あ行
アーミー
かつてふりふりのレースにクロスとかで目立っていたSUGIZOだが、アーミーファッションも好んでしているスタイルの1つである。もともとナチス物が好きなSUGIZOは以前からナイフに凝ったりもしていた。
ファッション的にはLUNA SEAの初期はハーゲンクロイツの入ったジャケットを取り入れたりしていた。しかし、公の場でアーミースタイルを着だしたのは最近のことで、それはイメージとの折り合いではばかられていたようだ。オフではストリートっぽいアーミースタイルを披露している。ナチスの迷彩柄などにもうるさいようだ。
アルバイト
インディーズ時代の時はメンバーはみんなバイトをしながら生計を立てていた。
その中でRYUICHIはインディーズ時代はアイスクリーム工場で一時働いていたことがある。−20℃という状況下での労働で、体に負担がかからないように30分に一度はそこを出ないといけないのに、何も知らないRYUICHIはなんと4時間も入ったままでいた。誰も「30分で出るように」なんて教えてくれず、挙げ句の果てには「早く出ないと死ぬぞ!」と言われてしまったとか。今となってはお笑い話になっているエピソードの1つである。
バイトを始めてはすぐに止めたりするという繰り返しであったRYUICHIであったので、「RYUのバイトは3日ももたないでしょ!」と他のメンバーに言われたりするほどだったようだ。
あんじ
SUGIZOには自分でも言ってるように女の子の友達が多い。有名どころではCHARAがその代表格だが2、3年前からあんじとも仲が良いらしい。あんじは1975年8月生まれのモデル出身タレントだ。身長166cmで体重42キロのスレンダーな体型に大きな瞳が印象的で人気がある。「ポンキッキーズ」などに出演。
あんじは98年にシングル「夜空には☆が輝いてる」で歌手デビューしたが、それを聴いたSUGIZOは「深い歌詞の世界を表現できているあんじはすごい!」と認めていた。
居候
SUGIZOと真矢が高校の同級生だという話があるが、高校生の時「プロになろう!」と決意した2人はウンザリと言っても言い足りないぐらいにいつも一緒にいた。SUGIZOが真矢の家に行くと真矢の家に嫁入りしたSUGIZOの小学校の担任の先生がいるのでその人と喋ったりでなかなか楽しかったが、それよりも真矢がSUGIZOの家に来る方が多く、一時は殆んど居候状態で住み着いていたと言っても良いほどである。
あまりにもずっと一緒にいるので、お互いの衣類はもうグシャグシャ。星空を眺めながら宇宙について語っているSUGIZOがはいているズボンが真矢のものだったり、ふと気付くとSUGIZOの母親が真矢のスウェットを着ていたことまであったほどだ。
イタズラ電話
芸能人なら誰しもが一度は悩まされたに違いないのがイタズラ電話であろうが、それはLUNA SEAでも同じことである。自宅へのイタズラ電話ならまだしも、実家へ迷惑をかけるファンが後を絶たず、あの穏やかなINORANが「イタズラ無言電話F××K!」とファンクラブの会報に載せたほどである。SUGIZOの怒りはもっとすごく、「メンバー自身ならまだしもなぜ肉親にまでそんなことをするのか!もしスレイブ会員の中にいるなら退会していただきたい!」とファンクラブ会報で怒りをあらわにしている。
ファンにとっても深刻な問題であるようだ。
ウニ
サーファーで魚好きのRYUICHIは海の幸ならなんでも食べれるように思えるが、実はウニが大嫌いである。それなのに「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「食わず嫌い王決定戦」に出演した際に番組の構成上、絶対ウニを食べないといけなくなったのである。番組で久しぶりに食べた感想は「やっぱりまずかった」というものだった。魚は週に何度も食べているというほどの大好物らしいが、ウニだけはどうも舌が受け付けないようだ。
噂
ファンの間で広がる噂は本当に様々なものがあって、「そんなの誰が見たんだよ〜。」と言いたくなるようなものも少なくない。ごく有名なものには「Jはインディーズ時代にAVに出演していた」というものがあるが、これに関してはJ本人が「出てるわけねぇだろう!」と否定してるので噂が噂を呼んだものと思っても良いだろう。
また、インディーズ時代に町田プレイハウスの前で真矢とRYUICHIが入る前のボーカルがキスしてるという写真がある証拠写真がある、という噂があった。しかし、これに関してはなんと真矢は「本当です」と証言してしまった。
映画
