重くのしかかる後悔と自己嫌悪に揺り起された朝。
「おはよう、賢斗」
「…………」
向けられたいつもと変わらない笑顔は何の慰めにもならず、逆に、謝る隙すら与えてくれないのかと、ひどく悲しい気持ちになった。
「賢斗?」
いっそ、昨夜の記憶がすべてなくなってしまえばいいと思うのは、あまりにも都合がよすぎるだろう。
身勝手で兇暴な欲に駆られるまま、ひどい抱き方をした。
俺だけで満たしたい。
俺だけを感じてほしい。
湧きあがる衝動のまま、貪って、突き上げて。そして、なんども迸りを注ぎ込んで。
アナタが意識を手放すまで、自分本位に揺さぶり続けた。
「最低です、俺……」
絶対に手に入らないと思っていた。
決して触れることなんてできないと思っていた。
そんな諦めの先にあった恋しい人にはじめて腕を伸ばし、そして、触れることができた瞬間にみっともなくも震えていた指先が伝えたかったものは、俺の心をとらえてやまない人への愛おしさ。
だから、この人を抱くときは、どんな宝物に触れるよりも大切に触れようと思っていた。
いままで抱いた他の誰よりもやさしく抱こうと思っていた。
醜い独占欲や引き攣るようなやるせなさを押し隠し、ただ愛しさだけが伝わればいいと。
そう思っていたのに…………
「……すみません」
ルークの顔をまっすぐ見ることができずに俯いてしまった俺の耳に、不思議そうに問いかける声が届く。
「いったいどうしたんだい? 謝られる意味がわからないよ」
そんなはずはない。
昨夜俺はこの人を陵辱した。
なかったことにしようとしてくれているのか、俺の口からの明確な贖罪を求めているのか伺い知ることはできなかったけれども。
逃げるわけにもいかずに覚悟を決める。
「本当にすみません。昨夜、俺……」
パシッ―――と。
俯いたまま口にしようとした言葉を遮るように、渇いた音が響く。
頬を叩かれ、驚いて顔をあげた俺の目の前には、硬い表情のルークがいた。
「そんなふうに謝るのはボクに対して失礼だよ」
焔を宿した眸にあるのは、静かなる怒り。
だが、それは俺が思っていたような蔑みや苛立ちを含むような類の怒りではない。
どこか哀しそうな、胸の痛くなるような、そんな切なる怒りだ。
俺は何かを間違えているのか?
ルークの感情を読み違えている?
でも、どんなふうに?
「――――」
「昨夜ボクはキミに抗ったかい? 一言でもキミを詰ったかい? やめてくれと、たった一度でも懇願したかい?」
「…………いえ」
そう。
そんなことはしなかった。
組敷かれ、躯を拓かれ、どんなに乱暴に突き上げられても。
この人は決して俺を制止することはしなかった。
剥き出しの欲望をぶつけられても、俺を抱きしめてくれた。
背中にまわされていた腕の泣きたいくらいやさしい感触は、いまも鮮明に残っている。
そうだ。
あれは拒絶ではなく、どこまでも深い包容だった。
気づいた瞬間、激しい後悔がわきあがってくる。
この人はいったい、どんな想いで、あんなろくでもない俺を抱きしめてくれたんだろう?
見境をなくした俺を、何故あんなにもやさしく受け止めてくれたんだろう?
