•  僕らの恋愛事情  
    01〜優樹菜の事情〜 




    「だからさ!口でいくら調子いいこと言っても、寝てみたら遊びか遊びじゃないかってくらいわかるって話。ちょっと、アンタたち、あたしの話聞いてる?」
     鬼の形相で勢いよくまくし立ててくる優樹菜に、昴は渋い表情を向け、拓磨は眉間に皺を寄せて形の良い眉を顰める。
    「聞こえてる」
    「おまえ、声でかい」
     声の大きさ云々以前に、大学構内の食堂でする話ではないと思うのだけれども。
     よほど腹に据えかねているのか、優樹菜の勢いは止まらない。
    「あの男、あたしのこと、よっぽど馬鹿だと思ってるのよ。何が“君は僕の運命の女だと思ってた”よ!それが別な女と結婚の話が決まってる男の台詞!?」
     バシン、と。
     テーブルを叩いた指先は、派手なラメのグラデーションとアートで飾られたジェルネイルで彩られ、綺麗な栗色に染められた髪がゴージャスなウェーブを描いて背中で揺れている。
     ボリュームのある胸元を強調するデザインの服に、フェミニンなミニスカートから覗くスラリとした脚。足元にはキラッキラのハイヒール。
     見るからに夜仕様のその格好で大学の構内にいること自体が不自然なのだが、三年目ともなると周囲もまったく気にしなくなる。
    「あぁ、ホンット、頭にくる!」
     派手な容姿とファッションから相当遊んでいるふうに思われている彼女だが、実生活はいたって地味なことを知る者は少ない。
     恋愛に関しては一途で純情。器用そうに見えて、その実、猪突猛進の駆け引き下手。そこまでは愛嬌で済む範囲内かもしれないが、惚れっぽいのが難点だったりする。
    「大体おまえ、なんでそんな馬鹿男にひっかかってるんだよ?」
     この三年の間にこんな騒ぎも何度目かとなれば、昴の問いかけも冷ややかだ。
    「ひっかかったとか言わないでよ。今度こそ本当に運命の相手だと思ったのに〜〜」
    「何人いるんだよ?おまえの運命の相手」
     もはや数える気にもならないと、呆れたように言った拓磨を、優樹菜は綺麗にアイラインの入った眸で睨みつける。
    「女とっかえひっかえしてたアンタに言われたくないんですけど?」
     都合の悪い方向へ流れた会話に、拓磨が明後日の方を向く。
    「俺の過去話なんて、どーでもいいだろう!?だいたいあれは………」
    「あれは?」
     何よ?と挑発的に先を促す優樹菜に、拓磨は曖昧に笑った。
    「若気の至り?」
    「はぁ?」
     これだから男って信用なんないのよ、と優樹菜が眦を吊り上げる。
    「勝手すぎ!都合のいいこと言わないでよね」
     拓磨にしてみれば二年前までの話だ。
     確かにとっかえひっかえしていたことは否定しない。
     だが、当時の拓磨はどうにもならない恋情を抱えて、人知れず苦悩していたのだ。
     胸の奥深くに根付いた、そのあまりにも激しい想いを何とか打ち消そうと、必死だった。
     けれども、どんな女を抱いても、誰と夜を過ごしても、本当に欲しいものに対する渇望は増していくばかりで………
     走馬灯のようによぎった当時の想いから、拓磨は意識を逸らす。
     この場でそのことを説明するつもりはさらさらなかった。
    「抱かれてみて思ったのよ。この男、あたしのこと本気で愛してないなぁって。そしたらなんかすっごい切なくて悔しくて情けなくて。涙出てきちゃってるのに………あの馬鹿男、自分のテクで悦がってるって勘違いして、テンションあがっちゃってんのよ!!これって、どう思う?」
    「だからおまえ、声でかいって!!」
     夕方で人もまばらになっているとは言え、さすがに内容が内容なだけに人目が気になる。と言うよりも、周囲の目線が痛い。
     だからといって、優樹菜の口を塞いでしまうわけにもいかず、拓磨と昴は、どうするよ?と言いたげな表情で、顔を見合わせた。
    「おまえ、酒、飲んでるんじゃないだろうな?」
     胡散臭そうに尋ねた昴を優樹菜が睨みつける。
    「いっそ今すぐ飲みたいくらいだわ」
     速攻で切り返され、藪蛇だったかと、肩をすくめる。
    「結婚したいほどの女がいながらほかの女口説いて抱けるなんてさ。実はその本命とか言ってる女のことも本気で愛してないんじゃないの?って思うわけよ。そこんとこ、男の心理としてはどうなのよ?昴!」
    「え?俺??」
     名指しされ、危うく声がひっくり返りそうになる。
    「俺に聞くなよ。ンなもん、わかるかっつーの」
    「だって男でしょ」
     無茶振りもいいところなその台詞に、昴は律儀に応じる。
    「性別で括るな!俺は他人と遊びで寝たことないから、わかるわけないって」
     きっぱりと言い切った瞬間…………
    「うっそぉ」
     拓磨と優樹菜の声がきれいにハモった。
     口を半開きにして昴を凝視している二人に、あからさまに嫌そうな顔をしてみせる。
    「世の中の男全部、お前らの基準で図るな!」
    「アンビリーバブルだわ」
    「俺も言ってみてぇ!そのセリフ!!」
     奇人変人を見るような目線に昴が吠える。