LUNA SEAはメンバー全員が映画好きだということで知られている。その中でタイタニックとナチュラル・ボーン・キラーズという2つの映画でのエピソードを挙げておく。
タイタニックは氷山の衝突事故で沈没した実在の豪華客船の話で、この映画を観に行って感激に浸った人も多いだろう。SUGIZOもその1人で、凝りだしたらとことんまで追求するSUGIZOなのでアメリカにあるというタイタニックの遺品だとかレプリカだとか欲しがってしょうがない、とGLAYのTAKUROにバラされていた。
ナチュラル・ボーン・キラーズという映画はSUGIZOとJが嵌っていたもので、真矢もこの映画の公開前に「すごい観たいんだ!」と言っていた。ミッキーとマロリーという一組のカップルが次々に人を殺していく快楽殺人のストーリーなのだが、アメリカでは残酷なシーンが問題になり、イギリスでは上映禁止になったこの映画は「人生脱輪男」のJの琴線に触れたようで「久々にROCKな映画だぜ!」と大絶賛していた。また音楽を担当していたのがJの好きなナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーだったというのもポイントが高かったようだ。一方のSUGIZOはというと、映画の影響でペットの亀を「グリ」、「グラ」から「ミッキー」、「マロリー」に改名してしまったほどの嵌り様だった。
X JAPAN
日本のビジュアル系バンドの創始者。86年に自分達でレコード会社「EXTASY RECORDS」を設立。87年にYOSHIKI、TOSHI、HIDE、PATA、TAIJIというラインナップとなる。88年にファーストアルバム「VANISHING VISION」をリリースし、1週間で初回プレス1万枚を完売、インディーズチャートを塗り変える。89年にメジャーデビューし、アルバム「BLUE BLOOD」で様々なタイトルを獲得した。その後は長い間カリスマ的存在として日本のロック界をリードしてきた。97年に多くの関係者やファンに惜しまれながら解散したが、98年にはメンバーのhideの死、TOSHIの洗脳騒動などでいまだに世間に衝撃を与えている。
LUNA SEAに与えた影響も多く、LUNA SEAが大きくなる過程ではなくてはならない存在であったであろう。(LUNA SEAとの関係については詳しくは「hide」の方でおねがいします。)
F1
世界最速の栄光をかけて26台のマシーンと男たちが駆け抜けるF1は車好きだけでなく人気が高い。最近RYUICHIやINORANがF1の魅力について語っているCMも流れている。この2人はLUNA SEAの中のF1好きとして知られているが、特にINORANは筋金入りのF1ファンとして知られている。98年の日本GPも観戦していたが、グランプリを観るために世界各国に足を運ぶこともよくある。
INORANとF1の出会いは、あの英雄アイルトン・セナとの出会いから始まる。しかし、94年5月1日、セナは事故のためにこの世を去った。この時のIRORANの悲しみはとても言葉で言い表せるものではなかったようだ。「心の中に穴があいたような感じだった。」と本人は語っている。
MC
RYUICHIのMCのロマンチックさはずば抜けている。「ロマンチック」というのとは少し違うのかもしれないが、真剣に、何とも言えない発言を繰り返すRYUICHIはやっぱり今世紀最後のキザ男「ナルシー」と巷で呼ばれているのも仕方がないと思わざるを得ないところがある。
客席に向かって「我が親愛なるスレイブどもよ」と囁くのは有名だが、隠れた名言に「今君たちは俺たちの愛に包まれようとしています。」というのもある。MCに限らず、常に「ナルシー」でキザなRYUICHIは「HEY!HEY!HEY!」に出演すると必ずといっていいほどダウンタウンの絶好のカモにされているが、やはりそういう面があってこそのRYUICHIだ。
おでん
メンバーそれぞれの、好みのおでんの具は次のとおり。
RYUICHIはつみれ。だいたいなんでも好きであるが、ここでもやはり魚が食べたいようだ。
INORANは何と言ってもしらたき。
Jは大根が好きらしい。竹輪やハンペンなど加工した具ではなく、ナチュラルな素材がいいという。
真矢の好みもJと同じく煮込んだら煮込んだだけ崩れるのが好きだと語る。
そしてSUGIZOだが、彼だけは他のメンバーと違って、おでんは汁が一番と言い張る。具材の美味しいところは全部汁に出てるから「おでんの具なんてみんなカスだ。」というのだ。そもそもおでん自体あまり食べる機会がないらしいが、こういう台詞はSUGIZOらしくて面白い。
お笑い
