• Crazy Chase  
    〜前篇〜 
     

    十字架のかわりに刃を。
    祈りのかわりに咆哮を。
    信仰のかわりに信念を。
    そして切り開け。
    俺たちの世界を。







     衣服の上からの刺激のもどかしさに焦れた柴乃が、情欲に濡れた眸で蓮を睨みつける。
     この躯の火照りを鎮めて欲しくて。
     この疼きをなんとかして欲しくて。
     けれども。
     見せ付けるように唇を舐めあげて意地悪く笑った蓮は、柴乃の望む刺激を与えてはくれず、ただ、熱い吐息を首筋に吹きかける。
     もどかしさを煽るだけの行為を咎めるように、柴乃は蓮の腰に絡めた右足を振り上げ、そして振り落とした。
     軽く…とは言いがたい力で蹴りつけられ、痛みに呻いた蓮が、お仕置きと言わんばかりの乱暴さでシャツの裾から腕をもぐりこませ、指の腹で小さな突起を摘み上げる。
    「ココ?」
     薄い躯がピクリと撓る。
    「……んっ――――」
    「こっち?」
    「ヤっ――――!!」
    「イヤって……こうやって触って欲しかったんだろ?」
    「…………」
     違うともそうだとも言えずに悔しげに睫を振るわせた柴乃の乳首を押しつぶすように捏ねまわし、膝で股間をなで上げれば、悲鳴のような嬌声があがった。
     綺麗に反らされた喉に伝う、一筋の汗。
     薄く開かれた唇からこぼれる甘い喘ぎ。
     悩ましい吐息。
     望んだ通りの反応に満足そうな微笑を浮かべた蓮は、喘ぐ唇に唇を重ねて、声を塞ぐ。
     恥らうことなく絡み合う舌先。
     ピチャリ、と。濡れた音が艶かしく室内に響いた。
    「……っ……」 
     慎みを忘れて開かれた柴乃の脚の間に躯を割り入れ、顕になった鎖骨に歯を立てたその瞬間。
     トントン ドンドンドンッ
     開けっ放しの扉が最初は控えめに、そして、次に強く叩かれた。
     躯を絡ませたまま、緩慢に振り向いて視線を流す蓮と、その蓮の肩口からまっすぐな視線を投げかける柴乃。
     二対の眸の先には、鬼のような形相をした穂高が仁王立ちになっていた。
    「おまえら、公共の場で何やってんだよ!?」
    「セックス」
     見てわかんねぇの?というあからさまな視線と共に異口同音に返され、その開き直りっぷりに深い溜息を落とす。
    「非常識だっつーの!」
     ところが。
     反省の色……どころか、恥らう素振りすらない二人は鼻先でその言葉を払い落とした。
    「おまえこそ、出歯亀なんて非常識なコトしてんじゃねぇよ、ばぁか」
     蓮の言葉の尻馬に乗って「ばぁか」と柴乃も連呼する。
    「こーゆー時は終わるまで静かに黙って待っとくのが常識ってモンだろ?」
     あんまりな言い分に「はぁ?」と目を剥いた穂高が、たまらず叫ぶ。
    「こっ……ここどこだと思ってるんだよ!? あ、ありえねぇ! そんな常識、俺は絶対に認めねぇ!!」
     借り上げている倉庫を少しいじって事務所らしく体裁を整えたこの場所は、二人のプライベート空間ではなく、仲間が集う公共の場であり、時にはクライアントが出入りする場所でもある。
     咎められるべきはその場所でふしだらな行為に及んでる二人であり、自分が詰られる謂れはないと、穂高は睨み返す。
     そもそも、正論を述べているはずの自分が何故にこんなにもボロクソに言われなければならないのか。理不尽な扱いに憤慨する穂高が、実は暇を持て余した二人に身体を張ってからかわれていることに気づいていないのは、幸か不幸か。
     クスクスと笑いながら身体を離した二人は、衣服の乱れを手早く直し、穂高に向かって舌を出した。
    「冗談だよ、冗談」
    「泣くなよ、ばーか」
    「泣いてねぇ!」
    「あんまりカッカするとハゲるぞ?」
    「余計なお世話だ! ってゆーか、ハゲてないっつーの!」
     額を小突こうとした蓮の手をピシっと跳ね除け、穂高が強い眸で見返した。
    「マジになるなって、な?」
     どこまでも人を喰ったような蓮の物言いは、今に始まったことではない。こんな時は真剣になればなるほど割に合わないことを身を持って知っている穂高は、諦めたように肩をすくめて口を閉ざした。
     その様子に、少しやりすぎたかと、蓮と柴乃が顔を見合わせたその時。
    「入り口で不審者発見。連行してきたぜ」
     荒々しい足音を響かせて、聖が入ってくる。
    「不審者?」
    「誰だよ」
     三人が同時に入り口を見れば、よくよく見慣れた顔がそこにはあった。
