帰宅後、昼間の顛末を昴から聞いた芳秋は、しんみりと呟いた。
「優樹菜ちゃん、相変わらず難儀な恋愛してるんだな」
「あいつ、ガチで男運悪いんだよ」
と、言った瞬間に「いや、男見る目がないんだな」と、辛辣な評価を与える昴に、芳秋が苦笑する。
「本人、めっちゃ良い子なのになぁ」
「なぁ?」
幼稚園からの幼馴染であるふたりの付き合いは、もう、20年近くになる。
大学の建築学科に通う昴と、高校を卒業してすぐに建築資材を扱うメーカーに就職した芳秋は、互いの通学と通勤にかかる時間と電車の接続の便利さを考慮した場所でマンションをシェアしていた。
以前、得意先を接待するための二次会用の店をネットで検索していた芳秋に昴が優樹菜の勤める店を勧めて以来、芳秋の会社は彼女の店の常連客となっている。
時にこうして彼女の話題がふたりの間にのぼることもあるのだが、もちろん、優樹菜は芳秋と昴が旧知の仲であることも、同居していることも知らない。
「どうして運命の人を間違えたりするんだろうな?情けなくて泣けるような抱かれ方ってどんなん?俺、すっげぇヤなんだけど」
「………昴」
「俺は大事にされたことしかないから、アイツの気持ち、わかんねぇよ」
缶ビールを傾けながら、昴にしてみれば、感じていることをそのまま口にしたにすぎないけれども。
とても重大な告白を受けたような気持ちになって、芳秋は背を正した。
「それは………ありがとな」
「なんだよ?改まって」
「いや、なんとなく」
「アホ」
コツン、と芳秋の足先を軽く蹴って昴が穏やかな微笑を浮かべた。
積み重ねてきた時間の分だけ、大切な思い出はいくつもあるけれども。
その中でも特別な思い出は、確かに存在する。
優樹菜の話を聞きながら、甘やかな痛みを伴って鮮明に浮かび上がった記憶を、昴はアルコールを嚥下しながら反芻する。
「改めて言うことでもないけど」と前置きしてから、一言一言を噛みしめるように言葉を紡いだ。
「はじめておまえと寝たとき、カラダ、めっちゃしんどかったんだよ。ホントに痛くて、苦しくて……」
幼馴染に対する好意がいつしか恋情に変わっていたことを自覚し、はじめて躯を重ねた17歳の夏。
若かった二人は、たいした知識もないまま、込み上げる衝動のままに躯をつなげた。
人よりも感受性の強かった昴にとって決してやさしくはなかった現実の中で、芳秋の存在だけが明日へ向かうための標だった。彼がいなければ、道を踏み外すことなく歩いてくることはできなかっただろう。
そして、芳秋もまた、ともすればすべてを投げ出してしまいそうな危うさを孕んだ昴の手を懸命に引きながら、長い年月を歩んできた。
ただ、生きることに必死だった。
どちらかが欠けても成り立ちはしなかった自分たちの人生。
いつしか宿った、胸を締め上げるような想い。
それがどういった類のものであるのかを見誤ることはなかった。
たとえそれが自然の摂理に反するものであったとしても。
どうしても欲しいと渇望する想いを殺すことはできなかった。
やるせない恋情。募る焦燥。
日々膨らんでいく数多の想いに押しつぶされそうになり、あの時はもう、躯をつなげることでしか、先に進むことはできないと。
そう、思いこんでいた。
何かに追い立てられるような切迫感が二人を煽り立て、どうしていいのかわからないまま震える指先が触れ合った瞬間、溢れる寸前だった想いが決壊した。
気づけば噛みつくような口吻けをかわしていた。
「けどさ。俺、ものすごく幸せだったんだよ。そんな痛み、どうでもよくなるくらい、幸せだったんだ………」
記憶だけではなく、耳で、肌で、あらゆる感覚で覚えている。
どうしようもないほど高鳴る鼓動。
遠くで聞こえる踏切の音。
夏の夜の気だるい空気。
肌の熱さ。
滴る汗。
震える指先。
泣きたいほどの嬉しさと切なさ。
乱れる息遣い。
そして………
引き裂かれるような痛みの中で、芳秋の熱をかつて感じたことがないほどにリアルに受け止めながら、確かに自分は幸せなんだと。
そう、思った。
あれから、4年。
社会人と学生と、立場は違っても、変わらずにこうして同じ時間の中で過ごせることが、ただ、うれしい。
「ばーか。だらだら飲みながらする話じゃないだろ」
そっけなく言う芳秋が、実は照れているのだということをよくわかっている昴は、喉の奥で笑った。
「シラフじゃこんな話、できるわけないだろ」
「……………」
いつになく饒舌な昴に反して押し黙ってしまった芳秋が、手にしていたビールを一気に煽り、「ヤバイ」と一言、呟きを落とす。
「なにが?」
「今俺、めっちゃお前のこと愛したいんですけど?」
「―――――」
直球すぎる言葉が昴の心に心地よく響く。
あたたかな空気につつまれるこの感覚に、いままでどれだけ満たされてきただろう?