LUNA SEAのお笑い担当−真矢は別にしても、お笑いやバラエティなどはメンバーは好きそうでないように見えるが、じつはそうでもないらしい。メンバーみんなでイチ押しなのがダウンタウンである。
真矢は「ごっつええ感じ」でやっていた「兄貴」のコントがたまらないというし、SUGIZOはその面白さはもちろん、彼が敬愛する坂本龍一がプロデュースした「GEISHA GIRLS」も好きだという。「みんな聴いた方がいいぞ。」と言ったぐらいだ。
RYUICHIはダウンタウンはもちろん好きだが、思いで深いのはとんねるずだと語る。
か行
掛け持ち
複数のバンドに在籍、またはサポートメンバーとして参加すること。
高校時代の真矢はバンドを15個くらい掛け持ちしていた。ドラマーはギタリストやべーシストに比べて絶対数が少ない。真矢は貴重なドラマーとして重宝されていたのであろう。
それにしても15個もバンドを掛け持ちするのは至難の業である。なぜなら覚えなくてはならない曲も何十曲になるだろうし、スタジオ代もかなりかかったはずである。その頃は夜の9時までドラムの練習、9時から12時までコンビニ、12時から2時まで居酒屋でバイト、家に帰ると5時までコピー。給料はドラムのローンに回し、昼代としてもらっていた千円をスタジオ代に回していた。ゆえにろくに食事も取らず、栄養失調で倒れてしまったとか。
カラオケ
カラオケが嫌いなのはJとSUGIZOである。Jは酔っ払った時は歌ってしまう時もあるらしいがSUGIZOは嫌いで嫌いでしょうがないと言う。ライブではコーラスも取るぐらいの歌唱力があるが、その歌唱力のコンプレックスによるものではなく、生理的に受けてけられないらしい。
あの使い回しのマイクがどうしても気持ち悪く感じ、どこのオヤジが使っていたのかと思うとゾッとするらしい。ライブで使うマイクにも必ず香水をかけているようだ。神経質なSUGIZOらしいものである。
ギャグ
とにかく真矢はギャグばっかり言ってる。しかし昔からギャグを連発していたわけではない。今は親しみやすいイメージがウリの真矢だが、デビューしたての頃はバンドのイメージにふさわしい妖しいイメージで活動していたのである。
真矢がTVやラジオでギャグを言うようになったのは自分のラジオ番組を客観的に聞いたのがきっかけだったという。LUNA SEAファンが聞けば確かに面白い番組なのだが、一般の人が聞いてもちっとも面白くないのだ。元来サービス精神旺盛な真矢は一般の人が聞いて面白いものじゃなきゃ意味がない!と地でいくことを決意したのである。
今では「俺はあんなふうにラジオではできない」とSUGIZOに言われてしまうほどギャグが定着した真矢だが、彼は初対面の人と話す時はとりあえずギャグをかまして相手の出方を見るようである。徹底している。
クール
Jはクールで冷静な性格である。これは本人も認めているのだが、その性格が悪い方向に出てしまうと「物事に熱くなれない自分は何だ?これでいいのか?」と自分で嫌気がさしてしまうという。
Jは自分をしっかり持っていて、少しぐらいのことでは動じない強さを持っている。その反面自分ののアイデンティティが崩れてしまった時には驚くほどネガティブになってしまう。「EDEN」製作中にそんな状態に陥ったJは半ノイローゼになってしまい、病院の門を叩いたという。
工藤静香
1970年4月14日生まれ。おにゃん子クラブ出身。ドラマ「神様、もう少しだけ」の挿入歌でRYUICHIが提供した「きらら」を歌った静香だが、SUGIZOがかつて工藤静香ファンだったことは古くからのファンの間では有名な話である。自分でも「好きな女性タレント、理想のタイプは工藤さん!」と公言してはばからなかったし、ラジオ番組で彼女の曲をかけたこともある。それくらい熱狂的であった。
工藤静香はかつてX JAPANのYOSHIKIとの熱愛が報じられた。後に破局報道が流れたが、この時期ではファンの間では熱愛報道によるSUGIZOとYOSHIKIの不仲説が囁かれていた。SUGIZOも大人であるのだし、実際はそんなことはなかったのだろうが、先輩を立ててかこの時期から工藤のことは言わなくなり、カヒミ・カリィなどが好みとして挙げられるようになった。
口説き文句
メンバーの口説き文句は噂になったことがあるのでちょっと紹介しておく。
殆んど伝説と化しているのがRYUICHIの口説き文句であり、女性の手を取って「君の手は冷たい。でも、こうすると暖かいだろ。」好みの女性を周りに知らせる時は「おまえにはあの太陽が見えないのか」である。
SUGIZOもロマンティックで女性の目を見つめ「君の目には月が映っている」
