•  最愛  
    08〜祝福の鐘〜 






    「絶好調じゃねぇか、こんちくしょう」
     バシッと、背中から容赦ないラリアートを喰らい、迷惑そうに振り返った賢斗の視線の先には、何故か仁王立ちになってがはははと、笑う黒岩がいた。
    「………どうも」
     大きな契約を立て続けに二件決めたことを言っていることはすぐに飲みこめた。
    「いや、ホントおまえ最近調子いいよな」
     黒岩からの褒め言葉は聞き慣れていない分、尻のおさまりが悪いような、むず痒いような、そんな妙な気分になる。
    「はぁ、まぁ……そうっスね」
     警戒心を露わにしつつ、若干距離を計りながら応じた賢斗に、何故か黒岩はニヤリと笑った。
    「さては女か? オンナだな!? っつーか、オンナしかないだろ」
     したり顔で頷く黒岩に向かって、残念ながら俺はマスターベーションを覚えた頃からヤロウの裸で抜いてたんです、と、言ってやりたい衝動に駆られてみるけれども。
     後のことを考えれば、さすがにそうも言えないので、曖昧に笑ってみせた。
    「想像におまかせしますよ」
    「おっ!? なんだよ、その余裕。賢斗のくせになまいきだな!」
     軽くあしらわれたことに対して不満げに絡んでくる黒岩を黙ってやり過ごせばいいのに………と思いつつも、うっかり余計なひと言を口にしてしまうのはもう、性分としか言いようがない。
    「余裕のある大人は大人げない大人の相手なんてしないんスよ」
    「大人げないって、誰がだ、誰が! 舐めてんのか、おまえ」
    「だからっ! 頼まれたってごめんだって何度も言ってるじゃないっスか!」
    「意味が違うって毎回言ってるだろ!いい加減覚えろ、このニワトリ!」
     普段は割とクールに構えている賢斗だけれども、黒岩が絡むと大人げのなさ全開で反撃に応じるのでコトは穏やかに納まらない。
     次第にエキサイトしていく二人の様子は既に見慣れたもので、終業後の同僚たちは取合うわけもない。不毛な絡み合いに関わるよりも、さっさと仕事を終わらせて美味い飯なり酒なりにありつく方が懸命だ。
     そんな中――――
    「まったく……呆れるくらい仲がいいね。キミたちは」
     まったく空気を読まないのんびりとした声が、二人の間に割って入った。
    「違うだろっ!」×2。
     同時に叫び返した二人が、いつぞやのデジャブを感じ、嫌そうに視線を交わし合う。
     その微妙なアイコンタクトに、ルークが笑いを噛み殺して言った。
    「ほら。やっぱり仲がいいんだよ、キミたちは」
    「そーいうんじゃないっス」
    「おまえの目は節穴か? どうやったら俺とコイツが仲良く見えるんだ!?」
    「ケンカするほど仲が良いって言うじゃない。それとも……アレかな? イヤよイヤよも好きのうち」
     完全にからかわれていることを感じ取った黒岩が、珍しくルークに突っかかっていく。
    「ルーク! 喧嘩売ってんのか、てめぇ!」
    「よしてよ。そんな野蛮なことボクがするわけないじゃない」
    「あぁ? 俺様が野蛮人だって言ってるのか!? このお貴族様が!」
     意味わかんねぇし、と、賢斗がつぶやくその横で、ルークがめんどくさそうに眉を寄せる。
    「やだなぁ、絡まないでよ。キミの相手はこっちでしょ。ほら賢斗、バトンタッチ」
    「俺に振らないでください」
     賢斗からシッシッと、手で払うような仕草を受けた黒岩は、「俺をないがしろにするな!!」とますます頭に血を昇らせる。
    「ルーク。話をややこしくするな。おまえまで同じレベルで何やってるんだ?」
     物珍しそうに口をはさんだ国枝にルークが肩をすくめてみせた。
    「そうだったね。なんだか楽しそうだからのっかってみたんだけど。こういうのはボクの柄じゃなかったみたいだ」
     ややこしいことしてるんじゃねぇよ、と、賢斗が心の中で毒づいてみせるが、ルークの介入した時点で彼の熱はスッと引いてしまっている。