    「よっ」
     右手を上げ、さわやかに微笑む輝夜(かぐや)に、柴乃は露骨にいやな顔をする。
    「おまえ、何しに来たんだよ?」
    「柴乃ちゃんに会いに」
    「帰れ」
     決まってるじゃん、とでも言うかのように笑顔で即答した輝夜を一刀両断した柴乃は、招かれざる客人をしっしっ…と、手で払うような素振りで排斥する。
    「ちょっと柴乃ちゃん、つれないんじゃない?」
    「おまえが来ると、ロクなことないんだよ」
     だから帰ってくれない? と唇を尖らせる柴乃に肩をすくめて見せた輝夜は、助けを求めるように蓮に目線を送った。
    「ちょっと蓮、何とか言ってよ?」
    「ノーコメント」
     下手にフォローすれば後で激しい火の粉が飛んでくるのは明らかなので、ここは蓮も輝夜に加勢はしない。
    「ホント、つれないねぇ…キミタチ」
     オレってカワイソウ……と大袈裟に肩を落とした輝夜に、お前が懲りないんだよ、と、蓮は笑った。
    「だいたい、こんなところに来てる余裕あるのかよ」
    「んー」
     曖昧に笑って流そうとした輝夜に、取り出したジッポで煙草に火を点けながら問いかける。
    「噂、聞いてたぜ? おまえンとこ、今ゴタついてんじゃないの?」
     お見通しだよ、と言いたげな目線と台詞に、輝夜はにっこりと笑って言った。
    「まぁね。でもたまには息抜きしたくなるじゃん」
    「息抜きでこられてもさ…ウチ、そーゆートコじゃないし? 金払うって言うなら考えてやってもいいけど」
     守銭奴ヨロシク右手を差し出した柴乃に、輝夜は甘えるような仕草で首を傾げた。
    「オレ、あんまり友達いないんだからさ。つれなくしないでよ? 柴乃ちゃん」
    「俺だっておまえと友達になった覚えはないっつーの。だいたいなぁ、おまえのせいで迷惑を被った覚えはあっても、イイコトなんてひとつもあったためしがないんだよ」
    「あ、ちょっとソレ、ひどくない? 俺、確かにすっごい迷惑かけたかもしれないけど、すっごいイイコトもしたはずだよ?」
     人の悪い笑みを浮かべた輝夜に癇癪を起こした柴乃が、手近にあったものを手当たり次第に投げつける。
    「こら、やめろ!」
    「とめるな、穂高!」
    「そーゆーわけにはいかないだろっ」
     投げ散らかしたものを柴乃が片付けるとは思えず、その後の後片付けを押し付けられるのはごめんだと、止めに入った穂高にまで被害が及ぶ。
     他の人間に対しては大人びた態度でどこか冷淡に対応する柴乃だけれども、輝夜に対しては幼児返りしたかのような子供じみた言動でつっかかってしまうのは、毎度のことだ。
     輝夜の方でもまた、普段のそつなく立ち回る利発さは、柴乃を前にしては跡形もなく消し飛び、いつだって柴乃の神経を逆撫でる言葉を敢えて選んで口にしては、楽しんでいる感じがする。
     水と油。
     この二人が相容れる日は決して来ないだろうと、蓮は密かに溜息を飲み込んだ。
     相容れないならば、存在そのものを無視してしまえば波風が立たないとは思うのだが、それでも輝夜は柴乃にかまいたがる。
     その理由を探すことに、蓮は興味を覚えなかった。
     暴れ足りないと言いたげに、なおも投げつけられるものを物色する柴乃の腕を掴んで宥めにかかる。
    「し〜の」
    「なんだよ!」
    「コイツ、調子に乗るだけだから、相手にすんな」
     途端に輝夜が抗議の声をあげる。
    「あ! 蓮までそーゆーコト言うわけ? 俺ら、親友だよね?」
     確かにそれは否定しないけれども。
     ここでそれを引き合いに出すのは、はっきり言って勘弁して欲しい。どう考えたって火に油を注ぐことにしかなりはしない。
    「頼むから、おまえまで幼児返りするのはやめてくれ」
     面倒みきれん、と、肩をすくめる蓮に、柴乃がつっかかる。
    「俺がガキだってことかよ!」
    「いい加減、うぜぇから黙れ」
    「何それ! イジメ?」
    「ちげーよ!」
     静まることのない喧騒に頭痛を覚えた穂高が聖のわき腹を肘でつつく。
    「おまえ、何で輝夜連れてきたんだよ?」
    「え?なんか面白そうかなって思って」
     悪びれることなく返されれば、いちいち真に受けてうろたえる自分が馬鹿らしくなってくる。
    「ほっときゃいいんだよ。いつものことじゃん。あれがあいつらなりのコミュニケーションなんだって」
     我関せずを決め込んだ聖は、製作途中のジャケット作りに没頭し始めた。他人様の騒がしいコミュニケーションを眺めているよりは、製作行為に励む方がよっぽど有意義だと、その背中が語っている。