真矢はいつもどおりギャグを言うだけ。Jは口説かれるタイプだとか。INORANは口説かない。最近長年の恋人が週刊誌にスクープされたが、シャイだから口説かないと言うわけではなく、彼女がいるからだろうか。
香水
音楽だけではなくメイクやファッションにも手を抜かないメンバーは香水にもこだわっているようだ。
RYUICHIは昔は父親の影響でタクティクスを付けていたが、今は気分を高めたい時にしか使わないくらいだとか。
SUGIZOは昔はアルマーニを付けていたことがあるが、1年くらいエタニティのメンズを付け続けたりドルチエ&ガッバーナのものを付けたりといろいろ変わっているようだ。
INORANはムスク系が好き。銘柄には特別にこだわっていないようだ。Jは昔からエゴイストが好きで、最近はプラチナムやCKなんかを付けているという。
真矢はかつてはダンヒルだったが、ジバンシィなどに切り替えたようで香水はリラックスのために付けていることが多い。
さ行
サーフィン
RYUICHIがサーフィンが好きであることは一般の間でも広く知れ渡っている有名なエピソードである。小学生の時は水が怖いのを克服したくて、隣の家のサーフボードをこっそり持ち出して海に行ったのがそもそもの始まりだという。
バンドを始めてからはずっとサーフィンから遠ざかっていたのだが、ある日江ノ電に乗りながら海を見て「もうここには戻れないのかな?」と思ったら急に涙が出てきてしまって、それをきっかけに波乗りを再開した。当時は関係者やファンにはびっくりさせるような話だったようだがインタビューなどでは積極的にサーフィンについて語り、いつの間にか周りを認めさせてしまった。そんな彼のサーフィンの実力は相当なものだと評判だ。決して口先だけのものではないようだ。
酒
RYUICHIは喉をいたわって打ち上げでもあまり酒を呑まないようにしているといい、真矢は喘息持ちということもあってか、残りの3人に比べるとあまり呑む方ではないようだ。
残りの3人はかなりの酒豪であることが知られている。SUGIZOとJは故hideと仲が良く、3人揃って朝まで大騒ぎをしたエピソードは数限りなくある。酒癖という点ではSUGIZOは泥酔状態になると者を破壊し始めるという話も伝わっている。Jはデビュー当初、飲み仲間の間では「呼んだら必ず呑みに来てくれる男」として重宝がられていたという。INORANはそういうエピソードはないが、雪中梅などを好んで呑んでいるようだ。また、ツアーでは各地の銘柄を呑むのも楽しみの一つだと言う。
SIAM SHADE
1992年に結成。メンバーは栄喜(ボーカル)、KAZUMA(ボーカル&ギター)、DAITA(ギター)、NATIN(ベース)、淳士(ドラムス)の5人。「1/3の純情な感情」に続き、「DREAMS」がまたしても大ヒットしていた。彼らもLUNA SEAと同じく町田プレイハウスで育ったバンドである。
SIAM SHADEがインディーズで人気が出るきっかけを作ったのは実はRYUICHIである。RYUICHIがパーソナリティを務めていた「MIDNIGHT ROCK CITY」というラジオ番組でSIAM SHADEのデモテープを流したところ、瞬く間に人気が出てしまったのだ。
LUNA SEAは先輩としてバンドの活動やレコーディングについてなどその後もいろいろとアドバイスを続けてきたようで、SIAM SHADEのメンバーもLUNA SEAには本当に感謝してると語る。
淳士
1973年3月30日生まれ、SIAM SHADEのドラム。血液型はB型、身長は173cm、体重は59キロ、神奈川県出身。
1989年に真矢と出会い、真矢がバイトをしていた楽器店でバイトを始める。当時の真矢は眉がなく、髪が赤くて見るからに怖かったと言う。1991年か1992年にかけて真矢のローディーとなり、UNDER THE NEW MOON TOURなどを一緒に回った。その頃はハードなスケジュールの中で体力的な限界を超えているところに設備の整わないライブハウスと機材が追い討ちをかけた。モニターがない、PAの調子が悪い、ステージが狭いなどというのはざらで、ドラムソロの見せ場でヘッドが破れてしまい、上手く直らないのに腹を立てた真矢がドラムを壊してそのまま楽屋に帰ってしまった事件もあった。
その後、淳士の加入したSIAM SHADEがプロデビューすると真矢は非常に喜び、今までも何かと応援している。
食事
超タイトなスケジュールをこなすLUNA SEAだから当然食事も不規則になりがちである。