     一方、「俺がレベル低いみたいに言うな!」と、ひとり熱が冷めやらぬ黒岩の両頬を左右にひっぱって、国枝がうんざりしたように言った。
    「いい加減帰り仕度しろよ。置いてくぞ」
     気づけばフロアにはほとんど人がいなくなってしまっている。
     国枝も帰り支度は万全だ。
     食事にでも行く約束をしているのだろう。
     早くしろ、と、国枝に目線で急かされた黒岩は大急ぎで荷物をまとめると、「じゃあな」と言って去っていった。
     残った二人はなんとはなしに顔を見合わせる。
    「ボクたちは、何を食べに行こうか?」
     今日は夜を一緒に過ごす約束をしていた。
     明日の予定は決めていないけれども。
     何をするにしても、同じ時間を共有できることが、単純に嬉しい。
    「ルークの食べたいモノでいいっスよ」
    「丸投げかい? じゃあ、たまにはしゃぶしゃぶなんてどうかな」
     ルークにしては珍しいチョイスだが、賢斗に異存はない。
    「いいっスね」
     そして二人は連れ立って会社を出た。
    「黒岩も言ってたけど。キミ、ホントに最近調子いいよね」
     駅までの道を歩きながらルークに言われ、賢斗がおもしろくなさそうに答える。
    「アンタも絡むんスか?」
     ふてくされた子供のような態度にルークがやれやれ、と、困ったように笑った。
    「純粋な賛辞だったんだけどね。そういうの、被害妄想って言わない?」
    「……すみません」
    「別に謝るほどのことじゃないけど……」
     そう言って、ふふ、と含むように笑ったルークに、「何スか?」と視線を向ける。
    「素直だなぁ、と思って。黒岩にはあんなに横柄な態度で突っかかっていくのに」
    「いや、あの人は、なんつーか、特別って言うか……」
    「へぇ。ボク以外にも特別な人がいたんだ」
     からかうように言われて、賢斗が嫌そうに顔を顰めた。
    「次元が違うトコの話をごっちゃにしないでください。っつーか、やっぱり今日のルーク、なんか絡み癖ついてますよ?」
     そう? と、嘯いたルークが賢斗を見やったその瞬間、夜風が頬を撫で、髪がふわりと揺れた。
     その髪に指を絡めたい衝動に駆られるのだけれども。
     拳を握って封じ込め、代わりに賢斗は湿らせた唇に言葉をのせた。
    「調子いいっていうより……そうっスね。俺多分、今すっげぇ、舞い上がってるんだと思います。それが仕事にプラスに作用してるんですよ」
    「どうして?」
     夜を彩る外灯の灯りを受けたルークの眸が、神秘的な光を堪えて揺らめいている。
     まるで禅問答だ、と思いながら、賢斗は誘われるままに言葉を紡ぐ。
    「アンタが、俺を受け入れてくれたから。俺の想いに応えてくれたから。だから俺、死ぬほど舞い上がっているんです」
     押し殺そうとすればするほど、堪えようがないほどに育っていった想い。
     諦めろと言い聞かせ、叶わぬものだと己を諭し、不毛な恋心は捨ててしまえと、何度も何度も繰り返したけれども。
     日々募っていったのは息苦しいまでの恋しさと切なさ。
     恋焦がれる、という言葉の意味を、身を持って知った。
     絶対に成就することがない想いだと思っていた。
     いつか、枯れるのを待つしかないと。
     だからこそ―――――――
     報われた想いが。
     いまこの瞬間が。
     たまらなく愛おしい。
     この人に手を伸ばし、触れることができる。抱きしめることができる。
     こうして同じ時間を積み重ねていくことができる。
     自分がどれほどの幸福に満ち足りているのか、余すことなく言い表すことは難しいだろう。
     どれだけの言葉に託しても、きっと足りない。
     だから………
     ここが外じゃなかったら、いますぐにでも抱きしめてキスしたいくらいだと、賢斗は思う。
