「俺、その男、知ってるよ」
ラフな部屋着に着替えながら拓磨の話を聞いていた玲央が、あっさりと言った。
「証券会社に勤めてるとか言ってさ。店に来るたびに優樹菜ちゃんにすっごいモーションかけてたもん」
玲央は優樹菜の勤め先の従業員で、フロア係兼バーテン見習いとして働いている。
それは本当に偶然で、優樹菜は大学の同級生とバイト先の店の黒服が、こんな夜更けに自分の話をしているとは、思いもよらないだろう。
「男前なんだけど、なんか爽やかすぎて、逆に胡散臭いって感じのタイプ。調子いいこと言われて、優樹菜ちゃん落ちそうだったから、やめときな、って、言ったんだけどね?……そっかぁ。運命感じちゃったんだ」
「超勘違いの運命だったみたいだけどな」
冷蔵庫から取り出したビールを拓磨に手渡し、玲央もプルトップを押し開ける。
「なんだろうねぇ?優樹菜ちゃん、すっごくイイ女だと思うんだけど。ホント男運ないって言うか、見る目ないって言うか……」
裏表のない玲央の表情はくるくるとよく変わる。華奢な身体つきだが筋肉が綺麗についていて、長年習い続けた極真空手のおかげで、半端なく腕が立つ。チャーミングな外見と用心棒もできる腕っ節のギャップが、今の職場の面接時のアピールポイントだと、本気かネタかわからないことを口にしていた。
そんな玲央の歯に衣着せぬ物言いに、拓磨は苦笑する。
「いまそれを本人に言ったら張り飛ばされるぞ?」
「わかってるよ。そんな傷口に塩塗るような真似、するわけないじゃん」
俺、優樹菜ちゃん好きだし?と、玲央は付け加える。
「彼女、今日は店でいつもよりテンション高くてさ。珍しいなぁ、って思ってたんだけど。実はイロイロ大変だったんだね」
冷えたビールで喉を潤しながら、やっぱ無理してたのかぁ、と呟く玲央に、拓磨が訴える。
「こっちだって大変だったんだって。アイツ、よく学食であんなきわどい話、する気になったと思うよ」
「そこが女の子の強みだよ。たとえば俺が同じ目にあったとしても、そんなところでおおっぴらに文句言えないもん」
「……………」
男同士である自分たちの関係は、決して公に吹聴することのできない関係だと言うことはよくわかっている。
想いを打ち明けるまでに相当悩みもしたし、お互いに意地を張りすぎて遠回りもした。
意識をしてしまった分だけ互いの距離感が掴めなくなり、どんなふうに接していいのかがどんどんわからなくなっていってしまったのだ。
もう二度と以前のように接することはできないのではないかと思うような拗れ方までしたけれども。
他の誰かでは駄目なのだと。
自分にはどうしても、おまえ以外にはいないのだと。
永遠に見失ってしまうギリギリのところで、素直になることができた。
失うことの怖さに怯え、互いに胸の内にあふれる想いを吐き出して以来、良い関係を築いてこれていると思う。
いまは、拓磨の住むアパートが玲央の職場から近いこともあり、半同棲のような生活が続いている。店が閉まるころには終電もとっくになくなっているので、原付で帰ってくることができるのはありがたかった。
「なぁ、玲央」
「ん?」
「お前だから聞くけど」
「なに?」
わざわざ前置きした拓磨に、玲央は興味深そうな視線を向ける。
「優樹菜が言うみたいにさ。抱かれてて相手の心理って、そこまでわかるもん?」
「そりゃあ、抱いてたってある程度はわかるもんなんじゃないの?」
当たり前のように返されて、拓磨は歯切れ悪くうなずいた。
「まぁ、そうなんだけど……」
言葉尻から拓磨の言いたいことを汲んで、玲央が考える素振りをみせる。
「俺の経験値から言わせてもらえば……うん。相手の心理は抱かれてるときの方がよりわかりやすいかな?」
拓磨の気持ちが見えなくて、自棄になっていたときもあった。
自分の気持ちですらもてあまし、何かに追い立てられるように、男でも女でも、声をかけてきた相手とはこだわらずに関係を持ってきた玲央だからこその台詞。
けれども。
気持ちの伴わないセックスは、虚しいだけだということを思い知らされた。
「優樹菜ちゃんの言いたいことはさ、なんとなくわかるよ。遊びの相手からは泣きたくなるような切なさっていうか、愛しさっていうか………そういうのうは、どうしたって伝わってこないんだよね」
「…………」
「更に言えば、俺の場合、そういうことは、本気で愛してもらってやっと気づけたって言うか……」
「――――玲央」
なんでもないことのように玲央の口から零れ落ちたけれども。
大きな意味を持つ言葉が、拓磨の胸に深く響く。
「うん。そーゆー意味では拓磨に感謝しないといけないのかも。そういうの、俺に教えてくれたんだから……っ、って、ちょっと!!何やってんの!?こぼれるってば!!」
唐突に抱きしめられ、あやうく手から滑り落ちそうになった缶ビールを、慌てて机の上に置く。
床を汚さずにすんだことに安堵する玲央を腕の中に抱えたまま、拓磨は動こうとしない。
「拓磨?」
「ヤバイ………」
「どうしたの?」
「抱いていい?っつか、今すぐ抱きたい」
「―――――」
まっすぐすぎるほどストレートな言葉が、ストン、と、胸に落ちる。
熱を孕んだ拓磨の囁きが、単純にうれしい。
拓磨も、自分の言葉でこんなふうに、胸の芯から火照るような、幸せな気持ちになってくれたのだと思えば、そのうれしさも増す。
こみ上げるのは、たまらないほどの愛しさ。
拓磨の唇に軽くキスをして、玲央はにっこりと微笑んだ。
「いいよ。抱いて。メチャメチャ愛して?」
その体温を感じたい。
溢んばかりの想いを、全身で、受け止めたい。
逸る気持ちのまま、二人はベッドへと飛び込んでいった。
そして――――――
言葉通り、余すところなく愛された玲央は、情後の余韻がいたるところに残る躯をベッドの上に横たえていたのだけれども。
もぞもぞと身じろいで、甘えるように拓磨に肌を摺り寄せた。
「どうした?」
あやすような拓磨の口調が心地よく響く。
「メッチャ伝わった」
「何が?」
「俺って愛されてるなーって」
「ばーか」
茶化す拓磨に、玲央は問う。
「俺からは?ちゃんと伝わった?」
「ああ、伝わったよ」
お互いを見やる視線は、どこまでもやさしい。
一度見失ってしまいそうになった気持ち。
永遠に失いかけた半身。
もう二度と、迷ったりはしない。
「よかった。……優樹菜ちゃんもいつか、こんなふうに過ごせる運命の相手に出会えるといいね」
「そうだな」
「ねぇ、拓磨」
「ん?」
「キスして」
「煽ってんじゃねぇよ」
指先で玲央の額を軽く弾いて、ねだられるままに唇を重ねる。
「ん……」
触れるだけでは終わらない口吻け。
唇だけではとどまらず、再び火のついた躯を絡めあう。
誰よりも愛しい恋人の存在を、全身で感じることのできる喜びに溺れるのだ。
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