冷たい月を食べたんだって。
そう、からかう人の声が、かすかに耳に届いた。
ご近所さんで幼馴染で友達で、そして婚約者で。
徐々に変わっていく関係性の中、わたしたちはよい変化を重ねてきた。
そう、思っていた。
こちらを見ているようで見ていないあなたの瞳を見上げながら、言葉が飛び出そうになる。
――誰のことを、思っているの?
そう問えば、きっと、わたしのことだと、笑って答える。
わかりきったやりとり。
それでも抑えきれずに行ったやりとりは、みんなそうやって返された。
確かに、彼は婚約者同士だと胸を張って言えるほど、まめにわたしをかまってくれている。
幼馴染とはいえ家同士のやりとりも、彼はわたしを助けながらやり遂げている。
だけど。
ぼんやりとした視点がふいに鋭くなる。
ゆっくりと横を向く彼は誰かを探している。
向かい合わせに座るカフェ、真向かいにいる彼が向けた視線には、誰かとよく似た髪色の少女が友人たちと歩いている姿がみえる。
少しだけ、落ち込んだような色をみせ、彼はゆっくりとこちらに顔を戻す。
まるで何事もなかったかのように、彼は最近の出来事を話始める。
友人だったり、勉強のことだったり。
何かが絶対的に欠けているはずの会話を、注意深くうなずいていく。
彼は男性貴族と、学問に熱心な少し珍しい女性たちが通う学園に。
私は、一般的な貴族女性が通う女子学園へ。
異なる学校に通うわたしたちは、相手の知らない日常を送っている。
彼の過ごす学園での毎日は、わたしにとっては刺激的で、いつ聞いてもおもしろいもの。
だったはず。
わたしは今、笑えているのかもわからない。
級友の失敗話や武勇伝ともいえる討伐の話、驚かされるそれぞれ。
頭で認識して、確認をして、感心をしたり笑ったり。
呼吸をするように自然にやっていたことが、今ではひどく疲れる何かになってしまっている。
彼はもちろん、そんなことには気が付いていない。
わたしのことを認識していない彼は、気が付くはずもない。
「あれ?おまえ、婚約者?」
すこしだけ不躾で、こちらを値踏みするような顔をした少年と青年の間ぐらいの男たちがこちらへと近寄る。
嫌そうに顔をしかめ、大きな右手で近寄るな、の仕草をする。
「ふーん、あ、おれ同級生ね」
勝手に自己紹介をして、彼が最近手広く商売をしている家の子息だと理解する。
どこか貴族らしくなく、けれども品がないほどではない。
「……お邪魔だろうから、またな」
そうやって、彼はさんざんわたしのことを観察して手をひらひらさせながら去って行った。
残されたのは、不機嫌そうな彼と、ひたすら居心地の悪いわたし。
「すまない、ちょっと軽いけど、悪いやつじゃないんだ」
「ええ、そうですね。悪い人ではなさそうですね」
負の感情をこぼさぬように注意する。
友人と名乗る彼は、わたしについてそれ以上になにか思うところがありそうだけれど。
頭痛がする、という理由でこの場を切り上げる。
少しだけ、ほんとうに少しだけ心配そうな顔をして、彼がわたしを見送ってくれた。
それからしばらくして、わたしは婚約白紙を両親に願い出た。
別に、家同士のやりとりはあるのだけれど、絶対になくてはいけない、というものではない。
どちらかに偏って得になることも、損になることもない、ただ立地と都合がよかっただけで行われた婚約だ。
こうやって願い出れば、思った以上にあっさりとそれはなされた。
父は、彼の今の現状を知っているのかもしれない。
そして、私が違う学校にもかかわらず、彼と誰かの噂で、好奇の目で見られているということも。
月を見上げる。
私の心も、凍ってしまえばいいのに。
そう、願った。
お題配布元→capriccio様
再録:01.28.2024/update:12.01.2023