「――――なんなの、滝沢。その荷物」
腕組みをして玄関先に佇みがら嫌そうにため息をつくルークの表情を見て、自分の選択はやはり間違いだったのかとうろたえた滝沢だったけれども。
この『荷物』を抱えて来た道を戻る気力も体力ももはや尽き果てていて、ただ途方に暮れたような顔で部屋の主を見上げるしかなかった。
「すみません……。なんか俺、もう、どうしていいのかわからなくて」
迷子になった仔犬のような、情けなくも心細げな表情で立ち尽くした滝沢が身体で支えているのは、泥酔して眠りこけている賢斗だった。
「最初は寮に連れて帰ろうとしたんですけど……帰らないって大騒ぎするし、どこに行きたいかって聞けば、ルークさんのトコって言うし、でも、じゃあ、行きましょうって言えば、絶対に行かないの一点張りでテコでも動かなくなっちゃって……。黒岩さんには邪魔くさいから店に置いて帰れって言われるし、店員さんには睨まれるし……」
要するに、厄介ごとを一番下っ端のキミひとりが押し付けられたってわけだ、と、ルークは心の中で呟いた。
心底困り果てたようにオロオロと口にする滝沢も一緒に飲んでいただろうに、酔いはどこかに飛んでしまったようだ。
いや、滝沢も冷静な判断はできてはいない。
二人は同じ寮住まいなのだから、文句を言おうが喚こうが、担いだ賢斗をそのまま連れ帰ってしまうのが、一番手間がかからなかったはずなのだ。
黒岩に邪魔にされたせいもあるだろうが、ここまで運んできたその理由は、どうやら本人にもわかっていないらしい。
本能的に選び取った最良の選択。
愉快そうに笑ったルークが、滝沢の肩を叩いた。
「仕方ないね。引き受けるから、その『荷物』、ソファーまで運んでくれるかい?」
「え?」
玄関先で賢斗を引き渡して帰るつもりだったらしい滝沢が、落ち着きなく視線を彷徨わせる。
そんな滝沢に「なにやってるのさ」と、ルークがさも当然のように言い切った。
「女の子ならともかくさ。酔い潰れた成年男子をボクが引きずっていく姿なんて想像できないだろう?」
「はぁ、まぁ………」
言われてみれば、納得できなくもない。
そして、頷いてしまったら最後、あとは従うしかないのだ。
手を貸そうともせずに背を向けてしまったルークに文句を言うことも思いつかないような従順さで、滝沢は賢斗をリビングのソファーまで引きずっていった。
支え続けてきた身体を放り出すように投げ出して、ずっしりとのしかかっていた重みからようやく解放される。
息を吐き、汗を拭った滝沢にルークはにっこりと笑いかけた。
「ご苦労だったね。あとはちゃんと躾なおしておくから、キミはもう帰っていいよ」
「シツケ!? ……って、えっ!?」
思いも寄らない言葉に目を白黒させる滝沢に、人の悪い笑みを浮かべてみせる。
「おやおや。何を想像してるんだい? 滝沢。酒量をわきまえろってことだよ。迷惑を被ったのはキミじゃないか」
「あの、すっ、すみません! 俺………」
しどろもどろになりながら真っ赤になって俯いた滝沢をからかうように、さらに言葉をつづける。
「せっかくここまで来たんだし、良かったらキミも一緒に泊まっていくかい?」
冗談でも頷き返すことができずに、滝沢は激しく首を振った。
「い、いえ、あの、おっ、俺は帰りますっ!」
勢いよく頭を下げると、脱兎の如く駈け出して行った後ろ姿に、ルークの笑い声が響き渡った。
「さて……」
静寂が戻った部屋の中で、賢斗を見下ろしたルークの貌にはさっきまでのふざけた色合いはどこにもなかった。
「なんでこんなになるまで飲んだんだか……」
決して酒に弱くはない男の醜態。
形を整えた眉を歪め、眉間に皺を寄せている賢斗は、安眠とは程遠い眠りの中にいる。
彼が何を想い悩んでいるのか。
何に煩わされているのか。
どんな言葉を欲しているのか。
実のところ、手に取るようにわかってはいるのだけれども。
「……ったく。このおバカさんな犬は、いつまでひとりでぐるぐるまわっているつもりなんだろうねぇ?」
一言、言ってくれればいいのに、と。
そう思うことは身勝手だろうか?
抱えた想いをただ、まっすぐにぶつけてくれればよいのだ。
そうすれば、迷いなく応えることができるのに。
けれども、頑なに言葉を呑みこんだまま胸の内に抱え込もうとする彼には、自分のことが信用されていないような感じがして、なんだか寂しくなる。
そのくせ、滝沢や黒岩を相手に飲み倒し、酔い潰れるなんて………と、ルークは思う。
挙句、ここに運ばれてきているのだから、回りくどいことこの上ない。
目の届かないところで思い悩む必要なんて、どこにもないのだ。
不安になるなら、ここに来ればいい。
迷うなら、ぶつかってくればいいのだ。
そんなふうに願うことは、過ぎた望みなのだろうか?
――――キミの居場所はいつだってあけてあるのに。
だから………
「おまじないだよ、賢斗」
そう言って、賢斗の傍らに膝をついたルークは恭しい仕草で賢斗の額に口吻けを落とした。
「いつでも、どこからでも。迷わずにボクのところに帰っておいで」
歌うように囁いたルークは、腕に触れる感触に気づいて、おや、と、僅かに眸を見開いた。
「起きてたのかい。人が悪いなぁ」
どこから、自分の言葉を聞いていたのだろうか?
そんな思いを押し隠し、微笑みを浮かべたルークとは対照的に、上体を起こして彼の腕を掴んだ賢斗の表情は、どこか切迫したようなものがあった。
「…………いまのおまじない。有効期限はいつまでですか?」
酒に焼けた声は掠れていて、眸は充血してしまっている。
そんな賢斗の問いかけに潜む必死さに気づいて、ルークが小さく笑った。
「キミ次第でしょ」
委ねれば、ルークの腕を掴んだ指先に力を込めた賢斗が、吐き捨てるようにつぶやいた。
「…………ズルイですね」
そんな言葉にですら、悠然と微笑むルークが憎くて愛しい。
愛しすぎるから、胸が苦しい。
彼の心が、見えなくて。
どうしていいのかわからなくなる。
わからないから……ぬくもりにすがるのだ。
こうして腕の中に躯を預けてくれている間は、信じられるから。
掴んだ腕を引いて、愛しい人を抱きしめる。
「酒臭いよ、賢斗」
それでも、厭うことなく口吻けに応えるルークを腕の中に強く抱き、胸の痛みを補ってありあまる愛しさを噛みしめるのだ。
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