」
     深い息をひとつ落とした朔夜は、緩慢な仕草でベッドから起き上がり、一糸纏わぬ姿のまま歩みだそうとした。その瞬間、秘所から湧きあがった鈍い痛みに、サイドボードに手を置いて眉を顰める。
    「…………」
    「大丈夫か?」
     思わず。
     そんな言葉を口にした神崎を、肩越しに見やった朔夜は皮肉に笑う。
    「おまえでも、そんなことを言うのか?」
    「……やはり、おかしいか」
     自分でももてあますように呟いた神崎に、朔夜はなんとも形容のしがたい含み笑いを零してくるりと背を向けた。
    「シャワー、浴びてくる」
     律儀に断ってバスルームへと向かう後姿の卑猥さに、彼は気づいているだろうか?
     朱赤の散るすべらかな背と、溢れ出た体液で濡れた内腿を見つめ、再び熱を帯びはじめた己自身を神崎は嘲笑った。
     伸ばしかけて躊躇った指先。
     もしも。
     もしも、違った時代に違った出会いをしていたのなら。
     あのまま、素直に腕を伸ばすことが出来たのだろうか?
     思った瞬間、殺意すら感じさせる怜悧さで自分を睨みつける朔夜の眸を思い出し、神崎は冷ややかに笑った。
     無意味な………
     そう。
     それは、あまりにも意味のない問いだ。
     自分たちにはあれ以外の出会いはなく、そして、これ以外の在り方は存在しない。
     いまはこうして馴れ合っているけれども、いずれ、決着をつける日が来るだろう。
     そう遠くはない未来に。
     けれども。
     いまはまだ、そのときではない。
     そのことに、少しだけ安堵する。
     あと何度、こうして月明りの下で抱き合うことが出来るのだろう?
     あと何度、あのしなやか躯を腕の中に抱くことが出来るのだろう?
     あと何度…………
     繰り返す自分をせせら笑うように、神崎はグラスに継ぎ足したブランデーを煽るように飲み干した。
     決して消せない炎が胸の中で燻っている。
     あの眸で射抜かれた瞬間に灯った炎だ。
     その炎が、自分の心を落ち着かなくさせている。

     ―――――この想いを、なんと称するればいいのだろう?

     窓辺に浮かぶ己の姿を睨みつけ、神崎は思考を断ち切った。
    「ばかばかしい」
     喉の奥からくぐもった笑い声が上がる。
     惑わされることはないのだ。
     何も。
     たとえ、どれだけ不可思議な思いが、胸の中に宿っていようとも。
     己の掲げた目的のため、ただ突き進めばいい。
     バスローブを纏って浴室から出てきた朔夜が、そんな神崎を目の端で捕らえた。
    「何がおかしい?」
    「別に何も」
     訝しげに眉を寄せた朔夜に、神崎は吐き捨てるように呟くのだった。








    End