自分は本当にこの男のことが好きなのだと、昴は心の底から思う。
「いいよ。ぐずぐずになるくらい、愛して?」
そう言ってやわらかく微笑んだ昴の笑顔が、花が綻びるようにきれいだと。
思った自分は相当この男に惚れているのだと、改めて芳秋は気付かされる。
同じ相手に、こうして何度も何度も惚れなおして。
いつまでも共に歩んでいけたらいいと思う。
「……ん――――」
衣擦れの音と、熱い吐息。
濃密な空気の充満するベッドルームで、丁寧に、丁寧に。
昴の躯に口吻ける。
馴染んだ肌。
馴染んだ体温。
それでも。
抱くたびにこんなにも愛おしいという思いが込み上げるのは、それは、この腕の中にいるのが昴だからだ。
そして、昴もまた、触れ合ったところから流れ込む芳秋の想いの深さに心を震わせていた。
はじめて知った他人の体温は芳秋のもので、そして、いま、自分を包み込む体温もまた、芳秋ものだ。
他の誰をも知らなくていい。
肌のぬくもりを分かち合うのは、たった一人でいい。
ずっと。
「アキ、アキっ――――」
躰の奥で慎み深く息づく窄まりを丁寧に解かれ、絶え間なく伝わってくる快楽に、切羽詰ったような叫びをあげる。
汗ばんだこめかみにあやすような口吻けを何度も与えながら、芳秋は昴の脚をやさしく折りたたんで押し開いた。
「やっ……」
拒絶の言葉を借りた嬌声。
愛されることを知っている躯の奥深い部分が淫らに蠢いている。
こんな格好、芳秋でなければ許しはしない。
芳秋だからこそ、喜んで脚を開き、迎え入れるのだ。
「……あ、……ぅんっ――――」
突けばくちゅくちゅとした水音を響かせるほどに濡らされ、やわらかく解されたその場所に芳秋を受け入れた昴の躯が撓る。
好きで。好きで。好きすぎて。
どうにかなってしまいそうなほどの想いが狂おしいほどに駆け巡った。
もっと……と、もどかしげに腰を揺らした昴の内側が、芳秋の熱をより奥へと誘い込むように収縮する。
「くっ……」
締め付けられる刺激にたまらず呻いた芳秋が、かき回すように腰を打ち付ける。
甲高い声が昴の喉から迸り、その声に煽られて、芳秋の動きも激しさを増す。
一つに混ざりあう音と、ふたりの喘ぎ、そして息遣いがシンクロしていき―――――強烈な刺激の中で視界が弾けた瞬間、熱い飛沫が迸った。
「大丈夫か?」
「ん」
「ごめんな。コントロールできなかったわ」
欲望のままに抱いてしまったことを詫びる芳秋に、昴が鼻先で笑う。
「しなくていいよ。そんなもん」
自分も望んだことだ。
行為の間中、幸せな想いの中にいた。
愛されていると。
あふれるほどに感じさせてくれる芳秋の腕の中で、甘やかな酩酊の中にいた。
昴にとってセックスはお互いの想いを深く伝え合う行為だ。
「優樹菜も、こんなふうに過ごせる誰かと巡り会えるといいな……」
「大丈夫。あの子だったらきっと巡り会えるさ」
呟いた昴の髪を指先で梳き上げて、芳秋が太鼓判を押す。
その指のやさしい感触にうっとりと目を細めながら、甘えるように恋人の名前を呼んだ。
「なぁ、アキ」
「ん?」
「好きだよ?」
「これ以上煽るな。アホ」
囁いた昴の紅く染まった唇に、芳秋はこの日、何度目になるのかわからないキスをする。
満ち足りた時間の中で。
二人は互いの想いの深さを全身で感じあうのだった。
|