     量産品に手を加え、聖オリジナルのデザインに仕上げた衣類や小物はそこそこ良い値で売れている。気の合う客から依頼があったときにのみ手がけるそれは、聖にとっては趣味と実益を兼ねた実入りの良い副業だった。
     一方………
    「コミュニケーション………ね」
     突っ立ったまま何をするわけでもない穂高は、聖の言い分は最もだと、いまさらながらに納得する。
     蓮、柴乃、輝夜。そしていまはこの場にいない悠里を加えた四人の付き合いは、自分のそれよりもずいぶんと長い。過去にあった諸々の出来事が、今の彼らの間に単なる友情という言葉で片付けてしまうことのできない、複雑な感情を生み出している。
     蓮と輝夜は互いを親友と公言して憚らず、柴乃と輝夜は一見すると犬猿の仲だが、何故かつかず離れずの距離を保っている。悠里と輝夜の会話に至っては、狐と狸の化かしあいのような微妙な空気が漂っているけれども、それでバランスを保っているらしい。
     だが、それは彼らの問題であり、穂高にとってはたいして重要なことではなかった。
     大切なのは、自分がいま、この場所にいるということ。
     自分にとって大切な仲間たちと共にこの場所に在るということ。
     ただそのことだけが、穂高のなかでは意味のあることだった。
     不当な扱いに眦を吊り上げることはあっても、行き場所をなくした自分を受け入れてくれた彼らには感謝している。
     あの日、彼らに出会えなければ、いま、こうして笑っていることなどできはしなかっただろうから。
    「ただいまー」
     見れば、場にそぐわない伸びやかな声で入ってきた瀬那が、柴乃と揉みあうように立っている輝夜に気づき、にっこりと笑って手を振っている。
    「あ、輝夜くん、いらっしゃい」
    「馬鹿瀬那!」
     どう考えたって歓迎してる雰囲気じゃねーだろっ!と、柴乃が瀬那を威嚇する。
    「え?だって楽しそうに見えるけど?」
    「空気読めよ!」
    「えー。俺は十分楽しんでいるつもりなんだけど……」
    「俺は楽しくない!」
     のんびりとした口調で輝夜は柴乃の怒りを煽り、手加減なく飛んできた蹴りを紙一重でかわす。
     身を捩ったその瞬間、輝夜のポケットの中で携帯電話が鳴り出した。
     間髪入れずに手を伸ばした輝夜の表情が、表示を見て険しいものに変わる。
     だが、それも一瞬のことで、浮かんだ表情をすぐに消して通話ボタンを押し、「わかった、すぐ戻る」と言う一言だけを伝えて通話を切ると、ひどく残念そうに肩を落としてみせた。
    「残念ながらタイムリミット。もっと遊んでいたかったんだけど」
    「さっさと帰れ」
     これ幸いと、片手で追い払う素振りを見せる柴乃に、輝夜は嫌味なくらい完璧な微笑を向ける。
    「またね」
    「もう来ンな!」
    「冷たいこと言わないでよ」
    「実入りのいい仕事くれるなら考えてやるよ」
     からかうように横から応じた蓮の言葉を柴乃が速攻で却下する。
    「考えなくていい!」
     威嚇するような柴乃の言葉を完全に無視した輝夜が、蓮に向けて片手をあげた。
    「じゃ、またね」
    「ああ、またな」
     そして踵を返すと、軽やかにその場を後にした。
    「何しにきたんだ? アイツ……」
    「さぁ?」
     瀬那と顔を見合わせて首をかしげた穂高には、柴乃をいじるだけいじって去っていった輝夜の来訪の意図がまったくわからない。
     そんなことはどうでもいいと、首の前に掲げた親指を横一文字に引いた柴乃が、威勢よく言い放った。
    「クソ輝夜! いつか絶対ぶっ殺す!」
     ムリだってば……と、穂高は心の中で呟いてみせる。
     本当に互いに悪感情しか持ちあわせていなければ、輝夜はいくら蓮がいるからといって、わざわざここにきてあんなふうに柴乃を構わないだろうし、柴乃にしたって、いちいちつっかかることはせずに輝夜の存在を完全に黙殺するだろう。
     というよりも、とっくの昔に潰しあいのバトルが勃発しているに違いない。
     結局のところ、なんだかんだ言いつつ、どこかでは通じあっているとしか穂高には思えなかった。
     ――――素直に友だちやってればいいのに。
     天邪鬼の気持ちはまったく理解できん…と、自称真人間な穂高は溜息を飲み込むのであった。








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