夜中の12時になってようやく食事にありつけるという感じらしい。ひどい時はそんな時間になっても食事にありつけないことがあるという。また音楽業界では寿司、焼肉といった雰囲気があり、そのせいでこの2品についてはすっかり口が肥えてしまっているらしい。一般人からすればなんとも羨ましい話だが、全員一致で和食党だというメンバーたちはもうとっくに飽きている頃かもしれない。RYUICHIは最近は朝出かける前に果物を食べていくことが多いようだ。真矢は朝は日本茶を必ず2杯飲むのを習慣としている。子供の頃能や和太鼓を親しんできた真矢だが、やっぱり和風な男である。
睡眠
とにかくINORANは寝るのが大好きである。だいたいが一度に一つの事をしかできないタイプで、最近でこそF1を観に行ったりなんてこともしているが、基本的には音楽一本で、これといった趣味は特に持っていないという。音楽も他のメンバーと比べて聴かないほうだと言い、家ではTVを観たりボーっとしたりしているのが好きなようである。
SUGIZOはINORANと全く逆で、とにかく寝るのが嫌で嫌でしょうがないと言う。寝ている時間がもったいなくて、睡魔に勝てなくなるまでは絶対に寝ないらしい。ちなみに故hideも同じで寝るのが嫌だったと言う。2人とも揃って寝るために作業を中断するのがたまらなく悔しいタイプなのだそうである。
スポーツ
RYUICHIがサーフィンをやっていることは有名な話だが、他にはボクシングもしている。とにかくアウトドアな人間である。SUGIZOも現在ボクシングをしているようだが、他のメンバーはこれといったスポーツはやってない。
子供の頃の話となると別で、Jはサッカー少年だったし、INORANは小学校4年生から野球をしていた。サウスポーのINORANは打つ、投げる、守るとどのポジションでも重宝がられていたという。SUGIZOは野球は大の苦手だったが、足がとても速かったためにリレーの選手には必ず選ばれていたという。
ZOE(ゾイ) 
「ZOE」上巻は95年2月に出版された写真家の野波浩氏とのアートフォト・セッションで作られた写真集だ。野波氏はその名を知られた写真家で撮影は大阪の自分のスタジオ以外では絶対に行なわない。だからLUNA SEAのメンバーもハードなスケジュールの中でわざわざ大阪まで行ってこの写真集を作ったのである。
この写真集の話が出た時、野波氏は90%断るつもりでメンバーと会ったのだが、実際に話してみて彼らとセッションする決意を固めたという。魅力的なメンバーの人間性が野波氏の心を動かしたようだ。そんな「ZOE」は写真好きの一般の人たちの間でも人気の高い写真集だという。そして95年4月に発売された「ZOE」下巻はライブ写真とパーソナルインタビューで構成されており、こちらの方も必見。
そうる透
真矢が師とあおぐ日本のロックドラマーの草分け的存在。弱冠12歳でプロデビューし、15歳からスタジオワークを始めるという驚異的な経験を持つ。黒夢に長年ドラマーとして参加しており、CX系「LOVE LOVE 愛してる」でもおなじみである。
真矢はそうる透のドラミングを初めて間近で見た時「まだまだ自分はそこら辺に落ちている葉っぱと同じだ。」と実感したという。
た行
煙草
LUNA SEAのメンバーはRYUICHI以外はみんなヘビースモーカーである。INORANは煙草とコーヒーがないと生きていけないとまで言うのである。Jもプレゼントで送られてくる煙草がダンボールいっぱい入ってるのを見て「これ全部吸ったら絶対肺がんで死ぬなぁ。」と思ったのだがもやっぱり吸ってしまう、と苦笑している。
RYUICHIは小中学生の頃(!)こそ煙草を吸っていたというが、ある時ライブで声が出なくなったことがあった。その時に煙草を吸っているからだと考え、それ以後はすっぱり足を洗ったという。
CHARA
1991年にデビュー。女性、妻、母親としての新しい生き方が幅広い支持を得ている。代表作に「スワロウテイル」などがある。
SUGIZOとCHARAはかなり仲のいい友達同士である。雑誌で対談したこともあり、アーティストとしてお互いを認め合う、いい関係であると語っている。LUNA SEAとCHARAの音楽性は全く異なるものではあるが、そんなこと関係なくお互いの曲の良さを理解しているようだ。SUGIZOはCHARAの歌詞のセンスを絶賛している。例えば、「Happy Toy」という曲の中の「好きなだけ抱いてよ」というフレーズがとても好きだといい、「こんなことを言われたら男だったら誰でもドキッとしちゃうよね。すごくたまらないと思う。」と男心のツボを突かれたことを明らかにしていた。やっぱりSUGIZOも男なのである。
