•  夏の行方  
    08






     日常が、ひどく輝いて眸に映る。
     たとえば、映画を見に出かけることも、ドライブにいくことも。
     部屋でゲームをすることも、食事をしにいくことも。
     いままであたりまえのように繰り返してきた行為が、時として特別な意味を持つようになり、浮き立つような気分に満たされる。
     それは、お互いがお互いを特別な存在であると意識するようになってからの変化だった。
     つまりは、友達ではなく、一線を越えた恋人同士としてつきあい始めるようになってからの。
     お互いの想いを伝えあってから二日後。
     緊張と照れと期待の入り混じった面持ちで待ち合わせた二人は、言葉も少ないままラブホへと向かった。
     紺野はもちろん、遊んでいたわけではないけれども、素行がいいともいえなかった辻村にとっても初めての場所ではなかったけれども。
     同じ年の少女達との幼いセックスしか知らなかった辻村は、紺野に強烈な痛みと快感を教えられ、その間中翻弄されつづけた。
     その日以来、人目を忍んでキスを交わし、親の目を盗むようにして、抱き合うことに溺れた。
     自分以外の人の体温がこんなにも心地よく、気持ちをやすらげてくれるものだということを、二人ともがはじめて知った。
     やさしく肌をなぞる指先の感触。
     甘やかな声。
     満たされた笑顔。
     何もかもが愛おしくてたまらない。
     そんな幸せな気持ちのまま、日々が過ぎていく。
     夏が終わり、秋の気配も次第に色濃くなりつつ10月の連休の合間の土曜日。
     バタバタバタ……と、階段を駆け下りてきた辻村は、スニーカーに脚をつっこみながら玄関口からリビングにいる母親に向かって叫んだ。 
    「出かけてくる」
    「拓哉くんと?」
     顔をのぞかせ尋ねる母親に「そ」と簡潔な答えを返す。
     級友達が受験で忙しいせいもあってか、最近では辻村が遊びに行くと言えば相手は「拓哉くん」という図式が母親の中では出来上がっていた。
    「ご飯は?」
    「いらね」
     そして、門の前まで迎えにきていた紺野の車に乗り、コンビニに立ち寄って適当に飲み物や食べ物を仕入れて出発する。
     目的地は決めていない。
     気の向くままのあてのないドライブ。
     一緒に過ごす時間が楽しくて仕方のない二人は、行く場所そのものには大きなこだわりはなかった。
    「あ、あそこに釣堀あるぜ、釣堀」
     ハンドルを握りながら紺野が声をあげれば、どこどこ? と首をめぐらせた辻村が興味を惹かれたように声を弾ませる。
    「何釣れるのかな? ねぇ、やっていこうよ」
    「えー。釣りなんてめんどくせ」
     持ち上げて、落とす。
     今日何度目かの会話の繰り返し。
     意地悪く言う紺野に、辻村がとうとう爆発した。
    「拓哉! おまえ、さっきからソレばっかじゃん!」
    「っつーか、ボーリングとかビリヤードとか、身体動かしたい気分じゃねぇんだよ」
     おまえのチョイスが悪いんだろ?と言われれば、辻村だって黙っちゃいない。
    「全然理由になってないじゃん。釣堀なんてじっとしてるだけだろ?」
    「魚触りたい気分でもないの」
    「ヘソ曲がり!」
     フンッ、と、そっぽを向いた辻村は、そのまま窓の外に視線を固定させたまま紺野の方を見ようともしない。
     ムキになる反応がおもしろくて、つい、からかいすぎてしまった。
     それっきり辻村は黙り込んでしまった。微妙な沈黙が車内を満たす。
     さて。どうやって機嫌をとろうか、と、紺野が思案していたその時、窓から入ってくる風に髪を遊ばせながら、辻村はボソリと呟いた。
    「前から不思議に思ってたんだけどさ」
    「ん?」
    「パチンコ屋の近くにはかなりの確率で焼き肉屋があるのはなんでだと思う?」
    「は?」
     唐突な辻村の問いに「急に何?」と返してみるものの、せっかく辻村の方から歩み寄ってきたのだからと、とりあえず茶化さずに答えてみる。