     自分の中に溢れているこの満ち足りた想いが仕事にも影響するのだとしたら、それは、プラスの効果以外の何物でもないはずだ。
    「じゃあ、ボクは自分の業績とキミの業績。ダブルで会社に貢献してるってことだ」
    「そんなトコっス」
     上機嫌で答えるルークに真顔で答えた賢斗は、ふいに足を止めた。
     そんな賢斗に三歩先んじたルークも足を止め、不思議そうに見やる。
    「どうしたんだい?」
     ひとつ、深呼吸をした賢斗は口を開いた。
    「いつかのおまじないの有効期限なんスけど……」
    「?」
     すぐにはなんのことを言われているのかわからず、ルークは記憶の引き出しを探る。

    『いつでも、どこからでも。迷わずにボクのところに帰っておいで』

    「あぁ、酔っぱらって滝沢に担がれてきたときの話だね」
     その時の様子を思い出して、クスリと笑う。
    「有効期限は、俺がアンタに惚れてる限りってことで、了解してもらえますか?」
     その言葉に、二歩分距離を縮めたルークが、どこか挑発的とも言える表情で賢斗と向き合った。
    「それはずいぶん自分本位な有効期限だね」
    「俺次第って言ったのは、アンタですよ」
     まっすぐに眸を見据えて答えれば、深く澄んだような色の眸で見返され……そしてルークは不敵な微笑を浮かべた。
    「つまり、キミがボクに飽きたら、おまじないの効力は消えるってことだね」
    「馬鹿言わないでください。飽きるなんてこと、あるわけないです。俺、重くてしつこいですから。心変わりなんてしないってこと、覚悟しといてくださいってことです」
    「――――――」
     どうやって。
     この想いの深さと真摯さをどうやって伝えればいいのだろうかと。
     ずっと考えていた。
     ルークの告白に泣いたあの日から。
     とても美しく心に響く言葉を自分に与えてくれたこの人に、いったい何と言って自分の想いを伝えればいいのかと。
     永遠という、使い古された、曖昧で掴みどころのない言葉は口にしたくはなかった。
     拠りどころは、時間ではなくこの想いの深さ。
     際限なく溢れ出てくる、この人に対する恋心。
     他の誰でもない、たった一人にだけ向けられた、切実な想い。
     誓いは、永遠よりも深くて重い。
     緊張した面持ちで眸を反らせずにいる賢斗に、次の瞬間、ルークが朗らかに笑った。
    「最高だよ、賢斗。ここが外じゃなかったら抱きしめてキスしたいくらいだ」
     奇しくも。
     それは賢斗が心の中で呟いた言葉と一字一句違わず、そんな些細なことがたまらなく嬉しい。
    「煽らないでください。これでも俺、我慢してるんですから」
     いくら人気のない夜とは言えども、いつ人目につくかわからないここで抱き合うような迂闊なことはできない。
    「さしずめ、お預けを喰らった犬ってところかい?」
    「………その例えは本意じゃないっス」
     渋面の賢斗とは対照的に、ふふ、と、ルークが機嫌良く笑う。
    「とりあえず、さっさとご飯食べてウチに帰ろう」
    「そうっスね」
     本当は飯なんてすっ飛ばしたいとこなんスけど、と、心の中で呟いた瞬間、自分を見つめるルークと視線が絡み合った。
     その眸に、自分と同じような熱が燻っていることを感じて、賢斗の身体も熱を帯びる。
     そんな賢斗を更に煽り立てるような微笑を浮かべたルークの指先が、まるで接吻のかわりだとでもいうかのように賢斗の甲に触れ、離れると同時にくるりと背を向けて歩き出す。
     その背中を追いながら、手の甲に残る、指先の感触が、想いは一方通行ではないのだと、確かに伝えてくれている。
     そのことを、心から信じられる幸せを噛み締める。
     ルークの存在する世界のすべてが。
     たまらなく愛おしかった。










     END
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