土屋昌巳
日本の代表的なニューウェイブバンドであった「IPPU-DO」の中心人物である。代表作にSHAZNAがカヴァーしてヒットした「すみれセプテンバーラブ」がある。ブランキージェットシティーのプロデュースなどでも活躍していた。
SUGIZOがソロ活動で彼の影響を受けたアーティストとして集めたメンバーに参加していたり、SUGIZOの設立したレーベル「CROSS」から作品をリリースしたりと関わりは深い。
テニス
RYUICHIはサーフィンだけでなくテニスもけっこう好きである。中学生のころはテニス部に所属し、プロを目指していたこともあるほどだ。ちなみに小学生の時はサッカーをやっていたともいう。もともとはかなりアウトドアな人間であるRYUICHIだが、ロックやバンドに目覚めた時から意識的に自分からそういうのを遠ざけていたようである。ロックではスポーツマンはダメ、健康的なものはダメ、日焼けもしてはダメ・・長髪でバーのカウンターでバーボンのストレートを呑むという、ロックのイメージに自分を合わせようとしていたからである。
やがてそのイメージと普段の自分とのギャップが次第に広がっていき、かえってその葛藤に悩まされるようになってしまったとか。その後髪を切り、ラフなスタイルをするようになったがRYUICHIがイメージからの解放を決意した原因の一つだという。
天文
SUGIZOの趣味の1つ。RYUICHIに負けず劣らず、SUGIZOも趣味の幅がかなり広く、ロマンチックで神秘的な方面に惹かれがちであるようだ。SUGIZOは「あの星の光が地球に届くまでには何万年もかかるんだ」とか「あそこで光ってる星の光は何万年も前のものなんだ」とか考えるのが好きである。
真矢がSUGIZOの家に泊まりこんでいた頃は2人でベランダでそういう会話をずっとしていたこともあったという。「死ぬまで宇宙に行ってみたい」と言ってはばからないSUGIZOは2001年の宇宙旅行にいくらしいという話もある。
ドラえもん
メンバーがドラえもんの道具の中でどれを使いたいかを言っていたので紹介する。
RYUICHIはタイムマシンに乗って過去や未来に言ってみたいという。SUGIZOが一番ほしいのはドラえもん本体だが、道具で言えばアンキパンが良いと思ってるらしい。スモールライト、どこでもドアで渋滞から逃げたいとも言っている。Jはその逆でどこでもドアを使いだしたら動かなくなって太りそうなので特にいらないと言う。INORANはガリバートンネルで、機能はスモールライトと全く同じという意味のないところがいいらしい。なんともINORANらしい発想で面白い。真矢は猛獣ならし手袋を手に入れて人にスリスリして自分の言うことを聞くようにしたいと言っている。
ドラムセット
高校の頃ドラムを買おうと思い立った真矢は楽器に詳しそうなSUGIZOにとりあえず相談した。その頃はまだそれほど親しくなかった2人だったが、SUGIZOは親切に相談に応じた。
「TAMAのスーパースターがいいんじゃないかな。色はマリンブルーを買うといい。」と教えたのだが、それはただ単に当時大好きだったJAPANのスティーブ・ジャンセンと同じものを言ってみただけであった。しかし、真矢は律儀にそれを買ったのである。中古でたまたまあって色もマリンブルーしかなかったという。その上ドラムを買ったその日に2人は御茶ノ水の楽器店で偶然出会ってしまったのである。
やはりこの2人の出会いにはなにか運命的な力が働いているのであろうか。
な行
流し目
一般の間でも「流し目と聞いて浮かぶ人は?」といったら河村隆一もしくはRYUICHIという答えが返ってくるようだ。確かに歌いながら妖しげな目線を送るRYUICHIの姿にはかなりセクシーなものがある。しかし、それと同様に「ちょっとイッちゃってる系」のすごい目をしていることも少なくない。
この視線は子供の頃からのものであるという。つまり素人が一朝一夕で真似できるものではない。またRYUICHIは目を長時間開けていることができ、撮影の時にもあまり瞬きしないでいられるという。視線といえば、ステージ上の自分を見て「けっこういい目つきだな」と思うことがあるというからやはりナルシストなところがあるのだろう。
涙
LUNA SEAの場合、メンバーもファンもライブで涙を流すことが多い。メンバーの中ではSUGIZOと真矢が涙を見せる回数が最も多いが、RYUICHIも時々ウルウルしていることがある。そもそもLUNA SEAのライブ自体が会場全体の一体化を求める精神的なものであるので心に訴えかけるものが半端ではない。