    「たまたまだろ? 全部がそうってわけじゃないんじゃないの?」
    「けどさっきからそんなのばっかりだよ? パチンコ屋があったら近くに焼肉屋。焼肉屋があったら近くにはやっぱりパチンコ屋。流れとしてさ。パチンコに勝ったら景気良く焼き肉食おうぜってことになるのかな?」
    「必ずしもそうってわけじゃねぇンじゃないの?」
     むしろそうじゃないパターンの方が多いに違いないと紺野は心ひそかに思う。
     だが、「そうかなぁ…」と唸る辻村は違う思いを抱いているらしい。
     なんでそんなにパチンコと焼肉にこだわるんだ? と不思議に思っていたところに、飛び出してきた一言がこれだ。
    「ってことでさ、拓哉。食いに行こうぜ、焼き肉」
    「はぁ? 俺らやってないじゃん、パチンコ。しかも勝ってねぇし」
    「いいの。そーゆー気分ってコトで」
    「回りくどいいい方してないで、最初から焼肉食いたいって言えよ」
     あはははは、と、屈託なく笑いなく笑う辻村は、「でもさ。ホント、パチンコ屋の近くには焼肉屋があるんだよ?」と譲らない。
     紺野にとってはかなりどうでもいいことなので、はいはい、と適当にあしらいながら、脳内に自分の知るいくつかの焼肉屋をめぐらせた。
    「どーせなら焼肉行くなら美味い肉、食いにいこうぜ? 奢るよ」
     その台詞に「え?」と、辻村が目を見張る。
     マックやケンタで奢ってもらうのとは桁が違う。
    「金あんのかよ」
    「あるよ」
     借金もあるけどな……と、悪びれることなく笑う紺野に、辻村が眉を顰める。
    「なんかこの間まで金ないってブーブー言ってなかった?」
     あんまりにもうるさく言っていたので煙草を買ってやったくらいだ。
    「一週間、割のいい仕事、やってたからさ」
    「………ヤバイことしてない?」
    「なんだよそれ! 俺は清廉潔白。信用しろって。超肉体労働に精を出してたんだよ。俺の身体、結構鍛えられたぜ?」
    「ふーん」
     生返事の辻村に、赤信号でスムーズに車を停めた紺野が、片眉を吊り上げる。
    「あ。信用してないな?」
    「別に」
     取り付く島もない辻村に、にやりとした笑みを浮かべて耳元に唇を寄せた。
    「今日の夜、ちょっとは期待してろよ?」
     囁かれて、辻村は視線をそらせて頬を染めた。それでも、憎まれ口を叩くことを忘れない。
    「身体動かしたい気分じゃないんじゃなかったっけ?」
    「相手がおまえなら別」
    「馬鹿……」
     いやらしげに笑う拓哉の物言いに、辻村は未だ慣れない。
     耳まで赤く染めてしまう自分の反応に悔しさを感じながらも、結局はその逞しい腕に身を委ねてしまうのだ。




    「ん……っ、はぁっ……や」
     抱かれることに慣れていく躯。
     感じていることを隠そうとしない辻村は、ベッドの上で奔放に乱れた。
    「ひゃっ……!!」
     乳首に噛みつかれ、上ずった声をあげる。
     ツン、と反り返ったそれを舌先で押しつぶすように捏ねまわせば、悶えるように肩を震わせた。
    「ちっちゃくてもちゃんと勃つのな、ここ」
     咥えたまま吐息を吹きかけられるように言葉を紡がれて、過敏になったその場所を刺激するエナメル質の歯と熱い舌先の感触にどうにかなってしまいそうになる。
     勃ちあがった辻村の中心は、だらだらとした先走りで淫らに濡れていた。
    「ばっ…ばか――――」
     何もかもを紺野の視線の下に晒していることが耐えられず、躯を反転させて逃げようとしたけれども、紺野はそれを許さなかった。
     辻村の腰の下に枕をあてがい、内腿にそっと手を添えて撫であげてやりながら、艶めいた声で囁きかける。
    「ホラ、脚、開いて」
    「や、……」
    「大樹」
    「……………」
     ぎゅっと眸を閉じて羞恥に肌を赤く染める辻村が、たまらなく愛おしい。
     胸に宿る想いのすべてを、どうしたら伝えることができるだろうか?
