•  夏の行方  
    04





     雪の影響でさすがに定刻どおりには動いていなかったものの、休日のせいもあってか、たいした混乱をきたすことなく電車は運行されていた。さすがにこの雪では外に出ようと考える者は少ないのだろう。普段よりも人口密度のぐっと低い車内同様、最初に寄った洋服店も、次に連れ立って入っていったアクセサリーの店の中もずいぶんと閑散としていた。
    「店、ガラガラじゃん」
    「あたりまえじゃん。こんな日に出歩くヤツなんて、そうそういないって」
     そういう辻村自身も、紺野に誘われなければ家から出ることはなかっただろう。
    「根性ねぇなァ…。雪なんてもう止んでるのに」
     根性の問題じゃないと思うけど? とこっそり胸のなかで呟いた辻村は、違う言葉を口にする。
    「ゆっくり見れていいんじゃないの?」
    「それもそうだな」
     あーだこーだいいながらじっくりと店内を見て廻った二人が、買うならこの一点!と指したものは、偶然にも同じデザインのピンキーリングだった。
    「同じかよ!?」
    「同じだねぇ」
     なんだかんだ言いつつ、小物選びではどうしても似たようなものに目がいってしまう。
    「だってさ、よくね? コレ」
    「いいよね、コレ」
     特に凝ったデザインで飾り立てたわけではなく、アクセントをワンポイントに絞ったシンプルなシルバーリング。
     馴染みの店員がケースから取り出してくれた指輪を紺野が右手の小指にはめた。
    「どう?」
    「いいんじゃない?」
     自分の右手を満足そうに見つめる紺野を見ていて、ふいに、以前聞きかじっていた話を辻村は思い出した。
    「知ってる? 拓哉。ピンキーってさ、はめる指によってそれぞれ違った意味があるんだって」
    「何ソレ?」
     はじめて聞いた、という表情で続きを促す紺野に、辻村は右手と左手を交互にかざしてみせる。
    「右手は秘密を大切に守りたいとき。左手はチャンスを掴みたいとき。そーゆー時に願いを込めてはめるらしいよ?」
    「へー」
    「どっちともさ、わりと意味深だと思わない?」
    「右手が秘密。左手が……チャンスね」
     噛み締めるようにつぶやいて、紺野が左右の手を見比べる。
     そんなふうに言われれば、どうしても考えてしまう。
     今の自分に相応しいのが果たしてどちらなのか……を。
     無意識にピンキーをはめたのは右手の小指。
     すなわち、秘密を守りたいとき。
     その事実に、自分の心を言い当てられたような気がして、鼓動が跳ねる。
     ――――マジかよ……
     辻村に他意はない。
     その言葉は偶然か、それとも、必然だったのだろうか?
     言われてみれば、確かに自分は秘密を抱えている。
     胸の内に抱いているものは、自然の摂理に反した想いに他ならなかった。
     揺らいだ心を見透かされる前に、紺野はおどけた仕草で右手の小指を立ててみせた。
    「ってことはさ、右手に嵌めた俺はすっげぇ秘密持ちってことじゃん」
     その言葉に、馬鹿じゃないの? と辻村が笑う。
    「違うって。順番逆だよ。秘密があるから右手にはめるの。右手にはめたから秘密があるわけじゃないじゃん」
    「うっせ。実は俺にだって秘密があるんだよ」
     フン、と鼻先でかすめるように言われてムキなった辻村が食い下がる。
    「え、なに?拓哉の守りたい秘密って?」
     そんな辻村をからかうように笑って、紺野は人差し指を唇の前にあてた。
    「ひ・み・つ。しゃべったら秘密にならないだろう?」
    「ケチ!」
    「そーゆーのはケチって言わないの」
    「じゃ、なんて言うんだよ?」
     切り替えされ、言葉に詰まった紺野は子供のように喚いた。
    「知るかよ、ばぁか!」
    「何ソレ? 頭悪すぎ」
    「いちいちうるせぇな。おまえが言い出したんだぞ? 俺には秘密があるって」
    「だから、逆だってば!」
     元に戻ってしまった会話に吼える辻村に、店員が笑いながらも感心したように頷いてみせる。
    「ねぇ、ソレどこで聞いた話? なんかすっごくいいね」
     でしょ? と得意げに返した辻村は、「今度からセールストークに使ってよ」と、機嫌よくつづける。
     その話が決め手となったかどうかは定かではないけれども。
     結局、二人は同じデザインのピンキーを買うことに決めた。
     ところが。
    「あ、俺金足りないわ」
     張り切ってレジに向かったものの、財布を覗いて辻村が唸る。
    「いくら?」
    「三千ちょっと」
    「それくらい出してやるよ」
     気前良く言う紺野に辻村が歓声をあげる。
    「うっそ。超ラッキー」
     財布から千円札を四枚取り出した紺野が、ちゃっかり手を出している辻村にそれを渡しながら思い出したように口にした。
    「そういえば、おまえ今月誕生日じゃん」
    「え? もしかしてこの指輪買ってくれるの?」
    「チョーシこくなよ? ばーか。俺が出すのは不足分だけだ」
    「ちょっと! 痛いってば!」
     容赦なく額を小突かれて、辻村がしかめっ面をする。
     それを見ていた店員が声をあげて笑い出した。
    「ホント、仲いいよね。キミタチ」
     連れだって顔を見せる上に、こんなふうに大騒ぎして同じようなものを購入していけば、だれだってそう思うだろう。
    「そうっスか?」
    「まぁ、それなりに」
     照れもあって適当にはぐらかすような言い方しか出来ないけれども。
     面と向かって言われて悪い気はしない。
     連れ立って店を出れば、街中の雪は道行く人に踏まれたり、掻かれて脇にどけられたり、融けたりと、降り積もったばかりの真っ白さに比べると、随分と様変わりしていた。
    「雪、汚れてきちゃったなァ……」
    「あんなにキレイだったのに」
     来るときには真っ白だった雪も、いまでは泥にまみれて汚れてしまっている。
     残念そうに呟いた辻村に、紺野はあっさりと言った。
    「いんじゃね? 俺たち、きれいな雪、ちゃんと見れたし?」
    「そうだね」
     その時、紺野の携帯が鳴り出した。「悪い」と断って話をしている相手は、どうやら山下のようだ。話しぶりから彼らもこの雪をものともせずに街中に出てきたツワモノのようだ。
     類友、と呟いて、辻村がクスリと笑う。
     通話を終えた紺野が、辻村に向き直った。
    「山下たちもこっちに出てきてるみたいでさ。合流して飯でも食ってく? って話になったんだけど。おまえも一緒でいいか?」
    「んー。金ないし、今日は帰るわ」
     財布の中身はすっからかんだ。
     紺野は敢えて引き留めることはしなかった。
    「そ。じゃ、ここで解散な」
    「うん。じゃ、また」
    「おう。今日はありがとな」
     ひらひらと手を振る紺野の右手の小指では、買ったばかりのリングが光っていた。