一番すごかったのが1996年のツアー「UNENDING STYLE」で、1年間活動休止になる前のものであった。この時のファンは活動休止のことについて「ふざけるなぁ!」と言って泣いたり、唖然としていたようである。
肉屋
真矢の実家が肉屋を経営していることはファンの間では比較的知られた話である。秦野市の実家の1階が店になっていて、2階から上が自宅になっていたと真矢自身は語る。この肉屋は今でも健在で時々ファンが訪れることもあるという。外観からではここがあのLUNA SEAの真矢の実家か、なんていうことは全くわからないが店内に一歩足を踏み入れると真矢のポスター、サインや写真などが何枚か飾られているのですぐにわかる。ここの肉はおいしいと言う評判でファンが訪れたついでにと肉を買って、家で食べてみたらおいしくてビックリしたと言う評判もあった。
能
真矢は能楽師の父親の元で育った。そのせいで真矢は子供の頃から能を習っていたのである。週に3回ほど夜稽古場に呼ばれての練習だったそうだ。真矢の家は1階が店、2階が自宅、3階が能稽古場という造りである。
能の稽古ではまず礼儀から叩き込まれ、それから「人間の死後は仏教の世界では6つの道があって・・」といった仏教の知識も合わせておしえこまれるという。だから普通の子供より博識であった真矢は小学5、6年の頃には自分はもう大人だと思い込んでいたマセガキであった。そんな風に小学校時代は能を中心とした生活を送っていた真矢だったが、中学生になってからはすっぱりやめてしまった。それからは能の変わる生活の中心を探すのに明け暮れていたと言う。
は行
秦野市
秦野市は神奈川県西部に位置し、平塚市に隣接しているごくごく普通の街だ。都内からのアクセスは小田急線で1時間強という少し奥まった所にある。LUNA SEAのメンバーは「神奈川県出身」と言うだけで秦野市についてはただ「地元」と呼ぶだけだが、写真週刊誌では秦野市出身であることをあっさり書かれてしまうなど、もう殆んどバレバレ状態であるのが現状。それに秦野市民にとってLUNA SEAはまさに街から生まれた大スターであり街の誇りであるので、若い世代なら誰でも知っている話でもある。
秦野市は他にもSIAM SHADEの淳士、ZARDの坂井泉水などの出身でもある。ただRYUICHIだけ大和市出身なのだが。
蜂
真矢がSUGIZOの実家に泊まりこんでいた頃の笑い話である。高校3年の夏休みのある日に真矢は久しぶりにSUGIZOの家から自宅へ戻ったのだが、その日のうちにSUGIZOの家へ血相を変えて戻ってきてもう1回泊めてくれと言い出したのだ。
SUGIZOがわけを聞くと、真矢は「ウチの母親が窓を開けたままにしやがって自分の部屋に蜂が巣を作った。怖いから戻ってきた。」と答えた。結局またSUGIZOの家に泊めてもらい、その1週間後に自宅に戻った真矢が母親に「市役所を呼べ!蜂の殺し屋を頼め!」と言うと「バカ言いなさい、そんなものあるわけないでしょ」と全く相手にせずホウキとコックローチかなにかの殺虫剤で処理してしまった。さすが真矢の母親と言うべきか、相当パワフルな人のようである。
ピアス
LUNA SEAのメンバーはみんなピアスを開けている。
その中でも特にJは鼻ピアスまで開けるというぐらいである。しかし耳の軟骨に開けた時はあまりの痛さに手足まで痺れたという経験もある。鼻に開ける時もムチャクチャ痛かったそうで、「絶対に薦めはしない」と語る。
RYUICHIは今は全然ピアスをしていないのでピアスホールが塞がってしまったらしい。SUGIZOと真矢はすぐに化膿してしまうらしく、真矢は開けたり塞がったりの連続で耳にしこりが溜まってしまっているらしい。SUGIZOは「こんなの痛いだけだから」と言って気合いでホールを維持していると言う。みんなけっこう怖いことをしているようである。
hide
本名松本秀人、横須賀出身の1964年12月13日生まれ。血液型はAB型。1998年5月2日死去。享年33歳。
中学時代にロックに目覚め、美容師専門学校に通いながらサーベルタイガーで活躍するが解散。美容師に専念しようと決意するのだがYOSHIKIに誘われてX JAPANへ。音楽だけではなく抜群のビジュアルセンスでX JAPANを稀代のロックバンドに成長させた。一方でソロや美容室とオリジナルグッズショップを経営したり、ドナー登録運動など多彩に活動した。
後輩の面倒見もよく、LUNA SEAがEXTASY RECORDに参加したのはhideの引き合いがあったからである。RYUICHIとデュエット(SCANNER)をしたり、JとSUGIZOの3人で共同制作(DANCE 2 NOISE 004)を行なうなど公私にわたり深い関係にあった。