思えば思うほど胸が疼く。
どうしようもない罪悪感に顔を歪めた俺にむかって、ルークは、しょうがないねぇ、と、肩をすくめた。
「ねぇ、賢斗。忘れているわけじゃないとは思うけど。ボクは非力な女の子じゃない。ちゃんと戦える。抱かれるのが嫌だったらキミを蹴り倒してでも撥ね退けるだけの力はちゃんとあるんだよ」
「…………はい」
「だから昨日のも合意」
「でも!」
引きずり倒したベッドの上での俺の所業は―――――
「またそんな顔をする」
そう言ってルークはちょっと困ったように表情を崩した。
「―――――まぁ、責任の一端がボクにあるのは認めるけど」
「は?」
欠片も予想できなかった言葉に呆けたような声をあげた俺に、ルークは苦い笑いを零した。
「キミをそこまで追い詰めたのはたぶんボクだよ」
「―――――?」
ルークの言葉の意味を捉えることが出来ずに、俺は必死で反芻する。
そんな俺をまっすぐに見据えて、ルークが淀みなく言葉を紡いだ。
「キミが何を欲しがっているのか。何を不安がっているのか。ボクは本当は知っていたんだ」
「………え?」
「でもボクはちょっとだけ臆病になっていたんだよ。キミとの関係とまっすぐに向き合うことに対して――――ね」
「……………」
バツが悪そうに口にしたルークは、まっすぐに俺の眸に視線をあわせてくる。
もともとへテロだったルークが、どんな思いで俺とのセックスを受け入れてくれていたのか。
俺はもっと斟酌するべきだったのだ。ルークの抱いた混乱と葛藤を。
そんなことは微塵もうかがわせることなく、俺を受け止めてくれたルークの想いを。
自分の気持ちに手一杯だったことはいい訳にはならない。
「すみません。俺……」
「だから謝る必要はないって言ってるだろう?」
「―――――」
「いいかい? 賢斗。一回しか言わないからよく聞くんだよ」
「……はい」
いつになく真剣な表情に、俺の背筋が伸びる。
何を、言おうとしているのだろうか?
避け続けてきたものと対峙し、いま、このタイミングでいったい何を?
緊張と、不安と。そして、ほのかな期待と。
さまざまな感情がザワザワとわきたち、小さな漣のような波紋が胸の中に広がっていく。
じわじわと。
水の上を伝播するように。
広がっていく。
ルークの唇が動く。
鼓動がひとつ、大きく跳ねた。
そして………
「キミが好きだよ、賢斗。キミがボクを想ってくれるのと同じように、ボクもキミがとても好きだ」
「―――――!!」
―――――キミガスキダヨ
言葉が、流れ込んでくる。
乾いた心に、染み入るように。
伝わってくる。
ルークの想いが。
今この瞬間に。
これほどまでに美しく心に響く言葉を、俺は知らない。
俺を抱き返してくれる腕にこめられた想い。甘い口吻けの意味。共に過ごすやさしい時間。幾度も躯を重ねて確かめあってきた想い。
気持ちのどこかではわかっていた。
わかっていたけれども………
「わかってましたけど………それ、ちゃんと聞けるまで、ちょっと、辛かったっス」
すべてが、自分の独り相撲なのではないかという思いが拭えなくて。
語尾が掠れてしまった俺の頭を軽く叩いてルークが呆れたように口にした。
「馬鹿だねぇ。泣くことないじゃないか」
「泣いてません!」
言い返してみたものの。
鼻の奥がツン、と痛み、いまにも込み上げてきそうなものを必死で歯を食いしばっている自覚があるから、説得力がないことこの上ない。
馬鹿でもいい。
この人がここにいてくれるのなら。
俺がこの人を思うように、俺のことを思ってくれるのなら。
馬鹿でもいいから………
想いは、千路に乱れ飛ぶ。
けれども、ひと言でも言葉を発してしまったら、嗚咽をこらえきれなくなりそうで、唇を引き結ぶ。それでも、胸に渦巻く想いの欠片だけでも、せめて伝えたくて、こみ上げる愛しさのままにルークを腕の中に抱きしめた。
そんな俺を包み込むように背中にまわされた腕から伝わるやさしさが、昨夜のルークが俺に与えてくれたものとまったく同じ類のものであることに気がついた瞬間。
俺の涙腺はとうとうぶっ壊れてしまった。
――――愛しています。
誰よりも。アナタを。
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