    「俺は普通だ!」
    「アンタ、声でかいわよ」
     自分のことを棚にあげた優樹菜の台詞に、ますますキレ気味に言い返す。
    「おまえが言うな!」
    「おまえら、まず落ち着け」
     たまらず、拓磨が間に入るのだけれども―――――
    「何他人事みたいに言ってんのよ」
    「何他人事みたいに言ってんだよ」
    「あぁ?」
     今度は昴と優樹菜の声がハモリ、三人は威嚇し合うように視線を交し合う。
     険悪な雰囲気になりかけて、ふっと、優樹菜が息を吐いた。
    「あぁ、ごめん、ごめん。あたしが悪かったわ。ホント、ごめん」
    「いや、別に……」
    「こっちこそ」
     すーっと空気が沈静化し、物憂げにテーブルに肘を突いた優樹菜がポツリと呟いた。
    「まぁ、なんて言うの?昴って、意外と硬派っていうか、見た目通り硬派っていうか……」
     派手さはないけれども、昴の整い過ぎる目鼻立ちは、その双眸の潔いまでの苛烈さを際立たせている。安易に他人と馴れ合うタイプではないため、必要以上に敬遠されがちなところもあるけれども、一度懐に入れた人間に対しては、どこまでも真摯に向きあうことを、優樹菜も拓磨も身を持って知っている。
    「それは褒めてんのか?けなしてんのか?」
     問う昴に、どこか疲れたような淡い笑みを浮かべる。
    「褒めてるのよ。アンタみたいな男ばっかりだったら、あたしもちょっとは報われてるのかしらね?好きになる男、好きになる男、どっかしらに問題あるヤツばっかりで、なんかもう、気持ちがボロボロに磨り減っちゃった感じ」
    「優樹菜……」
    「恋愛って、なんでこんなにしんどいんだろうなぁ…」
     深いため息をついた彼女につられるように、拓磨と昴もため息を落とす。
     暫しの沈黙のあと、「けど……」と、昴が言葉を継いだ。
    「しんどいばっかりじゃないだろ?恋愛って、ホントはあったかいもんだと思うよ?」
    「いいわよねぇ。あたしもそんなふうに言える恋愛したいわよ」
    「大丈夫。おまえならできるって」
     昴の言葉を継いだ拓磨に優樹菜が水を向けた。
    「そう言う拓磨は?アンタの恋愛はどうなのよ?」
     ふられて、拓磨は「んー」と思いをめぐらせる。
    「スリリングな感じかなぁ?先が読めなくて、すっげぇリスキーなんだけど、その分めっちゃテンションあがるって言うか、充実感があるって言うか。良くも悪くも日々ドキドキしてる感じ?」
     その言葉を聞いて、優樹菜がしみじみと呟いた。
    「軽そうに見えて、ちゃんと恋してるんじゃん」
     トレンドにのったファッションを我流で崩すセンスに長けている拓磨は、茶色に染めた長めの髪をその日の気分でセットしたり結んだり、小物使いが洒落ていたりと、手を掛けることを厭わない。だが、大学の構内にあっては悪目立ちをすることも多く、彼の本質の頑固さや生真面目さまでを見抜ける者は数えるほどしかいない。
    「軽かったんだよ。今はちげーの」
     にゃはは、と笑う拓磨に、若気の至りだったな、と昴がまぜっかえし、そんな二人を優樹菜がどこか眩しそうに見やる。
    「あんたたちの恋愛話はじめて聞くけど。でも、ふたりとも、いい恋してんのねぇ……」
     昴と、拓磨と、優樹菜と。
     同じ工学部の建築学科に籍を置く三人は、入学以来の付き合いになる。
     最初の頃は、グループ研修や複数で取り組まざるを得ない課題を出されるたびに、その容姿の派手さととっつきにくさから周囲に敬遠されがちだった者同士が組まされることになった。仕方なく、といった具合で付き合い始めた三人だが、意外と話が合うことがわかり、それ以来何かとつるみながら、今に至る。
     その間、惚れっぽい優樹菜の失恋話は片手の指の数では足りないほど聞かされてきたけれども。
     確かに、三年間こうして顔をつき合わせてきて、互いの恋人について話したことがなかったということにいまさらながらに思い至って二人は顔を見合わせる。
     そもそも、昴にも拓磨にも、語れぬ事情があるのだから、ある意味致し方のないことだった。
     あまり見せることのない、ふたりのどこか困ったような表情には気づかぬ素振りで優樹菜は笑った。
    「ま、いいわ。あたしのムカつく話は、ふたりのイイ話でチャラよ、チャラ。愚痴聞いてくれてありがとね」
     そして、んーー、と、大きく伸びをした彼女は、すべてを振り切るように、勢いよく立ち上がった。
    「今日も張り切って働くわよぉ」
     自分に発破をかけるように口にする彼女に、「行って来い」と、拓磨と昴がエールを送る。
     大学の入学を決め、高校卒業を目前にして両親を事故で亡くした彼女は、中学生の双子の弟を養っている。
     日中は大学に通い、夜はバーでホステスとして働く二重の生活を苦にする様子を、人前で見せたことはない。
     親の保険金は本当に困った時のために手をつけずにいるのだと笑って言う彼女が、本当の運命の相手に遠からずめぐり合うことを、願ってやまない二人だった。



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