視線の先に目をやり、ちくりと痛む胸の何かに手を当てる。
顔は、笑っている。
けれど。
「おはようございます」
幼いころから叩き込まれた。模範となるべき挨拶をこなす。
彼はちらりとこちらに目線をよこし、かすかに笑う。
その笑顔は、先ほどまでとは違いどこか作り物めいた「いつもの」表情だ。
「お先に失礼いたします」
行きかう人々に逆らうように、ピタリと止まったままの彼と彼女を後に、私は足早にその場を立ち去る。
このまま二人を見ていれば、私は余計なことを言ってしまう。
小さいころから与えられた役割を、はみ出すことは出来はしない。
「またですの?」
諸事情で引き合わされ、友人づきあいを続けている彼女がためいきをつく。
そんな姿すら美しい彼女は、将来私の義理の姉となる存在だ。
存外と気が合い、私たちは義務以外のやりとりも交わしている。
少しだけ眉を下げ、再びためいきをつく。
友人は屋外に設置された椅子とテーブルで、友人と言い張るには少し距離の近い男女を見つめている。
彼女によく似た色合いの、男と、どこか野暮ったさが残る幼顔の女。
不似合いさが目立ちはするが、別におかしなことではない。
それが、私という婚約者をもつ男と、彼とは身分違いにもほどがある立場の女、でなければ。
じっとりとした視線をむけられたせいか、婚約者がこちらに顔を向ける。
少しだけ肩を動かし、ひきつったような顔をみせる。
そして、女との距離をあける。
その位置が不適切なものである、という自覚はあるようだ。
婚約者の実の姉である友人は、私を促しながら優雅に彼らに歩み寄る。
「ごきげんよう」
温度の感じさせない声音で、彼を睥睨する。
私は、戸惑いながら、少し後ろで彼の顔をうかがう。
「姉上」
気まずそうに視線を下げ、そしてさらに距離をあける。
それ以上動けば、椅子から落ちてしまいそうなほどに。
「やんちゃも、それぐらいにしておきなさいね」
にっこりと笑い、彼女は再び私を促す。
ちらり、と隣に座る女の顔を見る。
幼顔には似合わないほどの強い視線を返される。
ぞわり、と胸の中になにかが広がる。
黒い、暗い、何か。
叫びだしそうなほどの衝動を抑え込み、彼女に笑みを返す。
結局私が彼女に対峙したのは、これが最後となった。
彼女がどうなったのかは、わからない。
彼の家の力が働いたのか、私の家の力が働いたのか。
今までそばにいた人が、ある日突然いなくなる。何かの事情で。
私たちはそういう世界に住んでいるのだから。
再掲載:09.22.2023