26 - 君の泣く所

「婚約者さま、元気?」

先週、彼女と会っていた時にからかってきた級友は、悪いやつではないけれど、どこまでも軽薄で機微を読むことを苦手としている。
そんなことで商売人ができるのか、と思うけれども、商会を継ぐのは彼の姉らしい。

「……解消、いや、白紙になった」

勤めて平坦に吐き出した言葉に、ああ、それが現実なのだと再び落ち込んでしまった。
級友はバツが悪そうな顔をして、小さく「そうか」と呟いた。
別に彼のせいではない。
いや、少しだけなにがしかのきっかけを作ったかもしれないけれど、こうなったのはもちろん、自分のせいだ。

彼女との付き合いは長い。
物心つく前からの付き合いで、それは母と彼女の母親が親戚であることに起因する。
姉妹の様に仲良しで、だからこそ隣り合っているけれども家風が異なることにより、あまり親密ではない両家を結び合わせた。
そんな状態だから、もちろん、彼女と自分も仲が良く、一緒に成長していったといっても過言ではない。
その関係が段々変化していき、婚約者同士になることはとても自然なことだった。
彼女は努力家で、控えめで、自分の家の武に偏った家風にも馴染もうとしてくれた。
これ以上ない婚約者だと、両親にも認められていた。
それが崩れたのはこの学園に入学してからのことになる。
僕は、努力家で積極的で、気まぐれな彼女に出会ってしまったから。
この国で良しとされる女性像からはかけ離れ、理不尽だと思えばだれかれ構わず噛みついていく彼女のことが、最初は苦手だった。
声すら控えめでかわいらしく、遠慮がちな婚約者とは異なるそれを、女性としてみていたわけではなかった。
ただ、珍しい生き物がいるな。
そんな風に捉えていたはずだった。

彼女が人知れず涙をこぼす場を見て、自分の中の意識が変化していった。
最初は、気のせいだと思っていた。
およそ女性らしくなく、どちらかといえば苦手な類の人間だと自分に言い聞かせる。
けれども、僕はいつしか彼女を視線でおいかけ、条件反射のように、彼女によく似た少女に振り返るようになっていた。
それが、周囲にばれるのはあたりまえのことで、件の級友に何かにつけからかわれるようになってしまった。
うっとうしくて、けれどもどこかうれしくて。
いつのまにか、僕が彼女に片思いしていることは事実化していった。
そんな風になれば、彼女の方にそのうわさが伝わるのも遅くはなく、すこしだけぎこちなく、けれども精一杯いつものように対応してくれる彼女に、また一段深くはまっていく。
恋人、とは言い切れないけれど、それでも友人よりはずいぶんと近い距離で、僕と彼女は過ごしていく。
学園にいる間は、婚約者のことなど考えないようにしながら。
だけど、休みの日には婚約者としっかりすごし、こちらに嫁いでくるための勉強を手伝う。
決して褒められるわけではないけれど、けなされるほどひどいことはしていないつもり、だった。


そんな甘い認識が覆ったのは、父親に呼び出され婚約の白紙を言い渡されたとき。

「別に、彼女じゃなくてはいけない理由はないからな」

そう淡々と、父に告げられる。
父は彼女の努力を認めていたし、母はもろ手を挙げて賛成だった。
けれど、確かに僕と婚約者の間には、たいした利害関係というものはない。
あるのは両家の絆と感情だけ。
それがなくなれば、そう、当然僕たちの関係だって消滅する。
そんな簡単なことも、僕は理解していなかった。

「だが、あれはだめだ。もっとも、向こうもそのつもりはないだろうがな」

鼻で笑うようにして、さらに告げられる。
今、学園で疑似的な恋人同士のようにふるまっている彼女のことを。
彼女は、ゆくゆくは学者になりたいらしい。
それが許されるだけの財力と、理解の両方を彼女は手に入れている。
だからこその期間限定の、恋愛関係。
そう、思っていた。

ずきり、と胸が痛む。
それは婚約者を失ったからなのか、彼女を失ったからなのか。

数年後、元婚約者の結婚式を遠くから眺め、彼女がうれし泣きをしている姿を見つめていた。
あの時の、胸の痛みをその時僕はようやく知ることができた。



再録:01.18.2024/update:12.01.2023

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