ブーちゃん
「HEY!HEY!HEY!」に出ると真矢はダウンタウンの2人から必ず「ブーちゃん」と呼ばれてしまう。確かに最近の真矢の体つきは大変ボリュームがあり、ダウンタウンが「ブーちゃん」と呼びたくなる気持ちもわからないでもない。
そんな風に今はすっかり「ブーちゃん」なんて言われてる真矢だが、デビューしたての頃は他のメンバー同様スレンダーボディーだったのだ。しかしどうしたわけか「MOTHER」をリリースしたあたりから体が徐々に丸みを帯び始めてきたのである。その頃真矢はその状況に危機感を感じたらしく、ダイエットにもチャレンジしている。その効果は目覚しく、2週間で5キロも痩せた真矢は「ダイエットなんて簡単だよ。食べなきゃいいんだから。」と得意げに語っていたのだが・・ダイエットにリバウンドはつきものである。」
ブランド
ビジュアル系はアーティストもファンもブランドにこだわる人が多い。LUNA SEAではSUGIZOとJがブランドにこだわっているところがある。SUGIZOは「洋服はデザイン重視だからあんまりブランドにはこだわらない」と言いながらもその条件を満たすものとしてプラダやグッチなどの高級ブランドを選んでいる。勿論いつでもそんな高い服着てるわけではなく、アーミーなどのカジュアルなスタイルもしながらの上だでが。
そしてJだが、彼は自身でモデルを務めたことのあるジャン・コロナが気に入ってるようである。長身でスレンダーなスタイルを誇るJだから、ジャン・コロナの洗練された洋服も難なく自分のものにしてしまっている。アクセサリーではクロムハーツの熱狂的コレクターである。
ペット
真矢が「ミクロ」というウサギ、「弁慶」という犬をを飼っていたり、INORANが今も猫と暮らしている。RYUICHIも子供の頃から何度も犬を飼っている。LUNA SEAは動物好きのメンバーが揃っている。
SUGIZOも実家で犬を飼っているが、今SUGIZOの自宅で飼われているのは亀だ。「グリ」「グラ」という名前を「ミッキー」「マロリー」に改名し、毎日かわいがっているようだ。「ウチの亀はかわいい!」と亀自慢をしているぐらいのSUGIZOだから、亀が病気になったりしたらもう大変だ。駆けずり回って病院を探し、結局死なせてしまうとお墓を作りに実家に帰ったり、まるで我が子同然なのである。
PENICILLIN
1992年に神奈川県で結成。メンバーはHAKUEI(ボーカル)、千聖(ギター)、GISHO(ベース)、O−JIRO(ドラム)の4人。多彩なソロ活動も目立つ。
ビジュアル系のカリスマ的存在であるLUNA SEAに憧れてバンド・キッズが多いが、PENICILLINもそのバンドの1つである。大学時代にはLUNA SEAのコピーもやっていた。メンバーの中でもHAKUEIは特にLUNA SEAが好きで、その歌唱法もRYUICHIの影響を見ることができる。さらにHAKUEIはとにかくSUGIZOに憧れていると言い、挨拶をしに行ったこともあるとか。
放火
小学校時代はかなりのワルガキだった、と語るJは6年生の時にそのピークを迎えたという。その頃はボーズでワルを気取っていたというJだが6年生の時にとうとう決定的な悪事を犯してしまった。なんと空家を燃やしてしまったのである。
その時のJは放火という意識で火を付けたわけではなかったらしい。物を燃やしているのと同じ感覚で「これに火をつけたら面白いんじゃねぇの?」という純粋な好奇心であったようだ。しかし火の勢いは意外に強く、ボッと燃え出してしまった。火はなんとかボヤ程度でおさまったが、やってきた警察に補導されてしまった。この時悲しんでいる両親の顔を見たことで「もう悪いことはやめよう」と素直に反省できたという。
ま行
町田プレイハウス
町田プレイハウスは東京郊外の町田市にある、インディーズ時代にLUNA SEAがホームグラウンドとして活動の拠点にしていたライブハウスだ。「黒服限定GIG」も殆んどここで行われた。キャパシティが150人程度とかなり小規模だが今でもビジュアル系バンドからの高い人気を誇る。毎晩さまざまなインディーズバンドが熱いライブを繰り広げているが、最近ではパンク系、ポップ系バンドの出演も多い。
LUNA SEAは当時の店長の葉山氏に大変かわいがられた。時には厳しいアドバイスも受け、なんとLUNA SEAは最後まで
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