03 - 赤と赤

 彼女が手を振りかざした。
そう思った瞬間には、私のドレスにはワインによる赤い染みが点々と描かれていた。
赤い、ドレスに赤いワイン。
処理しきれない情報から役に立たない情報だけが頭をめぐっていく。
周囲の、短い悲鳴のような声でようやく私は意識をとりもどした。

「彼女、酔ってしまったみたいだから」

私と彼女を交互にみやったまま呆然としているパートナーに声をかける。
びくり、と肩を動かして彼はぎこちなく私を気遣う言葉をかける。
一言二言パーティーのスタッフに声をかけ、自分がやってしまったことに驚いて固まったままだった彼女を運び出していく。
止まってしまった空間で、やっぱりお客さんたちも止まっている。
勤めてにこやかな顔をして、彼に新しいワインを取ってきてもらう。 ぎくしゃくとした動きでそれをこなす彼を横目に、やたらにこにこと周囲に笑顔を振りまく。
やがて何もかもを「なかった」ことにして、ようやく周りも先ほどまでしていた動作の続きを開始した。
心配そうに私のドレスからワインを拭う親友と、彼女の分のワインで乾杯をしなおす。
今日は、私と彼の結婚報告を兼ねたカジュアルなパーティーで、もちろん私は主役のうちの一人、のはずだ。
左手と左足が同時に出そうなぐらい挙動不審な彼は、友人たちに囲まれはじめてようやく落ち着きを取り戻した。
そして、また彼女の声が響く。
外に出されたはずの彼女が、スタッフを振り切ったのか入り口付近から大声で叫ぶ。

「私、私彼の子供を!」

短い言葉で、あらゆる想像が駆り立てられる言葉を吐き出す。
たぶん、皆が思っていたとおりのことなのだろう。
彼が、一時期怪しい行動をとっていたことは私自身も承知している。
だからといって、今このときこの場所でそれを私にぶつけてもいい、だなんて思ってはいないけれど。

「それが何か?」

再び両腕をつかまれた彼女は、顔を赤くして必死の形相だ。
友人に囲まれたままの彼は再び固まって、友人たちはばつの悪そうな顔をしている。
おそらく、彼の「おいた」を知っていたのだろう。
男性の友情はそれを異性に隠すことで発揮する、らしいが、本当だったのだな、と妙なところで感心をする。
ぎゃーぎゃーとした声が遠ざかっていく、凍ってしまった空気だけが残された。
少しだけ不機嫌そうな親友に笑いかけ、そして少し飲んでしまったワイングラスを彼の方へと掲げる。
そして、やっぱり何事もなかったことのように私は笑いかけた。
事なかれ主義の彼は、案の定「なかった」ことにしてぎこちなく友人たちと談笑をはじめた。

微妙な空気の中、無事パーティーは終了した。
幾人もの友人たちのなんともいえない表情が通り過ぎていく。
聞きたい、けれども、という葛藤が手に取るようにわかっていっそ愉快なぐらいだ。
聞かれれば答えていた、彼女は彼の浮気相手だ、ということに。
もっとも、子供のことは予想外だったけれど。



「どっちか選ぶ?」

記入済みの婚姻届をひらひらさせながら、なぜだか床の上に正座している彼に問いかける。

「とりあえず、彼らとは縁切った方がいいみたいね」

どういう経緯で彼女と縁付いたのかを知っている。
彼が悪くないわけではない、彼も彼らも悪いのだ。

「あ、悪いけど、それ捨てといて」

赤いドレスを脱ぎ捨てて、バスルームへと向かった。
彼女の残した何もかもを洗い流すために。



お題配布元→capriccio
再掲載3.24.2017/10.07.2016




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