     自宅に戻った辻村は、ケースから取り出した指輪を眺めて小さく呟いた。
    「チャンス……か」
     少女めいた戯言だとは思いながらも、その戯言に賭けてみたい気持ちもある。
     この指輪に託した願いが、本当に叶うのだとすれば。
     ならば自分は、この指輪にどんな願いを託そうか?
    「―――――」
     心に浮かぶ想いは、一つしかない。
     だが、それを言葉にすることを、やはり辻村は躊躇った。
     認めてしまったら、後戻りできなくなってしまう。
     けれども……と。
     どこかで切実な想いを叫ぶ自分がいることを、この時彼は明確に自覚していた。
     これは、決して日の下に晒してはならない想いだ。
     だから、自分から吐き出すつもりはない。
     けれども……
     もしも、その時がくる日があるのなら。
     タイミングを逸することなく、臆することなく、その瞬間を掴み取ることが出来ますように、と。
     この想いが、叶いますように……と。
     左手の小指に真新しい指輪を嵌めた辻村は、祈るような気持で光るリングに口吻けた。


     一方―――――――


    「秘密……ね」
     辻村の言葉に本気でドキッとした。
     封じておけと。
     そう言うのだろうか?
     困らせてしまうよりも。
     傷つけてしまうよりも。
     すべてを、胸のうちに抱えて沈めてしまえと。
     信頼しきった眸で自分を見上げるその仕草がたまらなく愛おしくて、突き上げるようにこみあげた衝動を髪に絡めた指を乱暴にかき回すことで紛らわせたことは一度や二度ではない。
     その信頼を、自らの手でぶち壊すことは出来ないと思いながらも。
     壊してしまえと、ささやく獣も確かに存在する。
    「わかってるよ」
     己の内で想いを叫ぶ獣に向かってそう呟くと、右手の小指で光るリングに、紺野はそっと口吻けた。



     けれども――――――



     望んでしまう。
     欲してしまう。
     胸の中で迸る想いは、日々、狂おしく募っていく一方だった。







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