    「もっとよくしてやるから。だから……な? 脚開いて」
     優しく髪をかきあげてやりながら、とろけるような甘い声でその行為を促した。
     辻村は抗えない。
     目尻に涙を滲ませながら膝を立て、震える脚を開いていく。ローションを塗り込められ、指と舌で丹念に解された窄まりは、てらてらと濡れて妖しく蠢いていた。
     紺野が悩ましげな吐息を零す。
     反り返った猛りをその場所に押し当てれば、その熱さに脅えるように辻村の躯が撓る。逃げを打つ腰を掴み、張り出した部分をゆっくりと潜り込ませた紺野は、そのまま一気に奥まで突き入れた。
     痺れるような衝撃が走る。
    「――――――!!」
     辻村の息が整うのを待たずに、熱く熟れた内部を擦りあげる。
    「んっ、ンんっ……はぁぁ―――――」
     十分に解されたその場所は、拒まない。柔らかく収縮し、むしろ絞り込むように紺野を迎え入れる。
     激しい突き上げに呼応するかのようにベッドが軋む。
    「あぁっ、あ、あ、…………」
     深い部分を抉るように突き上げられ、悲鳴のような嬌声がこぼれ落ちる。
     そして、感極まった辻村の頭の中は真っ白にスパークし、歓喜に震えるような締め付けに、紺野もまた、熱い飛沫を迸らせるのだった。
    「はぁ……はぁ……はぁ……」
    「たくや……」
     甘えるような囁きに、熱い想いがこみあげる。
     ぐったりと四肢を弛緩させた辻村の汗に濡れたこめかみに、いとおしむような口吻けを何度も何度も繰り返すのだった。





     付き合ってみてわかったのは、紺野が意外にもイベントごとを大切にしたがるということだった。
     クリスマスも誕生日も、どちらかといえば淡白に流してきた辻村にとって、それは新鮮なことだった。
    「っつーわけで、今年のクリスマスは一緒にどっか行こうぜ」
     十二月も押し迫ったその日。
     ファミレスでイタリアンハンバーグをつつきながら、浮かれた調子で紺野が言う。
    「ウチだといつ何時山下たちが乱入してくるかわかったモンじゃないからな」
     そういえば、去年のクリスマスは四人で過ごしたんだっけ、と、辻村はぼんやりと思う。
     夏の終わりごろから、以前ほどではないけれども、時々彼らとつるんで遊ぶこともあった。
     相変わらず安積は茶目っ気たっぷりで愛嬌をふりまき、山下は人当たりがよいわりには内面が読めないところがある。
     会うときには必ずと言っていいほど安積と山下は二人一緒で、どんだけ仲が良いんだ?と以前はナチュラルに思っていたけれども。
     もしかしたら違う理由があるのかもしれない、と、今だから思う。
     敢えて詮索することはなかったけれども。
    「どうせ行くんだったらさ。あったかいトコ行きたいな」
    「たとえば?」
     問われた辻村は即答する。
    「沖縄! 沖縄行きたい! 俺、行ったことないし?」
    「馬鹿。冬に沖縄に行ってどうするんだよ。あーゆー夏のスポットは暑い夏に行くのが一番なんだよ」
    「えっらそうに! だったら拓哉、行ったことあるのかよ?」
    「………ねぇよ!」
     ウソがつけない紺野は馬鹿正直に威張りくさって言い放ち、辻村の笑いを誘った。
    「じゃさ。ちょうどいいじゃん。行ったことないもの同士、一緒に行こうよ」
    「ばーか。金ねぇよ」
    「いいじゃん。今じゃなくてもさ。沖縄、すっげぇ楽しそう」
     今すぐにでも沖縄に飛んでいきかねない勢いで話す辻村に、そういえば、と、紺野が指を鳴らす。
    「おまえ、前は樹氷見たいとか言ってなかったっけ?」
    「あ、言ったかも」
    「暑いトコか寒いトコか、はっきりしろっつー話じゃねーの?」
    「いいじゃん。どっちも行きたいんだから」
     屈託のない辻村の笑顔に、煙草の煙を吐きながら、紺野は目を細めて笑った。
    「いつか……な」
    「うん。いつか」
     他愛のない約束が積み重ねられていく。
     たとえば真夏の沖縄に。
     たとえば極寒の冬の山の中に。
     非日常の世界へ一緒に行けたら、どれだけ楽しいだろう?
     想像するだけでもわくわくする。
     いまはまだ、辻村は高校生で、自由に動き回ることの出来ない身だけれども。
     だけど、いつか。
     二人ならどこにでもいける。
     そう信じて疑っていなかった二人の小指には、そろいのリングが、静かな輝きを放っていた。






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